第15話 洋服の仕立てと不安の種

「さあ、アリス様。どんなお洋服が必要なのかしら?」

マダムがめがねを掛けながら満面の笑みを浮かべている。

金鎖がついた華奢なめがねだ。持っているもののセンスがいちいち良い。

娘のディワーリはアイドルオタクで、母のサムージャは服オタクなのかもしれない。

趣味の話をしている時の爛々とした怖い目が、ふたりとも全く同じ光り方をしている。

「肌寒い時に一枚羽織るものが欲しいの」

「羽織りものね。どんな形のどんな色のものが欲しい?」

マダムは棚から薄いニット生地を色々と取り出した。

手にとってよく見てみるが、生地も前の世界のものと、さほど変わらなそうだ。

「特に好みがあるわけではないから、お任せしてもいい?」

わたしが生地から手を離してそう言うと、マダムは眉をひそめた。

「好みがないのでしたら、お手持ちのお洋服と合わせて仕立てましょう」

「それなら今着ている服に合わせてもらえればいいわ」

マダムがわたしの服を上から下までじーっとみる。

わたしは薄いピンク色の長袖ブラウスに、黒い膝丈のスカートという服装だ。

穴に落ちた日の朝から着たままなので、そろそろ洗濯したい。

この世界の女性にしてはスカート丈が短くて、生地の使い方が貧相だろうが、シルエットは大きくかけ離れてはいない。そこまで非常識ではないだろう。

穴に落ちた時、デニムとか履いていないで本当に良かった。

「他のお洋服で多い色はどんなものかしら?」

マダムはわたしの肩にニット生地をかけて、顔色と色味を比べながらそう聞いた。

「持っているのはこれだけよ」

そう言った途端、マダムが持っていた生地を落とした。

ボンボン…と転がる生地を侍女が慌てて拾いに走る。

顔が真っ青だ。

「まさか。これだけですって…?」

唇がわなわな震えている。瞳孔が開ききっていて、顔が怖い。

「そ、そうなの。なにも荷物がなくて」

マダムが額に手を当てて、くらりとよろめいた。

「ママ!しっかり!」

同じく青い顔をしたディワーリがマダムの肩を支える。

「ママ、大丈夫?」

「ええ……ありがとう、ディワーリ。私、私……!アリス様があまりにお可哀想で……」

「そうよね。わかるわ。こんな粗末なお洋服だけで、他の荷物が何もないだなんて、よっぽど大変な思いをされたのでしょうね」

最後にふたりは、声を揃えて「お可哀想に……!」と涙した。

わたしの一軍通勤服は、粗末だと言われてしまった。だがお芝居を見ているようで、眺めている分にはとても面白い。

内心面白がっていると、ふたりはスクッといきなり立ち上がり、揃ってこちらをじとっと見つめた。目が完全に据わっている。

「これはもう、やるしかないわね。ディワーリ」

「ええママ。徹底的にやりましょう」

わたしはあまりの恐ろしさに、心の中でアブソレムに助けを求めた。



「それではブラウスがこれだけで、下着がこちら。羽織りはこれとこれとこれね。なかなかよろしいわ」

マダムが嬉しそうに生地を整理している。

わたしはゼイゼイ言いながら床にへたり込んだ。

怒涛の採寸と色味合わせ、仮縫いがやっと終わったのだ。ものすごく疲れてしまった。

「これであとはスカートだけよ」

マダムがにっこり笑って言った。

「あ、スカートについてだけど、ひとつお願いがあるの」

「あら、なにかしら?」

「スカートじゃなくって、ズボンにして欲しいの」

わたしの言葉に、ふたりは困った顔をして首をふった。

「女性がズボンを履くのは、ちょっと……」

どうやらこの世界では、はしたない格好とされているようだ。

「そうなのね。うーん。箒に乗る時にまたがれないと、ちょっと怖いのよ」

どうしてもダメかと聞いてみても、やはり首を横に振られてしまった。

まいったなあと思っていると、ピーンとアイデアが浮かんだ。

「あの、サムージャ?布地をたっぷりとって、スカートにみたいに見えるズボンならどうかしら?」

わたしは紙に書いて説明した。前の世界で言う、ガウチョパンツを思い出したのだ。

マダムはわたしの説明の紙を真剣に眺めて、「これなら大丈夫かもしれないわね」と頷いた。

「とてもいい考えだわ。他にも必要としている女性がいるかもしれない」

どうやらガウチョパンツ案は合格のようだ。わたしはホッと胸をなでおろした。

「それから、わたしノートをいつも持ち歩いているから、それを持ち運ぶためのポケットがたくさんついた服は作れる?」

また紙に書いて説明する。イメージは釣り人が来ているような、たくさんポケットがついたベストだったのだが、これは瞬時に却下された。

「これはいけませんわ。美しくありませんもの」

「そう……」

わたしがガックリしていると、奥の部屋からたくさん服を運んで来たディワーリが助け舟を出した。

「エプロンにしたらいいのではなくて?」

「ああ!それならいいわね」

今度はマダムが絵に書いて説明してくれた。

エプロンを膝丈くらいの長めの丈にしたら、ガウチョパンツもより一層スカートっぽく見えそうだ。

「いいアイデアだわ。これも是非作ってもらえる?」

できれば白がいいわ、と付け加えた。

マダムの絵が、いかにも絵本のアリスが着ているような形だったので、どうせなら色も合わせたくなったのだ。


「これで全て揃ったわ」

マダムが腰に手を当てて息を大きく吐いた。達成感で満ち溢れているように見える。

「本当にありがとう、マダム。出来上がるのを楽しみにしているわ」

マダムはわたしの言葉にニコッと笑いながら、ディワーリに「準備できて?」と聞く。

「ええママ。アリス様、これを持って行ってくださいな」

ディワーリは大きな袋に詰められた、たくさんの服を持っている。

「できあがるまでどんなに急いでも2~3日はかかるから、それまでの着替えに」

袋にはスカートやブラウスに他に、ワンピースタイプの寝間着や下着まで入っていた。

「そんな、私物でしょう?」

わたしが断ろうとすると、ふたりは笑って言った。

「いいのよ。着替えがないと困るでしょうし、アリス様がわたしたちの服を着ているとなれば、話題になるから」

わたしは、じわりと目元に涙がたまるのを感じた。

「ふたりとも……ありがとう」

渡された大きな袋に顔を埋めてお礼を言う。

やっぱりわたしの勘は間違っていなかった。この人たちはなんていい人なんだろう。

「今はお金がないけれど、必ずお礼をするわ」

そんないいのよ、とディワーリが笑っていると、ドアが突然開いてアブソレムが入ってきた。


「帰るぞ」

そっけなくそれだけ言ってさっさと外に出てしまった。

ディワーリはアブソレムの顔が見えた途端、ギャアと叫んで奥の部屋に行ってしまった。

「わかったわ。本当にありがとう。そろそろ行かないと。今日お客様が見えるの」

わたしが貰った袋を両手に抱えなおしていると、マダムが「どなたが見えるの?」と尋ねる。

「ええと、クロス派の王子だと聞いたわ」

わたしの言葉を聞いたマダムが険しい顔をした。

「まさか、トーマ・ベルナール様?」

「そうなのかしら?名前は伺っていなくて」

肩をすくめてそう答えると、マダムは少し考えてから小さな声で呟くように言った。

「トーマ様にはお気をつけて。アリス様。」

「え、どうして?」

マダムの真剣な顔に、一抹の不安を感じる。

「トーマ様は結婚相手を探していらっしゃいます。アリス様が現れたと知ったら、なんらかの手が回されるでしょう」

言葉の意味するところがわからず、私は首をかしげる。

「クロス派はクロス派同士で結婚をするのではなくて?」

「普通はそのようにしますわ。もちろん、他の宗派と婚姻しても全く問題はありません」

そうなのね。他宗派との結婚に関しては思っていたよりも寛容のようだ。

「ただし、王族となれば話は別。トーマ様はこの国の次代の王となられる方です」

未だに意味がよくわからず、わたしは黙って聞いている。

「基本的に、同じ宗派ですと生まれる子の宗派も同じものになります。クロス派の両親から生まれる子は、やはりクロスの加護を持った子ということ」

マダムはそこでため息をついた。

「でも、ごくたまに変異が起きて、別の宗派の子が生まれることがあるのよ」

いつのまにか戻ってきていたディワーリが続ける。

「隣国のペルシア国の話です。トルニカ派の第二夫人が他の宗派の子をお産みになって……。その子たちは、結局行方不明に」

ディワーリは悲しそうに、まつげを震わせた。

「そして、おふたりのお母様である王妃様は極刑に処せられた」

わたしは息を飲む。

「でも、変異はたまにあることなのよね?それなのになぜ?」

「そうだけれど……。王妃様が不貞を働いたと強硬に言い張る派閥があった、と聞いているわ」

つまり、他宗派の者と不貞を働いたため、トルニカ以外の子が生まれたのだと責められたわけか。なんてひどい話なんだろう。

「それで、どうしてわたしが関係するの?」

わたしの疑問は、マダムが答えてくれた。

「アリス様のような加護を持たない方達は、確実に父方の宗派の子を産むと言われているのよ」

背筋がつうっと冷たくなった。

確実に王家の血を残せる腹として、わたしを利用しようとするかもしれないということか。

「……教えてくれてありがとう。気をつけるわ」


扉の外では、アブソレムが待ちくたびれていた。

「話が長い」

「ごめんなさい。ちょっと色々と教えて貰っていたの」

わたしは貰った服の詰まっている袋を抱えて、箒に座った。

アブソレムは何の荷物も持っていない。スパイス店の主人に頼んだのだろう。

「それじゃあ、サムージャ、ディワーリ。今日は本当にありがとう」

ふたりはわたしとアブソレムに、膝を折ってお辞儀をした。

「仕立てが終わったら、お洋服を送るわ。アリス様」

ディワーリの言葉を聞き終わる前に、アブソレムは地面を勢い良く蹴った。


空からケルンの街を眺めながら、わたしはアブソレムに聞いてみた。

「ねえアブソレム。わたし、王子様に求婚されると思う?」

アブソレムは吹き出して、その勢いで箒がガクッと揺れた。

「一体服屋でなんの話をしていたんだ?」

アブソレムの呆れ声を聞きながら、わたしは胸に不安の種が生まれたのを感じていた。

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