新生活スタートしましょう

第7話

「すっごく瑞々しい!」

「ただいま戻りましたー」

「おかりなさーい」

 畑から顔を上げたとき丁度先生も戻ってきたみたいで、手に持っていたラディッシュを掲げれば笑顔でいそいそとやってきた。

 あれほど荒れ放題だった土地は私たちの手で草を刈り土を耕して、今では私たちが食べる分の野菜が育てられるようになった。ボロボロだった家は屋根に穴が空いていたりして雨漏りもしていたけれど、屋根もしっかり張って部屋も増築。そのとき必要だった木は家の裏に森があるからそこで自分で伐採。井戸を掘り当て水を引いてライフラインもしっかり整えて、自給自足するには十分の環境に整えていった。

 野菜を育てるにあたっては先生と約束事をした――極力、魔法は使わないこと。自分たちの手で耕し育て、天候に左右されるときもあるけれどそれも魔法に頼らず人の手で対処。苦労も多いけれどその分達成感が味わえる。

 それこそ最初に育てた野菜を先生と食べたとき、決して出来がいいわけではなかったのに美味しく感じてふたりして拍手喝采したものだ。

「市場どうだった?」

「野菜売れましたよ。まぁ初めて見たご婦人は土が付いていて懸念してましたけど、常連さんは買っていってくれました。通常の野菜より甘く感じるそうです」

「種は一緒なんだけどね」

「そうなんですねぇ」

 色々と準備をする、と言ったとき先生は僅かな種も分けてもらっていたらしい。そこからまた増やすのは自分たちで、ということだったけれどそこは先生の専門職。自分たちが食べる分にプラスして、畑の片隅のほうで売るようの野菜も少しだけ育てている。

「エリーさん、昼食にしましょう。私が調理しておきますので土を落としてきてください」

「わかったわ」

 汚れた服をパンパンと叩き土を落とす。軍手もしていたけれど外してみればやっぱり指先は汚れていた。先生に言われたとおり井戸に向かい、ポンプで水を組み上げ手を洗う。こういうところは前世のほうがラクでよかったかなぁ、だなんてほんのちょっぴり思ったり思わなかったり。

 きちんと綺麗にして家の中に入ればほんのりいい香りが漂ってくる。何かのスープだろうか。最初はお互い料理はボロボロで真っ黒なんて普通だったし食べたときの食感もジャリジャリしていたし。それに比べると今では上達したものだ。ふと先生の指先を見てみると小さく炎が現れた。魔法禁止しているのは野菜を育てているときだけで、実は調理のときは多様している。ぶっちゃけるとライターの役割を果たしていた。

「先生、器これでいいかしら」

「ありがとうございます」

 ふたつある食器類、来客なんてこんな街外れに来ることはない。野菜たっぷりのスープが器に注がれて、それを受け取って私が作った木製のテーブルに置く。先生のスプーンと自分のスプーン、そして畑で収穫した茶葉で淹れたお茶。屋敷にいたときと比べて随分質素になった食事だけれど、今の私はこっちのほうが美味しく感じる。

 お互い大地の恵みに感謝して、そしてスプーンですくったスープを口に運んだ。優しい味が口いっぱいに広がって身も心も満たされる。

「そういえば、エリーさんが屋敷から出て二年になりますね。そろそろですか?」

「あ、確かにそうね」

 嘘をつくのも疲れるので、先生には素直に話しておいた。前世の記憶があることと、この世界がその前世で見たことがある物語とそっくりだということ。流石に「ゲームの世界」ということは伏せておいた。こっちにはないものだから説明も難しい。

 流石に突拍子もない話しだから先生も信じないかと思っていたら、返ってきた言葉が「ああ、そうなんですか?」だなんて。こっちが面食らうほど呆気なく信じて、やっぱり私は先生のそんな素直すぎるところが心配になった。

「そろそろ現れるんですか? その『聖女』と言われる女性が」

「多分そうだと思うわ。でもだいぶ細かいところは忘れてしまって……まぁ、ここにいれば私は安全だと思うの!」

「二年前エリーさんがなぜあそこまで必死だったのか、今ならわかります」

「そんなに必死だった……?」

「ええ。こちらが見てわかるほど余裕がありませんでしたから」

 改めてそう言われると恥ずかしいというかなんというか。でも確かに生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだから余裕もあるはずがない。

