第6話
先生が自分の準備を整える前に一度顔を出してきてくれた。どうやら売ったドレスと宝石がそれなりの金貨に変わったらしい。土地を買っても十分お釣りが出たのだと教えてくれた。
「そのお金でお嬢様の服を買ってきたのですが……すみません、サイズがよくわからなくて」
「大丈夫よ先生、多少大きくても。肩と腕が入ればそれでいいもの」
「肩と腕……」
先生の視線がチラッとさっき言った箇所へと向かう。ムン、とわざと腕に力を入れて誇らしげに笑ってみせた。お淑やかな令嬢とは思えないほどポコッと力こぶが出るようになった腕は、まさに努力の賜物だ。
「では、もうしばらくお待ち下さいね」
その言葉を信じ、数少なくなったドレスを身に纏って何気なく日々を過ごしていた。今まで通り勉強とトレーニングはもちろん、セバスチャンにバレないようにこっそり身の回りを整理をしたりして。
今日もトレーニングを済ませ湯で汗を流し終え軽く勉強をしようと思っていたところ、机に乗せていたカードが淡い光を発した。通信機が発する光と同じような光だ、と思いながら急いで机に駆け寄る。何も書かれていないまっさらなカードに端から徐々に文字が浮き出てくる。
今日なのだ、この家から抜け出すのは。
慌てて先生からもらった服装に着替える。動きやすいようにとヒラヒラのスカートではなくパンツスタイル。髪も結ってベッドの下に隠していたトランクを取り出した。中には必要最低限な物だけ、お洒落なドレスや宝石なんか一切入っていない。そのトランクを持って窓を開け放ち、外に放り出した。下は手入れをされた草木があるからこの高さから落としても壊れることはないだろう。私も身を乗り出そうとしたけれど、ふと動きを止めて机に踵を返す。
「……せめて、メモだけでも残していこう」
何も言わずに出て行くことを許してほしい、とセバスチャン宛てにメモを残す。今まで世話をしてくれたお礼と、そして今後私のことは気にせずに本来の業務に集中してほしいと。食事の時間になれば必ずセバスチャンは運んできてくれるからこのメモにも気付いてくれるはず。
書き終えた私は一度息を吐き出して、そして窓に振り返る。この部屋は二階にあるけれど実はすぐ傍に大きな木が植えられていて、こちらまで枝が伸びているのだ。窓に足を掛けて、そして伸びている枝に手を伸ばす。
そして思いきり木へ飛び移った。
「きゃーっ! お、落ちる落ちる!」
枝はぐらりと動いて急いで太い幹にしがみつく。足元は不安定で一歩踏み外せば下に落ちてしまう。きっと骨折だけじゃ済まされない。この世界に生まれて、貴族の令嬢だったから今まで一度も木登りなんてしたことはなかった。だから下まで無事に辿り着けるか、不安しかないというのに。
今までにないぐらい、一番ドキドキしてる。
ゆっくりと降りていけば枝に髪は絡むわ、滑りそうになって慌ててしがみつけばトゲが手に刺さるわ。無事に下に辿り着くことはできたけれどもう半分ボロボロ。令嬢の姿じゃないわよと笑いが込み上げてきたけれどハッと我に返って急いでさっき放ったトランクを回収する。
そのまま中庭を突っ走って門番なんてものがいない門を通り過ぎる。浮き出たメッセージが示していた通りの場所へ向かえば、橋を渡った先に見慣れた姿があった。私に気付いて思いきり手を振ってくれている。
「先生!」
「大丈夫でしたか?」
「ええ。すっごくドキドキしちゃった!」
「では行きましょう」
差し出された手を握って、そして走ってきた私に釣られるように先生も一緒に駆け出す。今まで馬車でしか通ったことのない街の中、人々が笑顔で駆け抜ける私たちに視線を向けるけれどそれも一瞬だけ。途中歩くことだってできるのに、私たちは胸を高鳴らせるままにひたすら走っていた。
やがてひと気が少なくなり建造物も徐々に少なくなってくる。言っていた通り本当に街外れなのだ。先生に連れられるまま坂を走れば、パッと視界が開けた。
目の前には伸び放題の雑草、奥のほうには家が見えるけれど人が住めると言えるようなものではなく随分と朽ち果てていた。ドレスや宝石を売ってもお釣りが出たのは頷ける。
「な……」
ふるふると身体が震え、言葉が漏れる。先生が繋いでいた手をそっと離し心配気にこちらを見ているのがわかる。けれど、先生。私ね。
「なんて素敵な土地なの……!」
感激で震えているのよ。
荒れ放題の土地も家も、全部自分たちで整えることができる。そう、これだ。これを理想としていた。先生に振り返り両手を強く握りしめる。流石は先生、最高の土地を見つけていた。
「先生、ありがとう!」
「よかった、お気に召しましたか」
「もちろんよ! 先生、これから一緒に頑張りましょうね!」
「ええ、私たちの手で開拓しましょう!」
お互い手を握りしめたままキャッキャとはしゃぐ。一通り楽しんで、ではまずは家に向かいましょうと告げる先生を前に「あっ」ととあることを思い出した。これを忘れるわけにはいかない。
懐に仕舞っていたナイフを取り出し、そして結んでいる髪を掴む。淑女の嗜みのためと長く伸ばされた髪に、ナイフを横一直線に入れてやった。ざんばらに落ちる髪、スッキリとした首元。この瞬間『ソフィア・エミーリア・フォルネウス』はいなくなった。
「これからの私は『エリー・ヘスティア』よ」
処刑へのフラグを回避するための方法。それは――物語の登場人物ではなくなることだ。
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