第5話

    第二章

    一 山賊

 映美と郷子、新之輔の三人は旅の食料などを調達するため、その後すぐに近くの集落へと向かった。鬼界衆は本来が漂泊の民である。映美も郷子も森暮らしを苦にせず、食料ばかりではなく必要な物は全て森の中で現地調達できるのだが、一刻も早く捕えられた鬼界衆の子供を救い出さなければならないので、森でそれらを探す手間を惜しみ、全て驢馬に積んで持って行く事にしたのであった。新之輔を伴ったのは逃がさないためである。一応は助けて貰った恩もあるので縄で縛るような事はしなかったのだ。食料以外の野宿用の装備などは街の方が手に入り易かったが、今片瀬城下に出るのは危険であった。何しろ映美は領主を殺してしまったのだ。城下は大混乱であろう。三人は近くの農村へと向かった。

 この辺りでは庄屋と呼ぶ集落の有力者の家で、郷子が食料買い入れの交渉をしているのを映美と新之輔はその家の前で待っていた。百姓とはいえ庄屋ともなると小さいながら生垣に囲まれた庭もあった。その門の横で待っていると、この家で飼われているらしい小猫が新之輔の足に擦り寄って来た。新之輔は子供ばかりでなく妙に動物にも好かれた。新之輔自身は特別子供好き動物好きという訳ではない。新之輔よりも映美が喜んで、小猫を抱き上げて撫で回した。

「めんごい(可愛らしい)ごど。おめ、こごの家の子が?」

 蕩けそうな顔をして鼻をこすり付けたりしている。その映美の前方から、二十人も居るだろうか、大勢の男たちが野卑な大声で話しながら家の前の道を歩いて近付いて来た。皆身体が大きく、汚い髭面の顔の上で油染みた髪は絡まり合って逆立っている。それでも四五人は尻っぱしょりをした着流しだが、残りは下帯一本の裸の上に垢で汚れた袖なし羽織を着ているだけだ。顔立ちはまちまちだが、皆一様に目つきが卑しい。新之輔は、絵に描いて掛け軸にしたような悪人面だ、と思った。皆下帯などに刀を差し、あるいは棒などの武器を手にしているが、武士ではなく物盗り山賊の類に思われた。時折、岩でも転がすような笑い声を上げながら、機嫌良さそうに話しながら歩いている。男の一人がひときわ大きな笑い声を上げたのに小猫は驚いて、映美の手を擦り抜けて地に降り立ち門の中に駆け込もうとした。男の一人が目敏くそれを見付け、追いかけて行って門の中に二三歩入った所で踏み潰した。小猫は鳴き声も立てず、草鞋の下で、ぶちゅ、というような音を立てて平たくなった。草履の周囲に赤い血が飛び散っていた。それを見ると男たちは皆大声で笑い合った。

 商談が纏まって郷子がその家から出て来ると、映美は門の前にしゃがみ込み、両手を目の下に当てて泣いていた。子供のように泣きじゃくり、すすり上げている。郷子はそれを見ると慌てて駆け寄り、映美の頭を抱き抱えるようにして新之輔に「どうしたの」と聞いた。周りを取り囲んでにやにや笑っている男たちは目に入らないらしい。新之輔が黙って指差した方を見ると、何やら白と黒のぶちの毛皮に砕けた骨と潰れた肉を練り込んで血を塗したような物が地面に貼り付けられていた。郷子は眉をひそめ「ひどい」と呟いた。

 新之輔は不思議なような滑稽なような奇妙な気分で映美と郷子を見ていた。新之輔もあの猫は可哀想だと思う。しかし新之輔は映美が鬼雷砲で四十騎もの騎馬武者を弾き飛ばし黒焦げにするのを目撃している。半数以上が死んだのは間違いない。その映美が小猫一匹の死に衝撃を受け、めそめそ泣いているのは何とも変だった。実は、自分の感情が不合理である事は映美も気付いている。しかし感情は理屈ではどうにもならない。小さく力ない者への慈しみは鬼界衆の本能なのである。郷子は男たちを睨み付けた。

