第5話

 太陽のよく当たる場所へ、水は根腐れを起こさないように適度に、そして風通しがよくなるように芽かきをしてある程度育ったら支柱を立てる。前世で一度やったことだけれどそれも小学生のときだから随分と忘れてしまっている。

 そうして毎日しっかりとお世話をして予想以上に早い成長を目の当たりにしつつ、実がなり始めた頃には小さく歓声を上げた。美味しくなるようにと教材に書いてあったように肥料をあげて、あとは上に伸びすぎないように剪定しつつ熟すのを待つのみ。

「今日もいい天気ね」

 運がよかったことにこの二週間ずっと晴れの日が続いていた。動きやすい服装に髪を結っている私は早速ミニトマトの元に向かう。日数的にそろそろ収穫ができるはず、と一応浅いバスケットも持って中庭へとやってきた。

「だいぶ瑞々しくなっているし、色も赤くなってるけど」

 そこには立派に成長したミニトマト。スーパーなどに売っていてもおかしくないぐらいだけれど。

「……食べてみましょ!」

 実際食べてみないと味もわからないし、とひとつだけ取ってそして口に運んだ。ミニトマトらしくプチンとした食感、その直後にじゅわっと口の中に甘みが広がった。

「っ……!」

 急いでしっかりと実になっているものを収穫していく。ひとつの植木鉢で育てたから量がそうあるわけでもない、けれどバスケットにコロコロと転がっているミニトマトは今の私にとっては宝石よりもキラキラと輝いてみえた。パタパタと廊下を走り自室に向かっていると、丁度ティーを持ってきたと思われるセバスチャンがノック一歩手前で立っていた。

「セバスチャン! 一個食べてみて!」

「それは……お嬢様がお世話をしていた」

「そう、私が育てたの!」

 はい! とバスケットを差し出せばセバスチャンはいつも身に着けている白手袋をわざわざ外し、ひとつだけ手に取ってそして口に運んだ。しっかりと咀嚼しているところドキドキしながら見て、そしてジッとセバスチャンが口を開くのを待つ。

「ど、どう……?」

 喉が上下に動いたのを確認にしてそう問いかけてみる。真っ直ぐ私を見てくる目は感情を読ませてはくれない。私は美味しいと思ったけれど、もしかして執事であるセバスチャンは舌も肥えているだろうから口に合わなかったのかもしれない。

 そんな少し気落ちしそうになった私を他所に、セバスチャンは少しだけ、本当にほんの僅かに顔を綻ばせた。

「甘くて、大変美味しゅうございます」

「ほ、ほんとにっ?」

「ええ――お嬢様」

 ぽん、と頭の上に温かい何かが乗せられた。

「よく頑張りましたね」

 この世界に生まれて、こうして誰かが私の頭を撫でて褒めてくれたことなんてなかった。身体がまだ大人になりきっていないせいだろうか、じわりと涙が浮かぶ。でも泣いているところなんて見られたくなくて、グッと一度目を強く瞑ってその涙を引っ込めた。そして話題を変えるように「そういえばっ」口を開けば思った以上に大きな声が出てしまって、それがまた少し恥ずかしかったのだけれど。

「先生、今日は来るって言っていたわよね?」

「はい、そろそろだと思いますが……いらっしゃったようですね」

 魔法の通信機があるように来客がわかるように門のほうでも感知できる魔法がある。前世の言葉でいうとチャイムみたいなもの。通常ならば執事であるセバスチャンが来客の対応にあたるのだけれど、先生は既に顔パスとなっているため普通にこの屋敷に入ることができる。

 お飲み物の準備を、とセバスチャンは私に一礼し、そして私も客室へと向かう。とは言っても来客なんて先生ぐらいのものだからもう先生の部屋と言っても過言ではないのだけれど。

「ああ、お嬢様」

 もうこの場を去っていると思っていたセバスチャンの声が聞こえて振り返れば、頬に何かがそっと触れた。

「これで大丈夫ですよ」

 頬に触れたのは真っ白なハンカチ。収穫するときに色々と作業もしていたため土が頬に付いてしまったようだ。セバスチャンのハンカチを汚したことを申し訳なく思ったのだけれど、セバスチャンは何ひとつ気にする素振りを見せず笑顔を見せただけだった。ありがとう、と一言お礼を言えばその笑みは更に深まって、そして一礼しこの場を去っていく。

