第52話 魔法使いのペンと杖

 市場を見ずに鉱山へ行くと言われ、わたしは慌ててアブソレムを引き止める。

「待ってよ。わたし、色々と欲しいものがあったんだけど……」

「何が欲しいんだ」

「パンとか、ミルクとか」

「そういうものはアルに頼め」

アブソレムの堂々とした小間使い発言を聞いて、アルが「俺は使用人かっ」と声をあげた。

見事なつっこみだ。

「まぁでも今回は引き受けるよ。森で色々迷惑かけたからな」

アルがそう言ってくれたので、わたしは渋々買い物リストを渡した。

本当は自分で市場を見て回りたかったが、仕方ない。

「ああ、そうだ。リストを貸しなさい」

アブソレムはアルからリストを受け取ると、服の内ポケットからペンを取り出して何かをささっと走り書きした。

そのペンは銀色の金属でできていて、ペンと言うよりはただ石を切り出しただけのように見えた。

「不思議な形ね?」

わたしは彼がサインしたリストを横から覗いて驚いた。

まるでマーブル模様のように、インクが何色も混ざっているのだ。

子供の頃に流行ったマーブルペンを思い出したが、それより何倍も艶がありきれいな色をしている。

「魔法使いのサインだ。これを見せれば何でも買えるだろう」

「OK。全部買ったら、食堂に届けておくわ」

アルは軽く手を振ると、市場の方へぶらぶら歩き出した。

なんとなくその背中を追って眺めていると、そのうちにすぐに人に捕まり、世間話を始める。

その世間話につられて、また他の人が集まってくる。

人の輪はどんどん大きくなり、その中の誰かが帰る時、必ずアルに何かを持たせた。

どうやら街の人気者というのは本当らしい。


「アルってすごいわね。今、靴までもらってたわよ」

「あれは天性の人たらしだからな」

アブソレムはそう言って、魔法使いのペンを仕舞おうする。

わたしは反射的にその手をガッと掴み、「ちょっと待った!」と叫んだ。

「このペンの説明、まだ聞いてないわ!」

「……突然掴まないでくれ」

彼は眉間に皺を寄せてから、ペンの構造を教えてくれた。

筒状になった金属に、魔石を粉にしたものを入れてある。

あとは魔石を使う時と同様に、想像するだけでいいらしい。

普通のペンのようにサインが書ける、というイメージだ。

通常の加護持ちならば自分の加護の色が出るらしい。

つまり、アルが書けばミナレットの緑色の線になる。

だがわたしたちは加護を持たないので、全ての魔石の色が混ざってマーブル模様になるというわけだ。

わたしはペンを貸してもらい、ノートに少し線を引っ張って見る。

たまにつっかえたりしてあまり書き心地は良くないが、わたしの線も確かにマーブル模様になって現れた。

「へええ、便利!」

「これだけあれば色で宗派がわかるから、出先での簡単な身分証明にも使われている」

「なるほどねぇ。この素材はなに?銀色だけど」

「それは純銀だ。純銀ならば、中の魔石から影響を受けない」

そう言うとアブソレムはペンを取り上げ内ポケットに仕舞ってしまった。

わたしはもう少し観察したかったのに、と口を尖らせる。

「そのうち一本作ってやる。今日のところはさっさと鉱山へ行くぞ」

アブソレムの言葉に気を良くしたわたしは、パッと表情を明るくして彼の後ろを追いかけた。


近づいて見る門は、思っていたよりもずっと巨大だった。

石造りの壁を撫でた風がいつもより冷たい。

門に足を踏み入れると、風鳴りの音が低く響いている。

進んで行くとちょうど門の真下の一線だけ、タイルの色が違う箇所があった。

なんだろうと思いながらそこを通り抜けた時、わたしとアブソレムが踏んだタイルがピカッと光を発した。

その光を合図に、門にいた兵士がふたり、険しい顔をして近寄ってくる。

「失礼。魔石を持っていますね?」

片方の兵士がアブソレムに話しかけた。

彼らは細くとがった棒状のものを、どちらも右手に持っている。

わたしは見覚えがあるその棒をじっと見つめた。

あの指揮棒みたいなもの、どこで見たんだったっけ?

