第27話 碌でもない勘違い
「湿布薬がいるな。アルのやつめ、思い切りひねった」
アブソレムは手首を軽く回しながら、眉間にシワを寄せている。
やはりだいぶ痛むらしい。
「そこのペパーミントと、食堂の扉のすぐ側にユーカリの木がある。わかるか?」
ペパーミントもユーカリも知っている。見ればだいたいわかるだろう。
「多分わかるわ。採っていけばいいのね?」
「お茶にする3~4倍、採ってきてくれ。これは私が持っていく」
そう言うとアブソレムはわたしの持っていたソレル入りのカゴを掴むとスタスタと戻って行ってしまった。
悪態をついてはいるが、アルが心配なんだろう。
やっぱり優しいなと少し笑って、ペパーミントを探す。
ペパーミントはすぐに見つかったが、アブソレムにカゴを持って行かれてしまった。
収穫しても入れるものがない。
ドアの隣の庭道具を取りに戻ろうかとも思ったが、少しでも早く湿布薬を作ったほうがいいだろうと、エプロンをまくりあげてその中に入れていくことにした。
ペパーミントを山盛りエプロンにいれて歩いていると、昔こんな絵本を読んだなと思い出した。
こんな庭でハーブをエプロンに包んで運んでいるだなんて、本当におとぎ話みたい。
ここにきてからの全てが、なんだか長い夢をみている気分だ。
ユーカリは食堂のドアの側、と言っていたわね。
ユーカリ、ユーカリ……。形はどんなだったかな。
コアラが食べるやつよね?確か毒があったような。
丸っこい葉をつけた木を見つけた。多分、これだわ。見覚えがある。
その木の柔らかい枝をまた山盛り切って、わたしは食堂のドアを開けた。
「採ってきたわ……、うわっ!」
ドアを開けた途端、目に飛び込んできたのは椅子の背もたれにだらりとしな垂れかかったアルの口に、お茶をポットからそのまま飲ませているアブソレムの姿だった。
アルは、まるでカップのようにおとなしくドボドボ注がれている。
ていうか絶対熱いでしょ、それ!
「あっつ!!」
案の定アルが叫びながら飛び起きて、服の袖で口を頻りに拭いた。
やはり熱かったらしい。絶対口の中火傷したわね。
「えっ、何?何、この感じ?」
正気に戻ったらしい彼は、熱々のポットを片手に冷たい目をするアブソレムと、薬草を溢れんばかりに抱えているわたしを交互に見て、目を丸くした。
「起きたか、この馬鹿者」
「え?うん。てか、口痛い。え?何があったの?」
わたしは口を冷やすために、薬草を一度キッチンへ置き、カップに水を汲んでアルへ渡す。
「君は妖精に魅入られていた」
アブソレムの言葉に、サッと顔色をなくす。
「あっ……。そうだ、俺なんかおかしくなって……」
そこでアブソレムの腕と、わたしの持ってきた薬草の山に視線を動かす。
何が起こったか思い出したらしい。
パンといい音を立てて顔の前で両手を合わした。
「ほんっとうにごめん!申し訳ない、アブソレム!」
アブソレムはアルの言葉を無視してわたしに「薬草を煮出せ」と指示した。
「申し訳ない、謝らせてくれ!俺、おかしくなってたんだ」
アルがめげずに謝り倒したおかげか、アブソレムは向かいの椅子にかけた。
キセルに火を入れて、足を組んでいる。まだ怒っていそうだ。
「私のことを言っているのではない。あれほど妖精は危ないと警告しただろう。あのままではどこかで子供を攫ってもおかしくなかった」
アルはただでさえ悪い顔色をさらに白くした。
「そうだよな……。ごめん。なんか分からないうちに、どんどんと妖精のことを良い奴だって思い込んでしまって」
相当反省しているらしい。
肩をしゅんと落としている。
「まあ、結果何事も起こらなかったわけだから、良しとするか」
そう煙を吐きながら言う。
「いや、アブソレムの腕を捻挫させたろ?どうにか償わせてくれ」
わたしは会話に聞き耳を立てながら奥のキッチンに立ち、言われた通りに大きな鍋でミントとユーカリを煮出していた。
