第45話 聖豊饒祭の素材集め

 アブソレムのデリカシーの欠片も感じられない、そっけないにも程がある告知を聞いて、わたしは小さく「ヒッ」と悲鳴をあげた。

ハシバミ竜も「こりゃだめだ」とでも言いたげな顔で、げんなりと首を振っている。

「アブソレム……。いくらなんでもその言い方はないよ」

こっそり肘で彼の脇腹を小突きながらそう窘める。

「事実を述べただけだ」

アブソレムは涼しい顔のまま、片眉を上げてみせた。

彼に人の心はないのだろうか。


 わたしはルサールカの反応が恐ろしくて、恐々彼女の顔を盗み見る。

もしかしたら激昂して、フウゴのようにあっという間に引き摺り込まれてしまうかもしれない。

しかし、盗み見た彼女の顔は意外なものだった。

形のいい眉を下げ、下唇を軽く噛んでいる。目からはらはらと涙が流れていた。

「分かっておりました」

ルサールカの氷のような声が小さく聞こえる。

「薄々、分かっておりました。ウルリウスはもういないのですね」

「ああ、そうだ。既に隣町に葬られていたそうだ」

ルサールカはそれを聞いて、ウッと言葉を詰まらせ嘆き悲しんだ。

わたしは彼女が思っていた以上に普通に話せることに驚いて、口をだらしなくポカンと開けたまま、二人の会話を聞いていた。

「それで、これから君はどうしたい」

泣き声が小さくなったところを見計らって、アブソレムがそう尋ねる。

「私は、ただ喪に服して静かに暮らしたいのです」

「いや、ここにいてもらっては困る」

わたしの隣にいるレスが口を挟んだ。

「其方がここにいると、ヴォジャノーイが出てこないのだ」

レスったら、本当にヴォジャノーイが好きみたいだ。

「そうだな、それにこれ以上人を襲われても迷惑だ」

アブソレムの切り捨てるような遠慮のない言葉に、わたしはまた彼を睨みつける。

もう少し柔らかい言い方を覚えてもらうように、帰ったら注意をしなくては。


「人を襲わないって、約束してもらったらいいんじゃないかしら?」

わたしの提案に、ルサールカは悲しげに首を横に振った。

「今夜はアブソレムが私と話してくれたので心を取り戻せましたが、普段はそうはいかないのです。自分の意思などなく、本能で人を襲ってしまうので」

わたしはフウゴを引き摺り込んだ時の彼女の姿をまたもや思い出し、ブルッと震えた。

人を襲ってしまう自分をコントロールできないのは、さぞ辛いだろうな。

でも、アブソレムと話したから心を取り戻したって、どういうことなんだろう?

「心を取り戻したって?」

アブソレムに向かってそう聞く。

「人の心だ。ルサールカは、元は人の女性だ。自分の歌声が効かない相手と話すことで、一晩だけ人の心を取り戻せるのだ」

えっ!そうなの?

わたしは驚いて改めてルサールカの姿を見た。

どうやって今の姿になったのかは分からないが、人だった頃はさぞ美人だっただろう。

彼女は居心地悪そうに目を伏せている。目からはまだ涙が細く流れていた。


「ん?……自分の歌声が効かない相手?」

わたしは手を顎に当てて考える。

「それって、確か魔法使いと精霊だったわよね?」

「そうだが、精霊ではダメだ。人の心を思い出すには、人と話さなければ」

「ということは、わたしとアブソレム?」

自分とアブソレムを交互に指差して確認する。

彼は嫌な予感を感じ取ったように、思い切り眉間に皺を寄せてぶっきらぼうに頷いた。

その顔をじっと見つめてしばし考えてから、笑顔でパンと手を打つ。

「じゃあ、うちの池に来たらいいんじゃないかしら?」

「絶対にそう言うだろうと思っていた」

アブソレムが大きなため息とともに、肩を落として言った。

ルサールカとレスが、ふたりとも同じような呆気にとられた顔をしている。

「だってそうでしょう?ここにいたらヴォジャノーイが返ってこないし、人も襲ってしまうし。でもうちの池に来たら、毎日わたしと話せるわよ。そうしたらずっと人の心を取り戻していられるのよね?」