「あれをやったのはお前たちか」

 男たちはにやにや笑ったままだ。一人が言う。

「だったらどうする」

「この人の涙は安くないわよ」

 男たちはどっと笑った。凄んでいるのが五尺(約百五十センチ)にも満たない小柄な女なのだから無理もなかった。

「ねーちゃん、そんな怖い顔しねえで俺たちと良い事をしようや。背は足りねえが具合の良さそうな尻してるじゃねえか」

 一番近くに居た男が郷子に手を伸ばした。どうやら始めから手籠めにする女を物色していたらしい。お手柔らかにお願いしますよ、と言った新之輔の言葉を男たちは自分たちに向けられた物だと思った筈である。男の右手が郷子の左肩を掴んだ。郷子はその手を引くように肩を巡らせて身体をひねると同時に男の体重が掛かった右足を左足で払った。手を引かれて前にのめっていた男の身体は足を払われて見事に空中で真横になった。郷子は更に腰の下に手を入れて男の下半身を持ち上げた。男の身体は腹を中心に空中でぐるりと回転して顔面から地面に落ちた。くぼっ、というような妙な声を出して顔を地面に叩き付け、残りの身体が遅れてどさっと地に落ちて行く。顔は俯せだが、身をひねった下半身は横になった格好で横たわる。郷子が爪先で腰の当たりを押すとぐるりと転がって仰向けになった。鼻が潰れ額が割れていた。もちろん意識はなく白目を剥いている。残った男たちは郷子の意外な手強さに目を丸くしている。

「女、手向かいするか」

「いたさいでか」

 盛り上がった筋肉に身を包んだ仁王のような大男が前に出て、手に持った長さ一間(約一八二センチ)の太い八角棒を横に振った。棒はぶんっという唸りをあげて郷子の頭を打ち砕くかに見えたが、そこに郷子は居なかった。空振りした男は勢い余って身体が泳ぎ、棒は門の柱をへし折った。目の前に郷子の顔が現れた。その小さな掌が自分の顔に突き出されるのが見えたかどうか。男は弾き飛ばされて背中から地面に落ちた。顎が割れ、だらしなく開いた口から涎と血が溢れていた。その手から八角棒が転がり出た。男たちが血の気を失い、慌てて刀を抜いた。

「参るぞ」

 郷子は刀身の煌きが見えないかのように素手で彼らの中に飛び込んで行った。新之輔の耳に、男たちの悲鳴、肉の裂ける音、骨の砕ける音が入り交じって聞こえ、血飛沫がざあっと驟雨のように降り注ぐのが目に見えた。どうやら郷子の武術では手を握った拳はあまり使わないらしい。技は主に掌底と手刀、そして蹴りだ。それに掴んで投げたり、ひねったりする技が時折交じる。小さな郷子の掌底が下から顎を叩き割る、あるいは胸を突く、手刀で腹を薙ぐ、脛を蹴り折る。男たちは右往左往しているが郷子はあまり動かない、手に触れる者から次々に打ち倒して行く。郷子の掌底が刀の刃を横から叩き、刀身が根元近くでぽっきりと折れてしまったのを見た時には、新之輔は呻き声を上げた。自身は武士ではないが城で生まれ育った新之輔は武術を良くする侍を何人も見てきている。しかし、これほどの遣い手にはお目に掛かった事がない。人間業とも思えなかった。あ、人間じゃなくて鬼界衆か、などと呑気に思う。

 頬骨を砕かれたらしいひときわ髭の濃い汚い顔をした男が顔を押さえながらよろよろと立ち上がり、刀を持ってその場を離れた。そして、生垣の前でまだしゃがんで泣いている映美へと泳ぐような足取りで迫って行く。郷子には敵わじと見て腹いせに映美を斬る事にしたようであった。今日は映美も刀を帯びてはおらず丸腰である。髭面が映美の頭の上で刀を振り被った。気付いた新之輔が、危ないっ、と声をあげようとした時、髭面の刀は、きんっと鋭い音を立てて弾け飛んでいた。映美はゆっくり立ち上がった。えっ、えっ、としゃくり上げ、左手は目の下に当てられたままだが、右手には先ほどの大男の手から転がり出た八角棒が握られていた。髭面は呆然として刀の消えてしまった自分の両手を見ていたが、映美が片手殴りに棒を腹に叩き込むと膝を折り頭から沈んで行った。

 流石に堪りかね、男たちは恐怖の相も顕に倒けつ転びつしながら映美と郷子から逃げ出した。余程うろたえた物と見えて怪我人を拾おうともしない。わあっ、という喚声と手を打ち鳴らす音が聞こえて来た。見回すと周囲から百姓らしい男女が駆け寄って来る所だった。騒ぎを聞き付けたが男たちを怖れて遠巻きに見ていたのだろう。彼らは男たちの横暴には困り抜いていたようで、皆溜飲が下がったという顔をしていた。倒れた男たちを蹴り飛ばす者もいた。家の中から初老の庄屋も出て来て良くやってくれたと礼を言い、食料の代金は要らないから好きなだけ持って行けとも言った。ところが郷子は困惑した顔で庄屋を見返した。