 コホン、とひとつ咳払いして続けてスープを口に運ぶ。この話はこれでおしまい。だってソフィアという人物は物語には登場せず、逆にモブひとりが誕生しただけ。これで処刑フラグは回避できたはずだ。

「エリーさん、午後から狩りに行きますか?」

「ええ、そうね。先生、今日は獲物ありそう?」

「ちょっと待ってくださいね……うーん、今のところは感知できませんが、森の近くに気配はあるようなのでいるかもしれませんね」

 こうやってふたりで過ごすようになってから、先生も自分自身のことを私に話してくれるようになった。先生曰く、魔法は使えることには使えるけれど攻撃魔法は得意ではないらしい。出せたとしてもさっき調理のときに使えたぐらいのほんの小さなもの。逆に探知系や解術系などのサポート系は特出しているということ。

 この国は全体に結界の魔法が掛けられているけれど、こんな隅っこにあるひと気の少ない場所はその魔法が若干薄れているようで。それをカバーするように先生は近くにある森を探知の魔法で覆っている。何かが侵入すればすぐにわかるし、時間は掛かるけれど精度を上げればそれが何なのかも特定できる。身の危険を感じればこの場から離れ憲兵の人たちに知らせ、逆に狩れるようであれば狩りに行く。

 食事を済ませた私たちはそれぞれ身支度を始める。ドレスなんてものもうこの二年間まったく着ていない。その代わり身動きのできる服装、手には革製のグローブ。先生もローブ姿ではあるけれど魔法省から支給されているものではなくなった。

「準備はできた?」

「ええ、行きましょう」

 そうして私たちは家の裏にある森へと足を踏み入れた。

 木の枝や幹、好き放題に伸びている雑草を避けたり踏みしめたりしながら奥へと進んでいく。ガサガサと何かが動く音が聞こえるけれどそちらに意識を向けない。この森で生きている動物は私たちの獲物ではない。しばらく歩いて、そして私は草むらに身を潜めた。

「いた。魔物ね」

「一体だけですね」

 この世界は『魔物』というものが存在する。それがどんな存在なのか、まだ令嬢の頃はぼんやりと知っている程度だった。詳しく知らなくても貴族の令嬢にとっては関係のないことだったから。けれどこうして屋敷を飛び出して、そんな私に先生はより詳しく教えてくれた。

「魔物は元を辿れば動物なんです。本当になんの害もない」

 それがなぜ魔物になってしまうのか。それは人の『負の感情』のせいだという。その感情は禍々しさを増すとオーラとして移動してしまい、そして動物に引き寄せられる。動物の中に入ったそのオーラは『核』を作り、その『核』を中心として動物の身体を作り変えてしまう。やがて力が宿り理性を失い暴力性を増したものが『魔物』となり、人々を襲う。魔物に襲われた人々からはまた負の感情が噴き出してしまい、また罪のない動物へ――とまさに悪循環で成り立っている。

 戦場の跡地や迫害を受けた地に魔物が多いのは、そういった理由がある。そして人の負の感情がある限り、魔物はどこでも湧いてくる。各国が自国に結界を張るのはどこにでもいる魔物を敷地内に入れないためだ。

「でもきっと魔物がいなくなる日なんて来ないわ。人はどうやっても『負の感情』を持ってしまうもの。私には……それが、よくわかる」

 妬み恨み怒り、人が誰しも持っている感情だ。それこそ頭を打ちつける前の悪役になるはずだった令嬢がそうだ。その負の感情の塊だった。そして貴族にはより一層そんな感情が渦巻いていた。

「……先生、弱点はどこ?」

「額とそして背中ですね」

 目の前にいるのはイノシシのような形をした魔物。ただしサイズがイノシシよりも大きくて軽く人の身長を超えている。教わった『核』だけれど、『核』の位置とその魔物の弱点の場所が一致しているわけではないので、先生のような解析する魔法スキルを持っている人がいないと中々面倒なのだそうだ。目の前の巨大イノシシも核は胸元にあるのに弱点は別の場所にある。

