第8話 図々しい魔女見習い

トントンと、部屋のドアがノックされている。


わたしは重たい瞼をゆっくりと開けて、小さく伸びをした。

アブソレムが起こしに来てくれたらしい。今どれくらいの時間だろうと窓の外を見ると、日が陰り始めたらしく、薄暗くなっていた。

久しぶりに感じる気怠さ。

昼寝をするのが久々すぎて、気怠さすら少し懐かしく思った。

「今、起きました。ありがとう」

わたしがドアの向こうへ声をかけると、何も言わずにスタスタと向こうへ行ってしまったらしい。足音が遠ざかって行く。

アブソレムって行動は優しいのに、態度はこの上なくそっけない。不思議な人だ。

ぐるっと首を回してみると、頬が引き攣れる感じがした。

どれくらい眠っていたのかわからないが、そういえば昨日の夜からメイクを落とせていない。多分、ものすごくヨレているだろう。

鏡がほしいなあ。どこかにないか聞いてみよう。

わたしは簡単に髪だけ整えて、ドアをあけた。


アブソレムは店ではなく、廊下の先にある食堂らしき部屋にいた。

かまどの中に火の塊のようなものが置いてあり、それに直接鍋をかけている。

不思議な火だ。

「夕方だけど、おはようございます。アブソレム」

わたしが挨拶すると、アブソレムは「食べろ」とだけ言って、テーブルにパンとチーズとスープを出してくれた。湯気のたっているスープと、丸く柔らかそうなチーズだ。それを見て初めて、自分のお腹が空いていることに気がついた。

「わあ、嬉しい。ありがとう。お腹ペコペコだったの」

アブソレムはわたしの言葉には何も返事をせず、自分の分の食事をテーブルに運ぶと、何も言わず食べだした。

ふうん。ファンタジーの世界のくせに、食事の前に神に祈ったりしないのね。

「魔法使いには神はいない」

スープを飲みかけていたわたしは、ビックリして零しそうになった。

「ちょっと。ひとの心を読むのはやめてくれない?」

「心を読めるわけがないだろう。予測しているだけだ」

アブソレムはおもしろがっているようだ。こんな的確に予測ができるなんて、信じられない。絶対に読心術とか、なにかの魔術だと思うんだけど。

わたしはブツブツ言いながらスープを飲んだ。食べ物は、前の世界のものとそう変わらないらしい。じゃがいもとトマトが入っている。すごくおいしい。

「魔法使いの食べ物って言っても、割と普通なのね。マンドレイクとか入っているかと思っていたわ」

その言葉を聞いた途端、アブソレムが思い切りむせた。

何事かと思って顔を上げると、ひどくむせたらしく、口に手を当ててまだ咳き込んでいるのが見える。

「どうして妖精を知らなくて、マンドレイクを知っているんだ?意味がわからない」

どうやらまた呆れさせてしまったらしい。咳が収まったら今度はクックと笑い出した。

ばかにされているようで悔しい。

「それに、マンドレイクはスープにして食べると気が狂うぞ」

……食べ終わるまで、もう何も言うまい。わたしは、なにも返事をせずにパンをちぎった。



食べ終わって食器を洗いながら、鏡がないかと聞いてみた。

コンロはないが、水道はあるようだ。使い慣れた蛇口の形にホッとした。

鏡ならバスルームと倉庫に腐るほどあると言う。どうして鏡が倉庫に腐るほどあるんだろう?

「鏡がいるのか?魔除けか?」

アブソレムは食後にまたもやキセルを吸っている。ちょっと吸いすぎだと思う。

「メイクをしているから、落としたいの。クレンジングオイルがあればなぁ」

「なんだ?その、クレンジングオイルとやらは」

「ええと、化粧を落とす油よ」

顔を触りながらそう言うと、アブソレムがそんなことかと呟いて、店の方へ歩いていった。

これは、ついてこいってことかな?

わたしも少しずつ、彼の行動が読めてきたのかもしれない。

店までついていくと、なにやらきれいな黄金色のオイルと、二種類の瓶をもってキッチンに立っていた。

「なにしてるの?」

わたしの問いには、いつもように何も答えない。もう無視されるのは慣れっこだ。

アブソレムは何も入っていない細身の瓶を引き出しから取り出し、そこへオイルをそそぎ、持っていた片方の瓶の中から黄色の蝋のようなものをつまんだ。

「これは蜜蝋」

蜜蝋だと言ったものを、オイルをそそいだ瓶に入れる。

もうひとつの瓶には、緑色のねっとりしたものが入っている。

「これはアラリアエスクレンタ」

ア、 アラリア……なに?全く聞き取れなかった。あとでちゃんと聞こう。

わたしがしげしげと眺めている間に、先ほど食堂のかまどで使っていた、火の塊の小さなものを革袋から取り出しキッチンの上に置いた。

置いた途端に燃え上がったので、少し驚いて半歩下がる。

その火に細身の瓶を当てる。どうやら、熱で中のオイルとふたつの材料を混ぜ合わせているらしい。

「この火、すごいね。魔法なの?」

わたしの言葉にアブソレムは呆れた目を向ける。

「はいはい、魔法使いは魔法が使えないんでしたね」

まったく、なんてややこしい。

「魔法ではなく、加護と呼びなさい」

アブソレムが火から下ろした瓶を何度か振り、冷ましてからわたしに寄越してくる。

まだ少し暖かい。

「え、もしかしてこれ、クレンジングオイル?」

瓶には少し濁ったオイルが入っている。否定しないということは、これは確かにクレンジングオイルのようだ。

「すごい!こんな簡単に作れるものなの?ここにあるもので?まるで魔法みた……」

また禁句を言ってしまいそうになって、わたしは慌てて口を閉じる。

アブソレムは幸い、こちらをチラリと見ただけだった。


ありがたく使わせてもらおうと、瓶を持ってバスルームに行きかけたわたしに、ある悪い考えが浮かんだ。どうしよう、さすがに図々しいと怒られるだろうか。

うーん、一か八か言ってみよう。

「あのー、アブソレム?」

彼はいつもの通り返事をしないが、悪巧みの声には気がついたようだ。

キセルを吸いながら片目だけ開けてこちらを見ている。

「化粧を落とした後に使う石鹸と、保湿のクリームも欲しいんだけど……」

やっぱりか、とでも言いたげに、アブソレムは大きくため息をついた。



ほんの数分後、わたしの目の前には、蜜蝋のクレンジングオイルに加え、ハーブ入りの石鹸と、化粧水、保湿クリームが並んでいた。

なんてすごいの、魔法使い!こんなにすぐ作れてしまうなんてっ!

作り方と材料はメモしたし、次からは自分で作れそうだ。

「ありがとう、アブソレム!本当に素晴らしいわ。とても嬉しい。次からは自分で作りますからね!」

わたしは心からの感謝と感動をアブソレムに伝えたが、彼はいつもと同じように無視したまま、キセルをふかしていた。

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