第13話 スパイス店でのお買い物
わたしたちは街の中央の市場へ到着した。
市場は露店が集まっていて、各店舗は固定されておらず、移動式になっているようだった。
「どうしてお店がたためるようになっているの?」
わたしはがそう言うと、「祭りの時は片付けて広場にするためだ」と教えてくれた。
博多の天神屋台みたいなものかな?
「それで、何の調味料がいるんだ」
アブソレムが希望を聞いてくれるが、この世界の調味料と前の世界のものが同じとは限らない。言ってみたらわかるだろうか。
「あの、塩や胡椒、醤油や味噌が欲しいんだけど……」
「よくわからんものもあるが、それならスパイス店だな」
わたしは周りの露店をキョロキョロ見ながら、彼の後をおとなしくついていった。
迷子になったら帰れそうもない。
5分ほど歩き、着いたところはテーブル一面に量り売りのスパイスがずらりと並ぶ、カラフルなお店だった。天井となっているテントの端からも、馴染みのないスパイスがたくさん吊り下げられている。
「こんにちは」
わたしがそう声をかけると、店主らしい恰幅の良いおじさんがこちらを振り返って、素っ頓狂な声を上げた。
「これは、魔法使い様!」
えっ?今、魔法使い……様って言った?
「いや、これは失礼。あまりに驚いたもので。せんだっては嫁のお産をお手伝いいただき、ありがとうございました」
店主はものすごくニコニコと、嬉しそうにしている。
この人の子供をアブソレムが取り上げたのだろうか?全く想像がつかない。
店主は、完全に自分の言葉を無視しているアブソレムに全く怯まず、「それで、今日はなんのご用でしょう」と話しかけている。
この人も、無視されるのはもう慣れっこって感じね。アブソレム、わたしだけでなくみんなに対してこんな感じなんだ。
「用があるのは私ではなく、アリスだ」
そこでやっと店主はわたしに気がついたらしい。
アルの時といい、わたしはいつも人になかなか気がつかれない。印象が薄いのかな?
「おやおや。こちらはどこのお嬢さんでしょう」
「アリスは私の弟子だ」
店主は絵に描いたように目を丸くした。
何も言わないところをみると、言葉が出ないほど驚いているのだろう。
「で、弟子ということは、こちらは魔女様で?」
「まあ、まだ見習いだがな」
アブソレムの声を聞くと、店主はまたもや目を大きく見開いて「ちょっと失礼を」と言い、何やら小さな紙に何を書きつけた。
その紙をたたみ、手のひらに乗せて胸の前ほどに持ち上げる。
「サムージャのところへ」
店主が自分の手のひらに向かってそう言うと、紙が浮き上がり、一目散にどこかへ飛んでいってしまった。
……すごいわ。こちらの世界での連絡手段なのかな?
加護の力がアルと似ているから、この人もミナレット派の風使いなのかも。
わたしはにっこりと笑ったまま、驚きを隠してそう考えた。
なんとなく、わたしが何も知らないと言うことは隠しておいた方が良さそうだと思ったのだ。
「すみませんね、お待たせして。それでは魔女様に必要なものを伺いましょう」
店主がこちらを見てにっこり笑い、そう言った。
「ありがとう。色々あるの。まずはお塩だけど……」
「塩なら店にある」
アブソレムが突然話に入ってきたので、わたしと店主は揃って彼のほうを向く。
キセルを吸いながら、目をつぶって話を聞いているようだった。
「じゃあ胡椒……」
「胡椒は庭にある」
出た。お得意の、「庭にある」だわ。
「じゃあにんにく……」
「庭にある」
その後、わたしが何を言っても、アブソレムに「庭にある」と言われてしまう。
サンテ・ポルタの庭には、なんでもあるのか。
「それでは、コンソメは?」
「……なんだそれは」
やっと庭にないものが出てきたらしいが、わたしが簡単にコンソメの説明をすると、店主に「あまり聞いたことがないが、肉を使うのならならば肉屋だと思う」と言われてしまった。
がっかりだ。わたしはスパイス店には用がなかったらしい。
わたしが黙ってしまったのをみて、店主が心配そうな顔をしている。
「なにか必要だからきたのではないのか?」
アブソレムが煙を吐きながらそう急かす。
こうなるって、絶対わかってたんだ、この人。
「あとは……醤油と味噌があれば嬉しいけど、ないわよね?」
言ってみたはいいが、どう考えても、この地域に日本の調味料はなさそうだ。
わたしはため息をつく。
「ショーユとミソ?先ほどもそんなことを言っていたな。なんなんだそれは」
アブソレムがやっと目を開けて聞いた。
「どちらも大豆を利用した調味料よ」
わたしがそう答えると、店主がパアッと嬉しそうな顔になり、「大豆ならあります!」と、大袋を出してきてくれた。
「どうやって豆から作るのだ、ショーユとやらは」
アブソレムは大豆をひとつ摘み上げ、眺めている。
「大豆を発酵させるのよ」
わたしはちょっと得意になってアブソレムに言う。
彼に教える立場になることが、新鮮で嬉しかった。
「それではミソのほうは?」
「……大豆を発酵させるのよ」
アブソレムはため息をついて大豆を大袋に戻した。
あ!これ、絶対アホの子だと思われてるわ!
