第20話 温泉と錬金術

アブソレムは廊下を突っ切り、突き当り側の庭へ出た。

樹木が主にある庭のほうだ。

「これがエルダーだ」

庭に出てすぐのところにエルダーの木はあった。

エルダーは想像していたよりも大きく、わさわさと花をつけて爽やかな香りを辺りにはなっている。

庭に出るたびにしていた、いい香りの正体はこれだったのか。

アブソレムは外壁につけてある工具掛けから鋏を取り、エルダーの花を切り始めた。

「この花を袋に詰めていきなさい」

そう言われ、わたしは袋の口を開いて鋏の下に広げて待つ。

「エルダーの花は、肌の収れん効果や、しみ、そばかすにも効果があり、ストレスや不安症にも効く」

エルダーの花で袋がいっぱいになったのを見て、アブソレムが袋の口を縛り、こちらへ投げた。

「これを風呂に入れなさい」

彼は入浴剤を作っていたらしい。

わたしはそのまま自室へ着替えを取りに行き、バスルームへ向かった。

アブソレムに、先に入ればと言ってみたのだが、エルダーの花をもう少し切っていくからいいと断られてしまったのだ。

バスルームは廊下を挟んだ食堂の向かいにある。

入ってすぐのところに石で作られた洗面台があり、その奥が浴室になっているようだった。

洗面台についている蛇口を見て、この世界は電気がないのに、水道は通っているんだな、と改めて思った。

着ているものを脱ぎ、今朝アブソレムに作ってもらった石鹸とエルダーの入浴剤を持って、浴室に通じるドアを開けた。

「えっ!?」

わたしはドアの先を見て思わず声を上げた。

そこは浴室ではなく、外だったのだ。

ドアの両側には木が立っており、なんだか鳥の鳴く声まで聞こえる。

「えっ!?外?なんで?」

その場で立ち尽くしながら、頭の中を整理する。

浴槽は?シャワーは?なんで外なの??

わたしはぐるぐると考えた末に、洗面台の横に積んであるタオルを1枚取り、体に巻きつけてから外に出てみることにした。

もしかしたら別棟のような形で浴室があるかもしれない、と思ったのだ。

そして木々の間を抜けてすぐ、それはあった。

「わあー!露天風呂じゃない!?」

そこには泳げそうなほどの、大きな露店風呂が広がっていた。

しかも湯船はふたつも作られており、片方は温泉だろうか。中央から湧いているようにプクプクと空気が出ていた。

もう片方は普通に水道から水が引かれているらしい。

わたしは水道水の方の湯船に、エルダーの入浴剤を入れた。

「なんでこんな大きなお風呂が作られているんだろう」

エルダーの湯に浸かりながら、大きく息を吐いた。

ああ、疲れがお湯に溶けていくよう。

学び放題の環境に、しかも露店風呂付きだなんて、ちょっと幸せすぎるんじゃないだろうか?