「ではいつも通り私が足止めをします」

「わかったわ」

 一斉に飛び出してまず先生が魔物に向かって手を掲げた。

「ブレイク!」

 バチンッと音を立てて魔物の足が弾かれる。先生の魔法で体勢を崩した魔物の額に思いきり弓を放った。短い雄叫びを上げたけれど仰け反っただけ、弱点はもうひとつある。思いきり地面を蹴り魔物の上に飛び上がった。

「もう、一発!」

 今度は背中に向けて放つ。深々と刺さったそれに今度こそ断末魔のような雄叫びを上げて魔物はゆっくりと倒れこんだ。私も体勢を崩さないように着地をして静かになった魔物に近付いてみる。

「大丈夫ですよ」

「そうみたいね」

「弓の威力も随分増しましたね。最初は本当に……」

「あははっ、真下に突き刺したやつね?」

「ええ……エリーさんの足に刺さるんじゃないかとハラハラしました」

 それはもう最初は初心者だから弓の練習しようとして思いっきり地面に突き刺したわよ。ビィィン……と矢は震えていてそれを見た先生も顔を真っ青にして少し震えていた。

「先生、『核』を取るわ」

「お願いします」

 魔物の近くで膝を付いて胸にナイフを突き立てる。『核』は魔物に付けたままにしているとそこからまた禍々しいオーラを吸収して増幅してしまうらしい。下手して他の動物が口に入れたりしたら強力な魔物が生まれる可能性がある。けれど『核』魔物の生体反応がなくならなければ取れない。取ったあとは物理的に破壊できるから思いきりナイフを突き立てて破壊する。

 魔物に付いたままの『核』を壊すのは実質無理だけれど、聖職者だけは浄化できるらしい。でもその聖職者の人数がそもそも少ないのだそうけど。

「さて! 先生、解体していいかしら?」

「はい。毒持ちではないですし大丈夫ですよ」

 目の前にいるのは魔物だけれど、元を辿れば動物――そう、お肉である。

 最初これを食料として加工できないかしらと口にしてみれば先生はまた顔を青くした。魔物を食料として口にしたことがあるのは遠征先で食料が尽きようとし、苦肉の策としてしっかりと火を通して調理した騎士たちだけらしい。確かに調べてみれば毒はないですけど無理ですよ私は解体の仕方を知りませんし臭いもきついと思いますし何より魔物ですよ! と一気に言い切った先生はあまりにも必死だった。

 そのときはまず見様見真似で血抜きをして、そのとき血が噴き出るはあまりにも大量だったからふたりで悲鳴を上げたんだけど。皮を剥ごうとしたけれどなかなかにグロいし骨と肉に分けるのもどこに刃を入れていいのかわからなくて、結果ぐちゃぐちゃになった。

 でもそれももう昔のこと! 今の私にとって魔物の解体はお手の物。血抜きもできるし皮も剥げる、肉と骨に分けるのもあっという間。

「あら、今来たの?」

 せっせと解体をしているとそこに現れたのは一匹の白い狼。この森に住んでいて群れを作らず所謂一匹狼であるその子が黙ってこっちをジッと見ている。

「しょうがないわね、ちょっとだけよ」

 ついさっき切り分けた肉の塊を狼のほうに放り投げる。その子はスンスンと鼻を動かして、そしてすぐにぱくりと口に挟んで踵を返していった。

 あの狼はたまに魔物が侵入してきたときとか私たちをその魔物のところへ案内してくれる。この森で共存していると言っても過言じゃない。今回はあの子の案内がなかったけれどこれだけ肉があるのだから、ちょっとしたおすそ分けだ。

「骨はあとで砕いて加工して畑の肥料にしましょう」

「そうね。うーん、持って帰るの多いわね」

「では私が骨を」

「さり気なく軽いほうを選んだのね、先生」

 クスクスと笑えば先生が少しだけ唇を尖らせる。サポートタイプの先生の代わりにドンドン前に行って狩りをする私はいつの間にか先生より力持ちだ。そもそも先生は元からあまり筋肉が付かない体質のようだから、仕方がないと言えばそうなのだけれど。

「先生、私の今の目標なんだと思う?」

「なんですか?」

「立派な狩人になることよ!」

 できることが徐々に増えていって、きっとそれも夢ではなくなっていく。

 ただ悪役令嬢だった女が身体を鍛え狩人を目指そうとしているのだから、周りから見たらおかしな物語だ。

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