第42話 精霊の声
結局、フウゴは7割近い人数を引き連れて元来た道を戻って行った。
帰宅を自ら希望したのは2割程度だったのだが、アブソレムが帰れと判断した者がとても多かったのだ。
そのため、「3割しか先には進めなかった」というのが言い方としては正しいだろう。
「さて、それではさっさとハシバミ竜に会いに行こう」
アブソレムはそう言うと、薬箱から木の枝をごっそりと取り出した。
今朝採ってきたばかりのビーチの枝だ。
「え?ビーチを使うの?」
「そうだ」
アブソレムはひと枝ずつ兵士たちに配りながら適当に返事をした。
「でも、これを使うことにならなければいいがなって、言ったよね……」
不安な気持ちのまま、差し出されたひと枝を受け取る。
ほぼ全員に枝は行き渡ったが、アルだけは渡してもらえなかった。
「え?いや、俺のは?ないの?」
アルが手のひらを上に向けてヒラヒラとアピールをするが、アブソレムは目もくれずに薬箱を漁っている。
「君はこっちを持っていなさい」
薬箱から取り出されたのは鉄製のケトルだった。
みんながビーチの枝を持っている中、ひとりだけケトルを渡されたアルの姿が面白くて、わたしは吹き出してしまった。
「なんで俺だけケトルなんだ!?」
「君は精霊に好かれすぎる。彼らは鉄が苦手だから、精霊避けだ」
「でもケトルの他になんかあるだろ!もう、アリス!そんなに笑うなよ!」
アルが顔を赤くして怒っているが、いくら怒っても森の奥でケトルを持っている姿が滑稽なのには変わりない。
なぜだかツボに入ってしまい、笑いを収めるのに苦労した。
「それではハシバミ竜の待つ鉱山へと行こう。ここからそう遠くはないから、すぐに着くだろう」
兵士たちやトーマがアブソレムを中心に取り囲み、皆静かに説明を聞いていた。
わたしは笑い防止のため、ケトル持ちのアルの姿が目に入らないように気をつけねばならなかった。
「だが、この森は精霊や妖魔が多すぎる。なのでこのビーチの枝で、足元を払いつつ進んでもらいたい」
アブソレムの説明に、皆ポカンとした。
枝で足元を払ったからと言って、一体どうなるんだろう?
絶対誰かがそう質問するだろうと思っていたが、説明が終わったと分かると皆バラバラに散って隊列を組み始めた。
「え?みんなどうして枝で足元を払うのか、その理由を聞かないの?」
理解できずにトーマにそう問いかけると、彼は苦笑して答えた。
「普通、魔法使いの言うことにいちいち理由は聞かないよ。よく分からないけど、アブソレムがそう言うのならその通りにしよう、って皆思っているんじゃないかな?」
トーマの言葉に、周り兵士達もウンウンと頷いた。
「理由を説明していただいても、どうせ俺らには理解できないからな」
「魔法使い様の言う通りにしておけば、悪い事にはならないさ」
兵士たちはそうだそうだ、と口々に言いながら隊列を整え、進んでいく。
わたしは何故皆が知りたいと思わないのか全く飲み込めないまま、隊列の後ろにいるアブソレムに合流した。
「アブソレム!ビーチの枝についてだけど……」
食い気味にそう質問すると、アブソレムは足元を枝で払いながら目だけでこちらをチラリと見た。
「ビーチの葉のこすれる音は、深く隠された精霊の声を届けてくれる」
思っても見なかった理由に、わたしは持っている枝を見つめた。
「できるだけ葉の擦れる音だけを聞くようにして歩いてみろ。色々な声が聞こえてくるようになる」
本当に?そんなことある?
わたしは疑いながらも葉の音に耳を澄ませてみる。
だが、これが案外難しかった。葉の音以外の雑音が多すぎるのだ。
ザッザッと歩く兵士たちの足音、鎧の擦れる金属音、たまに聞こえる水の音。
兵士たちのヒソヒソ声まで聞こえてしまう。
「うーん……。うまくいかないわ。兵士たちのおしゃべりまで聞こえちゃう」
わたしが唸ると、後ろを歩いているアルが不思議そうに言った。
「いや、今は誰も喋ってないぜ?」
「え?」
わたしは驚いて隣のアブソレムの顔を見る。
彼は「それが精霊の声だ」と言った。
「こんなにハッキリ聞こえるの?」
「我々にはな。昔の魔法使いはいつでも森の精霊の声が聞こえたらしいが、今はもうビーチの助けがないと聞き取れなくなってしまった」
「みんなには聞こえていない?」
「稀に聞こえる者もいるらしいが、基本的には魔法使いと魔女にしか聞こえない」
なるほど、みんなが理由を聞かないはずだわ。
理由を知ったところで自分にはそれを感じ取れないのなら、聞いても無駄と判断するのも理解できる。
改めて枝の音に耳を澄ませる。
確かにささやき声、ヒソヒソ声が聞こえる。
クスクス笑う声も混じっている。
どうやらこちらの様子を伺っているようだ。
遠巻きに噂されている時と似ているが、特に嫌な感じはしない。
「やはりレプラコーンがいるな。ラレスもいる。笑っているのは木の鳩だろう」
アブソレムは目を閉じて耳を澄ませている。
どうして目を閉じているのに、こんなに足場の悪い森をまっすぐ歩けるのだろうか。
「木の鳩?」
「木と水の精霊だ。罪を犯した者が近づくと、側から離れずずっとなじるように鳴き続ける」
「うわ。めちゃくちゃ嫌な鳩ね」
わたしも真似して目を閉じて音を聞いてみるが、ただよろけるだけだった。
「だめだわ。全然分からない。わたしもいつかアブソレムみたいに精霊の声が聞き分けられるようになるのかしら?」
肩を落としてそう言うと、アブソレムは目を開けて呆れた顔をこちらに向けた。
「初めて聞いたのだから、分からなくて当然だろう」
「そうだけど……」
わたしが俯くと、彼は小さなため息をついた。
「これから覚えていけばいい。現に君はもうルサールカとケルピーの声なら聞き取れるだろう?」
その言葉に、わたしはブルッと震えた。
「確かにそうだけど、声を覚えるためにいちいちあんな目に合ってたらたまったもんじゃないわ!」
アブソレムはフンと鼻で笑うと、「そうやって覚えていくもんだ」と呟いた。
ビーチの枝で足元を払いながら、一行は黙々と進んだ。
精霊たちの噂話はコソコソと聞こえ続けたが、どの声にも悪意はなかったため安心して歩くことができた。
アブソレムは時折何かの声を聞きつけて立ち止まり、じっと暗闇を見つめていた。
わたしもその度に一緒に立ち止まり、何かの声が聞こえやしないかと一緒に耳をそばだててみたが、聞こえるのはヒュウヒュウと言う風の音や小さな笑い声だけだった。
アブソレムの説明の通り、目指している鉱山跡はすぐに見えてきた。
朽ちた手押し車や籠がポツポツと落ちていて、この森に入って初めて人の気配を感じられた。
「相当古いみたいね」
鉱山の入り口に着いたわたしは誰にともなくそう言った。
「私の祖父の代に閉山されております」
いつの間にか近くにいたリュドが答えてくれる。
森の中を歩いてきたのに、姿勢にひとつも乱れがない。
ピシッとした姿勢なのに、遊び歩く子供のようにビーチの枝を持っているのがなんだかミスマッチで面白かった。
前方を歩いていた兵士たちはアブソレムやトーマが着くのを待っていたらしく、誰も鉱山に足を踏み入れてはいないようだ。
鉱山からは冷たい空気が流れ出ていて、何の音もしない。
「ここからは、より人数を絞って進む」
指名されたのは兵士がふたりと、リュド、トーマ、アル、そしてわたしだった。
残される護衛の兵士たちは連れて行って欲しいとざわめいたが、トーマがすぐに皆を静めた。
ビーチの枝を鉱山の入り口に置いて、わたしはそろそろと足を踏み入れる。
鉱山の中はシンと静まり返っていて、たまに天井から落ちる水滴の音が響いた。
湿っていて空気が冷たいが、嫌な感じはしない。
それどころか、滝の近くにいるような清涼感がある。
息を吸うたびに肺が洗われる気がした。
足音がしないと思ったら、地面は一面苔で覆われていた。
ふわふわでまるで絨毯のようだ。
洞窟の奥にまで苔が生えているのなら、どこかに光源があるのだろうか?
