第14話 トルニカ派のご加護
サムージャとディワーリは、移動式の露店ではなく店舗を構えていた。
市場のある大きな広場から道一本入った、ちょっと高級感のある通りだった。
石畳もただ敷いただけではなく、円を描くように敷き詰められている。
「当店へようこそ、魔女様」
そう言ってサムージャはガラスのはめ込んであるドアをあけてくれた。
こちらの世界のドアはほとんどにガラスがはめ込んであるけれど、なにか意味があるのだろうか?
中に入ると、ここが生地屋兼仕立て屋なのだと一目でわかった。
既製品が並んでいるのではく、たくさんの生地が壁一面の棚に収められている。
この世界では服は生地を買って、自分で作るものなのだろうか?
置かれている家具はどれも重厚で、高級そうだ。
裕福な人向けのお店なのだろう。天井からのシャンデリアがきらきら輝いている。
ただ、シャンデリアに使われているのは蝋燭ではなく、小粒な輝く石だった。
「それで、魔女様はどんなお洋服をお探しで……」
「それより!魔法使い様とのご関係を伺いたいわ!」
サムージャの言葉を、ディワーリの甲高い叫び声にも似た声がかき消した。
ディワーリがすごい勢いでこちらにズンズン近づいてくるので、わたしはうしろにあった革張りのソファに、押されるように座り込んでしまった。
まつげの長いかわいらしい目が爛々とあやしく光っている。
「アブソレムとの関係って……?」
わたしの言葉を聞いて、ディワーリがひゃああと声にならない叫びをあげる。
「魔法使い様を!ア、アブソ……お、お名前で呼ぶなんて!」
顔を真っ赤にしてきゃーきゃー言っている。
あら?これってもしかすると、そういうことなの?
「もしかしてディワーリ、あなたアブソレムのこと……」
わたしがそう聞くと、顔を真っ赤にした彼女に「それ以上言わないでくださいませ!」と止められてしまった。
「ご無礼を申し訳ありませんわ、魔女様」
サムージャは頬に手を当てて、困ったように言った。
「娘は魔法使い様に憧れておりまして」
「やっだママ!恥ずかしいじゃないやめてよ!」
ディワーリがきゃーっと言いながらマダムの背中をパーンと叩いた。
マダムはあまりの勢いによろけたが、やれやれといった感じで何も言わない。よくあることらしい。
「うーん。アブソレムとの関係といっても、ただの弟子と先生というだけよ」
今のところ弟子と先生というより、迷い犬と拾い主の方がずっとしっくりくる表現だと思ったが、それは黙っておいた。
「本当ですか!?ああ、良かった!」
手の指を前で組んで、パアッと輝く笑顔を向けてくれる。眩しいくらいだ。
あまりにも恋する乙女という感じで微笑ましく、ついつられて笑ってしまう。
「ディワーリ、失礼ですよ」
マダムが代わりに謝ってくれる。気にしなくていいのに。
「それで娘は、できれば魔法使い様に、結婚式の花冠をお願いしたいと言っておりまして」
あれっ!?いま結婚式って言った!?
わたしは聞いていいものか少し迷ったが、聞いてみることにした。
「結婚式ですか?でも、アブソレムのことは……?」
ああ、とディワーリは笑って答えてくれる。
「魔法使い様のことはもちろん憧れておりますが、一介の庶民であるわたしが、深い関係になれるとは思っておりませんわ」
どうやら、わたしが思っているよりも魔法使いの身分はかなり高いらしい。
「そうなのね。あの、実はわたし、ちょっと事情があって、過去のことをあまり覚えていないの。だから色々教えてくれると助かるわ」
言っていいものか少し迷ったが、悪い人ではなさそうと判断して、そう素直に伝えてみた。
ふたりはわたしの言葉を聞いて顔を見合わせたが、すぐに笑顔になり、「もちろんです」と言ってくれた。
「それにしても、過去のことを覚えていらっしゃらないというのは……」
マダムが侍女からお茶を受け取りながら聞く。
いつのまにお茶を頼んでいたんだろう。全く気が付きもしなかった。
というか、侍女さんを生まれて初めて見たわ。本当にお金持ちなのね、このお家。
「高いところから落ちてしまって。神の加護についても記憶があやふやで……。トルニカ派についても、詳しく教えていただけると嬉しいんだけど」
……この言い方なら、嘘つきにならないギリギリセーフのラインよね?
わたしはいかにも悲しそうに、目を伏せてそう言ってみた。
「まあ。それはなんてお可哀想に」
そう言いつつ、マダムがお茶を勧めてくれた。
わたしの前に置かれているティーカップからは、紅茶の香りがしている。
「それでは簡単にですが、私たちがお話いたしますわ」
お茶を一口飲んで口を湿らせた後、説明してくれた。
「私たちトルニカ派の神は、無数におりますの」
えっ!?そうなの?無数にって、そんなことあり?
わたしは内心びっくりしたが、極力顔には出さないように気をつけた。
うーん。でもよく考えると、前の世界の日本でも「八百万の神」という言葉があったくらいだ。宗教には明るくないから固有名詞はパッと出てこないけれど、結構あることなのかもしれないな。
「ただし、神の中にも至高神がおられます。それがトルニカ様なのです」
ディワーリがうっとりとした目つきでそう言った。
……この目、さっきアブソレムのことを語っていた時と同じ目だ。
この子、前の世界で言う、アイドルオタク系の子なのかもしれないわ。
「トルニカ派のご加護は火です。また、暖かく燃える命という点から、動物に対しても加護を得ている者たちもおります。私たちは加護を活かし、火を使う職業や畜産を得意としておりますの」
わたしは頭の中のノートにメモをとりながら、質問をした。
「火を使う職業って、例えばそんなものかしら」
マダムはさっと片手を挙げると、後ろに控えている侍女に何かを言いつけた。
侍女が裏の部屋から持ってきたものは、片手に乗せられるほどの小さな革袋だった。
すごく高そうな糸で刺繍がバンバン入っていて、値段を聞きたくない感じだ。
「この火はアピと言います」
テーブルの上のガラスの皿に、革袋から火の塊を落とした。
火の塊は赤々と燃えていて、部屋が一気に暖かくなった。
「これは魔石を、トルニカの者が加工したものなのです。ちなみにこれは暖房用です」
なるほど、これが魔石なのか。
わたしはアピの火をじっと見つめた。なんだかほっとする暖かさだ。
そういえば、アブソレムがかまどで似たような火を使っていた。
火の中に何か塊がある、と不思議に思っていたが、まさかあれが魔石だったとは。
「この他にも、街の明かりを灯したり、旅の道を照らす明かり番として、トルニカの者は欠かせませんのよ!」
ディワーリが突然立ち上がり、両手をグッと握っていかにも誇らしそうなポーズをとった。
キラキラした効果音が聞こえてきそうな顔だ。
ぶはっと吹き出しそうになってしまった。
わたしの勘だけど、この子、きっとめちゃくちゃいい子だわ。
「ありがとう。とっても勉強になったわ」
わたしはお茶も一口いただいて、お礼を言った。
無数の神に、至高神に、アピの火。
たくさんの新しい知識が手に入って、幸せな気持ちでいっぱいだ。
帰ったら一度ノートにまとめて、頭の中を整理したい。
「魔女様は、魔法使い様の……」
「あの、ディワーリ?」
なにか言いかけたのを、わたしは遮ってしまった。
「わたしはまだ魔女見習いで、正式な魔女ではないの。だから、できれば敬語をやめてほしいのだけど?」
こんなに丁寧に対応されるのは正直居心地が良くないのだ。
わたしのその言葉に、ふたりは同時に「いけませんわ!」と答えた。
やっぱり断わられたわね。
ふふん、でもこっちには奥の手がある。
「そうなの、残念ね……。そうしてくれたら、アブソレムに結婚式の花冠を頼もうと思っていたのに」
わたしが残念そうにため息をつくと、ふたりはパッと目配せをし、慌ててヒソヒソ相談し始める。
相談が終わるのをお茶を飲みながら待っていると、ディワーリが軽く咳払いした。
「分かったわ。敬語をやめるから、花冠をお願いしたいの。魔女様」
「アリスよ」
「アリス……様」
まぁ、様付けくらい仕方ないかもしれないわね。
ふたりが頑張って敬語をやめてくれたのだから、わたしも頑張って様付けに慣れなければフェアじゃない。
「ありがとう。それではアブソレムに頼んでみるわね」
会話を聞いていたマダムが、心配そうに口を出した。
「アリス様。お願いしてからいうのも何ですが、魔法使い様に花冠を頼むのは、かなり難しいかと」
「え、そうなの?」
わたしは首を傾げて聞いた。頼めば普通に作ってもらえると思っていた。
「ええ。魔法使い様は、病や作物の不作、天災、不慮の事故など、止むを得ない場合しか話を聞いてくださりません」
「えっ!?そうなの!?」
あまりに驚いて、さっきと全く同じ反応をしてしまった。
「私たちは、できれば生活の上で必要になる、細かな薬なども煎じていただけると嬉しいんですが、なかなかお忙しいようで……」
ああ……。
緊急性がないと判断した話を、完全に無視するアブソレムが眼に浮かぶわ。
でも、確かにそうよね。
薬は魔法使いに頼らざるを得ないのなら、化粧水や、ハンドクリーム、虫除けのような細かなものだって、なかなか手に入らないはず。でも絶対欲しい人はいるわよね。
難しい依頼はアブソレムに任せて、細かい生活用品をわたしのほうで請け負ったら、案外いい商売になるんじゃないかしら?
たくさんの考えやアイデアが頭に浮かんでは消えていく。
この話は、あとでアブソレムに相談したほうがよさそうね。
「なるほど、わかりました。それでは帰ってアブソレムに相談して、またお知らせするわ」
ぼーっと考えごとをしている頭のままそう言って、立ち上がり帰ろうとするわたしの肩を、マダムがガッと押さえつけた。
「アリス様。お洋服がまだですわ」
上品にそう笑うマダムの目は、ディワーリと同じように爛々とあやしく輝いている。
そのあまりに勢いに押され、わたしは蛇に睨まれた蛙のように、少し震えながらソファへ座り直すしかなかった。
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