第2話

 市の立つ広場の一角に高札が立っていた。布令が出てから幾日も経っているらしく、昼下がりにその前に立って見上げているのは二人だけだ。あの歌舞伎踊、真珠と珊瑚である。大金を手にしたので仕事の必要がなくなり町を見物しているのであった――表向きは。歌い踊っていた時の活き活きとした表情は今はなく、化粧気のない顔で地味な小袖を着ている。珊瑚は頭の左右に丸めていた髪を下ろしている。こうしていると二人ともどこにでもいる町娘にしか見えない。芸をしている時には凛とした威のような物があって年嵩にも見えたが、どうやら二人とも二十歳前後である。

「漂泊の芸能者なのに字が読めるんですか」

 後ろから声が掛かった。二人が振り返ると二十代半ばくらいの男であった。伸ばした髪を後ろで束ねた総髪である。紺麻の着流しは清潔ではあったが色が褪せ、所々生地が薄くなっている。両肘と裾近くにある継ぎは、よほど不器用な者が当てたらしく縫い目が引き攣れている。男の貧しさが想像されたが、男の表情はそれを感じさせない軽々とした物だった。心配事のなさそうな楽な表情をしていた。さわやかと言えばさわやかだが、どうにも人間の薄っぺらさを感じさせた。町人や農民の勤勉さは感じられず、かといって職人の意思の強さも感じられない。ましてや武家の剛健さは微塵も感じられなかった。真珠と珊瑚が芸能者だと知っているのは先ほどの見世物を見ていたからだろう。何者だろうと思いながら珊瑚が言う。

「踊りと歌の師匠に読み書き算盤も習ったの。鬼界衆(きがいしゅう)って何?」

 高札には領主の名で、鬼界衆を見つけ出して通報した者には金五両、捕えて城へ連れて来た者には金二十両を与える、という意味の事が書かれてあった。

「諸国を旅しているのに知らないのですか」

 と男が言うと真珠が首を左右に振った。

「聞えだごどね(聞いた事がない)」

 男は首を傾げた。

「変ですね。けっこう各地に伝承があるのですが。奇怪な妖術を使うという一族の事です」

 それを聞いて珊瑚が笑った。

「何だ。天狗や山姥の類か。迷信でしょう」

 男は首を左右に振った。

「いえ。鬼界衆に出会ったという人の話は具体的で曖昧な所が少なく、相互の矛盾も少ないので、僕は実在するのではないかと思っています」

 口調は軽かったが話す内容が知性的なので真珠は意外に思った。僕という一人称も学者や機関(からくり)職人の見習いがよく使う物だ。

「んで、ほの妖術で(その妖術とは)、どげな(どのような)もんだ」

「暗闇でも目が見え、声を出さずに遠くにいる仲間と話ができると言います。また、手を触れずに刀などの金物を引き寄せる事ができるそうです。それから身体から青白い火花を発して人間や動物を痺れさせるとも言います」

 珊瑚が首を傾げた。

「痺れさせる? どんな感じかしら。河豚に当たったみたい?」

「僕も経験がないので正確には判りませんが、肘を変な具合にぶつけると手の先までびりっと来る事があるでしょう。あんな感じらしいです」

「ほが(他)に、どげな特徴ある?」

 真珠の問いに男が応える。

「育ったり老いたりするのが遅く人間の倍くらいかかるそうです」

 真珠はふうんと鼻を鳴らした。

「お殿様が鬼界衆、捕まえよどすでえる(している)のは、わり奴ださげが(悪い奴だからか)?」

 男は頷いた。

「鬼界衆は怖れられています。仲間同士食らい合う残忍な習俗があるそうです。また、彼らは非常に凶暴で、些細な事でも逆上して暴力をふるい、人を傷付け時には殺すそうです」

「些細な事って、例えば」

 珊瑚の問いに男が応える。

「子供をいじめたりとか」

 真珠が苦笑した。

「ほだなごどすだだば(そんな事をしたなら)、おらでもごしゃぐ(怒る)」

 男も笑って頷いた。

「そうですね。鬼界衆はどうやら子供は非常に可愛がるようです。でも、趙仁徳が鬼界衆を捕まえたがるのは彼らが凶暴だからではありません。彼らの遠隔会話の能力の仕組みを解き明かし、戦場で利用したいのです。敵に聞こえない合図で離れた仲間と示し合わせる事ができれば、戦術において圧倒的に有利ですから」

