第38話 ケルピーとの戦い

氷の鷹は何度も体当たりをして、そのたびに少しずつケルピーの体を凍らせていた。

ケルピーは怒り狂って地面を蹴り上げ叫んでいる。

その時、鋭い蹴りが片方の鷹に当たり、粉々に砕け散った。

「チッ」

トーマは手に力を込め、また一羽作り出す。

ていうか今、舌打ちしたわね、王子様。

ケルピーは鷹が砕け散ったのを見て、活路を見出したように余計ジタバタと暴れ出した。

これでは氷の鷹はもちろんのこと、側に倒れている兵士たちの体を踏んでしまわないか気が気ではない。

あの蹴りが当たればひとたまりもないだろう。

わたしは土の魔石で周囲を粗方消火し終わったのを確認して、魔石袋の中を探る。

どうにかケルピーをじっとさせておくことはできないだろうか?

氷で足元を凍らす?でも、わたしの水の魔石で氷が作り出せるのかどうか分からない。

土の魔石で足場を悪くする?

……だめだ。もう土の魔石はふたつとも使ってしまった。

どうしてもっとたくさんの魔石を持ってこなかったのかと後悔する。

火も水も使ってしまって、残りひとつずつしかない。慎重に使わなければ。


そうだ。地面を蹴って暴れているのだから、地面をなくせばいいんじゃないだろうか?

地面がなければ……。どうやってなくせばいい?

魔石袋の中を引っ掻き回してヒントを探す。

袋の中には緑色の風の石がまだふたつとも残っている。

風の加護はミナレット派のアルが作ってくれた石だ。

アルはどうやって風の加護を使っていたっけ?

手紙を飛ばして、ここまで移動して……そして宙に浮いていた。

そうだ!最初に会った時、アルは宙に浮いて見せてくれた。

地面をなくすのではなく、ケルピーを浮かしてしまえばいいんだわ!

わたしは風の石を掴むと、暴れるケルピーに向けた。


「風よ!ケルピーを浮かせて!」

風の石は緑色にパッと光ると、粉々に砕け散った。

石から発せられた緑色の光がケルピーに向かって真っ直ぐ飛んでいき、体を包み込む。

光はそのまま暴れるケルピーを持ち上げるが、地面から数センチ浮いただけで止まってしまった。

前足は浮いたが、後ろ足はまだ地面を蹴れるらしい。暴れ続けている。

「ど、どうして!?」

わたしは粉々になった手の中の魔石を見て叫ぶ。

どうしてうまく操れないんだろう?

土や水、火はもう少しうまく操れたのに?

ケルピーがまた一羽、鷹を地面に叩きつけて砕いてしまった。

トーマはすぐに新しい鷹を作り出すが、どんどんと眉間に皺が寄ってきている。

さすがに負担が大きいらしい。

わたしは自分の手をじっと見つめて、どうしたらいいのか考える。

手はぶるぶる震えていた。


どうして浮かせないの?今までと何が違った?

水の魔石からは水が出たし、火の魔石からは火が出たわ。

土の魔石からはちゃんと園芸用だけど、土が……。

そこでハッとした。もしかして、使ったことのあるものしかうまく操れないのだろうか?

火はもちろん日常的に使っている。水はバケツから出てきた。

土は園芸用の土であった。どちらも今までに使ったことのある、見覚えのあるものだった。

わたしは物を浮かしたことはない。

だからうまく使えないとすれば、説明がつく。

でも、わたしは物を浮かしたことはないけれど、自分が浮いたことはあるわ!

