第5話 1991年夏「夏が来る!」
僕はおばあちゃん子だった。
小さな頃は、お風呂に入るのも寝るのも祖母と一緒だった。
まぁ、基本、おばあちゃんは孫には甘いものなので、両親に反抗しても祖母の言うことは聞いていたように思う。
そんな祖母がよく言っていた言葉がある。『情けは人の為ならず』
でも、こうも言っていた。
「初めから見返りを期待したらアカン。自然に、当たり前のように皆にやさしくできる子になるんだよ。」
夏休み前の校内大掃除の日の出来事だった。
僕の班はトイレ掃除の係になった。トイレ掃除というと一番ハズレのようなイメージがあるが、便器を洗うのと、あとは床に水をまいてデッキブラシでこするくらいなので、それほど大変なことでもなかった。
手分けして、掃除に当てられた時間を半分以上残して掃除を終わらせた。
最速記録出したかもな、などと言いながら班の皆と教室に帰ることにした。
集団で歩くとき、僕はいつも一番うしろを歩く。
人見知りで引っ込み思案の僕は、先頭に立ってあるくのが苦手で、それに前に人がいないと不安になるからだ。
渡り廊下を歩いている時だった。前から、同じクラスの南さんが丸い大きなゴミ箱をかかえてやって来た。あれは、僕たちの教室のゴミ箱だ。きっと焼却炉に捨てに行くのだろう。ただ、ゴミ箱が大きいせいでずいぶんとヨロヨロ歩いている。
当時、学校には焼却炉があり、学校で出た燃えるゴミはそこで燃やしてしまうのが普通だった。
南さんは体が小さく、おとなしくて、分厚いレンズのメガネをかけて、休み時間はいつも本を読んでいるような目立たない女子だった。クラスの男子で南さんと普段から話をしている奴はほとんどいなかったのではないだろうか。もちろん、僕も含めて。
南さんが渡り廊下のスノコにつまずいてゴミ箱の中身をひっくり返してしまったのは、ちょうど僕たちとすれ違う時だった。
「わわっ!」
派手にゴミが散らばった。
一番うしろを歩いていた僕は
「あっ、ちょっと、みんな…」
と呼び止めたのだけど、みんなはそのまま素通りしてしまった。
必死にゴミを集める南さんを見ていると、どうして教室掃除の担当の班の奴らは、一番力の無さそうな南さんにごみ捨ての仕事を任せたのだろうと疑問に思った。
少し躊躇はしたものの、やっぱり無視はできないと考え直し、ゴミを拾い集めるのを手伝った。
散らばったゴミを拾い終えると、僕はゴミ箱を持ち上げた。「えっ?」と驚いた顔をした南さんに
「手伝うわ。」
とだけ言って、焼却炉へ向かった。南さんも後ろから着いてきていた。
僕が焼却炉にゴミを入れ終わると、南さんは
「あ、ありがとう…。」
と消えそうな声で言った。
「うん、まぁ、これくらい何でも…。」
勢いでごみ捨てを手伝ったけど何だか照れくさくなって、僕は空になったゴミ箱をかかえてさっさと1人で教室に帰った。
教室に入るなり、
「あれ?何で裕輔がゴミ箱持ってるの?」
実可子の大きな声がして、ゆみと一緒に僕の方へ走ってきた。そうか、二人は教室掃除担当だったと、思い出した。
「え、いや、なんでって…」
「掃除してたら、いつの間にかゴミ箱が無くなってて。ごみ捨てはいつも最後に行くのにおかしいなって。」
とゆみが教えてくれた。
「で、何で裕輔がゴミ箱持って帰ってきたのか教えてよ。」
実可子がまた聞いてきた。説明するのは面倒だなぁと思っていると、
「あの…私が…」
振り向くと、声の主は南さんだった。
「私、掃除他にすること無くて。それで、ゴミを捨てに行こうと思って…」
小さな声で、でもゆっくりと南さんは説明してくれた。クラスの女子たちともほとんど話したことがない南さんは、何をしたら良いか誰にも聞けず、仕方なくごみ捨てに行ったそうだ。
うん、その気持ち何となくわかる。
「ゴミ箱が消えた理由はわかったけど、それを裕輔が持って帰ってきたのはどうして?」
実可子が話を振り出しに戻してしまった。
「あ〜〜………、まあ、そんなんどうでも良くない?」
わざわざ説明するのは照れくさいので、僕はごまかしてうやむやにしたかったが、
「あの…、私が途中でゴミ箱をひっくり返して…」
と、まさかの南さんの説明が始まってしまった。
「ふーん、なるほど~。」
実可子がニヤニヤしながら言った。
「あんた、普段はボーっとしてるくせに、たま~に良いことするよな。」
「たまにって言うな。」
「へー、裕輔優し~。」
「うっ………」
ゆみにそう言われて、一気に顔が熱くなった。
赤くなった顔を見られたくなくて、教室の窓を開けて外に身を乗り出した。
梅雨明けの7月の直射日光はジリジリと、更に顔を熱くした。
おばあちゃん、ありがとう。
『情けは人の為ならず』
他人に親切にしておけば、巡りめぐって、自分に良い報いがあること。
その翌日。
この日は一学期の終業式だった。
朝、教室へ入ると僕の後ろの席ではいつものように南さんが本を読んでいた。
昨日の事があってから、改めて南さんの席が後ろだったことに気付いたのだった。
う〜ん…、昨日少し会話もしたことだし、挨拶くらいはしようかな、と考えて、
「お…おはよう。」
一応、声をかけて自分の席に座った。
「おはよう…ございます。」
「………なんで敬語?」
思わず後ろを振り返ってしまった。
「あ…と、何となく…。急に言われたからびっくりして…。ごめんなさい。」
「いやいやいや、謝ることはないって。」
僕は、顔の前で手をブンブン振りながら答えた。
「あんまり皆と話したことないから慣れてなくて。」
南さんはそう言いながらちょっと俯いて、ズレた眼鏡を直す仕草をした。
「何となくわかる。俺も人見知りする方やから。」
「え?そうなんや…。」
「まぁ、ちょっとずつ慣れていったら良いかなぁって。南さんもな。」
「…うん、ちょっとずつ頑張ってみようかな。」
「おっはよー。」
声がした方を見ると、実可子とゆみが教室に入ってきたとこだった。
実可子は僕と同じバスに乗って来るのだが、ゆみの乗ったバスが到着するのを待って、駅からはいつも二人で通学している。
「あ、裕輔おはよう。」
ゆみが、僕の席の近くを通ったときに声をかけてくれた。それだけで、今日は良い日になりそうな気がした。
「南さん、おっはよー。」
実可子に声をかけられた南さんは
「おはよう…ございます。」
「なんで敬語っ?」
実可子にも突っ込まれていた。
「あれ?フフフ…」
「ハハハ。」
僕と南さんは顔を見合わせて笑ってしまった。
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