「あんまり腹が立った物だから、ちょっとやり過ぎちゃったわ」

 庄屋は郷子の言う意味が判らず首を傾げた。

「あれは物盗り山賊の類でしょう」

 と郷子が聞くと庄屋は頷いた。

「元々は武士であったようですが、御領主様に士官叶わず山賊となった者たちでございます。この所周辺国との緊張が高まり、御領主様のお目が届かないのを良い事に、強盗、人さらいなど傍若無人の振舞いで難儀いたしておりました」

「あれで全員ではないでしょう」

 庄屋はまた頷いた。

「西の森の中にきゃつらが城と呼ぶ根拠地があります。城というのもおこがましい、陣屋とも呼べぬ掘立小屋の連なりですが、七八十人ほどがたむろしています」

「仕返しに来るわよ」

 倒れている山賊たちを縛り上げていた百姓たちは言われて初めて気が付いて不安そうに顔を見合わせた。

「私たちのせいでこの集落に迷惑がかかっては申し訳ないわね」

 郷子がそう言って振り返ると映美は頷いた。まだ泣いていた。

 山賊の根城は森に包まれた岡の中腹にあった。庄屋は、陣屋とも呼べぬ掘立小屋、と言ったが、新之輔の目には小屋と呼ぶのも憚れるように映った。良い所で天幕と言っても誉め過ぎである。材木とも呼べない木切れを寄せ集め石で押さえ縄で縛り隙間を襤褸で塞いだような雨露を凌ぐだけの物が幾つも寄り掛かり合って互いに支え合っているのであった。火を射かければ簡単に燃え上がりそうであり、新之輔もそう提案した。これには百姓たちが反対した。そこには周辺の集落からさらわれて来た女たちが捕えられていると言うのである。性交奴隷であろう。売り飛ばす目的もあるかも知れない。実は、映美と郷子にも火を放ちたくない理由があった。女たちの命はそれほど惜しくはない。何の罪もないのに可哀想だとは思うが、山賊たちを放置しておけば更に多くの百姓が死傷し、女がさらわれる事になる。場合によっては女たちは見殺しにするのも仕方がないと思っていた。子供や小猫に対する愛護の情とはずいぶん違うが、これは映美と郷子が殊更非情なのではなく、この時代の倫理観がそのような物だったのだ。戦国の世の人の命は安かったのである。映美と郷子が、この人の住処と呼ぶより巣と読んだ方が良い我楽多を燃やしたくない理由は他にあった。

 山賊たちはいきり立っていた。仲間が子供のように小柄な若い女に良いようにあしらわれたとあっては面目が丸潰れである。面子だけの問題ではない。百姓たちから山賊に対する怖れが消え、女一人も手に負えないのだと見くびられては、この先の仕事に差し支えるのだ。充分に遣り返しておかなければならない。しかし、逃げ帰った者によれば女は怪しい武術を使うという。如何にその女が強くても大勢で取り囲んでしまえば勝てない筈はなかったが、すばしこいらしいから逃げ出されると面倒だった。四五人だけをこの城(と彼らが呼んでいる場所)に残し、残りの七十人余りで引っ捕らえようと相談が纏まった所だった。捕まえたら縛り上げ、裸に剥いて百姓たちの前で輪姦して見せしめにする積りである。逃げ帰って来た仲間たちの骨が折れ肉が潰れた惨状を見て、用心のため、もう何年も使った事のない胴丸(胴を覆う鎧)や篭手(肩から腕を覆う鎧)を引っ張り出して身に着けたりしていたが、手入れを怠っていたのであちこち腐食し、鼠に齧られたりしていた。

 何かが壊れる、めりめりめりっばたーん、という音を聞いた山賊たちがそちらの方へ顔を向けると、性交奴隷としてあちこちの集落からさらって来た女たちを閉じ込めておいた小屋が潰されていた。赤茶色の小袖に同じような色のたっつけ袴を穿いた小さな女が、裸体の女たちの手足を縛った縄を短刀で次々に切って逃がしていた。女のやや扁平な顔に刻まれた切れ長の目の上で前髪が童子のように切り揃えられている。山賊たちがこれから捕まえに行こうとしている女に違いなかった。

「あっ、畜生」

 山賊たちは出撃準備の手を止めて一斉に立ち上がると、それぞれに得物を持って郷子に向けて殺到した。郷子はそれが目に入らないように女たちの縛めを解いて行く。先頭の男の手が郷子に掛かる直前、ぶんっという何かが空を切る音がして、男の身体は後方へ弾け飛び、後から来た仲間を三人ばかり薙ぎ倒した。飛ばされた男の顔面は人相が判らないほど潰れ最早息がない。立ち並ぶおんぼろ天幕の陰から、目と口の大きな愛敬のある顔立ちの女が姿を現した。手には集落で倒された山賊の一人が持っていた八角棒を握っている。映美は最初山賊から刀を奪おうと思っていたのだが、倒れた山賊たちの持っていた刀はどれも手入れがなされておらず刃こぼれし錆が浮いていた。映美の剣技を持ってすればそれでも敵は斬れるが、武器としては八角棒の方が強力だった。映美は棒術の技も人並みの上を行く。武芸百般というのは伊達ではない。

 八角棒を手にした映美は疾駆し、その動きの素早さ猛々しさはいかなる猛獣のそれをも陵駕した。映美は山賊たちに周囲を取り囲む暇を与えずその中へと飛び込んだ。宙を駆ける跳躍と共に目にも止まらず振り回された棒が、骨肉を粉砕する抵抗感もないかのように男たちの肉体を打ち潰した。豆腐のように崩れ血塗れの肉塊となって転がるのを見向きもせず、映美は次の獲物へ突進していた。腹に響く唸りをあげて空を走る映美の八角棒は山賊たちの頭蓋を叩き割り、脳漿を撒き散らし、手入れの悪い胴丸を突き破って体腔から内蔵を溢れさせた。そのまま走って広場になった場所に出る愚を映美は犯さない。数多くの敵に取り囲まれてしまわないように、身を翻すとぼろ小屋の間に飛び込んでいる。群がり寄って来る山賊たちの太刀も槍も、映美の肉体に触れる機会さえ持たなかった。

 それは猛虎が荒れ狂うような恐ろしい眺めだった。映美の身長はこの時代の女性としては平均的な物だが、山賊たちにそのすらりとしなやかな身体は倍にも脹れ上がって見えた。これほどの殺戮を進めながら映美のくるりとした大きな目に険しい表情はなく、豪快とも言える陽性の殺気に満ちていた。自らの内に蓄えられた力を解放する歓喜にも似た、からりとした凶暴さの輝きを放つ双眸に触れた者は、死の唸りをあげて宙を飛ぶ八角棒に捕えられ、血泥となって潰えた。長さ一間(約一八二センチ)の郷子の腕ほど太さがある樫の棒だが、映美の手に掛かると目にも止まらぬ速さで振り回され突き出された。映美はやや痩身で、腕にも肩にもそれほどの筋肉が付いているようには見えないが、棒自身の重さを利用して振り回す平衡感覚と瞬発力で肉の脂に塗れた棒を打ち振ると、血の滴を飛ばして棒は走り、男たちは原形を留めない無残な肉塊と化して跳ね飛び転がって行く。手入れを怠った山賊の武器は悲惨なほど役に立たず、樫の棒に浅い傷を付けるばかりである。弓で映美を狙った者も居たが、広い場所に出る事を避け、ぼろ小屋の間を駆け抜ける映美に矢は命中しなかった。映美は太い八角棒を振り回す豪快さからは信じられない敏捷さで敵の度肝を抜き、巧妙、狡猾な戦法を取った。矢を番えた弓を構えた男は、味方の身体を盾に取って突っ込んで来る映美の動きに幻惑されている所へ八角棒が降って来て顔面を粉砕され、元が何であったか判らぬ真っ赤な残骸に変わってしまった。

 僅かの間に山賊たちが城と呼んでいた場所は血の泥濘に変わった。臓物が撒き散らされ人体の形状を留めぬ肉片骨片が散乱していた。残りの男たちは森の中へと逃げた。森は城のぼろ小屋よりも狭い間隔で樹木が密生しており、山賊たちの手にした太刀や槍は振り回せなかったが、映美の八角棒も使えなかった。男たちを追おうとした映美の前に衝立に似た幅広の巨体が滑るように歩み出て来た。幅広の巨人の太刀は刀身の厚み長さともに並外れた大業物である。少しはできるようだと見て映美は棒をぐいと握り直す。大男は森の木々を振るわせる裂帛の気合と共に凄まじいばかりの突きを放った。大男はこの突きに絶対の自信を持っていた。大男は元武士であり、何人もの主君に仕えて戦場で戦った。運悪くいずれも負け戦であったために大男の評価は高まらず、今は山賊に身を落としているが、兵法者としては一流であり戦場での経験もあると自負していた。未だかつてこの突きを躱した者はいない。しかし、次の瞬間大男の目は驚愕に見開かれた。映美は突きを躱していた。それも左右に躱すのではなく、突きと同じ速度で後退したのである。一撃で死なぬなら追撃しようと前に出かかっていた大男は愕然として身体を後ろに引き戻した。映美の双眼を満たす光はさらに峻烈さを増した。そこに見えるのが残虐と呼ぶには陰湿さの感じられない、さわやかとも呼べそうな陽性の闘志である事が却って不気味だった。その顔に子供のように邪気のないにこやかな笑みが浮かぶのを見て大男は身の毛をよだたせた。映美が面白がっているのは明らかだった。

 映美の反撃はあまりにも猛烈だった。映美のたおやかとも見える両腕が掴んで振り下ろす棒の打撃の速さ強力さは、歴戦の猛者たる大男のかつて知らぬ物だった。戦場ばかりではなく、達人と呼ばれる武芸者に教えを乞うた事も、名を上げるために決闘をした事もある。が、映美の棒はそのどれよりも速い。実際には、腕力のない映美の棒はそれほどの速度ではないが、大男の動きや視線に合わせて絶妙の間合いで繰り出されるので実際以上の速さに見えるのだ。巨大な重い棒は竹竿だとしても想像できぬほどの速度で閃いているように大男の目には見えた。大太刀を合わせるのがやっとだった。目にも止まらぬ映美の猛攻が連続した。棒の素材は樫の木であるにもかかわらず、それを受けた太刀は石を叩いたように火花を散らした。技量のみならず闘志でも映美は圧倒していた。映美の身体の芯からは無限の活力が溢れ出て来るようだった。南方の巨大生物、象が突進して来る圧倒的な恐ろしさだった。体重では優に倍以上ある大男が圧倒され一方的に押しまくられていた。棒が太刀に激突する都度、不気味な痺れが腕を肩まで走り抜ける。大男は後退に後退を重ねており、いずれは背がぼろ小屋に着く。仲間は皆森へ逃げ去り助けて呉れる者はいない。おそらく心理的な物であろうが攻める動きよりも守る動きの方が疲労が激しい。映美の疲れを知らない闊達な動きに比べ、大男には足腰の粘る感触がある。大男に恐怖の予感が走った。

 踏み込んだ映美の右足が、ばら撒かれた臓物の一つを踏んで滑った。映美は姿勢を崩した。棒に絡んだ大男の太刀が滑り、映美の肩口へ斬り込んで行った。映美は右手を棒から放し、手首の辺りで太刀を受けた。大男はしめたっと思った。勝利の予感が灼熱の歓喜となって身体を貫いた。偶然なので力はなく斬り込みは浅い。致命傷にはなるまいが腕に傷を負えば棒の動きは鈍り優位に立てる。巧くすれば手首を切断できる。しかし、剣先は映美の腕でがっと跳ね返された。異様な感触だった。大男は混乱しながらも必死で飛び離れた。映美の腕を見てすぐに気が付いた。映美の手甲には鋼の板が縫い込まれていたのである。こいつは無類に強いだけではなく、抜け目もないのだ。大男はそう思った。実戦を積んだ手練れだ。映美は再び楽しげな笑みを浮かべた。大男はにわかに息が切れ、疲労が重くなって来る。疲労を知らない映美は虎のように猛々しく襲いかかった。更に猛烈さを加えた八角棒が飛んで来る。受けた大太刀に痛烈な衝撃が走る。それと同時に腕が持ち上げられるような奇妙な違和感。並外れて肉厚に作ったはずの太刀が鍔元から折れて消し飛んだのだ。腕を下に押し下げようとする太刀の重さが突然なくなったために両腕を持ち上げられたように感じたのだった。

 刀という物は案外よく折れる。切れ味の鋭い良い刀ほどよく折れる。鈍刀はくの字に曲る。ある意味では、戦場では鈍刀の方が実戦的である。多数の敵と刃を合わせ続けるには、折れるより曲った方が有利だからだ。折れた刀は武器の用をなさないが、曲っただけならたとえ刃こぼれして切れなくても殴り付け叩き割る道具にはなる。選択が可能であれば武士は用途に応じて使い分ける。しかし、大男は刀が折れる事も曲る事も拒んだ。そのために特別に肉厚の大太刀を誂えた。特別の太刀は特別に重かった。それを扱うために腕力を鍛え技を磨いた。しかし今、その大業物は目の前の狸のような顔をした女に打ち折られた。大男の誇りが折れたのだった。大男は映美に頭を粉砕されて死んだ。