状況に慣れてようやく落ち着くと、周りを見回す余裕が出てきた。

露店風呂の周りはぐるりと木で囲まれていて、目隠しの役割をしている。

浴槽はタイルで造られていた。これが岩風呂だったならもっと味が出たのにな、と贅沢なことを考える。

シャワーはないが手桶があるので、このお湯で体を洗えば十分だろう。

空は晴れてるし、空気は美味しいし、鳥は鳴いてるし、なんて気持ちいいんだろう。

わたしは浴槽の縁に頭を乗せ、極楽気分を満喫した。

結局その後は温泉側にも浸かり、大満足で上がることにした。

ディワーリのくれた着替えを着てみる。

もうパジャマにしようか迷ったが、まだ食事があるので普通の洋服を身につけることにした。

藍色のふんわりとしたスカートと、長袖のブラウスだ。

アブソレムの特製化粧水で顔を保湿してから、彼を探しに行く。

店のほうまで行って見たが、いないようだった。

時計は16時半頃をさしていた。40分以上も入っていたらしい。長風呂し過ぎただろうか。

髪をタオルで拭きながら廊下の突き当たり側の庭に出ると、アブソレムはそこにいて、庭仕事をしているようだった。

「アブソレム、出たわよ。先に入らせてもらって悪かったわね」

わたしがそう声をかけると、アブソレムが声に気がついたようにこちらに向かってくる。

「早かったな。もう出たのか」

手にはたくさんの枝を持っていた。剪定していたらしい。

「え?そんなに早くないわよ。お風呂、すごかったわね」

そう言うと、アブソレムは何も言わず、くるりと向きを変えてさっさと室内へ入って行ってしまった。

耳が赤くなっていたから、お風呂好きとバレたのが恥ずかしかったのかもしれない。

わたしは少し面白くなってしまって、少し茶化すことにした。

「アブソレム、あなたさては相当なお風呂好きなのね?」

アブソレムは「うるさい」とだけ言って、バスルームの扉をバタンと閉めてしまった。

アブソレムがお風呂に入っている間に夕食を作ってしまおうと、わたしは食堂に来ていた。

そこで食堂の隅に、まだ開けていない荷物が置いたままになっていることに気がつく。

邪魔だし、片付けてしまった方がいいかもしれない。

あと残っているのは箱が3つだ。

ひとつめの厚紙でできた箱を開けると、中には紙がたくさん入っていた。

少し厚手の変わった紙だ。真ん中に折れ目がついている。

どう使うか全くわからなかったので、店のテーブルの上に運んでおくことにした。

ふたつめの箱は、他と比べるとかなりきちんとした作りの箱だった。

木でできていて、色まで塗られている。いかにも高級品という感じだ。

蓋を開けてみると、石がぎっしり詰まっている。

ふーん、さてはこれが魔石ってやつね。

石は透き通ったきれいなものから、ただの庭石のようなものまで様々だった。

大体ひとつが3センチ四方くらいの大きさだ。

何が起こるかわからないので、石自体には触らないようにまた蓋を閉め、食堂の棚の空いているところに置いておくことにした。

さあ残るはもうひとつ……

わたしが最後の木箱を触ろうとすると、箱がガスッガスッと動いた。

「ひぃっ!」

予想外の出来事にわたしは叫び声をあげる。

中には何か生き物が入っているらしい。

少し離れたところから箱を観察するが、特に鳴き声をあげたりはしていない。

だが、触ろうとするとまたガスッと動く。

なんなのよ、この動き!

わたしはこの箱だけ見なかったことにして、食事の用意を始めた。

アブソレムが買ってくれた豚肉を、食堂の片隅にある石の箱から取り出してくる。

この石の箱は一抱えほどの大きさで、石をくりぬいて作ってあり、仕組みはわからないが中が冷える構造になっていた。

この世界での、冷蔵庫の代わりになるようだ。

キッチンのまな板の上に豚肉をのせ、包丁を探す。

多分、普通は調理台の近くにあると思うんだけど……

そう思って、すぐ下の引き出しを開けてみる。

そこにはなぜか金貨がめちゃめちゃに突っ込まれていた。

「なんでまたこんなところから、お金が出てくるのよっ!」

思わず文句を口に出して言い、物置から空の大瓶を持って来る。

とりあえずここに、出て来た金貨は全部入れてしまえ。

そしてわたしが包丁を見つけ、店にあると言っていた塩を探すまでの間に、大瓶は金貨でいっぱいになってしまった。

この家、どこからでも金貨が出てくるわ……!

わたしはぐったりと椅子に腰掛けた。

豚肉を切って塩をまぶしただけなのに、こんなに疲れるとは。

スープに使う湯を沸かしたいと思い、キッチン用のアピの火を起こそうとするが、起こし方がわからない。

とりあえず見よう見まねでアピの石を袋から出し、コンロとして使っている場所に置いてみるが、何も起こらない。

アビの石は炎を閉じ込めたようにチラチラと光っているだけで、炎が上がらないのだ。

うーん?なにかやり方があるんだわ、きっと。

わたしはボタンがあったりしないものかとじっくり見てみるが、当然あるわけもない。

しばらく石とにらめっこしているところに、アブソレムが食堂へ入って来た。

「なにをしている」

風呂上がりでも彼はいつもと全く同じ出で立ちだった。

髪も濡れていないし、服もいつも通りだ。隙がなさすぎる。

「火をつけたいんだけど、使い方がわからないの」

アブソレムは無言でわたしの隣に来て、アピの石の近くに手をかざす。

「どんな火にしたいか、心の中で考えるだけでいい」

そう言った途端、火が燃え上がった。

すごい。これはファンタジー感ある。

アブソレムがすぐに火を消したので、わたしもやってみようと、手をかざし、燃える火をイメージする。

火は音もなく赤々と燃え上がった。

「できたわ!すごい。便利ね」

わたしはそう言うと、昨日見たように水の入った鍋を火の上に置こうとする。

が、手を離した途端鍋は水を振りまきながら床に転がった。

「馬鹿者。鍋を支えるイメージもしなくては、ただの火だ」

二度目の挑戦で、無事鍋を火にかけることに成功した。

「アブソレム。スープにいれる野菜が欲しいんだけど、場所を教えてもらえる?」

彼は軽く頷くと食堂側の庭へ出て行く。

わたしは大きなカゴを抱えて後について行った。

ついたところは庭に出て右に曲がった、東屋へいく途中にある畑だった。

そこには見たこともない野菜の他に、ナスやトマトも鈴なりになっている。

ハーブの旬はわからないけれど、野菜の旬なら少しはわかる。

今は春なのに、トマトやナスが実っているのはなぜだろう。

わたしがそんなことを考えていると、アブソレムに声をかけられた。

「なにがいるんだ」

彼は鋏を持っている。

「ええと、トマトとナス、それからたまねぎ……」

わたしが指定したものが、ぽいぽいとカゴに入れられていく。

この庭、本当になんでもあるのね。

「次からひとりで採れるように、大体の場所を覚えておきなさい」

アブソレムの言葉に、わたしは頷いた。

野菜の形は前の世界と全く同じだから、次回からひとりで収穫することもできそうだ。

「畑の植える位置ひとつ取っても、全て意味がある」

わたしがニンジンを一本抜いていると、突然講義が始まった。

「ニンジンの隣はローズマリーだ。ニンジンを食べるハエの幼虫が寄り付かなくなる」

ローズマリー!肉と焼いたらおいしそうね。

わたしはローズマリーも少し採っておく。

「イチゴの隣はボリジだ。なぜだかわかるか?」

そういえば、ボリジって最近聞いた気がする。

頭の中のノートを広げ、記憶を辿って行く。

「たしか、花粉が多くて、ミツバチが寄ってくる花だったわね……。ということは、よく受粉をするからイチゴの実がつきやすい?」

アブソレムが「そういうことだ」と言ってわたしのカゴにイチゴをいくつか放り込んだ。

「知識が増えれば増えるほど、そうやって新たな知識を吸収することができる。しっかり学びなさい」

アブソレムは立ち上がって裾を軽くはたくと、食堂の方へ戻っていった。

その後、火の扱いがなかなか大変だったが、なんとか夕食の準備が整った。

店の方にいるアブソレムを夕食だと呼びにいく。

「アブソレム、ごはんですよー」

彼は先ほどわたしがテーブルに運び込んだ箱の中の紙のひとつに、なにか書き込んでいるところだった。

「先に食べたらいい」

紙から顔を上げずにそう言うが、わたしはなんとなく、食事は揃って食べたい。

「待ってるわ」と言って隣の椅子に座った。

「これ、今日の荷物に入ってた紙よね?」

「そうだ」

何かを書き終えたらしいアブソレムは、真ん中の折り目できちんと半分に折り、テーブルの横の出窓を開けた。

「ドルジュ家へ」

手のひらに乗せた紙にそう言うと、紙はふわりと浮き上がって、森の向こうめがけて飛んで行ってしまった。

これ、市場のスパイス店のご主人が使ってたものだわ!

てっきりミナレット派の加護だと思っていたけど、そういうアイテムだったのね。

「これは手紙?言った名前の人の元へ届くの?」

「そうだ」

そう言ってアブソレムは残りの紙が入った箱を抱えると、適当な棚の引き出しを開けて、中身をひっくり返そうとした。

「ちょ、ちょっと待って!!」

わたしは慌てて箱を取り上げる。

「なんだ」

「なんだじゃないわよ!そんなことしてるからすぐ物を失くすんでしょ!」

わたしは手紙を仕舞う適当な場所がないかしばらく辺りを見回して、テーブル近くの棚に箱ごと入れておくことにした。

「今日から手紙はここですからね。買い足した時も絶対ここに入れてね」

アブソレムは面倒臭そうに、わかったわかったと手を振った。

食堂に行こうとした時、彼は瓶いっぱいの金貨に目を留めた。

さっき食堂でかき集めたものを、店に持って来ていたのだ。

「……金貨がある」

アブソレムは理解できない、という顔をしている。

「すこいな、君は錬金術でも使えるのか?」

わたしは肩を落として大きくため息をついた。

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