第43話 ハシバミ竜の鱗と人探し
低い声の正体は、やはりハシバミ竜だったらしい。
わたしはドラゴンを初めて見られるという興奮をどうにか抑えこみつつ、広場をキョロキョロと見渡した。
広場は全体がきらきらしていて、かなり視界が悪い。
太陽など眩しすぎるものを見た後のように、目がチカチカするのだ。
そこまで星明かりは強くないし、壁にも地面にも宝石など光りそうなものも特にないのに、と不思議に思う。
竜なんてどこにもいない、おかしいな、と思った瞬間、中心に立っている巨木の根元に、一際光る黄緑色の何かがいるのがわかった。
わたしはアブソレムの服の裾をぎゅっと掴んで、一歩前に出てそれをじっと見つめる。
ああ、彼がハシバミ竜だ。
初めて見たのに、何故か直感でそう分かった。
ハシバミ竜は巨木に体を預けるようにとぐろを巻いていた。
思い描いていたドラゴンの姿には程遠い、蛇ととかげの中間のような姿をしている。
大きさはとぐろを巻いているから良く分からないが、大型バスくらいはありそうだ。
体の長さに対して翼が小さすぎる。もしかしたら退化してしまって、もう飛べないのかもしれない。
そして姿形よりもわたしが心を奪われたのは、その体の色だった。
緑色と黄色の混ざりあったような複雑な色で、まるで水のように透けているようにも感じる。
発光しているかのような発色だ。
蜩の羽化を観察したことがあるけれど、ちょうど羽化したての蜩の色に似ている。
体そのものが宝石のようで、広場がきらきらしている理由がとてもよく分かった。
「さあ、もっと近くに」
耳の奥でそう声が聞こえ、わたしはアブソレムと目配せをしてからハシバミ竜に歩み寄った。
トーマ達は動かない。声が聞こえていないからだろう。
ハシバミ竜から2メートルくらいの場所まで近づくと、アブソレムが深くお辞儀をした。
慌ててわたしも頭を下げる。
「良く来てくれたな」
近づいても声は直接耳の奥で聞こえた。
口が動いていないところを見ると、テレパシーのようなものなのかもしれない。
ハシバミ竜は自分の体を載せていた頭を怠惰そうに持ち上げ、こちらを射るような目でまっすぐに見つめた。
深く澄んだ湖のような瞳だ。この瞳の前では決して悪いことはできない、という気持ちになり、少しそわそわしてしまう。
過去の悪事も暴かれてしまいそうだ。
わたしは特に悪事を働いたことのない小市民ですが、図書館で借りた本を期限内に返さないことが多々ありました。大変申し訳ございません。
わたしはあまりに荘厳な存在を目の前にして、心の中でそう懺悔した。
ハシバミ竜は一度ゆっくり瞬きをすると、静かに微笑む。
「借りたものは返さねばならない」
「ひいっ、ごめんなさい!」
竜の言葉にビシッと姿勢を正して謝ったわたしに、アブソレムがギョッとした顔で振り返る。
「一体なんなんだ?」
「いや、本を返すのがたまに遅れて……」
「全く意味がわからない」
彼はため息を短く吐くと、改めて竜に向き直った。
「ハシバミ竜。今年もクロスの知恵の日がやってきました」
「ああ。今年は例年になく、君達を待ち望んでいた。よく来てくれた」
竜は前足で地面を踏みつけて長い首を持ち上げようとしたが、力が入らないのかぐらぐらと揺れてしまい、うまく持ち上げられないようだった。
その時、ぐらりと大きく首が揺らいだ。
このままの勢いで倒れてしまうと、巨木の枝に頭が当たってしまう!
「危ない!」
わたしは慌てて飛び出すと、巨木と首の間に体を滑り込ませて両手を思い切り突っ張った。
しかしわたしの腕の力など全く及ばず、ビタンと首と木の間に挟まれてしまう。
だが木の表面がすべすべと滑らかだったので、特に体にダメージはなかった。
「アリス!」
アブソレムの焦った声が聞こえる。
「ああ、びっくりした。アブソレム、大丈夫よ!」
わたしは挟まれた状態のまま、アブソレムにそう声をかける。
そして竜の首をゆっくりと木から離して持ち上げてやった。
ハシバミ竜の肌はゾッとするほど冷たく、かつ案外柔らかかった。
「すまない。助かった」
竜は首を持ち上げると、軽く左右に振った。
「あなた、だいぶ弱っている気がするけれど、大丈夫なの?」
わたしはすぐ目の前にいる竜の肌にそっと触れた。
「ああ。君たちがケルピーを退治してくれたから、やっと動けるようになった」
ハシバミ竜はこちらをまっすぐに見ている。
長いまつげは透けていて固そうで、まるで水飴か翡翠のようだ。
「ケルピー?ケルピーのせいで弱ってしまったの?」
わたしの問いにはアブソレムが答えた。
「ハシバミ竜は森の主だから、木々が弱るとその力も衰えてしまう。森がケルピーの湿気で病んだせいで、ここまで弱ってしまわれたか」
「左様。でももう心配はない。そこの魔女のお嬢さんがあの駄馬を封じてくれたから、こうして裳抜けもできた」
竜は一度だけ頷いて微笑んだ。
「もぬけ?」
わたしは聞き慣れない言葉の意味を、アブソレムに尋ねる。
「脱皮のことだ」
「ああ、脱皮したのね!確かにそんな色ね。だからこんなに肌が柔らかいの?いつか硬くなる?このきれいな色はそのうち変わってしまうのかしら?」
わたしが手を叩いて矢継ぎ早にそう問いかけると、竜は驚いたように上目遣いでアブソレムを見た。
「申し訳ない。なんというか、この娘はいつもこうなので、悪気はなく……」
アブソレムの声が焦りを含んでいて、わたしはハッと口をつぐむ。
もしかして、もっと敬うべき存在だったかしら?