突然言われても制作過程の違いなんて、うまく説明なんてできないよ。
「ふ、ふたつはちがうのよ!こう、発酵の過程が……!」
わたしは慌てて訂正するが、もう話を聞いていない。店主に「大豆をもらおう」と言っている。
「へい、ありがとうございます。重いですが大丈夫ですか?よろしければ運び込みましょうかね」
店主が嬉しそうに大豆の大袋の口を縛っている。
「そうしてくれると助かる。今日はもう少し買うものがあるのだが、まとめて送ってくれないか」
わお。結構図々しいことを頼むわね。
「もちろんです。それでは、帰りに寄ってくださいね」
店主のその言葉を聞いて、アブソレムはさっさとどこかへ行こうとする。
ちょっと待って!お金を払ってないよ、この人!
「アブソレム!お金は?払わなくっていいの?」
わたしが彼の服の裾を捕まえてそう聞くと、「持っていない」と答えた。
「えっ!?お金がないの!?」
ものすごくびっくりして、つい大きな声をだしてしまう。
じゃあどうやって買うのよ?わたしもこの世界のお金なんて持っていないわ!
わたしたちのやり取りを見ていた店主がオロオロしながら話に入ってくる。
「魔女様。皆、魔法使い様からは、お代は頂かないんですよ」
お代は頂かないって、なにそれ?
そんなの許されるの?
わたしはしばし呆然とする。
店主が相変わらずオロオロしていると、市場の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。
「おお、サムージャ!間に合わないかと思ったぞ」
どうやら店主の知り合いらしい。さっき紙を送っていた相手だろう。
「魔法使い様がいらしていると聞いて、走ってまいりましたわ」
ゼイゼイ息を切らしているのは、金髪を複雑に結い上げているマダムだ。
40代くらいだろうか。服装からしてかなり裕福そうだ。
白くたっぷりとしたフリルのブラウスに、胸下から足首まである長いオーバースカート。
あの腰の細さからして、コルセットも締めているようだ。
「お会いできて嬉しいです、魔法使い様」
膝を折ってそう挨拶したのは、マダムによく似た若いお嬢さんだ。
マダムと同じような服を着ているが、フリルや髪飾りは少し控えめで、上品な雰囲気を持っている。娘さんなのかな?
「それで、こちらが魔女様ね?」
真剣に服装を観察していたので、突然話を振られて少々面食らってしまった。
「はじめまして。トルニカ派のディワーリと申します。そこにいるサムージャの娘です」
トルニカ派!ミナレットとクロスに続いて、新たな宗派の登場だ。
あとで加護の種類をアブソレムに聞かなくっちゃ。
ディワーリはわたしに対しても膝を折った丁寧な挨拶をしてくれる。
まつげが長くて、印象的な美人だ。
「はじめまして。アブソレムの弟子になったアリスです」
わたしが挨拶を返すと、ディワーリは笑顔のまま、口元だけピクリと引きつらせた。
なんだろう?挨拶の作法でも間違っていたかな?
「あなた、何か騒いでいたようだけど?」
サムージャが息を整えながら店主へ聞いた。
「ああ、魔女様が、大豆のお代をとおっしゃるんだよ」
店主がそう言うと、ディワーリが「とんでもありませんわ!」と甲高い声を上げた。
「魔法使い様からお代をいただくなんて、この街のだれもいたしませんわ!」
どうやら本当にアブソレムにお金は不要らしい。
わたしはそれを聞いて心配になってしまった。
「アブソレム……あなたもしかして、交易の輪に入れてもらえていないの……?」
神の加護がないと買い物もできないと言っていたのは、このことだったのだろうか?
「君はバカか。必要ないだけだ」
アブソレムは思い切りのあきれ顔でそう答えた。どうやら仲間外れにされているわけではないらしい。心からホッとする。
「それに、金だっていくらかは持っているはずだが……どこに行ったのやら」
「そんな!あなた、森にある木の場所はすべて覚えているのに!」
わたしは面白くなって大笑いしてしまった。
木の場所は覚えていて、お金の場所は忘れているなんて。そんなことあるだろうか。
わたしが笑っているのを見て、ディワーリがまたも笑顔を引きつらせた。
「それに、魔法使い様はこちらからのお代を、そもそも受け取ってくださらないのですよ」
その言葉を聞いて、わたしはやっと納得した。
要は、物品とサービスの物々交換ということか。
「それで、君たちは何か用なのか」
アブソレムがサムージャに聞いた。
「新しい魔女様がお見えになったと聞いたので、ご挨拶に伺っただけですよ」
彼女は笑ってそう言う。
「ならいいが、ちょうどそちらへ行こうと思っていたんだ。アリスの服をいくつか選んでくれ」
えっ?わたしの服?
服を買ってくれるなんて思いもしなかった。
「風邪でもひかれたら面倒だからな」
アブソレムはキセルをふかしてそう付け加える。
今朝ヘーゼルの木を採るときに、冷えると言っていたのを覚えていてくれたらしい。
わたしは嬉しくなってアブソレムの手を掴んだ。
「ありがとう!着替えが欲しいと思っていたのよ」
その瞬間、ディワーリがわたしたちの間にずいっと入ってきた。
「それでは魔女様、私たちの店へどうぞ」
すごい笑顔の圧でそう言っている。なにかわたしに対して、気に入らないことがあるらしい。
「私は魔石屋に行くから、アリスを頼んだぞ」
アブソレムはそれだけ言うと、さっさとどこかへ行ってしまった。
「かしこまりましたわ。それでは魔女様、行きましょう」
わたしは笑顔の引きつったままのディワーリに引きずられながら、一抹の不安を覚えていた。
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