第39話 アリスの説明
リュドがやっと頭を下げるのをやめた時、湖の方から声が聞こえた。
まさかケルピーが氷から抜け出したのかと慌てて振り返ると、そこには眉間に皺を寄せたアブソレムが立っていた。
「アブソレム!!」
わたしはあまりに嬉しくて大声で名前を呼んで駆け寄る。
アブソレムがいる。わたしのすぐ側にいる!
ああ、それだけでなんて安心するんだろう。
感激のあまりアブソレムに抱きつこうとしたわたしの腕はさっと躱され、心許なく空振りする。
「ちょっと、なんでよけるのよ!」
「いや、あまりに汚れているから……。なんだ?一体何をした?」
そう言われ、自分の服を見下ろす。
確かにボロボロだ。
全体的に泥汚れがべったりとつき、ガウチョパンツは所々破れ、焦げている箇所もある。
せっかく作ってもらったばかりなのに、もったいないことをした。
「ああ、そうそう。ケルピーが出たのよ」
わたしのその報告に、アブソレムだけでなくトーマやリュドまでギョッとした顔になった。
「いやいやいやいやいや。アリス、その報告の仕方は無いんじゃないか?」
トーマが信じられないとでも言いたげな顔で口を出してきた。
後ろでリュドもブンブンと頷いている。
どうやらわたしの説明の仕方が悪いらしい。
「どういうことだ?意味がわからない。順を追って話せ」
アブソレムにも詳細を求められ、わたしはトーマの方をチラチラ見ながら指を折って順に説明する。
「ええと、ケルピーがきて……。アルが魅了されたから穴に落として、トーマとやっつけたのよ」
わたしが「これでどう?」とジェスチャでトーマに問いかけると、彼は目をぐるりと回してため息をついた。
どうやら今度の説明もダメだったらしい。
「は?アルが穴に……?どういうことだ?ケルピーは光の魔石で追い払ったのか?」
「え?いいえ。光の魔石で追い払えるの?」
アブソレムはわたしの顔をじっと見つめてポカンと口を開けた。
「は?光の石を使っていない?それではケルピーはまだその辺にいるのか?」
「え、だからやっつけたって言ったでしょ?わからない人ね」
あまりの話の通じなさに軽い嫌味を言うと、にっこり笑ったトーマに肩を叩かれた。
「アリス。説明は僕がするよ。いい?」
そのトーマの目がケルピーを煽っている時と全く同じで、わたしはゾッとして後ろに一歩下がった。
この目のときのトーマには逆らえない。
それからトーマが簡単に成り行きを話した。
ケルピーが現れて、アルに魅了をかけたこと。わたしが使った魔石の種類、危険があったこと、最終的に氷漬けにしたこと。
そこまで話すとトーマは一呼吸置いて、申し訳なさそうに続けた。
「それで、なかなか凍らすことが出来ず……。結局、アリス共々凍らせてしまったんだ。僕は君の弟子に攻撃した。申し訳なかった」
アブソレムに向かって深々と頭を下げる。
「え、やだ。謝らないで。あの時は仕方なかったんだから」
予想外の展開に、慌てて彼らの間に入っていく。
まさかアブソレムに対して謝るとは思っていなかった。
アブソレムの様子を横目で伺うと、彼は目をつぶって俯き、片手で頭を押さえていた。
いつもの「ただいま呆れかえっていますポーズ」だ。
表情は読み取れない。気不味い沈黙が流れる。
トーマとリュドは深く頭を下げたままだ。兵士たちに至っては皆跪いている。
「……アリス」
「はいっ!」
沈黙を破ったアブソレムに突然名前を呼ばれ、勢い良く返事をする。
この感じはもしかして、怒られるのだろうか?