「持っている。私たちは魔法使いだ」

アブソレムがキッパリとそう言い切ると、兵士は互いにハッと軽く息を飲んで、顔を見合わせた。

「そうとは知らずお引き止めしてすみません。あの、規則ですので……」

そこでアブソレムからわたしに視線を動かした。

「魔法使い様のことは存じておりますが、こちらは?」

「これはアリス。彼女は魔女だ」

「なんと、魔女様がこの国に?」

わたしは遠慮のない視線に晒されて、居心地悪く肩をすくめた。

兵士たちは何やらこそこそと小さな声で相談すると、奥の詰所のようなところから板を一枚持ってきた。

あ、あれはウィローの板だ。

一番最初にこの世界に来た時にも触れた、加護の色を示す板。

「申し訳ありませんが、確認のためこちらにお手を……」

兵士のひとりがビクビクしながら板を差し出した。

どうしてこんなに怖がっているんだろうと思いつつ、手を置く。

もちろん板に触れても、前と同じように何も起こらない。

「確かに魔女様です。大変失礼いたしました。お通りください」

兵士はそういうと、ふたり揃って頭を下げて道を開けた。

あの尖った棒を背中に回し、意図的に隠しているようなポーズをとっている。

アブソレムは彼らに何の反応もせず、無言のまま門を抜けた。


「ねえ、何であんなにみんなビクビクしているの?」

門を抜けて兵士から遠ざかったのを確認して、アブソレムにそう尋ねる。

「ビクビクしているわけではなく、私たちを敬っているんだ」

「えっ!そうなの?なぜ?」

「なぜと言われても。魔法使いとはそういうものだ」

わたしはいまいち話が飲み込めず、「はあ」とだけ呟いた。

確かに王族など身分の高い人との付き合いもある魔法使いは、平民からすると敬うべき対象なのかもしれない。

だが身分差に疎い世界から来たわたしは、階級についてよく理解できていない。

なんなら、この加護最重要視の世界で、加護が使えないわたしたちは弱者側だと思っていたくらいだ。

「こちらへ杖を向けたんだ。それだけで罰する魔法使いもいるだろう」

「えっ!杖?」

わたしはびっくりしてアブソレムの顔を見上げた。

彼はなんなんだ?とでも言いたげに、眉を寄せてこちらを見ている。

「杖を持っていただろう?そういえば、君はトーマの所の従者にも向けられていたな」

それを聞いて、記憶の扉がパッと開かれるのを感じた。

確かに、従者のリチャードに向けられたわ!

兵士のよりももっと滑らかで白くてきれいだったけれど、形状は全く同じものだ。

「あれ、杖なの!?」

「逆に聞くが、それ以外のなんだと思っていたんだ?あの形は杖以外にないだろう」

「なんでみんな、指揮棒持ってるのかなって……」

アブソレムはガックリ肩を落とすと、大きくため息をついた。


「アブソレムは杖、持っていないの?」

兵士が手に持っていた指揮棒が杖だと聞いて、わたしはわくわくする気持ちが湧いてくるのを感じた。

だって杖があるなんて、完全にファンタジーじゃない?

想像していた「魔法の杖」よりもずっと簡素で、なんの飾り気もないけれど。

「杖は加護を持つ者のものだ」

「あ、そうか」

そう言われて、わたしは魔石袋をチラッと見る。

「わたしたちにとっての杖は魔石だもんね!」

我ながら良いこと言ったのでは?と思っていたが、しらっとした顔のアブソレムに、「意味がわからない」と返されてしまった。

相変わらず反応が冷たい。

「ん?でも、トーマも杖を使ってなかったわよ」

わたしはケルピーとの戦いの場面を思い出して呟いた。

確か、あの時は両手で氷の動物を作り出して戦っていたのだ。

手から氷の動物が飛び出すなんて、よくよく思い出してみるとなんて格好いいんだろう。

あの見た目、あの格好よさで王子様だよ。

トーマはさぞモテるんだろうなあ。

「ああ、トーマくらいになると必要ないだろう」

「どういうこと?」

「杖は加護が足りなかったり、うまく扱いきれない者が持つんだ」

ああ、そういうことか。

ということは一国の王子であるトーマには、きっと必要ないだろう。

それに確か、ケルピーとの戦いの時に「僕はこの国で一番強く水の加護を得ている一族だ」って言っていたわよね?

