第16話 魔女の立場
サンテ・ポルタへ着いた時には、既に太陽が空高く上がっていた。
「荷物は既に食堂へ届いている」
アブソレムが玄関先に箒を片付けながら言った。
「クロス派が訪ねて来る前に、ある程度荷ほどきを」
わたしは玄関前で伸びをする。
箒に乗ると緊張するためか、体が硬くなってしまうみたいだ。
ついでに深呼吸もして、薬草の香りを思い切り吸い込んだ。
「OK。今、何時頃かしら?時計はどこかにある?見かけないけど」
アブソレムが太陽を指差して、「11時頃だ」と言う。
「私は太陽の位置で時間を測る。今は春で、太陽はあの位置だから11時だ。そのうち分かるようになるだろう」
太陽の位置で時間を?季節にもよるのに?特殊能力すぎないか。
うーん。全然分かる気がしない。
分かる日が来るまでは、ずっとアブソレムに時間を聞かなきゃいけないだろう。
わたしが腕組みして太陽を睨んでいると、「倉庫に確かひとつだけ時計がある」と教えてくれた。
よかった。荷ほどきが終わったら、倉庫を探しに行こう。
荷物は、食堂へ山のように届いていた。
大豆の大袋は分かるけれど、あとは一体なんなんだろう?
布や箱に入れられていて、パッと見ただけでは何なのかわからない。
「アブソレム、一体何をこんなに買い込んだの?ものすごい量よ!」
「いいから開けなさい」
アブソレムは出かけるために持っていた革袋を、ポイポイとそのへんの引き出しに詰め込んでいる。
あの革袋、サムージャの暖房石が入っていたものによく似ている。
アブソレムの革袋の方が装飾がなくてずっと質素だけど、きっと魔石が入っているのだろう。
ああやって適当に仕舞って、失くしたりしないのかしら。
そう考えながら、一番上の箱から開けていくことにした。
結構ずっしり重い。なにか金物かしら?
「あら、フライパンだわ!」
中身は、鉄でできていて柄が長めの重いフライパンだった。
これで朝食に卵が食べられるわね。うふふふ。
今朝のわたしの言葉を、アブソレムは覚えていてくれたらしい。
アルやサムージャから聞く話とは随分違っているなとわたしは思う。
こんなに面倒見もいいし、案外優しいところもあるのに。
次の箱からはカップが出てきた。その下からは大皿が一枚と、平皿が2枚。
カトラリーも数本ある。
「ありがとう、アブソレム!覚えていてくれたのね」
サムージャの仕立て屋で話し込んで時間切れになってしまったので、今回は食器を手に入れるのを諦めていた。まさかアブソレムが代わりに買ってくれていたとは。
わたしは嬉しくなって鼻歌を歌いながら、新品の食器を洗った。
洗ったカップたちを水切りかごに置いて、次の袋を開ける。
「あら!お肉だわ」
出てきたのは豚肉のかたまり肉だった。
「コンソメとやらは売っていなかった」
アブソレムは椅子に座って、小さな袋の中身を瓶に移し替えている。
あれはなんだろう?きらきらした砂のようだ。
海辺のお土産屋さんによく売っている、星の砂に似ている。
「探してくれたのね。ありがとう。夜はこれで何か作るわ」
わたしたちは荷ほどきを一旦そこで諦めて、チーズとパンだけをさっと食べた。
もうじきクロス派が訪ねて来るだろう。
「さきほどの話だが」
キセルをふかしながらアブソレムが突然話しだした。
「えっ?どの話?」
わたしは使った食器を拭いて、棚にしまっているところだった。
「サムージャから、ペルシア国の話を何か聞いたな?」
その言葉を聞いて、わたしは残りの食器を急いで片付けてアブソレムの向かいに座る。
「ええ。聞いたわ。隣国の第二夫人の話を」
「やっぱりな」
アブソレムがふうと煙を吐き出した。
「サムージャのことだから事実無根のことは伝えていないだろうが、あまり心配しなくても良い」
「そうなの?子供がどうとか、結婚相手にとか、そんなことを聞いたから、正直ちょっと警戒しているのだけれど?」
わたしはテーブルに置いた手を組んでアブソレムの顔を見る。
「心配しなくても良いが、もうじきクロス派に会うことだし、ついでに伝えておく。ペルシア国の亡くなった第二夫人は、この国の王妃の姉妹だった」
彼はキセルをいじりながら窓の外をぼんやりと眺めている。
わたしに話しているというよりも、1人で物思いにふけっているように見えた。
「ペルシア国で事件が起こりしばらくして、この国の王妃も姿を消した。王位継承一位の王子と共に」
「え!?それって、どうして」
「その件について噂は色々とあるが、所詮は噂だ。私は噂を話す気は無い。よって、二人揃って姿を消した、としか伝えられない」
アブソレムらしい言い分だ。
「消えてしまったのが王位継承一位の王子ってことは、今日会うトーマさんって?」
「側妃の子で、継承第二位の王子がトーマだ。姿を消した王子の弟に当たる」
わたしは混乱し始めた頭をこてんと倒し、手で支えた。
先に教えてもらっていて良かった。さすが王族、かなりごたついているらしい。
「先ほどは随分と親しげにしていたな」
「へっ?」
全く予想していないセリフを突然言われて、わたしは変な声をだしてしまった。
「君のことを名前で呼んでいた」
「あ、ああ…。そうね。わたしが、名前で呼んでと伝えたのよ」
アブソレムが面倒くさそうに目をつぶって首を振った。
この反応。悪い予感がするわ。
わたし、なにかいけなかったかしら?
