第53話 シャヴァート派のリズ

「うわあ……!」

色とりどりの商店を見渡して、わたしは歓声をあげた。

見渡す限りの全てが鮮やかな色で溢れている。

そこかしこでキラキラとした光がテントから漏れ出し、時折雷のようにパアッと明るくなる瞬間があった。

しかし先ほどの市場と同じく沢山の人が品物を物色しているが、わたしのように歓声を上げて暴力的なほどの色彩を眺めているものはいない。


「すごい色だわ……。こんなにきれいなのに、みんなはもう慣れているのかしら」

「いや、ここの商品は魔石だ。この色が分かるのは私たちだけだ」

アブソレムにそう返されて、わたしは「あ、そっか」と素っ頓狂な声を出した。

すっかり忘れていたけれど、魔石の色が分かるのは魔法使いだけだった。

こんなきれいな景色をわたしたち2人しか見られないなんて、なんだか勿体無い気がする。

わたしは魔石の眩い光に目を細めながら、迷路のような市場を縫って歩く人々を観察する。

扱っている品物の違いか、客層は全く違う。

まず子供がいない。

そのため笑い声や泣き声は一切聞こえず、ただただ声のトーンを落としたヒソヒソ声が聞こえるだけだ。


 そういえば子供だけでなく女性も少なく見えるが、気のせいだろうか。

顔まですっぽりと覆うヒジャブのようなものを来ている人が多くいる。

あれが女性たちなのかな?

アブソレムにそう聞いて見ると、意外な答えが返ってきた。

「何を言っている?あれはただ単に顔を隠しているだけだ。どうして女性たちだと?」

「わたしのいた世界だと、女性はああやって髪や顔を隠していることがあったのよ」

「どうして女性だけ?」

アブソレムの言葉に、わたしは首をひねった。

知ったかぶりをしたけれど、なんて説明をしたらいいのか分からない。

「ええと、確か宗教的な教えで……。美しい部分を隠す必要があるのかも?」

アブソレムはよく理解できないというように、顎に手を当てて考えている。

「女性たちだけというのがよく分からない。こちらではそういった教えは特に聞いたことがない」

「そうなのね。そうすると、この市場には女性が少ない気がするわ」

「魔石を取り扱うのは、多少なりとも危険が伴うからな。鉱山で働くのもほとんどが屈強な男たちだし、女性はどうしても足を踏み入れにくくなっているのだろう」

そうか。確かに鉱山と言われると、この男女比率も納得できる。

どうしてこんなに比率を気にしているかと言うと、男ばかりのこの市場で、物珍しそうな視線が痛いのよ。

すれ違う人が、口々に「女だ」「魔法使いだ」「てことは魔女?」をワンセットで呟いて行く。

こんなに悪目立ちするのなら、アルが貰っていたショールを借りて、顔を隠したら良かったわ。


「アブソレム。ここにはどうして顔を隠す人がいるの?」

市場をまるで自分の庭のようにサッサと歩く彼に置いて行かれないように、なるべくくっついて歩きながら聞く。

「色々理由はあるが、根本的には魔石を買うのを見られたくないからだな」

「魔石を買うのは悪いことなの?」

「悪いことではないが、加護のない我々と違って、彼らには元々ある程度の加護が備わっている。それなのにどうして魔石を買うと思う?」

「ええーと、それは加護が足りないから……うあっ!」

質問を質問で返され、ぼんやり答えながら歩いていたその時、一際大きな人が私たちの間を強引に通り抜けていった。

ヤオの腰くらいあるんじゃないかというほど大きな腕に押されたわたしは、体勢を崩して転びそうになる。

アブソレムが咄嗟にわたしの二の腕を掴んでくれなかったら、市場の埃っぽい土の地面にひっくり返っていただろう。

「しっかり前を見ろ」

彼はぐいと自分に引き寄せると、少し開けた場所まで運んで真っ直ぐ立たせてくれた。

相変わらず見た目より力があるから不思議だ。

「あ、ありがと。進めば進むほど混んでるわね」

軽く土の地面に擦ってしまったガウチョパンツの裾を払っていると、突然後ろから声をかけられた。

「あーらら。噂の魔女ちゃんは、よっぽど大事にされてるんだねえ」

高い声。女性だ。

声のする方に振り向こうとするが、目の前のアブソレムの心底嫌そうな顔に目が釘付けになってしまった。

口はひん曲がり目つきも悪く、見たことのない顔をしている。

「……テフィリン」

アブソレムが低い声で彼女の名前を呼んだ瞬間、わたしの肩にするりと腕が巻かれた。

ものすごく細くてきれいな腕だ。

黒くてすべすべした服を纏っていて、強い香水の香りがする。

これは絶対に美人だと思い、わたしは緊張して硬直してしまった。

テフィリンと呼ばれた女性はわたしの肩を背後から抱き、その腕の上に自分の顎を乗せたらしい。

これまでに経験のないほど近くで、艶っぽい声が聞こえる。

「こんにちは魔女ちゃん。お噂はかねがね」

突然の美女の行動に、自分の顔が真っ赤になったのが分かった。耳まで熱い。

アブソレムが嫌そうな顔のままわたしをぞんざいに引っ張り、いい香りの腕の罠から助け出してくれた。

緊張して固まったまま、どうにかテフィリンの方を向く。

そこには想像以上の美人が立っていた。

タートルネックのように、首まですっぽり覆われた黒いドレスを着ている。

透けてるんじゃないかと思うほどの薄い布だ。

露出は一切ないのに、どうしてここまで艶やかになるのだろうか。

細く絞られた腰から伸びる美しいドレープに、思わずため息が漏れそうだった。

切れ長の目の涼しげな顔立ちで、身体中から自信が満ち溢れているように輝いていた。

目尻の下に金色ともオレンジ色ともとれる小さな宝石が貼り付けられている。

テフィリンはにっこり笑って軽く手を振ってくれたが、わたしは真っ赤になったまま痙攣するように頭を下げるので精一杯だった。

人間としての出来が違いすぎる。隣に立ちたくない。


「リズ。テフィリンを外に出すならしっかり手綱を握っておけ」

テフィリンに夢中になっていたわたしは、アブソレムのその一言で我に返った。

アブソレムの言葉の先には、黒い服に身を包んだ背の高い男性が笑顔で立っていた。

「久しぶり、アブソレム」

リズと呼ばれた男性が笑顔で近づいてきた。

テフィリンの隣まで来ると、わたしに視線をとめる。

値踏みされているような居心地の悪い視線だ。

「それで、こちらが例の魔女様ですね?」

リズの口は弧を描くようににっこりとしているが、目は全く笑っていない。

テフィリンとは真逆の垂れ目で、パッと見は優しげな印象を受けるのに、目の奥は猛禽類に似ている。

わたしは梟に睨まれたネズミのように、身がすくむのを感じた。

それに気がついたようにアブソレムが一歩前に出てくれる。

「アリス。こちらはリズ・クレール。シャヴァート派だ」


 シャヴァート派!

初めて会うわ。これで一通り全ての宗派に出会えたってことね。

わたしはリズとテフィリン、それから彼らの周りの人を順にこっそり盗み見た。

今まで気がつかなかったけれど、きっとここにいる人たちは皆リズの連れだ。

みんなほぼ同じの、真っ黒い服装をしている。

ドレスを着ているのは女性のテフィリンだけで、他の人白いシャツに黒いノーカラージャケットとベストだ。ジャケットの形はスーツに近い。

みんなリズを守るように均等に広がって並んでいる。

こちらを睨みつけるものもいれば、完全に背中を向けてどこかを見ているものもいる。

全員に共通することは、ピリピリするほどの警戒心を持っていることだ。

まるで要人警護だ。


「初めまして、アリス。私のことはリズと呼んでください」

リズはそう言って、左手を自分の胸に当てて頭を下げた。

不思議な挨拶だ。

「はじめまして。わたしのことはもうご存知のようですね」

半分アブソレムの影に隠れたまま、ちょっとだけ嫌味を混ぜてそう返すと、リズはまた口だけで笑って見せた。

「もちろん。早くお会いしたいと思っていましたよ。色々と伺っていますから。魔石を作りたいとか、鶏小屋が欲しいとか」

鶏小屋!

