第47話 愚か者と夜明け
礼だと言って出された抜け殻を見て、一同はしばし固まった。
この巨大な抜け殻がお礼?
鱗であんなにトーマが喜ぶくらいなんだから、ものすごく貴重なものっていうのは分かるけど。
わたしに貰っても、使い道が思い浮かばないよ。
ていうか、そもそも部屋に入りきらないし……。
正直、断ってしまいたい。
なんて言って断ったらレスをガッカリさせないだろうか、と一生懸命に頭を回転させていると、アブソレムが止めるようにわたしの肩に手を置いた。
「いいのだろうか。こんな貴重なものを」
代わりに断ってくれると思っていたのに、まさか貰う気なのかとギョッとする。
「もちろんだ。どうせ森の地を癒す為に、これを使うところだったからな」
わたしは抜け殻にそっと手を当てた。
もっと柔らかい触り心地をイメージしていたけれど、表面は固くつるつるしていた。
でも力を強く入れたら割れてしまいそうだ。
まるで薄いガラスか飴細工のようだった。
「で、でもこんな良いもの貰っても、わたし使い道がないわ」
「アリスはそろそろ証明の魔石を作るのだろう?」
「あれ?その話、したっけ」
わたしが首をかしげると、レスは「君が倒れている間に魔法使いから聞いた」と言った。
「倒れる前に魔石の守りが働かなかったから、不思議に思ったのだ」
レスの言葉の意味がわからなくて、アブソレムを見る。
「証明の魔石を持っていれば、いざという時に危険な魔力や加護から守って貰える。気絶するほどのことは起こり得ない」
「ああ、なるほど」
つまりわたしが魔力で吹き飛んだから、魔石を持っていないって思ったと言うことね。
なかなかややこしい。
けど、この抜け殻と魔石の話が、どうやったら繋がるんだろう?
「魔石の素材としてこれ以上のものはない」
アブソレムが一歩前に出て、わたしの隣に立ち抜け殻に触れた。
心なしか頬が紅潮している。瞳孔も開き気味だし、興奮しているのかもしれない。
「え、抜け殻を魔石にできるの?」
「加工師を呼ばないといけないが、魔力を持つものなら基本的になんでも魔石にできる。知恵の日に同行して鱗のひとつでも貰えれば良いと思っていたが、まさか抜け殻が手に入るとは思わなかった」
アブソレムが興奮しながら抜け殻を褒めるのを、レスはとても嬉しそうな顔をして聞いていた。
案外この二人、仲良くなれるのかもしれない。
「しかし少し多いな。一番魔力の多い両翼の部分だけ魔石にして、残りは保管するか」
アブソレムが顎に手を当ててそう言った。
「え、自分の魔石にできるなら、レスの顔の部分がいいわ!」
わたしの言葉にアブソレムは呆れた声を出した。
「自分の魔石とはどれだけ素材の魔力が高いかで、出来が決まるといっても過言ではないのだが」
「それでもレスの抜け殻っていうだけで、そもそもの魔力は高いのでしょう?わたし、少し魔力が下がったって、顔の部分がいいわ」
「アリス、魔石にしたら形は残らないのだぞ」
レスも話に割って入ってきた。
「それでも、なんとなく顔の部分がいいのよ」
わたしがあまりに譲らないので、アブソレムは少し意外そうな顔をした。
「まぁ、そこまで言うなら良いだろう。自分のものだ。納得できるもののほうが愛着も湧く」
アブソレムは呆れた顔をしつつも、わたしが下敷きにしていたローブを拾い上げて中からナイフを取り出した。
それは薄い透明のガラスに持ち手をつけたような、変わった形のナイフだ。
透明度が高すぎて目を凝らさないと刃が見えない。
「おお、それはトトの刃か」
レスが身を乗り出してアブソレムのナイフを凝視した。
食い入るように見つめているその目は、キラキラというよりギラギラしている。
「頭の部分を切らせていただく」
アブソレムはレスの問いには答えずに、抜け殻にナイフを刺した。
ガラスのように割れてしまってさぞ切りにくいだろうなと思っていたが、驚くほど滑らかに切り分けていく。
刃はよく滑り、まるで寒天を切り分けているようにも見える。
「あんなに簡単に切りおって。妬けるな」
アブソレムが切り分けているのを眺めながら、レスが愉快そうに言った。
「なにに妬けるの?」
「魔力にだよ。魔力の宿っているものは、魔力の強さで優劣が決まるのだ。彼の持っている刃は、私の魔力よりも優れている。わたしの殻があんなに簡単に切り分けられるなど初めてのことだ」
「へえ、そうなんだ」
