第8話
四 葉州忍法射剣筒
「居たぞ」
不意に森の中に白刃が閃いて数人の男たちがばらばらと飛び出して来た。先程の雑兵姿の敵ではなく、麻の着物にたっつけ袴という浪人風の出で立ちで、全員が黒い布で顔を隠している。映美には足の運びで忍びだと判る。男たちは素早く二人の前後を取り囲むと嘲笑するように声を張り上げる。
「馬鹿め、逃げ果せるとでも思ったか裏鬼界」
「ここから先には一歩も行かせぬ。ここがうぬらの死に場所と心得よ」
映美は驚かない。敵が裏鬼界だと知っていたなら待ち伏せの別働隊くらい用意して当然だった。映美は相手の人数を目で数える。九人。しかし今度の敵は忍びである。先程の雑兵のようにはいかない。映美一人ならどうとでもなろうが、新之輔を守らなければならないのが厄介だった。映美は刀を構え、背後にかばった新之輔に声を掛ける。
「新之輔さ」
「何です」
「わり(悪い)げんど、場合によっでは、見捨でるじえ」
「判っています。僕よりも捕えられた子供の命が優先するのでしょう」
映美は意外そうな顔で背後の新之輔にちらりと目をやる。何かを祈っているような、あるいは何かを思い出しているような遠い目をしていた。自分の人生を振り返っているのかも知れなかった。諦めは良いようだ、と映美は思う。
「かにすでけろ(許してくれ)」
「死んじゃったら許す事もできませんよ」
最早観念した声だった。忍者の一人が飛礫のような物を投げ、それと同時に三人が映美に襲い掛かった。投げられたのは卵の殻に詰められた目潰しである。映美が剣や手で払ったなら卵が割れてその粉に包まれたであろう。鬼界衆である映美は視力を失っても鬼神眼で物を見る事はできるが目潰しの痛みは相当な物だ。しかし、映美は片瀬城の地下で江の忍者が目潰しを使うの見知っていた。正確に言えば、郷子が見たその感覚を共有していた。投げられた物が何であるかはすぐに判った。映美は剣から右手を離すと、被布にしていた布を取って振った。卵は空中でくるりと布に包まれて映美の手の中に収まった。飛びかかった三人はこれを見て突進を止めようとしたがもう遅かった。
映美の刀の動きには無駄も迷いもない。踏ん張って力を溜め、大きく振り回して勢いを付ければ威力は増し斬り込みは深くなるが、遠回りして来る剣は躱すのもた易い。映美の剣には溜めがない。構える事なく即座に斬り込んで来る。溜めを作らないので動きを予測する事が困難だ。更に、相手の動きや視線に合わせて絶妙の間合いで剣を繰り出す。そのため、映美の切っ先は実際の速度の倍も速く動くように見える。場合によってはその動きが見えない事もある。
跳びかかろうとして急制動を掛けた三人の忍者は重心が後ろに移っていた。それを前に戻して刀を構え直す前に映美の剣が真ん中の一人の喉を掻き斬った。映美の剣が左に流れた。これを見て右手の忍者が胸を狙って斬り込んだ。勝ったと思った筈である。映美の体勢からは受ける事も左右に躱す事も不可能である。後ろに引くには重心が前に出過ぎている。しかし忍者の刀は空を切った。その両手が手首から切断され、刀を掴んだまま宙を飛んでいた。その忍者には何が起こったか判らなかった。映美は後ろに引くのではなく、すとんと尻餅を突くようにして仰向けに倒れたのである。倒れながらその顔の上を通過して行く刀を持った手首を斬ったのであった。映美の動きは鬼界流のみが伝える物で忍者たちには全く予測ができなかった。映美の左手にいた忍者は映美を見失った。消えたと思った。唐突に仰向けに転んだ。足を払われたと思った。訓練された身のこなしで立ち上がろうとしたが姿勢を崩してまた倒れた。不審に思って足下を見た。足を払われたのではなかった。両足とも足首から先がなくなって、切れた堤のようにざばざばと血を吹き出していた。
映美がすいと立ち上がった。立った時には今一人の敵と対峙していた。映美はすすっと二歩滑るように動いて木の根元にしゃがみ込んでいる新之輔を背後に庇う。実は単に彼を庇っているのではなく、背後から襲われないようにしてもいるのだ。映美の構えは奇妙だった。正眼でも上段でもなく、刀を引き付け柄を胸の下に当てるようにして顔の前に刀身を立てていた。防御のためには理にかなっているが、そのまま攻撃するには突きしかない。斬り下げるにも横に薙ぐにも、振りかぶるか横に引くかの動作が必要である。対峙した敵は映美が突いて来ると予想した。映美の技は鋭いが、腕は細く腕力があるようには見えない。技を予想して見切れば下から跳ね上げる事は可能な筈だった。
敵の忍者が一歩前に出た。既に攻撃の間合いに入っている筈だが映美は動かない。忍者はもう一歩前に出た。映美は下がった。新之輔の体に足が触れた。忍者がさらに一歩、今度はやや大きく前に出た。映美の剣が走った。忍者が予想したような突きではなかった。斬り下げるのでも横に薙ぐのでもなかった。映美の切っ先は忍者の見た事がない動き方をした。映美は刀を身に引き寄せたまま、身体ごと忍者の懐に飛び込んで来た。柄を持った両手が激しく振られ、切っ先がじぐざぐに走った。忍者は刀を下から斬り上げたが、目にも止まらぬ速さでじぐざぐに動く映美の刀は動きを予想する事は全くできず、忍者の剣は虚しく空を切った。刀を持った両腕は振り上げられ、無防備な腹が曝された。擦れ違った時、忍者の胴は腰の上で右から臍近くまで斬り込まれていた。うむっと唸って忍者が足をよろめかせた。
「お、の、れっ」
声を嗄らして振り向こうとしたが、左足が僅かに動いただけでそのまま前に傾き、鈍い音を立ててうつ伏し、手足を僅かに痙攣させると動かなくなった。
「鬼界剣法雷神剣」
映美がそう言って一歩前に出ると、残った忍者は思わず一斉に退いた。しゅんっと何か硬い物で布をこするような大きな音がした。映美の刀が一閃すると、金属同士がぶつかる澄んだ音がして映美の足下に何かが突き刺さった。拾い上げると大人の人差指ほどの長さ太さの棒のような物だった。後ろの方は木でできていたが先端の三分の一ほどは鉄製で鋭利に尖っていた。手裏剣の一種である。飛来した方を見ると、忍者の一人が短い筒を持ち、筒先を映美の方に向けて構えていた。映美は吹き矢かと思った。そうではなかった。忍者が筒を胸の高さに構えたまま根元の方を操作すると、またしゅっと音がして次の手裏剣が射出された。映美は右に飛んでこれを避けた。強い力で木を叩く、こーん、という大きな音がした。手裏剣は新之輔の頭の上を掠め、背後の木の幹に根元まで埋め込まれていた。吹き矢など遠く及ばない、弩にも匹敵する威力だった。新之輔はか細い声をあげた。
「おかーさーん」
「葉州忍法射剣筒(しゃけんづつ)」
筒を構えた忍者はやや大きめの背負子を背負い、構えた筒の根元から蛇を連想させる表面の滑らかな柔らかい太い綱のような物がその背負子に繋がっている。それとは別に厚みのある帯のような物も筒に繋がっていて、だらりと地面に垂れていた。男の足下には一抱えほどの木の箱が置かれてあり、その箱自体に隠れて映美の位置からは見えないが、忍者は箱に付いた踏み板のような物を右足で踏み漕いでいるらしく、身体が揺れるのに合わせて、ぎこぎこぎこと木が軋む音をさせていた。箱からも滑らかな蛇のような物が伸びて背負子に繋がっていた。
その武器を怖れ、震えながらも、新之輔には仕組みはすぐに判った。この時代、矢や砲弾を撃ち出す機構は限られている。鬼界衆の使う磁力を別にすれば、弓のように竹や金属のしなりを利用した発条(ばね)、南方の樹液で作られる護謨(ごむ)と呼ばれる素材の伸縮を利用した物、圧縮空気を利用した物の三種類が殆どである。新之輔は東の原で開発された、動植物を腐らせて作る燃える瘴気、瓦斯(がす)と呼ばれる物も知っていたが、これはまだ新しい技術で西の原では殆ど知られいない。この時代、まだ火薬は発明されていない。ついでに言うとこの星では石炭、石油、天然ガスも産出しない。これは、この星が正常な生物進化の過程を経ずに多様な生物を繁殖させた事を示しているが、そもそも進化の概念を知らず、石油も石炭も見た事のない新之輔には理解の外の事である。射剣筒が利用しているのは圧縮空気に間違いなかった。足下の箱はふいごのような仕組みである。蛇のような綱は中が中空になった管で、ふいごから背負子へ空気を伝え、背負子の中に詰め込まれて圧縮されるのである。
手裏剣は次々に映美を狙って撃ち出され、映美は地に転がってこれを避け続けなければならなかった。手裏剣は映美を狙っているので新之輔からはかなり離れた所を通過したが、それでも新之輔は、うひゃあ、ひえぇ、うひい、うほほーい、などと泣き声をあげながら逃げ惑い這い回った。忍者たちには新之輔には武術も忍術も心得がない事は一目で判ったから、映美を先に片付ける事に集中していた。それに気が付くと、新之輔は薮の中に飛び込んで身を隠した。映美には新之輔のように明確に射剣筒の仕組みは判らなかったが、筒の根元近くから帯のように伸びた物は、筒が撃ち出す手裏剣を連ねた物で、一つ撃ち出すと次の手裏剣が自動的に送り込まれる機関だとは予想が付いた。どれほどの手裏剣が用意されているのか想像も付かなかった。手裏剣はゆっくりと二つ数えるほどの間隔を置いて途切れる事なく撃ち続けられ、映美は転がって逃げ続けた。
背負子と箱を合わせた重さは弓よりも重いだろうが、筒の長さは二尺(約六十センチ)にも満たず、弓のように長くないので森の中でも取り回しが良く、箱には取っ手が付いていて手に提げて移動できるので、映美が樹木などの後ろに隠れてもすぐに回り込まれてしまうのだった。如何に映美に体力があってもいずれは疲れて動けなくなる時が来る。新之輔を見捨てて逃げてしまおうか、と映美が思い始めた時である。
射剣筒を構えていた忍者が空中に飛び出した。ぼんっという破裂音の後、しゅうしゅうしゅるしゅるという耳を圧する大きな音を立てながら、前方斜め上に向かって跳び上がったのである。箱と背負子を繋ぐ管が切れ、そこから物凄い勢いで背負子の中に押し縮められていた空気が迸り出ていた。忍者は放物線を描いて跳び、俯せになって地面に落ちると吹き出す空気の勢いで地上を滑り、大きな木の幹に頭突きをして止まった。首の骨が折れていた。映美が忍者の立っていた所を見ると、右手に刀を提げた新之輔が突っ立っていた。斬り倒された忍者の刀を拾った新之輔がこっそり近付いて管を切ったのである。最初の破裂音は新之輔が管を切った瞬間の音であった。普段の忍者なら忍びの心得のない新之輔に近付かれて気付かない筈はなかったが、何しろ射剣筒の踏み板が騒々しい音を立てていたし、また、新之輔であれば何時でも斬り殺せるという油断もあった。
起こった事の意外さに映美も残りの忍者たちも、そして新之輔もしばし呆然と佇んだ。最初に動いたのは映美である。走って地面に置いてあった自分の背負子を手に取った。それを見て忍者たちも我に返った。忍者の一人が新之輔に飛びかかった。捕まえて人質にする積りだった。新之輔はそれに気付いているのかいないのか、呆然とした顔で突っ立ったままである。忍者の手が新之輔の肩に掛かった。刀を喉に押し当てようとし、同時に映美に顔を向け、動くなと叫ぶ積りだった。その忍者はそのどちらもできず、後ろに吹き飛んでいた。新之輔も引っ張られてよろけた。忍者の掴んでいた新之輔の着物の肩が千切り取られていた。振り返ると、忍者の胸に太い棒のような物が突き刺さっていた。新之輔は初めて見るが流星槍である。新之輔はまだ呆然と立ち続けていたが、映美はたちまち残りの忍者たちを切り捨てた。倒れた忍者が背負っている射剣筒の背負子から、すっかり圧力の低くなった空気が漏れ出す音がまだ続いていた。
「流星槍、二本すがねのに(しかないのに)一本使ぢまだ(使ってしまった)」
と映美が言った。流星槍は原則使い捨てである。内蔵された発電機を回す圧縮空気を再装填するには専用の機具が必要だが、かさばるので普通は持ち歩かない。流星槍がその奇妙な武器の名だと新之輔も気付いた。
「ごめんなさい。僕のために」
映美は微笑んで首を左右に振った。
「さすかえない(かまわない)。おらごそ助がだ。ありがどさま」
新之輔を置いて逃げようとした事は黙っていた。
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