 森の中に逃げ込んだ男たちはほっと息を吐いていた。あの恐ろしい女は大男が相手をしている。山賊たちは大男の強さを知っているからよもや女に負けはしまいと思って安心していた。山賊たちは集落で仲間をさんざんな目に会わせたのも映美だと思っていた。逃げ帰って来た仲間の話す特徴はもう一人の小柄な女を示していたが、それは恐怖の余りの混乱だろうと思っていた。あの女の凄まじさを見れば、それも無理はないと思ったのだ。そのため郷子は全く警戒していなかった。

 がさりと音がした。男たちがぎくりとしてそちらを見ると裸の女が二人身を寄り添わせて周囲を窺っていた。解放されたは良いがどちらに逃げれば良いのか判らずまごついているようだった。山賊たちには気付いていない。女たちに最も近い山賊が横の男に言う。

「苦労して集めた女たちだ。みすみす逃がす事はねえ」

 森に逃げ込んだ山賊たちの内四人が仲間を離れ、こっそりと女たちに近付いて行った。山賊の彼らに忍び足はお手の物だ。密生した樹木に身を隠しながら身を低くして近寄ると取り囲んで一斉に立ち上がった。両腕を左右に広げて逃げ場を奪う。二人の女は驚いて周囲を見まわし、取り囲まれたと知ると絶望の悲鳴をあげた。

 山賊の一人が樹上から落ちて来た一抱えもある赤茶色の物にぶつかって仰向けに倒れた。妙な角度に首が曲っており、半開きになった口からだらりと赤黒い舌がはみ出している。息をしていなかった。他の三人は最初猿だと思った。猿くらいの大きさであり身のこなしもそれを連想させた。着地した者が身を起こすとそれは非常に小柄な女だった。郷子を見ても女たちの絶望の表情は変わらなかった。郷子は余りにも小さく、身体の大きな山賊たちを相手にできるようには見えなかった。山賊たちも郷子を警戒しなかった。仲間を殺された事に腹を立て、横に居た山賊が郷子に向かって拳を振った。拳は空を切った。郷子は左膝を折って身を沈めながら右足を横に突き出すと、曲げた左足を軸にして右の足首で殴り掛かって来た山賊の両のふくらはぎを薙ぐように払った。山賊は一度に両足を掬われて綺麗に宙を舞い仰向けになって落下した。地面に身を伏せるようにした郷子の右足は落ちて来るその腰を下から蹴り上げた。山賊は、がっ、と短い呻き声をあげて地面に転がりのたうったが、すぐに動かなくなった。

 今度は郷子の左から蹴りが飛んで来た。ぎりぎりでそれを躱し、郷子は滑るように二歩飛び下がった。他の山賊たちと比べると小柄な引き締まった身体つきの男だった。小柄と言ってももちろん郷子よりはずっと大きい。ひゅっひゅっと笛を鳴らすような気合いを発して、小柄な山賊が回し蹴りを繰り出して来た。足が一直線に伸びた、重さはないが鋭く速い連続である。更に下がって身を躱しながら郷子の切れ長の目が細められる。東の原南方の拳法だった。元武士だけあってかなりの実力である。郷子は男の右回し蹴りを左の前腕で受けると上半身をひねって敵の内懐に飛び込み、その顔面に右の掌底を叩き込んだ。鼻を砕かれ、山賊は声も立てずに崩れ落ちた。

 この時になって漸く郷子の強さを悟って裸の女二人が郷子に駆け寄り、その背後に隠れるようにした。もちろん郷子の小さな背中に大人の女が譬え一人であっても隠れようはなかったが。郷子は残る一人に対峙した。背後に大勢の人の気配がした。様子が変だと察した他の山賊たちが寄って来たのだった。後ろからは女二人の陰になって郷子は見えない筈だった。上手い具合に女たちは背後の敵に気付いていない。充分に引き寄せてから郷子は勢い良く女たちの陰から飛び出すと、背後から近付いて来た山賊の先頭の顎に掌底をめり込ませた。身体の大きな男だったが、けたたましい悲鳴を上げて後方に吹き飛んだ。二人の女は取り残される事を怖れ、待って、と声をあげて郷子を追おうとしたが、振り向いて大勢の山賊を発見すると悲鳴を上げて跳び下がった。山賊たちはしばし唖然としていたが、すぐに我に返って郷子を取り囲んだ。取り囲むと言っても樹木が密生しているために一度に襲いかかる事はできない。山賊たちは皆身体が大きく、小柄な郷子がひときわ小さく見える。

