第9話 魔法使いの庭のいじわるな話
バスルームでアブソレムお手製のコスメを使い、顔を整えたわたしは、スッキリした気持ちで店へ入った。
作ってもらったコスメは元の世界の高級デパコスだと言われても信じてしまうくらい、使い心地がよくて驚いた。
これはお金を積んででも、欲しがる人がいくらでもいるのではないだろうか。
サンテ・ポルタにはすでにアルがきていた。
先ほどの服装とは違い、厚手の外套を着ている。
「あ、アル。もう来ていたのね。こんばんは」
ノーメイクで人に会うのは気がひけるけど、仕方がない。
声をかけると、アルはこちらを振り返り、例のニカッとした笑顔を見せてくれた。
「こんばんは、アリス。さっきと違って顔がツルツルだね」
……これは喜んでいいのか、悪いのか?
もしかして、さっきはヨレヨレした、よっぽどひどい顔をしていたのだろうか?
「ええ。アブソレムが化粧品を作ってくれたの」
わたしがそう言うと、アルが心底ビックリした顔でアブソレムを見た。
「えっ!?おっさんが?君に化粧品を?」
「え?ええ。おかげで、とても助かったの」
アルはへえー、ああそうー、となにやら感心している。
アブソレムは面白くなさそうに目を閉じていた。
「おっさんが、必需品じゃないものを作るなんてね。弟子なんて取って大丈夫か心配していたけれど、杞憂だったみたいだ」
いよいよ話に我慢できなくなったらしいアブソレムが、何も言わずに店の奥へと行ってしまった。
残されたわたしたちは、顔を見合わせて少し笑う。
彼にとって化粧品は、珍しいプレゼントだったみたいだ。
わたしはとても嬉しくなって、スキップしてしまいそうだった。
「ふたりとも。こちらへ来なさい」
店の奥、住居のほうへ続く廊下から声が聞こえる。
わたしたちが声のする方へ歩いていくと、アブソレムは食堂にいるようだった。
「これから幸運の妖精を呼び出しに庭へ行く。アルは伝えた通りにしてきたか?」
あ、庭で呼ぶのね。確かに妖精って、庭が似合う気がする。
「ばっちりしてきた。火薬の類は身につけていないし、ちゃんと体も清めてきた。この陽気なのに、言われた通りに厚手の外套まで着てきたぜ」
アブソレムが軽く頷き、わたしの方を向いて、「ノートとペンだけ持ってきなさい」と言った。
ノートならもちろん持っている。いつでも楽に持ち歩けるように、大きなポケットかポシェットのようなものがあればいいのに。
「今日は先ほども説明した通り、小望月だ。小望月のキーワードは、前進、資源、開花。特に、素早い成長を助けるとされる」
なるほど。月の状態にも意味があるのね。今まで月なんて、ほとんど気にしたことがない。
「これから庭へ出て、妖精を呼び出す。わたしが合図をしたらアルはこれを差し出すんだ」
アブソレムが持っているのは小さなカップだ。
あ、それさっき教えてくれたやつだ!とわたしは嬉しくなる。
通信教材の広告で、こんなシーンを見たことある気がする。
「アリス。これの中身を言ってみなさい」
気を抜いていたら、突然小テストが始まった。わたしは慌てて姿勢を正し、メモの内容を思い出す。
「ええと、ミルクとハチミツ、パン……。それに、卵とナッツの殻!」
「よろしい。これは、それらを混ぜ合わせたもので、妖精の大好物だ」
え、材料、言っちゃっていいの?そんな簡単なものなら自分でできるじゃんって思われない?
心配になってこっそりアルを盗み見たが、至って真面目な顔で話を聞いている。大丈夫みたいだ。
「それではついてきなさい」
アブソレムが食堂の奥にあるドアをあける。
今気がついたが、このドアも色ガラスが嵌まっていて、外が見えるようになっていた。
「わあ……!」
一歩外に出て、わたしは感嘆の声を上げた。なんて素晴らしい庭だろう。
広さはテニスコートくらいだろうか。数本の木々と、実をつけた低木。そしてその間を縫うように、所狭しに植えられたハーブたち。
風変わりなベンチも置いてある。天気がいい日はさぞ気持ちがいいだろう。
なんだか空気も違う気がする。考えてみれば、この世界にきて初めての外気だ。少しだけひんやりとした夜の空気に、薬草の香りが濃く漂っている。
「すごい。とてもきれいだわ」
嬉しくなって、深呼吸する。
「アブソレム!ここはあなたがひとりで管理しているの?」
わたしが先を歩くアブソレムに声をかけると、聞きなれない少女の声が響いた。
「ちょっと、うるさいわよ」
「あっ、ごめんなさい。夜なのにうるさくして……」
突然の声に、つい謝ってしまう。誰かいたのかしら?
でも、声のしたほうを見ても誰もいない。
おかしいな。聞き間違いかしら?
「分かっているなら静かにして。キンキンした声が頭に響くわ」
またも少女の声だ!一体誰?どこにいるの?
わたしはキョロキョロ周りを見回す。
やっぱり、誰もいないように見えるけれど……。
「次は黙り込んで返事もしない。何か言ったらどうなのよ」
「頭の回転が遅そうな娘ね」
「しかもわたしたちのアブソレムに馴れ馴れしくして」
「そうよそうよ」
今度は一斉に周りから声が聞こえてきた。少女の声から、妙齢の女性の声までする。
それなのに、周りを見回しても誰もいない!これは幻聴?わたし、ついに頭がおかしくなったのかしら!?
怖くなり、頭を抱えて俯くと、すぐ近くにアブソレムが来てくれていた。
「アリス。それは花の声だ」
「えっ、花?花が話すの?」
アブソレムは、わたしが頭を抱えている手を掴んで降ろしてくれる。
そして足元の花を指差した。
「ヒナギク、オニユリ。そしてバラ」
指さされた花たちはどれも普通の花にしか見えないが、確かに声はそこから聞こえてくる。
「花だって話すわ。あなた並みにはね」
「そんなことも知らないなんて、あまり賢くはなさそうな子だわね」
「さっさとアブソレムの手を離してくれる?見目もそんなに良くない子!」
「萎れた花びらみたいなスカートだこと!」
最初は花が話すという事実を自分が受け止められるか心配だったが、聞こえてくる言葉がどれもとんでもない悪口だったので、一気に腹が立ってしまった。
「なによこのいじわる花たちは!明日になったらみんな摘んでやるからね」
わたしが花に向かってそう叫んでいるのを見て、アルは心底心配そうな顔をしている。
「アリス、大丈夫か?突然何を言いだしたんだ?」
そこで初めて、アルにはこの声がどうやら聞こえていないらしい、ということに気がついた。
アブソレムの顔を見上げると、彼は満足そうに頷いている。
もしかして、魔法使いだけに花の声が聞こえるのだろうか?また、「後でアブソレムに質問したいことリスト」が増えてしまった。
わたしはノートを取り出して、質問を忘れないよう、「いじわる花の悪口が聞こえる」と書きつけた。
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