アブソレムはとうとう頭を抱えこんでしまった。

レスは突然吹き出したかと思うと、翼を揺らして大笑いしている。

「いえ、でも……。あの、ご迷惑じゃ?」

ルサールカはわたしたちを交互に見て困惑した顔をした。

涙はすっかり止まっている。


 アブソレムは頭を片手で押さえたまま、苦虫を潰したような顔で言った。

「いや、こうする他にないということは分かっていた」

そこで言葉を切り、わたしを横目で睨みつける。

「それなら彼女をうちに連れて帰っていいのね!?」

わたしが手を胸の前で組んで歓声をあげると、彼は「犬を拾うのとは訳が違うぞ」と釘を刺してきた。

まるでお母さんだ。

「いやあ、実に面白い。まさか、ルサールカを連れて帰るとは思わなんだ」

レスがやっと笑うのを止めてそう言った。

「しかし、助かるのも事実だ。感謝の印に、私が彼女を運んでやろう」

そして運び方について、色々とアブソレムと相談を始めた。

網がどうとか、水槽がどうとか言っている。


 わたしはまだ困惑しているらしいルサールカに近付いて、話しかけてみた。

「あなたはどう?うちの池じゃ嫌かしら。ここよりはずっと狭いけれど、きれいな庭の真ん中にあるのよ。水も多分きれいだと思う」

ルサールカはこちらの顔をじっと見るだけで、何も言わない。

も、もしかして嫌だっただろうか。

焦ったわたしは、どんなにサンテ・ポルタがいいところかプレゼンを始めた。

「あ、あのね、池のほとりには東屋が建ってて、なんと!なんとね、ワサビもあるのよ。わたしたちは毎朝庭へハーブを採りに行くから、その時に話せばいいわ。それに近くに民家もないから、歌いたくなったら歌ったって構わないし……」

彼女は大きな瞳から、またもや涙をはらはらとこぼし始めた。

うちに来るのは、泣くほど嫌なのだろうか。

慌てたわたしは、あたふたしてアブソレムに助けを求める。

「ア、アブソレム……!泣かしちゃったわ」

「いいえ、ありがとう。嬉しいんです」

ルサールカが指で涙を拭って呟いた。

「ウルリウスがいなくなってから、毎晩人を襲うために歌うのが、とても苦しかった……」

そこで言葉を切り、深々と頭を下げる。

「本当は、ご迷惑だろうに……。私に居場所をくれて、本当にありがとう」

そう言って顔を上げた彼女は、微かに微笑んでいた。


 話がまとまったところで、ちょうどリュドが兵士たちを引き連れて湖に到着した。

ルサールカがサンテ・ポルタの池に引越しをすると告げると、皆一様にどよめいた。

移動はレスが運んでくれるとして、魚と蛇の中間である大きな体をどう固定するかという問題があった。縄のようなもので縛りつけるか、大きな袋状のものですっぽり覆わないといけない。

とは言えルサールカの腰から下は優に3メートルはある。

あまり窮屈にしても体が辛いだろうし、どうしたらもんかと頭を悩ませていた。

「リュドとアルに頼んで、風の加護で運んで貰えば良いんじゃないかしら」

わたしの提案に、ふたりは難しい顔をした。

「3メートルくらいの荷物を運ぶだけなら訳無いんだけど、相手は水の精霊だからな。彼女の魔力と反発してしまって、うまくいかないんだ」

「そうですね。私たちふたりの加護を合わせても、力が足りないと思います」

なるほど、そんなことが起きるのか。

魔石を使う時と同じような原理だろうか?

種類の違う魔力と加護が反発してしまって、力を相殺する。

こうやって考えると、加護も万能ではないのね。


「それならば私の鱗を分けてやろうか」

隣にいたレスがそう言った。

「私の鱗を何枚か使えば、加護の力を底上げできる」

「そうなの?」

「そうだ。クロス派が知恵の日でハシバミ竜を狩りに行くのも、その後に控える祭事での魔力補充のためでもある」

隣にいたアブソレムが説明してくれる。

知恵の日とは思っていたより、色々と理に適った行事だったようだ。

「どうだろう、5枚くらいで足りるだろうか。私が運ぶ手間もなくなったし、5枚程度なら分けてやれるが」

レスの申し出をトーマに訳して伝えると、トーマは驚いた後、顎に手を当ててじっと何かを考え始めた。

「どうしたの?」

「うーん……、今年はできれば素材を何か持ち帰りたかったんだけど、他に方法もなさそうだなあと思って」

ルサールカの運搬のために鱗を使ってしまうと、持ち帰る分がなくなってしまうと言いたいのだろう。

レスの鱗はそんなに貴重なものなのかと、わたしは彼の体を軽く撫でながら感心した。

ひやっとした鱗が、触るたびに水面のように輝く。

「まあ、気持ちはわかる。去年のものは全て東ユイストック領の復興の為に使ってしまったんだろう?」

「そうなんだ。今年はさすがに国のために使わないと、土地が痩せていってしまうだろうから……」

話が読めなくて不思議そうな顔をしていると、アブソレムが簡単に説明してくれた。

そもそも知恵の日とは、その後に控えている聖豊穣祭のための魔力作りも兼ねている。

聖豊穣祭とは、国をより良くするための大切な祭りらしい。

知恵の日で手に入れた魔力は、通常は土地を肥やすために使われる。

だが去年は、その前の年に起こったゴード戦争の後始末に魔力を使ってしまったらしい。

去年は数年ぶりに鱗が手に入ったと言っていたことから、ここしばらくは土地のために魔力を使えておらず、このままだと土地が痩せて、作物の収穫に影響が出るようだ。

「もっと鱗が必要なら、もう少し持っていっても構わないが」

レスの言葉を、アブソレムがトーマに訳す。

「ハシバミ竜の申し出は有難いが、そこまでの対価を我々は用意できないのです」

トーマは悔しそうに握った手に力を込めた。

シーンとその場は静まり返り、皆どうしたらいいか考え込んでいる。

「それに、この森を癒すのにも力が必要だろう」

アブソレムがレスに向かってそう話す。

それを聞いて、わたしはハッとして声をあげた。

「あっ、そうだった!ちょっと、試してみたいことがあったのよ!」

突然の大声に面食らっている皆に、「ああ、ごめんごめん」と軽く謝ってから、近くの岩に座り、スカートからノートを取り出してページをめくる。

「一体なんなんだ?」

アブソレムが訝しげな顔をして覗き込んでくる。

「あのね……、森を癒すのには地面を乾かすと良いって聞いて……。確かこの辺に……、あったわ!」

目当てのページを見つけて勢いよく立ち上がる。

わたしの頭と顎がぶつかりそうになり、アブソレムは慌てて離れた。


「レス、ちょっときて!」

わたしはレスの翼を軽く握って、少し離れた場所へと誘導する。

「みんなは危ないから、そこで待っててー!」

そう叫んで伝えると、アブソレムが「危ないことはするな!」と叫び返してきた。

それを聞こえないふりをして無視し、魔石袋をごそごそ漁る。

「あった!これ、光の魔石」

レスに魔石を見せる。

彼は光の魔石と聞いてピンときたようだった。

「アリス、もしかして其方……」

「そう!ロータス派が土地を癒すところを、一度だけ見たの。最初はわたしだけでやるから、もしうまく行きそうなら少し手を貸して欲しいの」

レスは感激と困惑の入り混じったような顔をした。

「もし成功したら、そりゃあ嬉しいが……。危険はないのか?」

「やったことないから、危険があるかどうかは分からないわ。でもこれが成功したら、レスはずっと楽になるでしょう?」

レスはまだもごもご何か言っていたが、試してみたくてうずうずしていたわたしは右の手の平に光の魔石を乗せて胸の高さに掲げた。

左手でノートを広げて持つ。

そのページには、アニとアカラが光の加護を使った時の呪文が書き写してあった。

わたしは一度ゆっくり深呼吸してから、心を落ち着けて呪文を読み上げ始めた。


「我は、ロータスの光の加護を得たるものなり」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る