 真珠が男をじろりと睨んだ。

「なすでほだなごど(どうしてそのような事)知でえる。こごさ(ここに)書いてねじえ(書いてないぞ)」

「趙仁徳に直接聞いたのです」

「何ですって!」

 珊瑚が驚いた。

「僕は学者なのです。岩崎新之輔といいます。鬼界衆の発する火花、小雷(しょうらい)と呼びますが、これは獲霊起輝(えれきてる)と同じ物ではないか、という説を唱えていたのを趙仁徳が聞き付け、ぜひ獲霊起輝が見たいと言うので、先日、城内で実演しました。二両呉れました」

「獲霊起輝って何」

 珊瑚が聞いた。

「冬の空気が乾いている時に毛皮や毛織物を着て動き回っているとぱちぱち音がしたり小さな火花が出る事があるでしょう。簡単に言うとあのぱちぱちを作って溜めて置く機関(からくり)です。趙仁徳は強い感心を示し、僕に城に残って研究を続けろと言いましたが断りました」

「なすで(どうして)」

 と真珠が訊いた。

「お侍の家来になる気はありません」

 それを聞くと、真珠も珊瑚も嬉しそうに頷いた。自分と同種の人間だと思ったのかも知れない。真珠が更に聞く。

「殿様はどけな(どんな)研究、おめ様に、さしぇよどすだが(させようとしたのか)」

「鬼界衆は長い年月一緒にいると子供の育ちや大人の老いが遅い事が判るくらいで、妖術を使わない限り見掛けでは人間と見分ける事ができません。趙仁徳はもっと簡単に鬼界衆を見分ける手立てを工夫させたかったようです」

 珊瑚が首を傾げた。

「できるの、そんな事」

 新之輔は頷いた。

「磁石を知っていますか」

 珊瑚は頷いた。

「船乗りが指北箱(しほくばこ)を作る時に使う奴でしょう」

 指北箱、羅針盤である。

「良く知っていますね。磁石には鉄を引き寄せる働きがありますが、鬼界衆の金物を引き寄せる力、鋼招力(こうしょうりき)は磁石に似た物ではないかと思います。磁石にはお互いに引き合ったり離れようとしたりする働きがありますから、鬼界衆に磁石を近付けると何らかの反応があるのではないでしょうか」

 珊瑚はなぜか新之輔から目を逸らして聞く。

「それを殿様に教えたの」

 新之輔は珊瑚のしぐさを少し不自然だなと思いながら首を左右に振った。

「いいえ」

 珊瑚は微笑んだ。

「それは惜しい事をしたわね。教えてあげればたくさんご褒美が貰えたでしょうに」

 新之輔も笑った。

「ここではもう既に二両も貰いましたから。無駄遣いせずに小出しにしようかと。それに……」

 言い淀む新之輔を真珠が促す。

「何だ」

「人数は判りませんが、趙仁徳は既に鬼界衆を捕えているのではないかと思うのです」

「なすでほだなごど(どうしてそんな事)わが(判)る」

「話してみて判ったのですが、趙仁徳の鬼界衆への興味はずっと以前からの物です。それが最近になって急に、見付けたり捕えたりした者に褒美を出すと言い出したり、僕を呼び寄せて研究をさせようとしたりし始めました。鬼界衆の遠隔会話能力を鬼神通(きしんつう)と呼びますが、鬼神通は普通の声のように壁に遮られたり森に吸い込まれたりせずに、それらを通り抜けて遠くまで届くと言います。趙仁徳は捕えた鬼界衆が鬼神通で助けを求め、それに応じて仲間の鬼界衆がこの町にやって来ると予想しているのではないでしょうか。はっきりとそう言った訳ではありませんが話してみてそんな気がしました。僕は鬼界衆を捕える手伝いをする気にはなりませんでした」

 珊瑚は意外そうな顔をした。

「あら。岩崎様は鬼界衆のお味方なの。鬼界衆は悪い奴なのでしょう」

「鬼界衆が凶暴だというのは噂に過ぎません。僕は鬼界衆に身内を殺されたという人に会った事がありません。人殺しが悪いと言うのなら、武士に殺された人の方がずっと多いでしょう」