そういえばアピの火も無いのに歩けている。
不思議に思って天井を見上げると、小さな穴がたくさん空いているのがわかった。
採光窓のような役割の穴だろうか。
でも太陽も出ていないのに、どうして採光窓から光が漏れているんだろう?
「穴の向こう側には光苔が密生しているらしいな」
わたしがじっと天井を見つめているのに気がついたアブソレムが教えてくれる。
「さて、着いたな」
アブソレムは町の八百屋にでも来たような気軽さだ。
なるほど、これは光苔の光か。
淡い黄緑色の光は、眩しすぎず、でもしっかりと足元を照らしてくれる。良い光だった。
「ここはものすごく気持ちいいところね」
わたしがそう言って深呼吸すると、低い声が聞こえた。
「それはどうもありがとう」
その声があまりに近いところから聞こえたので、わたしはバッと耳を手で押さえた。
耳の中で声がしたのでは無いかと思うほど近くだ。
「アアア、アブソレム」
耳を手で押さえたまま、アブソレムに声をかける。
彼は大丈夫だから耳から手を離しなさいと喋らずにジェスチャで伝えてきた。
わたしはそろそろと手を下ろす。
じっと耳をそばだてていると、またも低い声が耳の奥で聞こえた。
「そのまま真っ直ぐ進みなさい」
とても低い声だ。低すぎて、しっかり集中して聞かないと聞き取れない。
空気の震えがそのまま声になったような響きだ。
真っ直ぐ進めと言われて従っていいのか迷っていると、アブソレムは御構い無しにサッサと先に歩いていく。
声の主は悪い精霊ではないらしい。これがハシバミ竜の声なのだろうか。
わたしの不安げな顔をトーマとアルがチラチラと見ている。
わたしとアブソレム以外にはこの声は聞こえていないらしい。
「もう少しでひらけた場所に出る」
耳の奥で聞こえすぎて、耳が痒くなってきた。
わたしは耳を触りながら、アブソレムに追いつき、隣に並んで歩くことにした。
低い声の言う通り、そこから30メートルくらいでぽっかりと開いた大きな場所に出た。
わたしの通っていた小学校のグラウンドくらいはありそうな広さだ。
さきほど歩いていた洞窟よりもずっと明るい。
なぜだろうと上を見上げ、アッと声を出してしまった。
そこに広がっていたのは夜空だった。
周りに光源が全くないからか、驚くほどの星の数だ。
洞窟からドーム状に広がった天井は、途中で崩れ落ちたようにぽっかりと大きな穴が空いており、そこから一面の夜空が見えるのだ。
広場の中心には巨木が1本立っており、豊かに葉を茂らせていた。
星の光が強すぎて、幅の広い葉が薄く透けて見える。
あまりの美しい光景に、わたしは口をポカンと開けて眺めてしまった。
「まるで夢みたいなところね」
耳の奥の声が、わたしの言葉に軽く笑った。
「先ほどから、我が家を良く褒めて貰えて嬉しいよ」
我が家?
ということはやっぱりこの声の主はハシバミ竜なんだわ。
わたしは夜空から目を離して周りを見渡す。
今来た道と同様に、広場を取り囲むようにいくつか脇道が伸びていた。
帰り道が変わらなくなると危ないと思い、振り返って今来た道の特徴を探す。
だが、いくら見てもなんの特徴も見つからない。
わたしは仕方なく、ポケットから割れたアルの魔石を半分取り出して、目印として置いた。
「貴方はハシバミ竜ですか」
アブソレムが小さな声でそう尋ねる。
そんな小さな声じゃ聞こえないのではないかと心配したが、低い声はすぐに答えてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます