第3話 1997年夏「卒業アルバム」

 車のクラクションの音でふと我に返った。

 外を見ると、軽トラが停まっている。運転席で手を振っている母の姿が見えた。時計を見ると11時少し前だった。昔を思い返しているうちに30分近くたっていたようだ。


「お帰り。ちょっとあんた、魂抜けたみたいにボーっとして。何回もブーブー鳴らしてるのに気付かへんし。他の人に見られたら心配されるで。」


 軽トラの助手席に乗り込むなり、母につっこまれてしまった。


「あー…ちょっと考え事を。ただいま。」


 母が車を発進させスピードが上がってくると、全開の窓から心地良い風が入ってくる。古い軽トラには冷房なんてついてなかった。


「あのバス停、あんなに人少なかったっけ。昔は学生とかでもっと混んでた気がするけど。」

「それはあんたが通学時間帯しか知らんからや。」

 ああ、そうかと、当たり前のことに気付かなかった自分が間抜けに思えた。確かに中学生のころは通学以外でバスに乗ることはほとんど無かった。


「でもな、子供は少なくなってるし、近所の年寄りもどんどん亡くなるし、人口は減るばっかりやわ。」

「限界集落か…」

「そやなぁ。隣の市と合併する話も出てるらしいし。」

「とうとう、そうなるのか…。」


 ここ数年、全国的に自治体の合併が進む中まぁ仕方のないことだと納得する一方、ふるさとの名前が変わってしまうかもしれないと思うと、少し寂しい感じがした。


 町には、高校はあるがそれ以上の学校は無い。高校を卒業するとみんな、進学のために全国に散っていく。その後、生まれ故郷に帰ってくるのは、ほんの一部だ。

 そういう僕も迷っていた。

 専門学校卒業後、故郷に帰ってきても僕のやりたい仕事はできない。都会に出ていく人達は皆だいたい同じ理由だ。


 昔と変わらない懐かしい景色を眺めながら、とは言っても実家を出てまだ半年もたたないが、20分ほどで家に着いた。

「ただいまー。」

 家の中に声をかけると、

「おかえり。よう帰って来たなぁ。」

 最初に出迎えてくれたのは祖母だった。

「おお、久しぶり。」

「お兄ちゃんおかえり。何かお土産は?」

 夏休み中の高3の弟と、小学校4年の妹も居間にいた。

「お土産?特に無いけど。」

「ええ~~~、そんなんやからお兄ちゃんは女の人にもてないんやわ。」

「うるさい。そんなん関係ないわ。久しぶりに会ったのになんてことを言うんや。」

 気が利かない性格であることは認めるが、9歳も年の離れた妹にまで言われると、確かに致命的な気がした。


「はいはい、早速けんかか?それよりもうすぐ12時になるし、昼はオムライスで良いやろ?」

 決して料理上手とは言えない母の作るメニューの中で、オムライスとカレーは昔から僕の好物だった。

「もちろん。それが今一番食べたかった。」

 朝早めのバスで帰ってきた理由がこれだ。母の手料理が懐かしく、一刻も早く食べたいという気持ちを我慢できなかったのだ。


「夜は、お父さん早く帰ってくるみたいやから、焼き肉にしよう思ってるし。」

「やったー。肉肉~。」

 さっきまで文句を言っていた妹は、焼き肉と聞いてすっかり機嫌がなおっていた。


 昼食の後、軽トラを借りて風景の写真を撮りながら近所をドライブした。

 免許は高校を卒業した今年の春休みに取得していた。

 子供の頃遊んだ小川は、これほど小さかったのかと驚いた。毎年見慣れていた田んぼの緑はとても眩しく、稲をかき分けて吹いてくるざわざわという風の音はいつまでも聞いていられた。


 中学校と高校にも行ってみた。グラントでは野球部やサッカー部が練習中だった。

 卒業生とはいえ、もう部外者なので用もないのに勝手に校門の中に入るのは駄目だと思い、外から眺めるだけにした。

 

 ほんの数ヶ月離れていただけなのに、故郷をこんなにも愛おしく思えるものなんだと知った。


 ヒグラシの鳴き声が聞こえ出したころ、家に帰り着いた。


 夕食の準備を手伝っていると、父が帰ってきた。

「おかえり。」

「おお、ただいま。なんか、ちょっと痩せたか?」


 普段は帰りが遅く、夕食は1人で食べることの多い父が今日は早めの帰宅だった。

 電気工事師として働く父は、1人で6人家族の家計を支えてきた。中卒で働きに出た父は、現場でたたき上げの技術屋だ。


 子供の頃よく祖母から聞かされた話によると、僕が4歳の時に亡くなった祖父は身体が弱く家は貧しかったそうだ。勉強がよくできた父は、高校へ行きたかったそうだが、家計を助けるためにそれを断念するしかなかった。

 やりたいことができなかった父は、気持ちが荒れた時期もあったそうだ。


 そんな自分の経験からか、僕が写真の勉強がしたいと打ち明けた時、何も反対せずに、大学ではなく専門学校に行くことを許してくれた。そしてお金のかかる専門学校の授業料や月々の仕送りは、こんな時のためにと母が貯金を貯めていてくれたお陰で心配することは無かった。両親には、本当に感謝している。


 夕食後風呂に入り、かつて自分の、今はほぼ物置になっている部屋に行ってみた。


 ドアを開けると、懐かしい匂いと共に目の前に現れたのは買い置きのトイレットペーパー、段ボール箱、古雑誌、古着等々。いや、もう、捨てようよと呆れながらなんとか部屋の一番奥にある本棚までたどり着き、目当ての物を手に取った。



 A4サイズの布張りの表紙に『希望』と金の箔押しがしてある、中学校の卒業アルバムだ。

 昼間、駅で昔のことを思い出してしまったせいで、無性にアルバムが見たくなってしまったのだ。


 しかし、アルバムを開けば楽しかった思い出と共に、後悔の思い出も甦るのはわかっている。それは何年経っても何度思い出しても、胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる。

 大切な思い出の1つとして心の奥にそっとしまっておけないのは、まだ自分の中では何も終わってなどいないからだ。


 くよくよ考えている自分につくづく嫌気がさす。目を閉じて1度だけ深呼吸をし、アルバムの表紙をめくった。







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