アブソレムと乗った箒や、アルとこの森に来た時のことを思い出す。

わたしは自分のするべきことが分かり身震いした。

息を飲んでから、再度風の魔石を手に取る。

うまくいくかわからないけれど、このままではみんなが危ない。

せっかくトーマがここまで追い詰めてくれたんだから、この機会を見逃してはいけない。

やるしかないんだ。

「トーマ、わたしを避けなくてもいいわ!そのまま攻撃していて!」

わたしはトーマに向かってそう言うと、ケルピーに向かって全速力で走った。

「えっ!?アリス、危ない!!」

トーマが背後で悲鳴をあげるのが聞こえた。

悲鳴を無視して走り、ケルピーの背後に回る。

しかし後ろ足が暴れまわっていて近づけない。

……馬の背後に立つなと、何かの本で読んだことがあるわ。

頭の一部がいやに冷静にそんなことを考える。

一度でも蹴られたら命が危ないだろう。


「アリス、何をしてるの!?」

トーマの慌てた声が聞こえる。

「どうにかして乗りたいの!!何かいい案はない?」

「なんで乗るの!?」

トーマが理解できないとでも言うように、困った声をあげた。

そりゃそうだろう。でも、説明している暇がない。

「ああもう、仕方ない……!いくよ!」

トーマが合図すると、二羽の鷹が一斉に両後ろ足に向かってぶつかった。

勢いが強すぎて、二羽ともそのまま砕け散る。

一瞬だけケルピーはピタリと動きが止まった。

その隙を見逃さず、すかさず背中に這い上がる。

ケルピーの後ろ足の氷はすぐに割れてしまった。さすがに馬の一番強い部分だ。

暴れているせいで狙いも定めにくく、氷の強度が持たないらしい。

トーマが叫び声をあげながら、また鷹を作り出しているのが視界の端に映った。

「馬鹿者が!この私に触れたな!」

ケルピーがそう高笑いする。

わたしは振り落とされないように半分凍った鬣を必死で掴んだ。

「風よ、浮かせて!」

先ほどとは比べ物にならない明るい緑の光がカッと輝き、そのままわたしはケルピーと一緒に勢い良く空へ舞い上がった。



あまりに勢い良く空に飛び上がったので、わたしは重力に押しつぶされそうになっていた。

子供の頃に行った、遊園地のフリーフォールを思い出す。

乗るまではとてもワクワクしているのに、座席に座った瞬間に後悔する。

わたしはいつもそうだ。

一瞬で3階建くらいまでの高さに飛び上がった。

ケルピーは高笑いしている。

彼の体は点々と半分ほど凍りついており、片方の目は完全に潰れていた。

「馬鹿者め、私に触れたな!このまま湖へ!」

わたしはケルピーに触れている手と足が、体の中へとズブズブと埋まっていくのを感じて叫び声をあげる。

ケルピーの体の中の感触は沼のようだ。埋もれてしまった腕はもう動かせない。

もう追加の魔石が使えなくなってしまった。

ケルピーはこのまま湖へわたしを連れていく気らしい。

半分凍っているくせに、空中を泳ぐように前へ進んでいく。

わたしはそれを止めるため、留まるように風の加護へ念じる。

だが、頭の中で念じて加護を使うことに慣れていないせいか、ずるずると湖の方角へと引き寄せられてしまう。まるで負けが決まっている綱引きのようだ。


その時、トーマの二羽の鷹が飛びかかってきた。

ケルピーは鷹に当たるたびに悲鳴を上げるが、わたしを避けているせいで体全体を凍らすことができない。

「トーマ、いいのよ!わたしごと凍らせて!」

「そんなことできるはずないだろ!」

トーマがわたしたちを見上げて追いかけながらそう叫ぶ。

湖の端がもうすぐそこだ。

あの中に一歩でも入ったら終わりだと直感で分かる。

「わたしなら大丈夫!凍っても、アブソレムが絶対治してくれるから!」

トーマが両手で鷹を操りながら苦悶しているのが見える。

もうだめだ。ケルピーの凍った前足が湖に触れてしまう。

「早く!手遅れになる前に!」

わたしがそう叫んだ瞬間、体に鋭い痛みが走った。

二羽の鷹がケルピーに体当たりして砕けたのが視界の端に映り、そちらを向こうとするが頭が動かせない。

わたしの体はケルピーごと完全に凍っていた。

凍りついたまま、地面へ落ちていく。

遠くでトーマの悲鳴が聞こえた。



すぐ近くにいるはずなのに、氷を挟むとこんな感じに聞こえるのね。

まるで水の中にいるみたいだ。

あ、でも氷も元は水だもん。当たり前と言えば当たり前か。

わたしは意識がぼんやりと遠のくのを感じていた。

肌が冷たすぎて、逆に熱く感じる。これは助かるかしら?うまく行っても凍傷にはなるわね。

他はどうでもいいけど、右手の指は残って欲しいなぁ。

ペンが持てないと、ノートが取れないよ。

ヤオは凍傷になった時、こんな気持ちだったのだろうか。

アブソレム、うまくいったかなあ。

湖の中のみんなが、無事に助け出されるといいけど。


どんどんと眠くなってきて、目を瞑りたかったけれど、凍ってしまった瞼は下ろせない。

感覚がなくなったようだ。全身凍えているのに、おなかだけが熱い。


え?