「岩崎様は武士がお嫌い?」

 新之輔は苦笑して頷いた。

「僕はやっとうの方がからっきしなので、その僻みかも知れませんがお侍は好きになれません」

 珊瑚は笑った。

「それで鬼界衆にお味方するのね」

「いえ、どちらの味方という事はないのですが、今の場合に限って言えば、鬼界衆を捕えた趙仁徳と、さらわれた仲間を救いに来る鬼界衆では、趙仁徳の方が嫌な感じするじゃないですか」

 新之輔がそう言うと、真珠と珊瑚はなぜか愉快そうに高らかに笑った。


 この星には大陸は一つしかない。正確に言うと、まだ他に大きな陸地は発見されていない。そのため大陸に個別の名前はなく、ただ大陸と呼ばれている。人の世は一つの大陸とそれを取り囲む海、海に浮かぶ沢山の島々からなっていた。この時代の人々はまだ世界が球形であるとは知らないが、大陸は北半球にあり、北に行くほど寒く南に行くほど温かい。その方向を南北と呼ぶ、と言う事もできる。太陽に対して地軸が傾いているので四季がある。大陸の形はよく蛾に譬えられる。飛行技術はまだ発達していないので、上空から地形を確認した者は居ないが、測量によってそれが判るのだ。蛾の両翼に当たるのが西の原、東の原と呼ばれる平地である。平地と言っても中央の山地に比べて平坦だというだけでかなり険しい山もある。太い蛾の胴体に当たるのが南北に走る巨大な山脈で、中の大山地と呼ばれている。山脈は南北の海まで突き出していて、西の原と東の原を隔てており、東西の交通を困難にしている。そのため、西と東では少し文化が異なる。西の原も東の原も、気候風土の違いや河川や山といった地形的区切りなどによって幾つかの州に分けられている。それらが更に封建領主の治める小さな領地に別れ、覇を競い合っている。豊かな領地には都市が発達している。都市の周辺には農村が広がるが、陸地の大部分は森林であった。遥かな未来の時代区分で中世と分類される時代、群雄割拠する戦国の世であった。


 人々の寝静まった深夜、明るい月に照らされながら、真珠と珊瑚は城の壕の前に立っていた。正面の大手門とは反対側の裏手である。春とはいえ夜はまだ冷えるためか、二人とも首から足首まで合羽のような黒い布を身体に巻いていた。二人から見て左のずっと先にある搦め手門には番所があり明りが灯されている。おそらく不寝番がいるはずだが壕端に立つ桜の陰になって、二人の姿は月明かりの下でも見えない筈である。真珠と珊瑚は屋根が複雑に組み合わされ、階層の数も判らない城を見上げたり、その城を囲む塀と壕に探るように視線を走らせたりしていた。人間の耳には聞こえない「声」で二人は会話をしていた。真珠が珊瑚に問いかける。

「聞ごえるが?」

 珊瑚は頷く。

「でも微かよ」

 真珠は不安そうな顔で珊瑚を見た。

「弱でる(弱っている)のが?」

「判んない。声の聞こえにくい所、多分地下牢に閉じ込められているせいだと思うんだけど…。えみちゃん」と珊瑚は真珠に呼びかけた。「声をかけてあげて。『耳』は私の方が良いけど、『声』はえみちゃんの方が大きいから、元気付けてあげてちょうだい。すぐに助けに行くからって」

 えみと呼ばれた真珠は頷くと目を閉じて眉間に皺を寄せ念を凝らす表情になった。珊瑚の表情がぱっと明るくなった。

「良かった。笑ったわ。待ってるって。……城の中の様子が知りたいわね」

「じれでえ(じれったい)の。壁ぶぢ破で突入すでは、わがんね(駄目)が?」

「駄目よ。そんな事したらたちまち敵に取り囲まれちゃうわ。こっそり忍び込まないと」

「んだども(けれども)、わらすご(子供)つれ(辛い)目、遭でるど思うど、おら、しぇづねぐで(切なくて)、えでも立っでもえらんね(居ても立ってもいられない)」

 真珠は焦れて足踏みをした。目に涙が滲んでいる。

「えみちゃんの気持は判るけど、確実に助け出しましょうよ。ね」

 珊瑚が諭すと真珠は黒い合羽の間から手を出して涙を拭き、頷いた。

「今晩は。良い月ですね」

 真珠と珊瑚が振り返ると、昼間会ったあの学者、岩崎新之輔だった。昼間と同じ着流しだが、夜になって気温が下がったためか、首に布を巻き、右手を懐に入れている。感覚の鋭い真珠と珊瑚には新之輔が近付いて来るのはかなり前から判っていたが、新之輔には二人の会話は聞こえていなかった。二人は人間の耳には聞こえず目にも見えない波長の電磁波、電波で会話をしていたからである。新之輔は屈託のない笑顔で話し掛ける。

