第31話 ソレルのサラダ

サンテ・ポルタに着いた時には完全に陽が落ちていた。

暗いと箒で空を飛ぶのは危ないだろうから、ギリギリセーフだ。

アブソレムは箒を外壁に立てかけながら、深くため息をついた。

どうやら心底疲れたらしい。

「明日もあるから、今日はもう休む」

それだけ言うとさっさと自室へ引っ込もうとする。

ダメ!この人、朝に食べたきりで何も食べてない!

わたしは部屋へ歩いて行こうとするアブソレムの腰あたりの服を、ギュッと掴んで引き止める。

「……なんだ」

「アブソレム、ご飯食べてないよ!」

「君だけ食べたらいい」

そう言ってまた歩き出そうとする。わたしはもっと強く服を握りしめた。

こうやってご飯を抜くから、こんなにガリガリなんだわ。

アブソレムを健康にすると言うわたしの目標のために、どうにか食べさせなければ!


「つ、疲れたならお風呂に入ったらいいよ!」

食事の準備をする時間をどうにか稼ごうと、苦し紛れにそう提案すると、アブソレムはピクリと反応した。

しばしの間フリーズする。どうしようか考えているようだ。

「……そうしよう」

アブソレムはフラフラとバスルームへ向かって行った。

おお。まさかのお風呂作戦大成功。

アブソレムったら、本当に大の風呂好きね。

わたしはバスルームのドアがバタンと閉まるのを確認してから、小走りで食堂へ向かった。



さて、何を作ろうかな。

アブソレムのあの感じじゃ、昨日みたいにお肉ドーン、な料理は食べてもらえないだろう。

そういえば、アルのために採ってきたソレルの残りがある。

確か酸っぱいと言っていたはず。

他の野菜と合わせてサラダにしたら食べてくれるかもしれない。

わたしは食堂から庭に出た。

夜空に、少しだけ欠けた月が浮かんでいる。

月明かりでも歩くことはできそうだけれど、手元が見えないな。収穫するには暗すぎる。

ライトのようなものがあればいいな、と食堂に戻って探すことにした。

ライトのようなものと言っても、この世界には電気がないからわたしの見知った形ではないだろう。

天井から吊り下がっているあの灯りをとってみようか。

でもかなり高いところにあるから、簡単には取れなさそう。

キョロキョロ部屋を見回していると、庭へ出るドアのすぐ横のチェストに、手持ちの吊り灯篭のようなものが置いてあるのに気がついた。

擦りガラスと真鍮でできている灯篭は手に持ってみるとずっしりと重い。

中にキャンドルの類は入っておらず、代わりに石が一つだけ転がっていた。

これ、多分アピの火だわ。

ということは、ヤオに教えてもらったみたいに、火の形をイメージしたらライトになるのかも。

わたしは灯篭の上に手を広げて目をつぶり、懐中電灯くらいの光を思い浮かべる。

火よりも白くて、光の揺れが少ない人工的な光。

パッと瞼の裏が明るくなり、光が灯ったのを感じる。

目を開けると、思い描いた通りの白い光がそこにあった。

「できたわ!」

嬉しくて、ついその場でピョコピョコと足踏みしてしまった。

ヤオに教えてもらってから、ぐんとアピの火の扱い方がうまくなったようだ。

真鍮製の持ち手を掴んで灯篭を持ち、また庭に出る。

今度は足元までしっかり照らして見ることができた。

これで収穫もできるだろう。


おしゃべり花は今夜もきっと憎まれ口を叩くだろうから、そちらには近づかないようにしたい。

そうすると、ハーブ畑ではなく右手の野菜畑に行く方がいいだろう。

わたしは野菜畑に向かって歩きながら、なんのサラダにしようか考える。

ソレルは酸っぱいらしいから、酸味に合うものがいいわね。

野菜だけだとバランスが悪いから、豚肉をカリカリに焼いてサラダに加えよう。

アブソレムは、もっと健康のためにお肉を食べるべきだし、ビタミンBが多く含まれているから疲労回復にも役立つはずだ。

野菜畑に着くと、まずはミニトマトをいくつか切ってカゴに入れた。

ここ数日間の、トマトの食卓登場率の高さはダントツ一番だ。

きっとアブソレムはトマトが好きに違いない。

次に柔らかい葉のレタスのような野菜を株ごと収穫した。

パプリカ、きゅうり、セロリも少しずつ採っていく。

これくらいあれば、立派なサラダができるでしょ。


食堂に戻り、豚肉を薄く小さく切って油を引かずに焼く。

途中で少しのにんにくとオリーブを加えた。

うーん。お腹が空いていたから、余計良い匂いに感じるわ。

ヤオのところでクッキーをもらったけど、わたしの空腹具合には焼け石に水だったようだ。

野菜をそれぞれ切ってお皿に盛り付けた。

あとはアブソレムがお風呂から出たら、温めたオイルごとサラダにかけて完成だ。

やっぱり卵が欲しいわね。

このサラダに半熟卵が載せられたら、もっと美味しかっただろう。


テーブルをセットしながらそんなことを考えていると、お風呂から出たアブソレムが水を飲みに食堂へきた。

相変わらず、髪も濡れておらず、服も寝巻きではない。

お風呂に入る前と一切変化がないけど、本当に入っているのかしら?

「……作ったのか」

アブソレムはテーブルに目を留めて驚いたようにそう言った。

「ええ。いくら食欲がなくてもサラダなら食べられるでしょ?」

わたしが有無を言わさずニッコリ笑って椅子に座るよう促すと、渋々と言った感じで席についてくれた。

やっぱり、アブソレムは優しいから、絶対断らないと思ったんだ。

オイルを軽く温めなおしてサラダにかける。

ちゃんと美味しそうに作れて、ホッとした。

「アブソレムは痩せすぎなんだから、ちゃんと食べないとダメだよ。豚肉は疲労回復にも役立つし、ソレルは栄養満点なんでしょ?」

そう言いながらサラダを運ぶ。

いただきます、と手を合わせてから食べ始めたわたしを見て、アブソレムは軽くため息をついてから諦めたように食べてくれた。

彼はいつものように料理の出来については何も言わないが、手が止まらず食べてくれているところを見ると、まずくはないようだ。


「君が前にいた場所についてだが、やはり帰りたいか」

突然そう言われて驚き、少し噎せてしまった。

落ち着かせるようにグラスの水を飲む。

「帰りたいかって言われても……。何度も話しているけど、こことは違う世界なのよ」

「それは分かっている」

えっ?分かっているの?

散々頭を打ったんだとか、記憶喪失だと言われていたから、絶対信じていないと思っていたのに。

「常識を知らないくせに、おかしなことには博識だからな。こことは違う何処かから来たのだろう」

アブソレムは一度フォークを置いて、こちらをじっと見た。

「それで、元いた場所に帰りたいか」

わたしは元の世界のことを色々と思い出してみる。

仕事ばっかりで、唯一の楽しみは本屋に通うことだった。

両親も既に他界しているし仲の良い友人も少ない。

でも、白うさぎのヘンリーのことは心配だ。

もう数日経つ。ペットシッターは不審がらずに来てくれているだろうか。

ちょっとした旅行に出かけたとでも思ってくれているといいんだけど。

ヘンリーのことは別にして、あそこに帰りたいのかな?……わからない。

わたしは一番何がしたいんだっけ?


「……あ、そうだ。わたし、勉強したいんだ」

小声でぽつりと呟く。

そうだ、わたしは何よりも、新しいことをたくさん学びたいんだ。

「なんと言った?」

「わたし、やっぱり帰りたい。ヘンリーのことが心配だから。でも、それまではここにいたいわ。ここには、まだ学ぶことがたくさんあるもの」

しまった。

決意も込めてそう言ったが、思ったよりも大きな声になってしまった。

突然の大声での「ここにいたい宣言」に、アブソレムは目を丸くしている。

「……も、もちろんアブソレムが邪魔じゃなければだけど」

「まあ、それならばここに居るといい」

それだけ言うと、また食べ始めた。もう会話は終わったようだ。


ここにいても良いと言われて安心したわたしは、不思議な気持ちでアブソレムのことをぼんやりと見る。

本当に邪魔じゃないのだろうか。この言葉に甘えてもいいのだろうか。

彼の表情からは何も読み取れない。

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