ヴォジャノーイの森

第32話 魔法使いの薬草摘み

翌日、いつもの通り日の出前に起きて食堂へ向かうと、アブソレムは既にそこにいた。

顔色は良いが、昨日の疲れは取れただろうか。

「おはよう。アブソレム」

「今日は収穫するものが多い。早く庭へ出るぞ」

「はいはい」

挨拶も無しに急かされながら庭へ出ると、冷えた空気に出迎えられた。

まだまだ辺りは薄暗い。

わたしはいつもの収穫用のカゴをひとつ掴むと、小走りでアブソレムの後を追いかけた。


「まずはバーベインの葉を摘む」

「バーベイン?」

早足で歩きながらではメモが取れないので、忘れないように名前だけ繰り返す。

覚えておいて、あとできちんとノートにまとめなければ。

着いたところはアニとアカラが立っていた、祭壇の側だった。

昨日収穫したソレルよりももっと祭壇の近く、すぐ根元のところにある濃い緑色の葉の横に屈み込む。ものすごくたくさん茂っている。

たくさん生え過ぎていて、てっきり雑草かと思っていた。これがバーベインなのかな?

「バーベインは、祭壇を飾る花という異名がある。異界への入り口を清めるための花だ」

アブソレムが説明しながら葉を摘んでカゴに入れていく。

ふんふん。今回は花ではなく葉っぱが必要なのね。

わたしも隣に座り込み、同じように葉を摘むことにした。

「昔はこの草の汁を体に塗りこむと、未来を予知し、願いが叶い、どんな病でも治すと言われていた」

わたしはその説明を聞いて、手元の葉を二度見する。

……バーベイン、すごすぎ。スーパーチート薬草じゃない?

「まぁそれは昔の話だ。今ではそんなにたくさんの効用があるわけでは無いと分かっている。ただ、これは毒蛇や毒蜘蛛の解毒に聞く」

「えっ、毒蛇?」

わたしは思わず葉を摘む手を止める。

今日向かうところ、毒蛇が出るの?そんなの怖すぎる。

「何を言っている。他のものに比べたら、毒蛇なんてかわいいものだ」

アブソレムが短く息を吐いて笑ったのを見て、背筋がスッと冷たくなった。

ハシバミ竜を狩るのは比較的簡単だと聞いていたのに、毒蛇よりも何か怖いものが出るのだろうか。


「バーベインは日の出前の月も太陽も出ていない時間に採らないと効果が薄れてしまう。本当は秋の新月の日が一番状態の良いものが採れるのだが、今回は仕方ないな」

彼はそう言うと、摘むのをやめて立ち上がった。もう十分採れたらしい。

「さあ急ぐぞ。次はホーステールだ」

言葉が終わらないうちにさっさと歩き出してしまう。

今朝は相当急いでいるらしい。

見失わないようについていくので精一杯だ。

わたしと違って足が長いから、一足の幅が広いのよ。

到着した土手は、野菜畑の奥だった。

なんだか見たことのある細い葉がたくさん生えている。

アブソレムは柔らかい新芽を選んで鋏で切り始めたが、わたしは一体どこで見たのか思い出そうと、じいっとホーステールの葉を観察した。

うーん、どこで見たんだろう。

でもすごーく見覚えがある気がする。思い出せない。

お花屋さんでは見たことがないし……。

葉を睨んだまま、もっとよく見ようとしゃがみこんだ時、見慣れた姿が目にはいった。

「あっ、つくしだわ!」

アブソレムがホーステールと呼んでいる葉の足元には、つくしがたくさん顔を出していた。

アニとアカラの光の加護のせいで、色々な季節の姿が一度に生えているのだろう。

つくしを見るのは子供の時以来で、とても懐かしく感じた。

「それはホーステールの胞子茎だ。ぼうっと立っていないで、君も切りなさい」

うう。つくしを見つけてはしゃいでいたら叱られてしまった。

小声で返事をして切ってカゴに入れていく。

ホーステールの新芽は柔らかくて冷たくて気持ちが良かった。

「ホーステールは疲労回復や強壮剤、止血や傷の消毒に使う」

「へえ、知らなかったわ」

ホーステールを山ほど切った後も、庭中をぐるぐる回りながら言われるがまま薬草を摘んでいった。

よくよく見ると、つくしのように見覚えのある草も多々あり、見つけるたびに嬉しくなった。

野菜と同様に薬草も、前の世界のものとさほど変わらないのかもしれない。


アブソレムとわたしのカゴがどちらもいっぱいになると、ちょうど日の出の時間になった。

こんなにも毎日日の出を見る生活になるなんて、少し前までは想像もしていなかった。

わたしたちは食堂へ戻り、カゴを下ろす。

ひとつひとつは小さく軽い薬草も、カゴいっぱいになるとずっしり重く感じる。

庭中歩き回ったこともあり、起きたばかりなのに疲れを感じた。

「ふう、たくさん摘んだわね」

わたしが額の汗をぬぐいながらそう漏らすと、アブソレムは廊下側のドアを開けながら振り返った。

「次は向こうの庭へ行く。急ぎなさい」

……もう一度、庭中を歩くのか。

しかも向こうの庭は木々がメインだ。薬草よりも枝の方が重いだろう。

わたしはげんなりと重い足取りであとを追いかけた。



廊下の突き当たり側の庭へ出ると、アブソレムは既に森のほうまで行ってしまっていた。

庭先に置いてある、枝用の長細いカゴを掴んで慌てて走りよる。

彼は森の入り口付近で止まると、大きな木を見上げた。

「これはビーチだ。自分の腕くらいの長さで、たくさん葉のついている枝をいくつか切りなさい」

そう言うと小さなナイフを渡してくれた。

これ、前にヘーゼルを切った時と同じナイフだ。

確か特に切れ味が凄いわけでもない、なんの変哲も無いナイフだったわね。

ヘーゼルの枝を切った時のことを思い出しながら枝を落として行く。

今回はナイフに期待し過ぎなかったこともあり、前よりもスムーズに切り終えることができた。

「よし。これくらいでいいだろう」

枝を一抱え分ほど切ったところで、やっと終了の合図が出た。

「つ、つかれた……」

枝を落とすのがこんな重労働だとは知らなかった。

「それで、ビーチは、なんの、役に立つの?」

わたしは息を整えながらそう聞く。

結構たくさん切ったからには、きっと重要な役目があるに違いない。

「ビーチは使うときに説明しよう。……使うことにならなければいいがな」

アブソレムの付け加えた不穏な一言は、ゼーゼーと息を切らすわたしの耳には届かなかった。



食堂に戻って水をグラスに一杯飲み干すと、やっと人心地ついた。

「ああ、起き抜きからハードだったわ」

椅子にぐんにゃりともたれ掛かって、汗が引くのを待つ。

アブソレムは平然とした顔で、向かいの椅子にかけて水を飲んでいる。

ガリガリのくせに体力はあるのが不思議だ。

「今日の予定はどんな感じ?」

「まずは今収穫した薬草をそれぞれ用途に合わせて調合する。君には煮出したり煎じたりの簡単なものをやってもらおう」

アブソレムは立ち上がってキッチンへ向かうと、アピの火にやかんを乗せた。

きっとお茶を入れるのだろう。

「わかった。湿布薬で煮出しはやったから、できると思うわ」

「あとは魔石の準備をしたら終わりだ。出発は夕方だから、昼過ぎから少し仮眠を取ると良い」

「ああ、助かった」

その言葉を聞いて安心したわたしは、両手を伸ばしてテーブルに突っ伏した。

思いの外、薬草摘みで体力を使ってしまった。仮眠はありがたい。

アルと一緒に妖精を呼び出すときには仮眠なんて必要ないと思っていたけど、今は絶対に必要だと断言できる。

アブソレムの淹れるお茶の香りを嗅ぎながら、魔法使いの生活にも少しだけ慣れてきたな、と感じていた。

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