「月見の散歩ですか。でも夜は物騒ですよ。趙仁徳の勢い盛んなのを聞き付けて仕官しようとする荒くれ者が集まっているし、そいつらが夜盗に早変りする事もしばしばですから。それとも物盗りはあなたたちかな」

「何を」

 珊瑚が眉をひそめて新之輔に向き直った。新之輔は笑顔を崩さない。

「そんな怖い顔しないでください。お城の作りが知りたいのでしょう。少しだけなら教えてあげられますよ。昼間言いましたが、僕はお城の中に入った事があるのです」

「何の話か判らないわ」

 珊瑚はとぼけたが新之輔は言う。

「あなたたち鬼界衆でしょう」

 そう言われても真珠も珊瑚も表情を変えない。珊瑚が言う。

「どうしてそう思うの」

 新之輔は懐に入れていた右手を出した。小さな指北箱が握られていた。真珠の大きな目が細められ黒い合羽の下でかちゃりという小さな音がした。剣術の心得は全くない新之輔だが戦国の世に生きる者、それが刀の鯉口を切る音である事は判った。新之輔は慌てて跳び下がった。

「僕はあなたたちの敵ではありませんよ」

「なすで(どうして)ほれが信用でぎる」

 と真珠に言われて新之輔は首を傾げた。

「まあ、味方でもありませんけど」

「目的は何だ」

「鬼界衆の事が知りたいのです」

「知っで、どげに(どう)する」

「どうにもしませんよ。僕は学者ですから、知る事自体が目的なのです」

 珊瑚が笑い出した。

「えみちゃん、こいつは多分、趙仁徳の手の者じゃないわ」

 真珠はまだ警戒を解いていない。

「なすでわがる(どうして判る)」

「間抜け過ぎる」

 真珠も笑った。

「ほだの(そうだね)」

 真珠の合羽の下で刀の柄から手が離れたようだった。新之輔は首を傾げる。

「えみちゃん?」

 珊瑚が言う。

「あなたまさか、珊瑚とか真珠とかいうのが本名だと思っているのじゃないでしょうね」

「それもそうですね」

「良いわ。信用するかどうかはともかく、話だけは聞かせてちょうだい。お城の中はどうなっているの」

 新之輔は懐から図面を取り出して珊瑚に手渡した。実は新之輔は手先が不器用で絵も下手だが、その図面は定規などの製図器具を使って描かれており、非常に判り易かった。

「あなた、私たちが城に忍び込む事を予想していたのね」

 新之輔は黙って頷いた。珊瑚が言ったほど間抜けではないようだった。真珠と珊瑚は図面を見て、新之輔には聞こえない「声」で侵入方法を検討した。すぐに二人は頷き合った。今度は新之輔にも聞こえる声で珊瑚が言う。

「やるわよ」

 真珠が聞く。

「えづ(何時)?」

「今!」

 即座に真珠は合羽の下から紐を取り出し、先端に付けた船の錨の様な金属製の鉤爪をくるくると振り回し始めた。やがて紐は真珠の手を離れて空中を筋を引いて飛び、壕の対岸の塀の上に鉤爪が引っ掛かった。こちら側に残った紐を引いてしっかりと引っ掛かっている事を確認すると、真珠は壕端に生える太い桜の木の幹にその紐を縛り付けた。壕の上に一本の紐がぴんと張られた。その上をまず珊瑚が、次に真珠がするすると歩いて行った。道の上を歩くのと変わらない自然な足取りだった。やがて二人の姿は塀の向こうに消え、塀に掛かっていた鉤爪が外されて、一方の端を桜の木に縛りつけたまま紐は壕の中へと垂れ下がり、鉤爪は水中に沈んだ。

 鬼界衆は子供がなかなか育たないという話を新之輔は聞いていた。妊娠しても胎児が巧く育たず流産が多いというのだ。また、幼児も虚弱で病気になり易いという。鬼界衆が子供を非常に大事にするのはそのためだと言われていた。凶暴な種族と怖れられ、昔から人間の迫害を受けて来た鬼界衆は、大事な子供を人間から守るために特殊な忍法者の軍団を持っているともいう。その名を新之輔は知っていた。

「裏鬼界(うらきがい)……」

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