アブソレムはすでに片側を切り離し、もう片側に取り掛かっていた。
「まさかトトの刃を持つとは。魔法使いが何にも動じないので余程の守りがあるとは薄々感づいてはいたが、これで合点がいったわ」
話している意味がよくわからなくて、わたしはぽかんとした顔をした。
その顔を「なんという情けない顔だ」と笑いながら、レスは続けた。
「この話はそのうち詳しく話そう。安心しろ。私の殻も、この地で採れる最上の素材だ」
わたしはエプロンのポケットからレスにもらった鱗を取り出した。
すでに魔力を使い切ったものだ。
「じゃあこれも、アブソレムみたいなナイフにできる?」
レスに鱗を掲げて見せると、彼は首を振った。
「いや、これは魔力を使ってしまっているからナイフにはならない。残りがたっぷりあるのだから、欲しいのなら殻で作れば良いだろう」
抜け殻をじっと見る。
アブソレムはちょうど頭の部分を切り落としたところだった。
「レス。頭のところと、あと少しだけ貰ってもいい?」
「なにか作るのか?」
「ええ、ちょっと事情があって、証明の魔石の他に、願いの魔石も作りたいの」
願いの魔石、という言葉に、レスだけでなくトーマやアルもぴくりと反応した。
会話が聞こえていたらしい。
「願いの魔石?そんな大層な物を作らずとも、アリスの願いならなんでも叶えてやろう」
レスが目を細めて笑いながら言う。
なんだか孫を可愛がるおじいちゃんのようだ。
「嬉しいわ。でも、残念ながら願いの魔石じゃないと無理そうなのよね」
「ふん……。これは既に君に渡したものだ。全て持っていけばいいだろう?」
「うーん、でもわたしは魔石がふたつとナイフが作れたらそれで十分だし、貴重なものなんでしょう?他に欲しい人がいるかもしれないから」
わたしがぼそぼそと言うと、レスはキョトンとしてから小さく笑った。
「アリスがそうしたいならそうすればいい。このままここに置いておくから、必要になったら取りに来れば良い」
わたしはそれを聞いて頷き、アブソレムに伝えた。
彼はわたしにナイフを渡すと、自分で切り取れと言う。
わたしは腕まくりして切り取りにかかった。
アブソレムがレスの隣に戻ると、レスは「無欲なのか、愚かなのか」と独り言のように呟く。
アブソレムは「そのどちらもだ」と小さく返したが、その会話はわたしの耳には届かなかった。
抜け殻を切り取らせて貰い、袋に詰めたところでわたしたちは帰ることにした。
レスと次に会う約束をし、わたしは別れを惜しんで何度も輝く鱗を撫でた。
「次の新月にはサンテ・ポルタとやらに邪魔するよ」
「わあ、嬉しい。ごちそうを用意しなくちゃね。レスは何を食べるの?」
わたしが歓声をあげてそう聞くと、彼は「ああ、忘れておった」と言って立ち上がった。
「あの駄馬を処分しなければな。ついでだから、乗るといい。湖までまた運んでやろう」
レスは立ち上がり、翼を広げ首を下げた。
その首に摑まりながらどうにかよじ登る。
わたしに続いてアブソレム、アル、トーマの順で背中に上がってきた。
みんな竜に乗るのは二度目なので、最初と比べると幾分かリラックスできていた。
レスは大きく羽ばたきをし、ぶわっと上昇する。
箒の上昇の時とはまた少し違う重力を感じ、わたしは目を軽く伏せた。
レスの背中に触れていると、右手の魔石跡が少しだけ温かくなる気がする。
相変わらず湖まではあっという間だ。
そこにはルサールカとリュドたちが心配そうな顔をして待っていた。
ルサールカと兵士たちはお互いに何を話せばいいか分からなかったらしい。
彼らは付かず離れずの位置でお互い気まずそうに立ち尽くしていた。
レスが着陸して、背中からトーマが降りてきたのを見た瞬間、リュドの表情がホッとしたものに変わる。
この人は本当にトーマのことを大事に思っているのだな、とわたしは何故だか嬉しく感じた。
登った時と逆の順番で降りていき、最後にわたしが背中から飛び降りた時、湖の端から何か小さいものがすばしこく走ってくるのが見えた。
それは緑色で、大型のペンギンくらいの大きさをしている。二足歩行だ。
息をハアハア切らせて、腕をこれでもかと大きく振りかざして全速力で走ってくる。
兵士たちはまたも敵かと一気に臨戦態勢に入ったが、レスの様子を見たアブソレムがそれを制止した。
レスはパアッと顔を明るくして、緑色の生き物が近寄ってくるのを待っている。
緑色の生き物が近づいてくるにつれ、どうやらこれがヴォジャノーイだとわたしは気がついた。
カエルの姿をしているとは聞いていたが、顔立ちはまるっきりカエルそのものだ。
しかし普通のカエルとは違い、二足歩行でしっかりとチョッキを着てめかし込んでいる。
一生懸命に走りすぎて、大きな口が真横にギュッと噛み締められていた。
その口の横をだらだらと汗が伝って流れている。
チョッキは派手な黄色と悪趣味な紫色をしていて、生地は上等そうなウールでできているようだった。
わたしはそれを見て、気絶した時に見た夢を一瞬だけ思い出しかけた。
「ハアッ、ハアッ。ハシバミ竜さま!ハア」
「おお、ヴォジャノーイよ。戻ったか」
レスはなんとも嬉しそうに前足を広げてヴォジャノーイを歓迎した。
だが当のヴォジャノーイは、だらだらと流れてくる汗にたまらず目を閉じてしまっていて、あさっての方向に話しかけているのだった。
「ハシバミ竜さま、ずっとずっと、お会いしとうございました!」
ヴォジャノーイはチョッキの胸ポケットから薄汚れたレースのハンカチを取り出し、顔中拭き回した。
キンキンした高い声が響くたび、レスは嬉しそうに目を細める。
「其方、ケルピーとルサールカのせいでしばらく出てこれなかったろう」
「ああ。そうなのですハシバミ竜さま!よくぞ退治してくださいました。あの卑しい馬と魚女めを……」
その暴言は聞き捨てならず、わたしはわざとらしく大きな咳払いをした。
「おや、これは!人間では無いですか。どうしてこんなところに?この礼儀知らずの、分からんちんの、下等生物の……」
ヴォジャノーイは片手を腰に当ててもう片手の長い指を一本振り回しながら、わたしに詰め寄ってくる。
指をピッピッと振るたびに水滴が何粒も飛んできた。
「いや、ヴォジャノーイ。私ではなく、彼らが退治してくれたのだ」
「そうよ、それに彼女は魚女じゃないわ。そんな悪口は言わないでちょうだい」
レスの言葉に乗っかってわたしがそう捲したてると、ヴォジャノーイはものすごくビックリした顔をした。
元々大きい目玉が飛び出してしまうのでは無いかと思って、わたしは思わず手を差し出しそうになってしまう。
「ハアッ。そう、そうなんですか?まさかこの下等生物がそんなことをっ?」
ヴォジャノーイは信じられないといった風に後ろ手を組んで、じろじろ見ながらわたしの周りを歩き回った。
「これ、よしなさい。ここのアリスは私の友人だ。それは友人に対する態度では無いぞ」
レスが軽く窘めると、ヴォジャノーイはまたもびっくり仰天して飛び上がり、その後ものすごく嫌そうに引きつった笑顔を向けた。
「そうですか、この下等……。いや失礼、この人間風情……、いや失礼、この、む、娘がご友人とな!」
「そうよ。わたしはアリス。よろしくね」
わたしがそう言って片手を握手のたびに差し出すと、彼は見たこともないほど口をへの字に曲げて、ものすごく嫌々ながら片手の指先でわたしの手のひらを突っついた。
どうやらこれが彼の精一杯の握手のようだった。
「それでそれで、まさか、あの馬も友人とは言いませんよね?」
ヴォジャノーイが口から唾を飛ばしながらそう聞くと、レスは「もちろんだ」と頷いた。
「あれはただの駄馬だ。そしてこれが今朝の朝食になる」
レスの言葉に、わたしはギョッとし、ヴォジャノーイはわあいわあいと喜び跳ねた。
処分するとは言っていたけれど、まさか食べてしまうとは思わなかった。
普通の馬よりずっと大きなケルピーの氷漬けをバリバリと食べているレスを想像して、わたしは初めて種族の違いを思い知った気がした。
「だが食事は客人を見送ってからだ。ルサールカの移動用の鱗は持ったな?」
レスがリュドにそう聞いた。リュドは深くゆっくりと頷く。
結局、鱗で魔力を強化したリュドがルサールカを運び、アルがわたしとアブソレムとトーマをサンテ・ポルタまで運ぶこととなったのだ。
兵士たちは少々大変だが、歩いて隣街まで出てもらうことにしてある。
「それではアリス。また新月の時に会おう」
レスが頭を軽くこちらに突き出したので、わたしは自分の額をその鼻先にそっと当てた。
「ええ、レス。色々と本当にありがとう」
わたしがアルと手を繋いで風の加護に包まれたとき、眩しい光が森の木々の上から差し込んだ。
長い夜がやっと明けたのだった。
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