「魔法使いは垣根の上の者だと伝えただろう」
「え?ええ。確かに聞いたけど?」
何を言わんとしているのか、よくわからない。
「垣根はあちらとこちらを隔てるもの。我々はいつもその中間にいなければならない。」
わたしはその言葉を聞いてハッと思い出した。
「そうだわ。中立の立場でないとならないという話ね?」
「そういうことだ」
わたしは顎に手を当てて考える。
アブソレムが誰に対しても冷たいのは、一度親切にしてしまうと、誰にでも同じようにしなくてはいけないからだったのだろう。
みんなにできないのなら最初からしない。確かに、合理的な判断だ。
「アブソレム、言わんとしていることは分かったわ」
わたしは考えを頭でまとめながら話す。
「例えばだけれど、それって間にお金の支払いを挟んだらどうなるの?」
「どういうことだ?」
アブソレムは閉じていた目を開けた。
「今、アブソレムはサービスとモノとの物々交換をしているでしょう?だから厳格に、誰に対してのサービスも同等になるよう、守らないといけないわけよね?」
「まあ、そういうことだな」
「わたしにそれは難しいと思うの。だから、すべてのサービスに値段をつけて、売買という形にしたらどうなのかなって思って」
アブソレムは少し考えているようだ。
キセルの灰を落として、何処ともなく見ている目をしている。
「……まぁ、いいだろう」
わあっとわたしは歓声をあげる。
「安心したわ!サービスを平等にするのはなかなか難しいけれど、売買ならわたしにもできそうだもの」
「ただし条件がひとつある」
喜んでいるわたしを横目で見て、アブソレムは続ける。
「値段は相手によって変えなければいけない。そこだけ注意しなさい」
「えっ?どういうこと?」
値段を変えてしまったら、それでは平等とは言えなくない?
「裕福な者と貧しい者が、それぞれ差し出す1枚の金貨は同じ価値か?」
「ああ……なるほど。その人の経済状況から見て、平等な値段にしないといけないということね」
そういうことだと言ったきり、アブソレムは話を切り上げてしまった。
わたしはノートを取り出して、今の話をメモしていく。
相手の経済状況から値段を算出しないといけないのは、なかなか簡単ではなさそうだ。
それに通貨の単位もまだよくわからない。早めに勉強しなくてはいけないな。
「ねえアブソレム。例えばだけど。サムージャに金貨一枚で渡したものを、アルには銀貨一枚で渡せばいいってこと?」
わたしの言葉を聞いて、アブソレムは眉間にしわを寄せた。
「どうしてアルのほうを銀貨一枚にするんだ?」
「え、だって、サムージャのほうが裕福そうだから」
アブソレムが盛大なため息をついた。
「君……。アルはミナレット派でも指折りの大商家の者だぞ」
「ええっ!?そうなの!?」
わたしは驚いて顎から手を離し、大声をあげてしまった。
目の前には心底呆れている顔のアブソレムがいる。
「人を見る目がなさすぎるだろう……。しばらくは何事もわたしに相談しなさい」
わたしは椅子の上で小さくなって、「ハイ」と返事をするしかなかった。
それにしても、分け隔てなく中立を貫く、かあ。
全く覚えていなかった。クロス派に会う前に再度教えてくれてよかった、と思う。
敵意はもちろん、好意でさえも「人を分け隔てる」ということに変わりはない。
わたしはキセルを吸っているアブソレムをぼんやり眺めた。
……そういえば、アブソレムはわたしには結構優しいわ。
少なくとも、サムージャやアルへの態度よりは随分柔らかい。
買い物へ連れて行ってくれたし、化粧品も作ってくれた。
それってもしかして、お互いに垣根の上の者だからってことなのかしら?
そう思って聞くと、アブソレムは「そういうことだ」と答えた。
やはりそうか。
と、いうことは、わたしたちの間に限り、物々交換や売買の方法をとらなくても良いということね。
わたしの頭に、悪い考えが浮かぶ。
「ねえ、アブソレム?わたしに結婚式の花冠を作ってくれない?」
アブソレムがギョッとした顔をこちらに向けた。
「また何を突拍子も無いことを言っている?まだ王子に求婚される気なのか?」
全く意味がわからない、という目をしている。
「実は、ディワーリが結婚するのですって。それで花冠をあなたに頼みたいけれど、絶対受けてくれないわって相談されたのよ」
「ああ、そうか。あのディワーリが」
アブソレムはまだ訝しげな顔をしている。
「それでね、あなたが私に花冠を作って、それをわたしからディワーリに渡したらいいんじゃないかと思って」
我ながらいいアイデアだと思う。
「ああ、そういうことか。だがそうした場合でも、君はディワーリから対価を貰わなくてはいけないが?」
「それはもう貰ってあるのよ」
わたしは、食堂の隅に置かれた服の詰まった袋を指差した。
「すごくたくさんくれたのよ。これで、絶対に風邪をひかないわ」
そうにんまり笑うと、アブソレムは小さく首を振って諦めたように言った。
「仕方がない。今回だけだからな」
わたしは嬉しくなって、早くディワーリに報告したい、と心から思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます