第2話 やり直しはここから

「何を言ってるのよ」


「ハッ!」


 彼女のマジレスに突如として取り戻す理性。


 小さなホコリが宙を舞い、陽光に照らされる。どこか幻想的に見えてしまうが、

ただ部屋が汚いだけ。


「いや失敬しっけい。えっと……これは」


 まずは状況把握。

 そう確認すべきなのは。


 ヤッちまったのかどうか……


「覚えて、ないの……?」


 少し目をうるませ、彼女は自らの下腹部に手を当てる。


「えっ、嘘」


 全身から血の気が引いて行くのを感じる。


「やめてって言ったのに止めてくれなかった……」


「なあぁ(白目)」


「すっごく激しくて」


「あああ(自傷)」


「私、初めてだったのに……」


「ぁああああああああああああ!!(発狂)」


 この罪、百回殺されてしかるべき!


「嘘よ」


「あああああああ……あ、結構ヤリなさってる感じですか?(発狂継続)」


「そっちじゃない!」


「あ痛っ」


 頭を叩かれ、旅立った理性がカモン・アゲイン。


「あなたはかたくなに私へ触れようとはしなかったから」


「おっふ。よ、良かったぁ」


 安堵あんどから変な声が出る。


「その安堵は男としてどうなのよ……」


 おっしゃる通りだが、一線を越えてしまえば色々問題が生じる。


「ねえ、私ばっか身体見られてさ。あなたは見せてくれないの?」


「え」


 彼女が近づく。

 鼻孔に、甘い匂い。


「その目、見せてくれないの?」


 彼女の細い指が眼帯に伸びる。


「いやん、エッチ(ダミ声)!」


 彼女の手をかわし、後ずさる。

 

「むぅ、またそうやって誤魔化ごまかす……」


 不満げな顔まで可愛いなんて反則ですね。

 ええ!


「バーでもふざけてばっか」


 何か変なこと言ってないといいな。


「あ、でも妹さんのこと話してくれたよね」


「おい」


 急速に冷めた酔いと声。

 はらわたが熱い。


 酔った自分への怒り。

 口の軽さは、そいつの命に比例するというのが持論。


 散らかった部屋でもの位置だけは身体が分かる。散乱した荷物の中から取りだした得物えもの。ナイフを彼女に突きつける。


「妹について、俺は言いましたかい?」


 これは自分の命に代えても、他人の命を犠牲にしてでも。殺すつもりはない、でもこうしなければならない程の理由がある。


「ホントに、何も覚えてないのね……」


 突きつけたナイフに怯えもせず、悲しそうな彼女は笑っていた。


「うっ」


 彼女の瞳に映っているのは、刃物を突きつけると同じ歪んだ顔。


「くそっ、ああ。ゴメン。ゴメンごめんごめんごめんゴメンごめんごめんごめん」


 うわごとのように繰り返す謝罪。

 ナイフを放り捨て、彼女にこうべを垂れる。


「大丈夫、あなたは妹さんのもそのの名前も言ってなかった」


 多分、酔った俺はこの子に何かしゃべった。言ってはならない過去。も話したんだろうか?


だとしたら、なんでこの子は、


「大丈夫」


 こんなクソみたいな俺に、そんなに優しく笑いかけられるの?

 少し躊躇ためうように、俺の頭をでる。


「酔ってて覚えてないかもしれないけどね」


 俺は君を殺そうとしたんだぞ?

 

「バーであなた、私に何て言ったと思う?」


「え」


 全然記憶がない……


「『俺の人生、君にあげるよ』だって」


 は?


 彼女がケラケラと笑う。しかめた眉と煙草に火を付ける仕草はバーでの俺のモノマネだろうか。


「ォォオオ(羞恥)」


 つか、なんて臭いセリフだよ。

 それじゃまるで、


「まるで求婚プロポーズみたいね」


 悪戯っぽく笑って彼女が補足。


「へぎゃあああああ!!」


 恥ずかしさに悶絶もんぜつ


「てか、どういう話の流れでそうなったんですかねぇ?!」


「教えてあげなーい」


 嬉しそうに俺をからかう彼女。

 ふくらみへ向きそうになった自らの視線を、


「バ●ス!!」


 某大佐に敬意を込めて、セルフ目突き。


「いい加減、女性に慣れたほうがいいと思うの」


 呆れてらっしゃる。


「ンゴォ、おっしゃる通りで」


 とはいえ、眼福。

 いや目に毒でゴザル!


「でね、さっきのプロポーズ? オッケーしちゃったの」


「あぼGW、bcっjh@?!!!!」


「地球の言語でお願い」


「マ、マジでぇ?」


 恋愛はもう今世はできないと諦めていた。


「あぁ、ゴメン」


 諦めていただけの理由がある。


「このプロポーズ無かった事にできませんか?」


 できる限り醜く、汚く、疎ましく。

 こんな奴と関わったら君の人生がダメになると伝えるために。


「それに、酒で覚えてねぇんですわ」


 だから、俺を嫌ってくれ。

 引きつった笑みで、自分自身を嘲笑うようにヘラヘラと。


 何にも無い俺を、わらえよ。


「なに、その言い方」


 彼女は少しうつむき、肩を振るわせる。


「何よ、その諦めたような顔は」


 彼女の綺麗な顔が歪んでる。


「忘れたっていうなら思い出させてやるっ!」


 頬を抑えられる。

 逃げ場はない。


 常人より狭い視界に、彼女の顔だけが見える。


「昨日わたしはね、夢を語ったのよ。褒められたものじゃない夢をね」


 何かを悔しがるかのような彼女の表情。


「酔った勢いで言った戯れ言ね。例え言ってしまっても、ずっと冗談って言って誤魔化してきたの」


 視界に映るのはこの子の目。

 生きる意思がみなぎる強い人の目。


「冗談だって言ったのに、あなた冗談じゃもったいないって言ってくれたじゃない」


「あ」


 酒浸しの記憶が徐々に、解像度を上げていく。

 


『ーーーー』


 彼女が語る内容に、俺はその時言葉を失ったのを覚えてる。


『冗談よ』


 歯を食いしばるような彼女の表情。


『そりゃ、冗談にするにはもったいなくないですかい?』


 キザったらしく、語るは自分の声。

 目を見開く彼女の表情を思い出す。


『君の夢はすばらしい、何が間違っていようか』


 ヘラヘラとした声。明らかに自分の声なのに、それは今の腐りきった自分とは決定的に違うもの。


『過去に縛られず、未来を見つめ自らの人生に挑まんとする姿。敬服いたします』


 大仰な仕草は、舞台役者のように。

 限田義一かぎりだぎいちという人間の持てる、最大限の敬意を示す。


『どうか、その夢を諦めないで』


『どうせ、一人じゃできない。せっかく叶えても許されないもの』


 自嘲じちょう気味にうつむく彼女の手を取り、ひざまずく。多分この時考えて居たのは、とてもくだらないこと。


『なら、俺を利用しなせぇ』


 この子の笑顔が見たかった。


『いいの? あなたの人生めちゃくちゃにすることになるのよ』


 確かには誇れるようなものじゃない。


『はははは! 構いませんとも!!!」


 高いテンションは、酒が回ってるだけじゃない。


『俺はこれまで、妹が不幸にならぬ為に命を張って参りましたがね。その役目は妹の彼氏に預けたから、お役御免。もう生きる意味が、見いだせねえんですわ』


 他者の存在に、自身の生きる意味を重ねる様は依存以外の何物でも無い。でも今、目の前に居る女性。御堂文香みどうふみかが語った夢に、魅入られてしまった。


『あなたの夢、応援しますぜ。何なら協力いたしましょうか?』


 数本目の煙草に火を付ける。

 いつしか彼女の顔を上げていた。その目の光はどこかさっきと違って見える。


『じゃあ、何かあなたを信じるにたるあかしが欲しい』


 生憎あいにく、持っているのは財布と携帯。

 証になんてなりやしない。


 一考いっこう


『俺の人生、君にあげるよ』


 何もない人生。

 誰かに渡せる物など、もうこの身以外にありはしない。




 アルコール漬けの記憶から戻り、


「そうだ、君の夢は……」


「私、御堂文香みどうふみかの夢は復讐。私と母さんを捨てた父、御堂酒造の現社長に復讐する事。それが終わったら、やっと私は私の人生を歩めるの」


 暗い情念で、突き動かされているのに、


「私は人生をやり直したい」


 どうしてそんなに綺麗な目が出来るのだろう。

 曇りのない、眼差しは未来への希望に満ちている。


「もしも、人生をやり直せるとしたら。あなたは何をしたい?」


「え」


 唐突な質問、ではなくこと。およそ人生で考える事すらしてこなかった。考えたら、悲しくなってしまうから。


 生きたい、報われたい、幸せになりたい。いくら願っても、俺の過去は許してくれない。だから全部諦めて、死にたいとすら思ってた。なのに、


「い、生きたい」


 なんで、願っちまうかな。


「ねえ、もし良かったらさ。一緒に、人生やり直してみない?」


 彼女が立ち上がると宙を舞うホコリが動き、きらめきを増す。もしも今、彼女が神様を名乗るなら信じていたに違いない。


 君の眼差しが見つめる未来を、一緒に見てみたい。


「もしも、許されるなら」


 背筋を正し、彼女の向き合って。

 差し出された手を取る。


「俺も、人生をやり直したい」


 やり直そう。

 もう一回、過去に向き合おう。


「でも、とりあえず」


 言わなきゃいけない事がある。


「服、着てもらっていいかなぁ」


 立った事によって色々と丸見えなんじゃあ。


「そういや、なんで裸なのォ?」


 恥ずかしくて前が見えねぇや。


「あなたが吐いたから、その処理と看病してたのよ。服は汚れないように脱いだの」


「マジでごめんなさい」


 すぐさま土下座にフォームチェンジ。


「それに」


 彼女がしたのは仁王立ち。


「私の身体に、恥ずかしいとこなど一つも無い!」


 胸を張るから文字通り、ふくらみは動く。

 堂々とした姿に賛辞を禁じ得ない。


 マジェスティックすばらしい


「ふーん、エッチじゃん」


 気付けば、つぶやいていた。





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