第26話 妖精のリリス

アブソレムがマグワートの葉と花を両手に抱えて戻ってくると、アニとアカラはミナレット紙をどこかに飛ばし、玄関に出た。

玄関先で立ち話をしていると、突然大きなつむじ風とともに精悍な顔つきの青年が現れた。

「お待たせしました」

あの青年の現れ方、アルが帰った時と同じだ、とわたしが目を瞬かせていると、2人はそちらへ近づき、青年を中央にして手を繋いだ。

「それじゃあまた。アブソレム」

「次は魔石を作る時に会おうね、アリス」

2人は口々にそう言うと、手を繋いでいない方の手で軽く手を振ってくれる。

返事をしようと手を顔の前にあげた途端、フッと3人はその場から姿を消した。

「消えたわ」

上げた手の置き場がなく、わたしは顔の前で軽く手を握って呟く。

アブソレムは、「運び屋の風の者だ」と簡単に説明して店へ戻って行こうとする。

その動きを、店の先の森からの怒鳴り声が足止めした。

「だぁかぁら~~~~っ、なんでここなんだよー!リリスーー!」

わたしは驚き、身を縮めて声のした方を見る。

この声は知っている。

あの騒がしい風使いの声だ。

「あっ!アブソレム、外に出てんじゃん!ちょうどよかった!ちょっと聞いてくれよ!」

アルはわたしたちを見つけると一層ギャアギャアと騒いだ。

隣を盗み見ると、アブソレムが心底面倒臭そうな顔をしている。

「一体なんなんだ」

彼はため息をつきながら腕組みをした。

キセルは店の中へ置いて来てしまったらしい。

アルがズカズカと歩いて近づいてくる。もうあの重そうな外套は着ていない。

柔らかそうな生地のシャツと、幅の広いズボンを履いている。

この前、アブソレムから大商家の息子だと聞いたせいだろうか。

こんな言葉遣いでも少しだけ品良く見えるから不思議だ。

……今までは品が良いなんて思わなかったのに、わたしってつくづく、ご都合主義だわ。

人知れずそう反省していると、アルはすぐ側まで来ていた。

よく見ると、肩あたりにあの時の妖精が浮かんでいる。

あれ?でもこの子、本当にあの時の妖精かしら?

わたしは妖精をじっと見つめる。

あの時は表情がなく、目も白目のようでただただ怖いという印象しかなかったが、こうして見ると、瞳孔は薄いがきちんと視線が分かるし、なんとなく表情も出ている気がする。

あの時は、夜で暗かったから気がつかなかっただけかな?