ということは、彼が言っていた人?

アブソレムに視線だけで尋ねると、彼は頷いてからわたしの腕を掴んで引っ張った。

「そうだ。小屋を依頼した先がリズだ。いいから出てきなさい。なんで後ろにいるんだ?それからリズ。アリスが怖がっているから、警護の者をどうにかしてくれないか」

アブソレムの言葉に、テフィリンが「あらぁ、怖いのぉ?」と間延びした声を出した。

小刻みに頷いてみせると、子供を見るような顔で小さく笑ってから、くるりと後ろを向いた。

「鉱山に入るから、ここで待ちなさい」

テフィリンは人が変わったように周囲にテキパキと指示を出している。

指示を受けた者は、皆あの変わった胸に手を当てるお辞儀をしてから持ち場へ散って行った。


「それで、魔石でしたっけ?」

リズがアブソレムに話しかける。

相変わらず目の奥が笑っていないし、ゾッとするような声をしている。

隠れてしまいたいがまだ腕をしっかり掴まれているので、ただその場でジタバタするだけだった。

「そうだ。アリスがハシバミ竜から素材を貰ったんだ。だからそれを石にしようと」

「ああ、ハシバミ竜。今年は狩りがうまくいったらしいですね。さぞトーマはお喜びでしょう」

「あら、トーマを知っているの?」

会話に見知った名前が出てきたので、つい口を挟んでしまった。

リズの射るような目がこちらを向く。

「もちろん。あなたも彼を良くご存知のようですね?」

さっきの嫌味入りの挨拶をそのまま返されてしまった。

きっとこの人顔だけじゃなくて、性格も悪いんだわ。

わたしは悔しくて口を尖らせた。

「リズ。あまりからかうと嫌われるぞ」

アブソレムが呆れてそう言うと、リズは口元に手を当てて上品に笑って見せる。

「すみません。アリスはあんまり顔に出るから面白くって」

顔に出るって、そんな!

自分の顔が赤くなるのを感じた。

どう見ても年下の男の子にここまでからかわれるなんて、悔しすぎる!

なるべく冷たい顔ができるように、ツンと顎を上げてみた。

様子を見ていたらしいテフィリンが、リズの後ろで吹き出している。

「それでは今日は、素材を魔石化しにいらしたんですね。素材はなんですか?ハシバミ竜だから、鱗?」

頑張って作った冷たい顔には何もコメントせず、リズが話を進めた。

「ハシバミ竜の抜け殻だ。物凄く大きいから、転移場所に置いてきた。必要な時に呼び出せる」

アブソレムの言葉に、リズとテフィリンだけでなく聞き耳を立てていたらしい周囲の人たちもざわめいた。

「抜け殻……?よくそんなものが手に入りましたね」

「いや、私ではなくアリスが手に入れたのだ」

リズが驚いている様子を見て、心が弾むのを感じた。

してやられてばかりで悔しいので、少し自慢してみよう。

「そうよ。竜のレスがくれたの。友達なのよ。次の新月には、ヴォジャノーイと一緒にサンテ・ポルタへ遊びに来てくれるんだから!」

ふふん、どーだ!と腕組みして目を閉じる。

だが特にリズは何も返さない。

すごい、いいな、と言った賞賛の言葉を待っていたわたしは、痺れを切らせて片目をチラッと開けて見た。


 リズは呆気に取られたように口を小さく開けてこちらを凝視していた。

テフィリンに至っては若干引いている。

「……なんというか、アブソレム」

「君も分かっただろ。アリスは危ないんだ」

「確かに、早く魔石を渡してしまった方がいい……」

周囲はわたしへの賞賛ではなく、アブソレムへの同情で静まり返ったのだった。

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