第4話

 毎日の勉強にトレーニング。チートなんて能力があればここまで大変なことはなかったんだろうけれど、と思いながらもそんなものはないのだから仕方がない。両方ともやり続けるしか今の私には手がないのだ。

 けれどいいことだってある。頭も身体も働かせているおかげでぐっすりと質の良い睡眠が取れるようになっていた。寧ろ眠れる時間があること自体幸せなことだ。ショートスリーパーでもないのに短い睡眠なんて疲れも取れないしただただつらいだけ。それに今は毎日三食必ず食事が運ばれてくる。衣食住、人として必要なものがしっかりあるのだから不満なんてものがあるわけがない。

 今日も今日とて机に向かっているとめずらしく遠慮がちにセバスチャンが声をかけてきた。なんだろうと首を傾げつつドアを開けてみると、声色と同じように少し困り顔をした彼がそこにいた。

「どうしたの?」

「セイファー様がいらっしゃったのですが、何やら門のところでお困りのようで……」

「先生が? どうしたのかしら」

 この別棟には本館とは違って別の門がある。きっとそこにいるのだろうけれど……距離もあるしヒラヒラのスカートは邪魔だと判断し動きやすい服装に着替え髪を結い、急いで先生の元に向かった。パタパタと走ったところでもう息切れをすることもなく、この距離で疲れることもない。

「あ、すみませんお嬢様」

 門のところにいたのはなぜかゼェゼェと肩で息をして額からは汗を流している、如何にも疲労している先生の姿。いつものローブは羽織っておらず、身軽な格好で腕まくりをしていてそこから白く細い腕が見えた。一瞬何かに追われたのかと思いもしたけれど、それにしては随分と爽やかな笑顔だ。ふと気になって足元に視線を落とし、私はパッと顔を上げた。

「必要なものを持ってきたんですが、流石に室内で作業するわけにもいかないと思いまして」

「先生、これひとりで持ってきたの?」

「荷台を借りてきたのでなんとか。下ろすときは少し大変でしたが……」

 肥料はもちろん重いし、それに植木鉢だ。前世の小学校のときあったものはプラスチック製だったけれど、先生が持ってきたものはどう見ても重厚感のある陶器。他にもっと軽いものがあっただろうに、もしかしてこの屋敷に合わせた物を持ってきてくれたのかもしれない。

「取りあえず中庭に運びましょ。私も手伝うから」

「あっお嬢様それはっ……!」

 近くにあったそれに手を伸ばして、グッと力を入れて持ち上げる。やっぱり見た目通りの重さだ。

「重っ……」

「お嬢様そんな重いものをっ」

「す、少し重いけれど運べないことはないわ。先生にも言ったけど私ちゃんと鍛えているのよ?」

「た、確かに以前に比べて健康的な肌色にはなっていますけど……」

「今では先生のほうが白いわね」

「……屋内での仕事なので」

 ちょこっとだけ不服そうな顔をした先生についクスクス笑いつつ、陶器の重さに耐えながら中庭へと運んでいく。先生は肥料をひとつ持ってくれているけれどあとふた袋ほどあったから、もう一往復する必要がある。門から中庭への距離に少し愚痴りながらもなんとか植木鉢を下ろし、そして先生と一緒にもう一度門に戻ってそれぞれ肥料の入っている袋を持ち運ぶ。

 ふぅ、と一息つく頃には目の前にしっかりと植木鉢と肥料、その他細々とした道具が揃えられていた。

「前に言っていた実践ね」

「ええ、そうですね。では早速肥料の配合をしましょう」

「はい先生。ところで、私必要な種は持っていないのだけれど……」

 野菜はすべて魔法省のほうで管理されているため、市場に種なども出回っていない。私も一応購入しようかと思ったけれど手続きなどかなり面倒そうだったから途中で断念してしまった。

 私の言葉に先生はにこりと笑顔を浮かべると、何やらをゴソゴソと漁り何かを取り出した。

「今回は育てやすいように苗を持ってきました。大量生産されているのでこういった苗や種も十分の量が保管されています」

「へぇ……そういうところの管理もしっかりされているのね」

「ええ、なので今回は気にしないでください」

 それから先生からヒントをもらいつつ肥料の配合、手渡された種と見覚えのある支柱を見てなんとなくピンときた。

「ミニトマトね!」

「はい。ご名答です」

 それこそ小学校でやったことがあるそれだ。あのときも土を植木鉢に入れて種を入れて、そして経過観察を夏休みの自由研究にしたりしたものだ。なるほど初心者には丁度いいのかもしれない。

 この世界の野菜、実は元はゲームということがあってか前世のときの野菜とあまり変わりがない。名前だってわかりやすく英語に変わっただけだ。例えばじゃがいもはポテト、とうもろこしはコーンなど。だから前世と今の記憶の中で野菜の名前がごちゃごちゃになることはない。