ビクビクしてアブソレムの顔を伺うが、未だに無表情のままで、何を考えているのか掴めない。
「怪我はないのか」
「へっ?」
またもや予想していなかった言葉に、目を丸くする。
「怪我……?は、ないわね。あの、アルはまだ確認していないから分からないけど」
手をヒラヒラさせて元気なことをアピールする。
どこも折れていないし、氷から早く出られたため結局凍傷もない。至って元気だ。
その手を掴まれ、じっと見つめられる。
ここにいる全員がアブソレムに手を掴まれているわたしに注目していた。居心地が悪い。
「怪我をしているではないか」
アブソレムはため息をつきながらゆっくり手を離す。
わたしは自由になった手を顔の高さまであげ、閉じたり開いたりして見た。
「怪我って言っても、火傷や擦り傷よ。なめときゃ治るわ」
アブソレムはそれを聞いてこちらをギロリと睨んだ。
黙っていろということだろう。怖すぎる。
「魔女に怪我をさせ、命を救われたな」
アブソレムがトーマに向かって、静かに話しかける。
その声がいつもよりずっと冷たくて、トーマだけでなくリュドや兵士たちも今一度居住まいを整えた。
アブソレムはわたしの姿を一瞥してから目を閉じる。
次の言葉を考えているようだ。
トーマとアブソレムの仲にヒビを入れるのだけは嫌だと思い、アブソレムの服の裾をぎゅっと掴み、軽く横に首を振る。
大丈夫だから、ひどいことを言わないで、と目だけで訴える。
アブソレムはそれを見て嫌そうに眉間に皺を寄せたが、諦めたように小さく息をついた。
「……今後有事の際は、同様に命をかけて魔女を救うのだ」
その言葉に、ホッと肩の力を抜く。
トーマの顔を笑顔で覗き込むと、彼は呆気にとられたような顔をしていた。
「アブソレム、それだけでいいのか?」
アブソレムは肩を竦めて見せる。
「今回のことは、私が精霊のことをもう少しアリスに叩き込んでおけば防げたことだ。私にも責任がある」
「そうね!その通りだわ!だから帰ったらケルピーのこと、絶対教えてちょうだいね!」
わたしのワクワクした声に、トーマとアブソレムは顔を見合わせて盛大なため息をついた。
「それで、ルサールカはどうなったの?」
話がひと段落したのを確認して、湖のほうを見ながら聞く。
岩の上には相変わらずルサールカが佇んでいるが、もう歌ってはいない。
「ああ。ルサールカが欲しているのはたった一人の男だ。それを見つけてくると約束した」
アブソレムはアルの落ちている穴を覗き込んでいる。
あ、そういえば落ちたままだったわ。
話に夢中で、リュドに助けてもらうのを忘れていた。
「全くだらしがない。アルをルサールカに引き渡してしまおうか」
「だめよ。最後はアルのおかげで助かったんですからね」
「は?どういうことだ?まだ聞いていない話が出てくるのか」
勘弁してくれ、というアブソレムと一緒に、リュドがアルを浮かせて穴から救出するのを眺める。
「大丈夫。あとで全部説明するから」
わたしがそう言うと、アブソレムは口元だけで薄く笑った。
「君の説明には期待できん」
ぐったりと気絶したままのアルが穴から救出された。
火傷が心配だったが穴が深かったためか、どこにも怪我はないようでホッとした。
「気付け薬が必要だな」
アブソレムはアルと一緒に穴へと落ちていた薬箱からミントの煮出し液を取り出した。
先日彼が手を痛めた時に、湿布として使ったものの残りだ。
「気付けって初めて見るわ。それ、ミントよね?」
「本当は強い酒に混ぜて飲ますんだが、あとで大量に酒が必要になるからな」
そう言いながら、ミントの煮出し液をアルの顔にバシャッと雑にかけた。
そ、そんなやり方なの!?
顔中がめちゃくちゃスースーしそう!
「うわあああ!!なんだ!?」
アルはガバッと飛び起きた。
手順はどうあれ、気付けは成功したらしい。
「なんだ!?敵か!?か、顔だけ異常に寒いぞ!目が開けられない!」
起きた途端にギャアギャアと騒ぎだした。
わたしは冷静に体を観察する。
うん、腕も足もみんな動いている。骨折もなさそうだ。
「静かにしなさい。まだ森の中だ」
アブソレムがタオルを渡したのを受け取り、顔を拭う。
沁みるのだろうか。目から涙が出ていた。
「森……?あっ、そうだ!……あれ?俺、何してた?」
「君がケルピーの魅了にかかったのを、アリスが助けてくれたんだよ」
トーマが事の次第を説明してくれる。
アルは説明を聞きながら、どんどん顔色が悪くなっていった。
「大丈夫?沁みるよね?体調が悪いの?」
「いや、そりゃ沁みるけど……。それよりも自分の不甲斐なさに打ちのめされている」
とうとうアルは目から涙を流したまま座り込んでしまった。
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