 不意に郷子の後ろから一人が飛びかかって来た。郷子は後ろ蹴りをその男の水月(みぞおち)にぶち込んだ。突進の勢いが加わって踵がずぶりと腹筋に埋め込まれた。郷子が足を戻すと男は身体を二つに折って膝を突き、顔を地面に押し付けた。郷子の左手から相撲取りのような体格の男が猛烈な体当たりを仕掛けて来た。郷子は男の肩に手を突いてひらりと舞い上がり、男の背上を飛び越えざま、空中でくるりと身をひねって手刀を首に振り降ろした。男は突進の勢いそのままに地面に飛び込むような格好になり前方の木の幹に頭突きを呉れて地に倒れた。

 ひらりと受け身を取って立ち上がった郷子の目の前に左から短刀が突き出された。郷子は上体を後ろに反らせてこれを躱した。鼻先を切っ先が通過し、刃に郷子の顔が映るのが見えた。郷子の左足が横に蹴り上がった。短刀の山賊は顎を粉々に砕かれて、どうと地に倒れ激しく痙攣した。その顔面を郷子の踵が蹴り潰した。郷子の小さな足裏の左右に眼球が飛び出した。

 背後からも短刀を持って襲いかかって来る。郷子は振り返りもしなかった。左へ僅かに身体を傾ける。郷子は一寸(約三センチ)も動いていない。しかし山賊の短刀は空を切り、その大きな身体は勢い余って上体を前に流し、姿勢を崩して泳ぐ格好になった。郷子の掌底が軽く山賊の背中を打った。山賊は他愛なく吹き飛び、地面の上でごろりと一回転すると腰から木の幹にぶつかって伸びた。見ると、自分の持った短刀が根本まで脇腹に埋め込まれていた。

 右前方から、やはり巨漢が突進して来る。大きな拳が郷子の顔面を狙って突き込まれたが、そこにはもう郷子は居ない。体重がないかのようにふわりと舞い上がり、背の低い郷子を殴ろうと屈めた上体の肩を蹴り折りながら飛び越えていた。しかしこの時もう一人の山賊が、飛び越えた山賊の背後に控ており、宙に舞った郷子が落ちて来るのを目掛けて短刀を突き出していた。落下して来る郷子はこれを避けようがなく刃に貫かれる筈であった。

 郷子は落ちて来なかった。空中で静止していた。その山賊は両手で持った短刀を斜め上に突き出したまま、目を見開きぽかんと口を開けて郷子を見ていた。郷子は空中で身体を一振りすると掴んでいた木の枝を放し、飛び落ちながら山賊の顔面に膝を叩き込んだ。山賊は顔を血塗れにして仰向けに倒れ両足をばたばたと痙攣させていた。

 振り返ると先程肩を蹴り折られた男がよろよろと立ち上がる所だった。性懲りもなく突進して来る。郷子に向けて拳を振る。怪我をしている割には体重の乗った良い拳だったが、郷子が考え事をするように首を傾げると拳は郷子の顔の横を通過した。拳の起す風が郷子の髪を舞い上げた。郷子の両の掌底が男の胸を突いた。男は弾き飛ばされ、地に転がって口から血反吐を吐いてのたうった。

 三人が同時に襲い掛かった。郷子は三人の間を擦り抜けるように動き、一人の顎に掌底を、一人の腹に貫手を、一人の股間に脛を叩き込んだ。それぞれ地面に突っ伏し、苦痛に転げ回った。郷子に休む暇を与えず更なる敵が左回し蹴りを放ったが、郷子はすとんとしゃがんでその下を潜り抜け、後方に回って敵の左脇に掌底をめり込ませた。直接身体に当たれば即死であったろうが、その男が胴丸を身に着けていたため、郷子の掌は胴丸を粉砕し肋骨をへし折って内蔵に食い込ませた所で止まってしまった。男はあまりの苦痛に絶叫を上げた。なまじ甲冑で身を守っていたために楽に死ねなくなった。

 背後から槍が突き出された、郷子は振り返りざま柄の先、穂のすぐ後ろで叩き折ってしまった。穂を失っても柄は棒として使えたが、こんな森の中では振り回せない。山賊は槍の柄を放り出して逃げた。郷子が後を追う。と、少し開けた場所に走り出た。木を何本か切り出した跡らしく切り株がある。流石はここを拠点にする山賊で地形に詳しく、郷子は誘い出されたのだ。残った数十人が一斉に殺到した。一人や二人ではとても敵わないと悟ったのであろう。山賊たちに見えたのは、郷子が舞うような美しい所作でくるりと回り、最初の攻撃を躱した所までだった。後は何が起こったのか判らない。五六人がまとめてふっ飛んだ。更に三人が木の幹に叩き付けられた。

「動くな!」

 背後で大声がした。郷子と山賊たちの動きがぴたりと止まった。郷子が振り向くと山賊の一人が裸の女の背後から腕を捻り上げて盾とし、空いた手を女の横から前に突き出して脇差のような短い刀を構えていた。

「おとなしくしろ。でねえとこの娘を殺す」

 女は涙と鼻水を流しながらひいひいと泣いている。女の剥き出しの股間から異臭を放つ液体が流れ落ちていた。郷子は女が殺されても一向気にしなかったが、盾にしているのは少し面倒だった。一撃で倒さなければ後ろから一斉に襲い掛かられる。郷子は目を細め、女と男の背後を透かし見るような顔をした。動きを止めた郷子を女が殺されるのを怖れているのだと勘違いした男が二歩ばかり前に出た。郷子はそれを待っていた。

 石が地面に落ちるような、どすっという音がして、女を盾にしていた山賊が急に力を失って前にのめり、女の背中に寄り掛かった。女は、ひっと一声悲鳴を上げて前に飛び出した。足を取られてよろめき、前に倒れ、膝を突いて四つん這いになった。その女の突き出された円い尻に覆い被さるように山賊が倒れて来た。女は、うひゃあわあ、と叫んで前に這い進み、山賊を振り払ってから後ろを振り向いた。山賊は俯せに倒れ、背中から何か刃物を生やしていた。先ほど郷子が折り落とした槍の穂先だった。郷子が鋼招力で引き寄せたのである。郷子は、自分と地に落ちた穂先の間に男が入るのを待っていたのだった。

 郷子は背後の山賊たちを振り返るとにやりと笑った。山賊たちは郷子が何か魔的な力を使ったのを知り、恐怖に顔を引き攣らせ、郷子に背を向けて逃げ去ろうとした。しかし、後ろを向いた山賊たちは悲鳴を上げて立ち止まった。そこに、血塗れの女が立っていた。映美の髪も顔も血に汚れ、明るい灰色だった小袖は真っ赤に染まっていた。森の中では使えない八角棒は捨て、両手に小さな刃物を持っている。山賊たちの炊事場にあった包丁だった。呆れた事に山賊たちが持っていた短刀よりもこちらの方が切れ味が良かったのだ。映美と郷子に挟み撃ちにされ、男たちは恐怖の悲鳴を上げて逃げ惑った。

 争いの気配がなくなったので新之輔は恐る恐る山賊たちの城へと様子を見に来た。そこは獅子の群れに襲われたような惨状だった。人間の姿を留めていない肉骨臓物の断片が血の海の中を漂っていた。森の中から血に濡れた女が二人戻って来た。

「皆殺しにしたのですか」

 と新之輔が聞くと郷子が応える。

「三人くらい逃がしちゃった」

 団子を落としたような口調だった。新之輔は別に山賊たちに同情はしなかったが、小猫一匹の事で割に合わぬ話だとは思った。新之輔は感心したような呆れたような顔で、顔や手の血を拭っている映美と郷子を見ていたが、やがて後方の森に呼び掛けて百姓たちを呼んだ。映美たちが出て来たのとはほぼ反対側の森の奥から百姓たちがぞろぞろとやって来る。たまたまそちらへ逃げた女たち数人が一緒だ。百姓の男の何人かが裸になっているのは女に着物を掛けてやったからだろう。百姓たちも辺りの様子を見て一瞬たじろいだが、そこは戦国の世に生きる者ですぐに気を取り直し、口々に映美と郷子に感謝の言葉を述べた。映美も郷子も、どちらかと言うと煩そうにそれをいなして、山賊たちの家財を物色し始めた。金銀財宝の類には目も呉れなかったが、焼き米、干し肉などの保存食、水を入れる革袋などを良く吟味していた。特に縄や鎖が気に入ったようだった。武器も手に取ったがどれも手入れが悪く、これは当てが外れたように顔をしかめた。百姓たちは金目の物を分け与えられて沸き返っている。新之輔が映美と郷子に顔を寄せた。

「始めから旅の準備に利用する積りだったのですね」

 映美と郷子はにやにや笑っていた。

「仕返す防ぐどそう(言う)のも嘘ではねじえ」

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