鬼界忍法帳

@marukawa-y

第1話

 泣いてる。

 えみちゃん、子供が泣いてるわ。

 苦しくて、独りぼっちで、助けを求めて泣いてるわ。

 行かなきゃ。早く、早く助けてあげなきゃ。

 えみちゃん、行こう!


・序章


 河原に六人の子供が集まっていた。いずれも五歳から七歳くらい。ついさっきまで転げ回って遊んでいたのだろう、着物も顔も泥に汚れて男女の判別が付かない。親たちも心得ていて、すぐに汚す子供に上等な着物は着せていない。皆麻の単衣である。今、子供たちは遊びを止めて河原に現れた異装の二人組をぽかんと口を開けて眺めていた。

 二人とも女である。一人はこの時代平均的な背丈の女だ。目と口の大きな顔を美しく化粧はしているが、それを落とせば凡庸な顔立ちだろう。結わない髪を背で束ねた下げ髪だ。もう一人は小柄だ。身の丈およそ四尺六寸(約百四十センチ)。見ている子供の中には同じくらいの背丈の者もあるが、顔立ちも体つきも成熟した大人の女性である。鼻も口も小さく、やや扁平な顔に剣で斬り付けたような切れ長の目をしていた。こちらも一目で芸能者と判る華やかな化粧をしているが素顔はどうやら十人並みである。髪型はこの辺りでは見かけない。童子のように前髪を眉の辺りで切り揃え、残った髪を頭の左右で団子に丸めている。西方の風俗であろうか。

 子供たちの目を引いているのはその衣装である。二人とも恐ろしく派手だ。子供たちは一様に祭の山車を連想した。本物の銀ではないかも知れないが、下げ髪の方は細かい銀細工の髪飾りで頭頂を覆い、そこから額の左右に真珠を数珠繋ぎにした紐が垂れている。純白の小袖を着て、やはり白い袴には刺繍で桃色の桜の花びらが散らされていた。桃色に縁取られた袖なし羽織には肩から裾に向けて銀の稲妻が織り込まれている。小柄な方は二つの団子にした髪を包むように細かい金細工の髪飾りが覆い、そこから真紅の珊瑚玉を繋いだ紐が両耳の前に垂れている。真紅の小袖を着て、裾を絞った赤い狩袴には、やはり薄桃色の桜の花びらが散っていた。桃色に縁どられた赤い袖なし羽織には金襴の燕が数羽織り込まれている。

 二人は小石の河原に莚を敷き、更にその上に二間(約三六四センチ)四方くらいの浅葱色の毛氈を広げた。

「目がちかちかする」

 と子供の一人が言うと下げ髪の方が声のした方をきっと睨み付けたが、目と口の大きな狸面では少しも恐ろしくはなく、むしろ滑稽だった。本人も自分の顔がどのように見えるか知っているらしく、すぐに微笑んだ。美人ではなかったが活き活きとした魅力のある良い笑顔であった。子供たちも笑った。子供たちには何が始まるのか判らなかったが、大人が見れば旅の芸能者であるとすぐに判っただろう。最近流行りの歌舞伎踊に違いなかった。

 八重桜も終わり、桜に緑の葉が茂る頃の良く晴れた昼近くの事である。広い川の下流に向かって左側は城下町で、住居の他に様々の店なども並んでいる。ただし、そこは戦国の世である。どれも何時また焼け出されても良いように備えているかに見える仮住まいめいた簡素な佇まいである。川の右側は山裾まで続く田畑であった。この地方の町の多くがそうであるように、城下町といっても町を囲む城壁はなく、この川を天然の壕としている。

 二人の芸能者はまず大きな音を出して人の注意を引くためであろう、白い衣装の下げ髪が三味線を、小柄な赤衣装が太鼓を肩に掛けた。楽器もこの辺りでは見掛けない物だ。三味線は竿が太く、おそらく大山地を越えた東の原、それも北の方、角州(かくしゅう)辺りの楽器と思われた。太鼓の方はちょっと産地の想像が付かない。胴の両面に皮を張った打面は大人の腕で一抱えもある大きな物だが、胴の中央が瓢箪の様に細くくびれている。二人は大きな音で心弾む陽気な曲を演奏し始めた。粋や雅とは無縁な素朴な感じの曲調であったが、野蛮なまでの力強さと寛容な包容力を感じさせるおおらかさに溢れ、どこか懐かしいような甘い切なさも感じられた。

 曲に惹かれて道行く人々が集まり始めた。意外に二人の同業者が多い。すなわち技を持って旅をする職人や芸人たちだ。扇売り、薬売り、針売り、草履売り、鳥刺し、山伏、巡礼、巫女、占い師、猿回し……。彼らからは御祝儀が期待できないので演奏する二人には嬉しくないが、もちろんそんな事は顔に出さず笑顔で楽器を鳴らし続ける。町人や農民風の者も集まり始めた。城下町だけあって侍の姿も見える。尤も身分の高そうな態度身なりの立派な者は見当たらず、足軽風というよりは無頼漢、あるいは田舎から出て来たらしい粗野な出で立ちの侍たちであった。近年台頭著しいこの国の領主、趙仁徳(ちょうじんとく)の軍にあわよくば入り込もうという一旗組であろうと知れた。

 人だかりがある程度の大きさになると二人は演奏を止めて楽器を置いた。敷物の左右に分れて向かい合うと、下げ髪の白衣装が軽く足を開いて立ち、腰の前で両手の指を組んだ。小柄な赤衣装がそこへ駆けて行って、その右足が白衣装の組んだ手に掛かった瞬間、白衣装は赤衣装を中天高く投げ上げた。小柄な女は体を伸ばしたままくるくると後方に宙返りしながら二丈(約六メートル)ほども跳び上がると、落ちて来る時には身体をくの字に曲げて複雑な捻りも加えながら前方に三度回転してからふわりと着地した。子供はぽかんと口と目を開き、群集はやんやの喝采である。

 更に小柄な赤い女が蜻蛉返りなどの軽業を披露している間に、白の下げ髪が敷物の後ろに置いた荷物の中から二尺(約六十センチ)ほどの竹の串と幾つかの芋を取り出した。白衣装が赤衣装に芋を渡し竹串を剣の様に構えると、赤衣装が芋を次々に投げた。大人の握り拳ほどの芋は高く低く、右に左にと投げ分けられたが白衣装はことごとくこれを空中で突き刺し、竹串は手に握った根元から先端まで団子の様に芋を連ねた。大人たちは感心してほうと息を吐き、子供たちは熱狂して飛び跳ねた。

 白衣装が芋の刺さった竹串を置き、今度は大振りの弓に矢を番えると、赤衣装は最後に一つ手に残った芋を天高く放り上げた。その小さな身体の何処にそのような力があるのか芋は空高く駆け上がり、たちまち目を凝らしても見えぬような小さな点となったその瞬間、白衣装がきりりと引き絞った弓から頭上へ向けてひょうと矢を放った。矢を番えてから放つまで狙いを付ける間もあらばという素早い射出であった。集まった者は大人も子供も町人も農民も侍も、皆口を開けて上空を見上げた。やがてゆっくりと芋が落ちて来た。見る見る速度を増し、ぱしっと小気味良い音をさせて赤衣装の手に収まった芋の中央を見事に矢は貫いていた。観衆は割れんばかりの大喝采である。子供ばかりか大人までも腕を振り上げて喚声をあげている。

 二人の芸能者は前を向いて深々と頭を下げると再び楽器を手に取り、演奏しながら踊り歌い始めた。二人とも歌が上手かった。美声というのとは異なるそれぞれに癖のある声質だが張りがあって良く通り、二人の声は良く和して美しく響き合った。軽快な拍子を取りながらも節にどこか物悲しさも含んだその歌は曲芸の興奮が冷めやらぬ観衆の心を沸き立たせ、時には踊らせ、時には涙を流させた。二人は美女ではなかったが華やかな化粧と衣装の効果もあり、活き活きとした表情が顔からも全身からも溌剌とした精気のような物を放射していた。一刻(約二時間)も演奏して出し物が全て終わる頃には、敷物の前に置いた一抱えもある籠は、御祝儀の銭、米、芋などでどうにか底が隠れていた。最後に二人が敷物に片膝を突き深々と頭を下げて見世物は終わった。

 後片付けを始めた二人の前で感動の余り立ち去りがたくざわついている人だかりを割って身なりの良い侍が若い従者を一人連れて前に出て来た。まだ三十歳ほどだが引き締まった武士らしい顔をした偉丈夫だった。

「見事であった。褒美を遣わす」

 歌舞伎踊の二人が片付けの手を止めて正座をし頭を下げると、その前に大判金貨一枚が放り出された。二人はぎょっとして顔を見交わす。二人の日常では見た事のない貨幣である。赤衣装が白衣装に聞く。

「十両ってどのくらい?」

 白衣装が首を傾げている。武士が笑って言う。

「この辺りなら米百石(約十五トン)が買い入れできる」

 白衣装がひえっと叫び、金貨を拾いかけていた赤衣装は「だわわわわわわ」と意味不明な声を漏らし、大判が手に付かずにお手玉をした。赤衣装は膝の前に落とした大判を前に滑らせると平伏して言う。

「このような物、いただく訳には参りませぬ」

「なぜだ。故なく呉れてやるのではない。芸の見事さに対する褒美だと申しておる」

 白衣装が困惑した顔で武士を見上げた。東の原北方の方言で言う。

「こっだら(このような)大金、手にすだごどね(手にした事がない)もんで、何だかはあ、恐ろすぐで」

「そうか」武士は顎に手を当てて少し考えた。「ところで、舞踊をなす者は武術も学ぶと聞くが真か」

 赤衣装が応える。

「はい。身のこなしの修練の一つして、また、新たな踊りの想を得る助けとするため、心ある舞手は皆武術をたしなみます」

 武士は眉毛の濃い厳つい顔を穏やかに笑わせて言う。

「それではその技を見せて貰えぬか。その十両はそれへの謝礼という事でどうだ」

 白衣装は無言で頷くと、片付けかけた荷物の中から一振りの剣を取り出した。すらりと鞘から抜くと一通り型を取って見せた。武士は感心して頷いた。

「弧林派一刀流だな。いや見事」

 続いて赤衣装が拳法の型を見せた。武士は目を見張る。

「むっ。西海派昇羽拳。これほどの使い手を見るのは初めてだ」武士は賞賛というよりはあきれたような顔になって首を左右に振った。「どうだお前たち。我が軍に仕官いたさぬか。お前たちが戦場(いくさば)で実力を発揮すればたちまち出世するぞ」

 再び膝を突いた二人の芸能者は、微笑んで首を左右に振った。武士は不審な顔になる。

「なぜだ。我が殿、葉州(ようしゅう)の趙仁徳と申せば今や破竹の勢い。殿の重臣となれば富も栄誉も思いのままだぞ」

「ほだな(そのような)物、欲すぐごぜえませぬ」

 白衣装がきっぱりと言った。赤衣装が言う。

「満腹となればそれ以上の物は食えませぬ。一晩に抱ける男の数にも限りがございます。使い切れぬ富を持っても無駄な事でございます。私どもは歌い踊る事が好きでそれを生業にしております。諸国を巡り、珍しい文物、面白い人々に出会い、そういった物の中から新たな歌舞の想を得る事を無上の喜びとしております。何でわざわざそれを手放す要がありましょうや。お武家様こそ優れた身のこなしを持ちながら、あたらその技を人殺しなどに使うとは、訝しいのは私どもの方でございます」

 武士の従者がいきり立ち、刀の柄に手を掛けた。

「河原乞食が何を無礼な」

 武士が手でそれを制した。

「馬鹿止せ。お前の敵う相手ではない。二人同時に掛かられたら俺でも危ない」愉快そうに笑って二人を見た。「一本取られた。名は何と申す」

 白衣装が頭を下げる。

「真珠でごぜえます」

 赤衣装が頭を下げる。

「珊瑚でございます」

「気が変わったら何時でも片瀬城へ来い。俺は侍大将の文哲じゃ」

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