「日当たりのいいところで、水も適度に。あとは風通しをよくすること、よね」

「はい。害虫対策ですがこちらは魔法省で改良した種なので虫を寄せ付けません。なのでその心配はいりませんよ」

「え、すごい」

「食料を絶やすことはできませんから」

 ちなみにそういうものを開発するもの先生の仕事らしい。もしかしなくても予想以上に優秀な人ではないだろうか、この人は。

 ともあれ、植木鉢はこのまま日当たりのいい中庭に。水やりももちろん自分自身でやることを約束し、一通り済ませた私たちは汚れを落とすべく湯浴みに向かった。まさか今日が実践とは思っておらず前もって湯を張ることができなかったのだけれど、そこは姿を消していたセバスチャンが動いてくれていたらしい。私と、そして来客用にと先生の分も個別でしっかりと準備をされ、着替えまで用意されていたのを発見したそのときばかりは自分が令嬢なのだと実感した。

「すみません、私まで」

「いいのよ。泥まみれで帰るわけにもいかないでしょう? 服もあげるわ」

「よく男物の服ありましたね」

「優秀な執事がいるもの」

 少し誇らしげに胸を張ると先生も優しげに笑顔を向けてくれる。和気あいあいと歩いていると噂をしていた人物が現れて室内に私たちを促す。入ってみるとそこにはティーカップとお菓子が置かれていた。本当にどこまでも気が利く執事だ。席に座り、口に運んだクッキーはサクッとした歯ごたえに香ばしさと甘みが口の中に広がった。肉体労働をした身体には丁度いい甘さだった。先生も私と同じように口に運び、美味しいと一言言って顔を綻ばせている。

「ミニトマトですが、先程も言ったように改良されているので収穫も早いと思います」

「え? 一ヶ月とか?」

「二週間です」

「早いわね?!」

 確かミニトマトって約一ヶ月半とかだったはず。それを品種改良したとは言え二週間。

「魔法も何も使わずに? 普通の水と自然の太陽で?」

「ええ。先輩方がそうなるようにしましたから」

 きっと先生たちのような研究者の人たちがいてくれたから、今のこの世界は飢饉で苦しむようなことがなくなったのだろう。だからこそ魔法を使える人たちは結構上位の立場になっている。給料が高いのはもちろん、色んなところで優遇されるし魔法という『力』があるからこそ中立の立場でいられる。正直貴族よりも実権を握っていてもおかしくないとは思うけれど、それだとまた別のところで問題が生じてしまう。だから優遇されていながらも、今のところ貴族よりも下の位置づけだ。

 国王がいて、政治に口出しができ経済を回す貴族がいてその下に王と庶民を支えられる魔法省の人たちがいて、そして一番下に民衆がいる。そうやってこの国は成り立っている。

 実績があるのは先生のほうなのに、何も実績がない私のほうがただの貴族の娘というだけで先生より上の立場なのだからおかしな話しだ。

「……ねぇ、先生」

「なんでしょう?」

「実はね、ミニトマトが収穫できるようになったら……先生に告げたいことがあるの。そのときが来たら聞いてくれる?」

「ええもちろん。しっかりと聞きますよ」

「……思ったんだけど、先生。もう少し私を疑うべきじゃない? 無理難題を要求してきたらどうするのよ」

 短い間だけれどそれでも濃い時間を一緒に過ごしてきたと思っている。だからこそ先生の、なんていうかこう……少しお人好しのところ? が心配になってくる。社交界で虎視眈々とあれやこれや悪巧みを考えている大人を見てきたから尚更。大概こんなにいい人がそういう悪い奴らに利用されてしまうのだ。ちょっとどころか、かなり心配。

 そんな私の心配を他所に先生は美味しそうにティーを飲んだかと思ったら、またにこにこした顔で私のほうを見てくる。

「疑いませんよ。確かに最初は噂を聞いてちょっと身構えていましたが、噂は所詮噂です。私はこうやって私の心配をしてくれるお嬢様を信じます」

「……そう」

「お嬢様は素直ですし何より勤勉です。あと照れ屋さんのところも可愛らしいですし」

「なっ?!」

 信じる、なんてこの世界で生まれ変わってから聞いたことあったかしら、なんて先生の言葉にちょっと涙ぐみそうになったのに、そのあとに続けられた言葉に顔がカッと熱くなる。私は決して照れ屋ではない、そう、今まで先生のような人と出会わなかったからきっとそのせい!

「もう! 明日筋肉痛で苦しめばいいのよ!」

「はは、実はすでにあちこち痛いです」

 そういえばティーカップを持っている先生の腕が小刻みに震えていた。

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