うわあ、そんなこと言ってみたい。

この世界のことが小説になるのなら、彼が完全に主人公だろう。

わたしはモブとして、ちょこっと出して貰えたら嬉しいな。

怪しげな魔法使いの弟子として、とか。


 わたしがトーマについて色々妄想していると、アブソレムの目があさっての方向を見ていることに気がついた。

慌ててキュッと顔を整え、もちろん聞いていますよという風を装う。

「……アリス、君、トーマに何か言われたか」

「へぇっ?いや特になにも?」

予想外のことを聞かれて、おかしな声を上げてしまった。

アブソレムはしばらくじとっとこちらの顔を眺めて何か考えていたが、諦めたらしく軽く首を振って話を続けた。

「で、杖の話だが。基本は攻撃する時に使う。攻撃以外でそこまで大量の加護が必要になることも少ないからな。だから杖を向けられるのは、大変危険でとても無礼なことに当たる」

「あー、なるほど」

だから先ほどの兵士は、あそこまでビクビク怯えていたのか。

こっちが魔石なんて紛らわしいものを持っているせいなのに、なんだか悪いことをしてしまった。

「アルも持ってるのかしら?」

わたしがそう尋ねると、アブソレムは眉を寄せた。

「前々から思っていたが、君はアルへの評価が低くないか?彼の加護も相当強いぞ」

「えっ!?そうなの?」

わたしは驚いて口をポカンと開けた。

自分のアルへの評価が低いとは思っていなかったが、あの親しみやすい性格から、平凡仲間だと思っていた節があった。

そうか、やっぱりアルも優れた主役級の人だったのね……。

わたしは謎の疎外感を感じた。


「というか、ここ数日のうちに、わざわざ君に会いにきた者は全て杖を持っていない」

そうなのか。

アニとアカラはなんとなく予想がついたとして、サムージャたちもってことかしら?

あれ、でもサムージャたちにはわたしから会いに行ったはず。

それじゃ、カウント外かしら?

「杖を持っていない人ってどれくらいいるの?ほら人口の何%、とか」

その問いに、アブソレムは顎に手を当てて深く考え込んでしまった。

「……難しいな。まず人口が宗派で違うから、比率はわからん。人数でいうと、王族の所属しているクロス派は杖無しが一番多いだろう」

わたしはノートを取り出してメモを取って行く。

こう言う話は二度してくれないことが多いから、きちんと書き写しておかなければ。

「それからトルニカ派だな。その次はロータス派」

「えっ、三番目はロータス派なの?」

確かロータス派は、人数自体がかなり少なかったはずだ。

「そうだ。ロータス派に杖持ちはいない」

それはすごい。ロータス派はみんな杖がなくても加護の力が強いのか。

それならロータス派を調べれば、加護を強くする方法がわかりそうだわ。

「そしてミナレットとシャヴァートが同じくらいか。まあこの辺になると、杖無しは貴重だ」

わたしはノートをまとめ終えてしばらく眺めると、質問をしてみることにした。


「加護を強くする方法ってあるの?」

「基本は生まれつき決まっているから、後天的に強くはできない。だから親の掛け合わせが重要視されているんだ」

か、掛け合わせ……。すごい表現だ。

「前にも言った通り、魔女は子供の加護に影響しない。そうすると、強い加護を持つ父親からは、確実に同程度以上の加護を持った子が生まれてくる。そういった意味でも、今後君はよくよく気をつけなければならない」

アブソレムは真剣な顔で話すと、話は終わったとでも言うように顔を上げた。

わたしは最後の言葉の意味がよく飲み込めず、ぼーっとした顔で彼の顔を見た。

「さあ、こんなところで突っ立って話し込んでいる暇はない。さっさと鉱山へ行くぞ」


 そう促されて渋々門の外の街を見ると、そこには今までの市場とは毛色の全く違う、毒々しい色の露店で怪しげな魔石を売る商店が見渡す限り連なっていた。

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