わたしがビクビクしていると、竜は少しだけ口を開けて笑った。
「ははは、いいじゃないか。私は気にしない。清々しくて良い子だ」
怒らせてはいないとわかり、ほっと胸をなでおろす。
見ると、わたしのよりもアブソレムのほうが、ずっとほっとした顔をしていた。
「よい。答えよう。言った通り、この色と柔さは裳抜けの直後だけだ。あの駄馬の湿気で鱗がやられてしまったので、早々に裳抜けをせねばならなかったのだ」
「あら、そうだったのね。今だけなんてもったいないわ、綺麗な色の鱗なのに」
手元の鱗をそっと撫でる。
エメラルド色の鱗は、瑞々しく輝いている。まるで螺鈿のような複雑な色味を持っていた。
「気に入ったのなら、君に一枚鱗をやろう。剥がすといい」
「えぇっ?いやよ、そんなことしたら痛いでしょう?」
ハシバミ竜の思いがけない申し出に、わたしは驚いてパッと手を離した。
鱗は1枚がわたしの顔よりも大きい。
こんなものを剥がしたら、絶対痛いに決まっている。
「別に構わない。私は君に、助けてもらった礼をせねばならない。それとも何か他に望みがあるか?」
望み?
うーん。望みって言われても、すぐには思いつかない。
今は勉強もたくさんできているし、衣食住にも不足はない。
わたしが頭をひねって考えていると、アブソレムが小さく咳払いをした。
あ、ああ!そうか。やっと思い出した。
ルサールカの想い人を探してもらう手筈だったんだわ。
「あの、望みって、人探しでも構わない?」
わたしがそう言うと、ハシバミ竜はわたしではなくアブソレムを数秒見つめてから、「話を聞こう」と答えた。
「ハシバミ竜。魔女の代わりに、私が説明してもいいだろうか」
アブソレムが一歩前に進み、そう聞いた。
アブソレムの話し方がいつもよりずっと丁寧なので、やはり竜は敬うべき存在なんだわ、と鱗に触れた手を離した。
ハシバミ竜はわたしとアブソレムの顔を交互に見て、「そうか、君が師か」と呟いた。
「魔女の師ならば、良い。人探しと言うたか」
「はい。実はそこの湖に、ルサールカがおりまして」
「なに、ルサールカ?なるほど、それで最近ヴォジャノーイがいないわけだ」
ハシバミ竜の言葉に微かな聞き覚えがあり、わたしはつい口を出してしまう。
「ヴォジャノーイ?」
「大きなカエルのような精霊だ。なかなか口が上手くてな、たまに暇つぶしの相手をさせておったのだ」
わたしは他に何の生き物もいない洞窟を見渡す。
とてもきれいなところだが、確かにたった独りきりでここにいるのは孤独だろう。
竜は随分退屈していたに違いない。
「この森の湖には昔からヴォジャノーイが住んでいたのだ。森の名前の由来にもなっている」
「ああ!」
聞き覚えの正体が判明して、手を打った。
そうだわ、ここはヴォジャノーイの森だったわね。
「森の名前にもなるし、ハシバミ竜の話し相手にもなるんだったら、いい精霊?」
「ヴォジャノーイは通行人を水に引きずり込んで溺死させる」
「それじゃルサールカと同じじゃない!」
アブソレムの説明に、食い気味に突っ込んでしまった。
え?でも、アルはこの湖で泳いで遊んでいたって言ってたわ。
どういうことだろうと、手を顎に当てて考える。
「いいや。ここのヴォジャノーイは人を襲わなかった」
ハシバミ竜の言葉に反応したのはアブソレムだった。
「なんと、人を襲わないヴォジャノーイとは珍しいですね」
「たまに遭難者を湖まで引きずってきてはいたが、ほとりに辿り着くと離してやっていた」
ほとりに着くと離してやっていた?