すごく清涼感のある強い香りが漂っている。
「ああ……。それならば、近々アリスを連れて街へ行ってくれ」
「へ?わたし?」
突然名前を呼ばれて、変な声を上げてしまった。
「アリスがそのうち店を開きたいそうだから、君なら融通できるだろう」
ああ。これはこの間話した、金銭を挟んで魔女としてのサービスをやり取りしたい、という話だろう。
そうか。あれは簡単に言うと「店を開きたい」という言い方になるのか。
「そんなんで良いなら、いつでもやらせて貰うよ。でもそれじゃ釣り合わないだろ。魔法使いの腕を怪我させるなんて」
アルは椅子の上で背筋を伸ばし、膝の上に両手を乗せた畏まった姿勢でアブソレムをじっと見た。
「他にも何かさせてくれ」
「そう言われてもな。あとは魔石に加護を分けてもらうくらいか」
「わかった、それもやらせてくれ!いくらでも加護を分けるよ。謝らせてくれてありがとな。本当に申し訳なかった」
アルは改めて深々とテーブルに頭を下げた。
いつもめちゃくちゃ騒がしいくせに、こういうところはきっちりしてるなんて、なんだか意外な気がした。
「もういい。とりあえずお茶を飲もう」
アブソレムはそう言うと、キセルを深く吸って疲れたように椅子にもたれた。
ペパーミントとユーカリの煮出しが終わった。
アブソレムに次の指示を仰ぐと、生地の粗めの布地で漉しとれと言われた。
漉した汁を使うらしい。
倉庫からガラスの容器を持ってきて、ふきんで漉すと、濃い清涼感のある香りが一面に漂う。
うーん。鼻がスースーする。
「布に染み込ませて使うんだが、冷やしたほうがいいな」
アブソレムが湯気の立っているガラスの容器を覗き込みながらそう言うと、アルが「俺が冷ますよ」と近づいてきた。
アルは両手を容器の上に広げると、軽く力を込める。
すると一瞬だけ強い風が巻き起こり、風が収まった時には湿布薬も冷めていた。
「へえ、便利ね」
わたしはタオルを浸しながら感心した。
工夫次第でこういう使い方もできるなんて、加護の力が羨ましいわ。
「まあ、クロス派みたいに氷が作り出せるわけじゃないけどな」
ニカッと笑っているが、いつもの勢いはない。
まだアブソレムに怪我をさせたことを気にしているんだろう。
湿布薬ができたので、テーブルの上に腕を置いてもらい、袖を捲っていく。
アブソレムの腕は思っていたより細くなかった。
体の線から考えると、もっとガリガリかと思っていたのに。
「思っていたより細くないわね」
しまった。心の声がそのまま口に出てしまった。
アブソレムはおとなしく湿布を当てられながら、鼻で笑う。
「庭仕事は結構力を使うからな」
「そうだぞ。アリスだってそのうちムキムキになるぜ」
アルが横から茶々を入れた。
ムキムキかぁ。ムキムキになるのはちょっと嫌だなぁ……。
湿布を当てた上から包帯を巻いて、端を止めてできあがりだ。
「はい、できたわよ」
アブソレムは特に何も言わず、包帯の巻かれた自分の腕をじっと見ている。
わたしは残りの湿布薬を冷たい石の箱にしまってから、お茶を入れることにした。
「お茶だけど、もうソレルの葉じゃなくていいのよね?」
「ああ。なんでもいい」
なんでもいいって言われてもねぇ。
いつもアレを出せこれを淹れろと細かく指示されていたから、いざお任せされると困ってしまう。
まだあんまり知識もついていないし、今まで習ったものを適当に混ぜて淹れようかな。
お湯を火にかけてから、店の方へ行き、棚からマジョラムの瓶を持ってきた。
葉と花を乾燥させてあるものだ。
ここに来て、アブソレムが最初に淹れてくれたお茶だ。確か鎮静作用があると言っていたはず。
ミントがまだ残っていてもったいないので、ついでに軽く一掴み分ポットに入れる。
マジョラムは結構癖のある味だったから、ミントの清涼感は案外合うんじゃないかしら。