昼間の陽の下で見ると、こんなにも印象が変わるんだ。

「何度頼んでも、絶対ここに帰って来ちまうんだよ!おかしいだろ?」

アルは相変わらずの大きな声でアブソレムに話している。

「それは、君の求めるものがこの辺にあると言う話ではないのか」

「そんなわけないだろ!救世主様への手がかりを、って頼んでるんだぜ」

アブソレムはこめかみを押さえてため息をついた。

わたし以外にはもう少し態度を取り繕ってほしい。

あまりに面倒臭いオーラが出すぎていて、ハラハラしてしまう。

「そんな顔したってだめだ、リリス!俺の求めたものはここにはないんだって!」

妖精がツーンとそっぽを向いているのを見て、アルが文句を言う。

仲良くやっていたらしく、ほんわかしてしまった。

あんなに激しく外套に噛み付いていたから、どうなるかと思って心配していたのだ。

「ちょっと待て。アル、今なんと言った?」

「え?俺の求めたものはここにはないって?」

「そこじゃない。君、妖精に名前をつけたのか?」

キョトンとしているアルに、アブソレムはグッと近づき顔を至近距離からじっと観察した。

あまりに距離が近いため、アルが一歩引く。

「な、なんなんだ?」

「君、どうして妖精に名前なんか付けたんだ」

アブソレムはアルの目を射るように見つめたままそう聞く。

わたしは止めたら良いのか、このままで良いのか分からず、ただその場でオロオロとしていることしかできない。

「だって名前がないと、不便じゃないか……」

アルは体を後ろに引いたままそう答えるが、声には動揺が感じられた。

額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

「君、妖精に情を持ったな」

アブソレムはそう言うと、服の内ポケットから手袋をとりだし填めると、アルの肩に浮かんでいる妖精を乱暴に掴んだ。

その様子があまりに乱暴で、わたしは思わずヒッと声が漏れてしまった。

「ちょっ、なんだよ!アブソレム!」

アルは叫んで止めようとしている。

焦っているというより、怒っている感じだ。

「やめてくれ!リリスは俺の妖精だ」

アルが取り返そうと伸ばした手を、アブソレムは空いている片手でバシッと払いのけた。

「違う。これは君の妖精ではない。目先の餌に釣られているだけの、ただの妖獣だ」

わたしはその言葉にハッとして、最初の説明を思い出す。

確か、人間とは違う倫理観で生きている生き物で、飼い慣らすことはできないと言っていた。

「リリスは違うんだって!そんな掴んだらかわいそうだろ、返してくれ」

アルはアブソレムに飛びつくと、妖精を持つ手をひねって放させた。

知識では誰より強いアブソレムも、力では敵わない。

わたしは駆け寄り、アブソレムの体を支えた。

「アル!いくらなんでもひどいわ!」

アブソレムは少し手を痛めたようだったが、大丈夫だとわたしを手で制する。

「アブソレムが、リリスに乱暴するから……!ほらリリス、こっちにおいで!」

妖精はわたしたちの手の届かない高さでしばらく浮かんでこちらを見ていたが、突然興味を失くしたように庭の方向へ飛んで行ってしまった。

こちらに興味をなくした瞬間、表情らしきものが一気に抜け落ちて、その様子に寒気を覚えた。

あれは人間とは違う生き物だと、初めて心の底から理解できた。

「そんな、リリス……」

アルは妖精の飛んで行ってしまった方角をぼんやりと見つめている。

「妖精に魅入られたな。最初に説明しただろう」

アブソレムがひねられた方の手をゆっくり回しながら言った。

心配していたが、声に混ざっているものは怒りではなく呆れのようだ。

喧嘩になったらどうしようと思っていたので、ホッと一安心した。

「中に入りなさい」

アブソレムはそれだけ言うと、店の方へ歩いて行く。

わたしは呆然と立ちすくみ、抜け殻のようになってしまっているアルの背中に手を回し、一緒に店へと歩き出した。

「全く面倒なことになった」

こめかみを押さえて軽く頭を振りながら、アブソレムはため息と共にそう漏らした。

アルはまだ小声で「リリス……」と呟いて呆然とした顔をしている。

これは結構重症だ。

わたしはアルの背中に手を回して支えながら、不安になった。

「アブソレム、アルはどうなったの?元に戻るよね?」

「妖精に魅入られただけだ。すぐに戻る」

自分より背の高い男の人を支えながら歩くのが大変で、店の奥の椅子にさっさと座らそうとしたが、アブソレムが「そっちじゃない。食堂の方へ」とアルの腕をぐいと引っ張った。

「アル。しゃんとしろ。きちんと歩きなさい」

アルはまだふらつきながらブツブツ独り言を言っている。

「全く世話が焼ける。君が私の腕をダメにしなきゃ運んでやれたんだ。自業自得なんだからさっさと歩け」

アブソレムは痺れを切らせたように、廊下へと続くドアの向こうにアルをどかんと蹴り入れた。

食堂に入ると、アブソレムはアルを投げ捨てるように椅子へ座らせた。

「アリス、庭へ」

心配でアルの様子をもう少し見ていたかったが、アブソレムが庭へ出て行ってしまったので慌てて後を追いかける。

今日何度目の庭だろうか。

彼は湖の近くの小さなハーブ畑を目掛けてずんずんと歩いていた。

背後から、アルが転んだらしいガシャーンという音が聞こえたが、戻ってもどうにもならないので聞こえないふりをしてついていく。

着いた先はついさっき、アニとアカラが光の加護をかけた祭壇の近くだ。

「これを切ってくれ」

指差した先には、小松菜のような大きな葉のハーブが広がっていた。

見慣れた葉野菜よりかなり肉厚な葉をしている。

「これはソレルだ」

わたしはしゃがみこみ、アブソレムの持っていたカゴを受け取る。

鋏はエプロンのポケットに入れているので、そこから取り出した。

エプロンを作ってもらって本当に便利になった。

「寒さに非常に強い多年草で、初夏から穂状の花を鈴なりにつける。湿気の多い半日陰を好んでいる」

葉の根元から切って収穫しながら、なんとか説明を覚えようとする。

作業しながらの講義は、ノートに書きつけられなくて困る。

わたしは紙に文字で書かないと忘れやすいのだ。

「葉は酸味があり栄養価が高い。生のまま食べることもできるし、絞り汁は皮膚病にも効果があるが、関節痛や腎臓の悪い者には使えない」

そうか。生のまま食べられて、しかも酸っぱいのね。

今夜もメニューは昨日と同じ豚肉だ。酸味のある付け合わせもいいだろう。

夕食分にも少し多めに摘んでいくことにしよう。

「これは浄化作用があるから、幻覚によく効く。もうそれくらいでいい」

私が大方摘み終えると、講義もちょうど終わったらしい。

鋏を止め、エプロンのポケットに入れて立ち上がる。

今度は食堂の方からガシャンという大きな音が聞こえた。

何かが割れたようだ。

「……本当はそこのフジイロマンダラゲを飲ませてやりたいがな」

アブソレムの目線の先にはトゲのあるアサガオのような花が咲いていた。

これも摘めってことかしら?

わたしが鋏を取り出そうとすると、「採らなくてよろしい」と止められてしまった。

「それは強い幻覚作用を持ち、錯乱状態にさせる毒草だ」

その説明にびっくりして一歩後ずさる。

どうやら魔法使いの薬草ジョークだったらしい。

知識がなく冗談に乗ってあげられなかったことに関して、謎の悔しさを感じた。

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