 私は今まで、セバスチャンはただの義務感だけで私のお世話をしていると思っていた。癇癪持ちの我が儘お嬢様。メイドたちは次々に辞めされられ手を付けられない。最終的に押し付けられたのは執事長。別棟と本館の行き来だけでも面倒だろうに、彼が何ひとつ嫌な顔をしなかったのはプロフェッショナルだからだろうと。

 でももしかしたら、ほんの少し勘違いもあったのかもしれない。そんな彼に何かしらのお礼をしたいけれど、果たしてその機会はめぐってくるのだろうか。

「こんにちは、お嬢様」

「先生! 待っていたわ!」

 セバスチャンから飲み物を受け取った私はあとはもういいとだけ告げて、彼を本館のほうに戻した。部屋には私と先生のふたりだけ。

「先生、食べてみて」

「おお……綺麗に育ちましたね。では」

 先生は目の前にあるミニトマトをひとつ摘んで、そして口に入れる。食べた瞬間パッと目が輝いてそしてにこにこと笑顔になる。

「しっかりと、丁寧に育てたことが味から伝わってきます」

「よかったぁ……ちゃんとできたのね」

「はい、満点です」

 この飲み物とも合いますね、と続けられた言葉にハッとした。甘みのあるミニトマトの味がなくならないようにスッと爽やかな味わいのあるティー、セバスチャンがわざわざ合わせて挿れてきてくれたのだ。

 もっと早くわかっていれば、とほんの少しの罪悪感が沸く。それで、と首を傾げながら穏やかに話を促してきた先生に対してグッと言葉が詰まった。先生に教えを請うたのも必死に勉強や体力作りをしていたのもただただ、『処刑』という道から外れるため。

 きっとこれから言う言葉は、色々と尽くしてくれたセバスチャンに恩を仇で返すようなもの。

「……私、この家から出るつもりです」

 穏やかだった先生の顔が驚きに変わる。それもそうだ、この場にいれば衣食住困らず贅沢な暮らしだってできる。それでも私にとってここは処刑への道しるべ以外の何ものでもない。

 贅沢な暮らしをしてきた娘がひとり放り出されたところで何ができるのか、先生もそう思ったのかもしれない。さっきまでの穏やかな顔も雰囲気もなくなりただ真っ直ぐに私を見てくる。

「……ここを出て、どうするつもりなんですか? 宛てはありますか」

「ないです。もちろん住むところだって。だから下働きなようなことをしてお金を稼いで、それから住む場所を見つけるつもりです」

「下働きとは皿洗いなどですか? 失礼を承知で申しますが、あなたは今まで一度もそのようなことしたことはないでしょう?」

「先生、今の私の手、令嬢のような綺麗な手だと思います?」

 両手を先生の前に広げる。そこには白く美しい細長い指が、あるわけではない。体力作りのために外で走っていたから肌は健康的に焼けた。土いじりをしたから爪は少し欠けてしまったしささくれだってある。細かった指は、筋トレや素振りをしていたおかげでほんの少しだけたくましくなった。人々はこの手を見ただけで、果たして令嬢だと判断できるだろうか。

「……私に野菜作りを教えてほしいと言ったのは、そのためですか」

「ええ」

「ここから出れば、苦労がたくさん待っています。あなたが想像するよりずっと大変かもしれない」

「それも承知の上です」

 こんなことを言い出された先生は眼鏡を外し目頭を押さえ、口から細く長い息が吐き出した。こういう反応をされることを予想しながらも、私は先生から目を逸らすことはしない。これは間違いなく私の意思だから。

 やがて外した眼鏡を元に戻した先生は、セバスチャンが淹れてくれた美味しいティーに口を付けて喉を潤した。二、三度喉が上下するのが見えたけれど私の視線はまだ先生の目に向けたまま。先生は目を伏せたまま、小さく頭を抱えた。

「……町外れに、誰も手を付けていない荒れた土地があるんです。小さな家もありますが朽ち果てたまま。けれどそんな条件なので安い価格で売られているんです。私は魔法省を辞めて、そこを買い取る気でいました」

「え……?」

「お嬢様」

 頭を押さえていた手を下ろし、目を伏せたままだった先生はしっかりとこちらを向いた。真髄で、こんな真っ直ぐな目をしている人が嘘を付いているとも思えない。

「女性ひとりが身ひとつで飛び出せるほど、残念ながらこの国は安全ではないんです。それに私もひとりで新天地に向かうにも多少不安がありまして……どうでしょう、初心者同士、ここは手を取り合って支え合うというのは」