「前は頼りなかったけど、なんだか急に落ち着いてきたな」
後ろのテーブルでわたしの手際を眺めていたらしいアルが、アブソレムにそう話しかけた。
「そうか?私の目には頼りないままに見える」
アブソレムの言葉に、わたしは目をぐるりと回して肩をすくめる。
少しは褒めてくれるかも、と期待したわたしがバカだったわ。
だが、淹れたお茶を2人の前に置くと、「まあ、学んではいるな」とボソッと小さな声で言ってくれた。
今回のお茶のブレンドは合格だったらしい。思わず満面の笑みを浮かべる。
自分も座ろうとすると、テーブルの端にアニとアカラのカップが出しっ放しになっていることに今更気がついた。
「ああ、片付けるのを忘れていたわ」
そう独り言を言ってキッチンへ下げにいく。
街でカップを買い足してもらって、本当によかった。
「あ、誰か来てたの?」
アルがお茶を飲みながら聞く。口の中が火傷で痛いらしく、すごくチビチビと飲んでいた。
「うん。アルと入れ違いで、ロータス派の人たちがね」
「うわ、マジか!」
アルの驚いた反応にこちらもビクッとしてしまう。
言ってはいけなかったかしら?
「ロータス派なんて、随分見かけてないぜ。やっぱりアブソレムの店は怖いわあ。何家が来てたの?」
「ドルジュ家だ」
アブソレムは特に動揺せずにお茶を黙々と飲んでいる。
よかった、言ってはいけないことではなかったみたいね。
「わーお。そうなんだ。会ってみたかったなぁ」
アルは背もたれにぐいっと体を預けて、感心したように言った。
だんだん声が大きくなって来て、いよいよ本領発揮という感じがする。
「そういやあの大量の木は、何に使うの?」
背もたれに体を預けたままの体勢で、庭の方を指差す。
開けっ放しのドアから、アブソレムが運んで来た木が見えるらしい。
「ああ、アリスが鶏小屋を建てろと言うのでな」
アルがぶはっと吹き出した。「ここに鶏小屋ができるのか!」とお腹を抱えて笑っている。
「すごいなあ、アリス。アブソレムをこんなに動かせられるのは君だけだぜ」
「そうなの?わたしはただ卵が欲しいだけよ」
アルはまだヒイヒイと笑っている。そんなに笑わなくてもいいと思う。
「アリスはいつからここにいるんだ?」
笑い終えたらしいアルが、目尻に浮かんだ涙を指で掬いながらそう聞いた。
わたしは正直に言っていいものか判断できず、アブソレムに任せることにした。
「前回店に来ただろう。ちょうどあの日だ」
あ、そこは正直に言っていいのね。
確かに、隠すほどのことでもないか。
「え?ちょうどあの日?てことは、予言者が現れたっていうお告げの翌日……?」
アルは信じられないという顔をしてわたしを見つめている。
うーん?ちょっと話の雲行きが怪しくなって来た。これは碌でもない方向に話が進みそうだ。
「そうだ。妖精も、何度もここにたどり着いた……」
アルは記憶を遡るようにボソボソと呟く。
わたしは汗をかいてきた。
もうそれ以上何も言わないで欲しい。
「アリス、もしかして君が救世主なのか……!?」
アルのキラッキラに輝く目が見開かれてこちらを見つめている。
小さくなって大汗をかいているわたしは、それだけで消えて無くなってしまいそうだ。
救世主だなんて、ありえないから。
どうにかこの場でこの盛大な勘違いを解かないと、絶対に面倒臭くなる。
わたしが何か言わなくてはとアワアワしていると、アブソレムの言葉がバッサリと話を終わらせた。
「馬鹿者。そんなわけがあるか。アリスは魔女だ」
「いやでも……!」
「この話は終わりだ。アリスは加護を持っていない。よって救世主ではない。もう魔石を作りに行ってくれ」
アブソレムはそう早口に言うと、食堂のドアを開けてさっさと外に出るよう促すのだった。
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