森の入り口から湖までは道がきちんと作られていたから、そこまで連れてきてもらったら帰り道はわかるはずだ。
要は遭難者を助けてあげていたということだろう。
「その子はきっと、いいヴォジャノーイなのね」
わたしと竜はお互いに微笑んで顔を見合わせたが、アブソレムだけは納得していないような表情をしていた。
「おかしいな、ヴォジャノーイは人を溺死させることで満足感を得る精霊のはずだ。他に何か精神的に満たされるような事柄があったのだろうか……」
ブツブツ小声で呟いているアブソレムに向かって、わたしは咳払いをした。
「あ、ああ……。申し訳ない、説明が終わっていなかった」
それから彼はルサールカと話し合ったことや、その間ケルピーが出てきたこと、それを凍らせていることなどをザッと掻い摘んで話した。
説明を聞き終えると、竜は巨木を見上げてしばし考えこんだ。
「相分かった。ルサールカの想い人を探し出そう」
それを聞いて、わたしはワッと歓声をあげる。
「ありがとう!」
竜は得意げに笑う。こうしている間にも、顔色がだいぶ良くなったみたいだ。
体の色も少しずつ、落ち着いた色味になってきた。
調子が戻りつつあるのだろう。
「木の裏に古い鱗を貯めている。魔女よ、悪いが1枚取ってきてくれないか」
「ええ、まかせて」
わたしは木の反対側に回った。
根に近い、大きく幹が抉れている部分に鱗がたくさん置かれている。
埃を被っているところからして、少し古いものだろう。
それでも鱗の輝きは全く衰えておらず、みずみずしい輝きに満ちていた。
「これでいいかしら?」
わたしが鱗を持っていくと、竜はよしよしと頷いた。
「魔法使い。ルサールカから何か預かったか?」
「髪を」
アブソレムは胸ポケットから小さな小瓶を取り出した。
中にはきらきらと光る髪がひと房入っている。
きっとルサールカの髪なのだろう。
「よろしい。魔女、鱗を皿のように水平に持っていてくれ」
言われた通りに、両手でまっすぐ持つ。
鱗は大きいけれど軽いので、全く苦ではなかった。
「魔法使い、ルサールカの髪をその上に」
アブソレムが小瓶を鱗の上で傾ける。
重力などまるでないようにふわふわと髪が漂い鱗に触れた時、ぶわっとものすごい風が吹いた。
後ろの方で、トーマ達の短い悲鳴が聞こえる。
風はそのうちに大きなつむじ風になり、巨木の木がザワザワと、まるで話し声のように葉を鳴らしている。
ハシバミ竜は、それをじっと耳を澄ませて聞いていた。
「分かった」
竜の声に反応するように、突然ピタリと風がとまる。
吹かれて落ちた葉がヒラヒラとわたしの肩に落ちてきた。
「すぐ隣の町にいるな。小高い丘の上に林檎の木が見える。石の家に住んでいて、名前はウルリウス」
アブソレムは頷くと、後ろにいるリュドへとそれを伝えに走っていった。
すごい。本当に人探しが一瞬で出来てしまった。
わたしは興奮で、持っている鱗が震えるのを感じた。
「魔女、それはもう不要だ。捨てて良いぞ」
竜がわたしの持っている鱗を指差してそう言う。
つむじ風のせいでルサールカの髪はすっかり消えて無くなっている。
「もういらないの?それなら貰ってもいいかしら?」
ぎゅっと鱗を握ってそう言うと、竜は首をかしげるように動かした。
「使ってしまったから、もう魔力はないぞ」
「魔力は別にいらないのよ。ただキレイだから、何かに加工して使えるかもって思って」
その言葉に、竜は目を丸くして大きな声で笑いだした。
巨大な口がぐわっと開き、鋭い牙が光る。
「そうか、私の魔力はいらないか!」
「え?いやいや、あの、別にいらないっていうわけではなくて……!」
気に障ったかと思い、慌てて言い訳をする。
アブソレムが笑い声に驚いて、こちらを振り返ったのを背中で感じた。
竜はひとしきり笑うと、息を整えてからこちらを見た。
「安心しなさい。怒っているわけではない。嬉しいのだ」
「へ?」
「ここに来る者たちは、私の魔力を目当てにした者たちばかりだ。クロスの者達だって、いつも来て早々、何かを寄越せと言って捥ぎ取って帰って行くばかり。退屈なもんだ」
ああ、そうか。
わたしは知恵の日で狩られる側である、ハシバミ竜の気持ちを考えたことはなかった。
きっとクロス派のみんなもそうだろう。
確かに、よく考えるととても失礼な話だ。
何かが欲しいなら、せめてお茶や宴会でもてなして、竜を楽しませるくらいしなくては。
「そうだな。そうしてくれれば、もっと気持ちよく色々と渡してやれるだろう」
竜が心を読んだことに気がついて、わたしはバツが悪くなった。
「もう。心を読まないでほしいわ……」
「勝手に流れて来るのだ。それに魔女は、心で思っていることも、実際に口に出ていることもどちらも同じではないか」
からかわれていると思い、わたしは腕を組んでそっぽを向く。
竜はまたクスクス笑うと、「その魔力の尽きた鱗を欲しいと言ってくれて、ありがとうよ」と呟いた。
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