「先生……?」

「お嬢様さえよければ、ですが。もちろん断って頂いても結構ですよ」

 少し困ったかのように、それでも穏やかに笑顔を向けてくれる先生の手を勢いよく握った。

「断るはずありません。先生さえ、よければ……! 寧ろよろしいのですか?」

「もちろんです。だって私たち『同志』じゃないですか」

 まさか先生からそんな提案が来るだなんて思いもよらなかった。止められると思っていたしそうであったとしても私は説得に応じずひとりで飛び出す気でいた。ただセバスチャンに報告しなければそれでいい、と考えていたから。

 まさに救いの手だ。いいえ、先生がここに来てずっと助けられている。この長い人生の中でほんの一瞬だろうけれど、私に知識をくれた、達成感を与えてくれた、光明を見させてくれた。

「そうだ、そうと決まれば……先生、頼みたいことがあるのだけれどいいかしら?」

「なんでしょうか?」

 先生の手を離し席を立って、そしてクローゼットへと向かう。そこにはもう着なくなっていた複数のドレスやきらびやかな衣装。

「ここにあるドレスを売って土地を買う足しにしてほしいの」

「え? え、いえ、土地は私が買いますよ……?」

「いいえ、先生。魔法省の給料はいいけれど退職金は少ないと聞いたわ。それに家庭教師だって、本当はそんなにもらっていないでしょう?」

 あの両親が私のためにお金を出すとは思えない。きっとセバスチャンがここの維持費をやり繰りして出してくれたに決まっている。私自身が直接先生に支払えたらいいのだけれど、十四歳の娘が自分で稼いだお金を持っているわけでもない。

「しかしドレスを売れば目につくのでは……?」

「意外にそうでもないのよ。社交界の流行ってものすごい早さで流れていくの」

 流行遅れになったドレスはそのまま捨てるか、もしくは使用人にあげてその使用人たちはそのまま街で売ってお小遣い稼ぎをしたりしている。そして売られたドレスは安い値で出回るから庶民がお下がりを嫌がっている、という話しは今のところ聞いてはいない。だから貴族がドレスを売りに出しても決してめずらしい話ではないのだ。

「ドレスで足りなかったら宝石も売るわ。先生の貯金は当分の生活費やその他に使って欲しいの。だって根付いていないのにすぐに生活に慣れるのは難しいでしょう?」

「確かにそうですが……お嬢様の負担が大きくありませんか?」

「何を言ってるの先生」

 売りに出すドレスをポンポン投げて、そして売れそうな宝石も表に出す。すっかり困り顔の先生ににっこりと笑顔を向けた。

「私たちこれから運命共同体よ? これぐらいどうってことないわ」

「……わかりました、私の負けです」

 言い出したのは私なのに恥ずかしい話ですが、と先生は両手を上げ私もそれに満足する。手を取り合えって支え合うと言い出したのは先生だから私はそれを実行に移そうとしているだけ。

「ではお嬢様、これを」

 そう言って手渡されたのは一枚のメッセージカード。上質な紙だけれどそこには何も書かれてはいない。

「これは魔法具です。離れた距離でも私が念じればメッセージがここに浮き出るようになっています」

 つまりショートメールのようなものだろうか。そんな便利なものがあったのかと思っていると「私のお手製です」という言葉が続けられ、なるほど先生が作ったものなのだと頷いた。

「私はこれから色々と準備をしなければならないので、その準備が終わり次第お嬢様にお知らせします」

「わかったわ」

「その前に一度こちらに伺いますね。お嬢様のドレスを売ったお金で動きやすい服を買ってきます」

 確かに今の服装のままだと脱走するときすぐに見つけられそうだし、もし成功したとしてもそのままの格好で街を歩けば怪しまれるかもしれない。さっきも先生が言った通りこの国は端々まで安全ではないということは、見えないところにゴロツキなどが隠れていることもあるということだ。

 わかったと首を縦に触れば大まかな予定を告げられ、脱走する証拠を残さないよに頭の中のメモにしっかりと書き留める。そしてドレスを包み込んだ布を持たせて先生を見送った。

 先生を見送ったばかりだというのに、もうメッセージが来るのが待ち遠しくなっている。

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