どうしておなかが熱いの?


そう思った途端、氷の割れる物凄い音がして、わたしは何かに強く押し出された。

押し出す力が強すぎて、近くの草地まで吹っ飛ばされてごろごろと転がる。

まるでおなかで豪速球を受け止めたようだ。

おなかを抑えてゲホゲホと咳き込む。

なに?一体何があったの?

「アリス!!」

向こうからトーマが血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。

彼も相当疲弊しているようで、ボロボロになっていた。


「ああ、トーマ。びっくりしたわ」

「びっくりしたのはこっちだよ!!」

わたしが目をパチパチしてそう言うと、トーマは大声で怒鳴った。

「あんな無茶をするなんて!僕、アリスを殺してしまったかと……!」

トーマは転がっているわたしの横に膝をついてしゃがみこんだ。

瞳が揺れている。相当心配したのだろう。

「ごめんね、これしか方法が思いつかなかったもんだから」

上手くいってよかった、とわたしが笑うと、トーマは眉を下げて困惑した顔をする。

「それにしても、なんでわたしだけ飛び出したんだろ?トーマ、なにかした?」

湖のそばで凍りついて転がっているケルピーを見ながら、わたしはそうトーマに聞いた。

「いや、なにも……。アリスが何かしたのではないの?」

「ううん、わたしじゃない」

衝撃を感じたおなかのあたりをさすっていると、何かが手に触れた。

ポケットの中に何かあるらしい。

「これ、なんだろ?」

ポケットに手を入れて取り出すと、巨峰大の緑色の魔石が出てきた。

「あ!これ、アルにもらった魔石だわ!」

まじまじと見つめる。

魔石はきれいに真二つに割れてしまっていた。

「これが助けてくれたのね」

わたしは笑顔になって大きく息をはくと、トーマに手を借りて立ち上がった。

「さてと。落とし穴に落ちた風使いさんを助けに行きましょうかね」



兵士たちは火傷や意識が朦朧としているものはあれど、みんな無事だった。

兵士たちの反応は実に様々で、恐ろしくて泣きだす者や、トーマを守れなかったとガッカリと肩を落とす者、命の恩人だとトーマとわたしを崇めだす者すらいた。

アルはまだ落とし穴の下で気絶していた。

穴のサイズ的に下に降りて助け出すことはできなそうだったので、リュドを呼んできて風の加護で浮かび上がらせてもらおう。

リュドは至っていつも通りの顔をしていたが、頬には涙の跡がくっきりと残っていた。


「リュド、よく我慢してくれたね」

トーマがそう声をかける。

リュドはぎゅっと眉間に力を入れた。泣くのを我慢しているようだ。

「トーマ様、ご無事で、本当に……」

リュドは言葉が出てこないと俯いてしまった。

手を握りすぎたようで、手のひらは自分の爪が食い込み血が流れている。

「リュドには絶対に出てくるなと命令していたんだ」

トーマが彼の背中を叩きながら笑った。

「僕とアリスが二人ともやられちゃったら、兵士たちを連れて城へ戻れってね」

リュドはぶるぶる震えて、背中を叩くトーマの手を取った。

「ミナレット派の君だけが、兵士たちを連れて帰れる。よく耐えてくれたね。ありがとう」

とうとうリュドは泣き出してしまった。

わたしはどうやって表情を変えずにボロボロと涙を流しているのか不思議に思って、まじまじと観察する。

その視線に気がついたように、リュドがわたしに向き直る。

やばい、ジロジロ見過ぎちゃったかな?


「アリス様」

「は、はいっ!」

わたしは彼につられて、シャキンと背筋を伸ばして立つ。

さすが執事だ。泣いているのにも関わらず、とても姿勢が良い。

「トーマ様と兵士たちをお助け頂き、心から感謝致します。いつか必ず御恩返し致します」

リュドはわたしの手を両手でぎゅっと握って、何度も頭を下げた。

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