第7話 ボリジの砂糖漬けと赤ワイン

これから妖精を呼ぶだなんて!

わたしはワクワクを隠しきれずに思いっきりの笑顔になってしまう。

一体どんな感じなのかな?百聞は一見に如かず。楽しみすぎる!

ワクワクしているわたしを一瞥して、アブソレムがため息をつく。

「君は妖精も知らないのか」

「当たり前です!ここはわたしの世界とは違うって、何度も言っているじゃないですか。それで、何を準備したらいいんですか?怪しげな魔術具とか、魔法陣とか書いちゃうんですか?」

わたしが、さぁこいっ!とばかりにメモの準備をしているのを見て、アブソレムが面倒くさそうに説明してくれる。


「まずは小さなカップだ」

…え?カップ?

思いがけず普通のものすぎて、拍子抜けしてしまった。

リアクション大王のアルなら、きっと椅子から転げ落ちているはずだ。


「次に、ミルクとパン、はちみつ」

まるでおかし作りだ。

不思議に思いながらメモを取り続ける。


「それから卵の殻と、ナッツの殻」

ふんふん、卵とナッツの殻ね…。ちょっとずつ、おかし作りから離れてきたみたい。


「OK、メモできました。あとは?」

わたしがそう聞くと、アブソレムはキセルをいじりながら、一言「以上だ」と言った。

「えっ!!?以上?材料これだけ?」

これじゃあなんの変哲もない、ただの食材と生ゴミじゃない?

妖精なんて絶対に呼べなそう。

「あ、わかったわ!この卵の殻っていうのが、特殊なのね。ドラゴンの卵とか?」

「そんなわけあるか。鶏卵だ」

アブソレムが心底呆れた顔をしている。うう、そんな顔しなくてもいいじゃない。

「そうですか…結構簡単に集まるものばかりなのね。準備の時間もそんなにはかからなそう」

わたしが明らかにがっかりしてそう言うと、彼は立ち上がって戸棚から何かの瓶と赤いワインを持ってきた。

なんだろう、この瓶。ジャムの大瓶くらいの大きさ。何かの花の砂糖漬けみたいだ。


「これはボリジの花の砂糖漬けだ」

わたしが心の中で思った質問に答えるように、またもや突然始まったのは、薬草学の講義のようだ。アブソレムは、いつも唐突に説明しだす。わたしはノートに大きくボリジと書き込む。


「ボリジは1メートルくらいに成長し、丈夫でしっかりした茎を持つ植物だ。花は多くの花粉を持っているため、ミツバチを引き寄せる時にも使う」

なるほど、なるほど。ああ、新しい知識が頭に入っていくのって、本当に気持ちがいい。


「その花は気分を明るくし、悲しみを払う効果がある。その花の砂糖漬けがこれだ」

アブソレムは説明しながら、ふたつの小さなワイングラスに赤ワインをそそぎ、その中にひとつまみずつ、ボリジの砂糖漬けを浸した。

「中のボリジを、赤ワインと一緒に飲みなさい」

「へっ?」

まさか飲めと言われるとは思っていなくて、変な声を上げてしまった。

「え、いや、アブソレム?わたし別に落ち込んでもいないし、悲しくもないんだけど?」

突然別世界にやってきてしまった人が言うセリフではないかもしれないが、実際わたしにとってここは、ヘンリーへの心配を除けば、新しいことを学び放題学べる、楽園のような場所だ。全く悲しくはない。

「何を言っている。別に君の気持ちなんてどうだっていい。今日は夜に働くから、今のうちに昼寝をするんだよ」

「ひ、昼寝!?日が落ちてからっていっても……それくらい、全然大丈夫よ?」

前の世界だったらまだまだ会社で仕事をしていた時間だ。日付が変わるくらいまでなら余裕で働ける。自分で言っていて、なんだか泣けて来るけれど。

「妖精がすぐに現れるかはわからないし、どんなに遅くなっても朝は通常通り起きないといけない」

あ、この言い方は、朝が早いってパターンのやつだ。

「ああ、そういうこと…。早起きは得意だし、大丈夫だと思うけど。ちなみに魔法使いはいつも何時に起きるの?」

アブソレムがワイングラスをわたしの前に置きながら言った。

「夜明け前から暗い森に入り、薬草を摘む。効き目が最も高くなるのが明け方だからな。だいたい朝の3時、4時頃には起きてもらうぞ」

それを聞いたわたしは、急いでワイングラスを受け取った。いくらなんでも早起きすぎる。

わたしの動きを見て、アブソレムがニヤニヤ笑っている。く、悔しい…。


「これは入眠効果もある。飲んだら、部屋に行きなさい」

その声を聞きながら砂糖漬けが浸かった甘いワインを飲むと、体のちからが一気に抜ける感覚になった。肩の重さを感じる。これは早く眠れそうだ。

お礼を言って、席を立ったわたしの背中にアブソレムが声をかけた。

「日が落ちる前には起こしに行くから、ゆっくり眠りなさい」

その声を聞いて、もしかして彼は、わたしを心配してわざわざワインにボリジを混ぜてくれたのかもしれない、と思った。



もらった部屋は小ぢんまりとしているが、何の荷物も持っていないわたしにはちょうどいい。大きな出窓からは、うっそうとした庭と何かの蔦が絡みついている木が見える。

奥に見えるのは、森だろうか。

軽いけど暖かなキルトのベッドにもぐりこみ、ここ半日の出来事を思い出してみる。

キセルをずっと吸っているアブソレム、笑顔の素敵な風使いのアル、そして怖い顔もきれいなストラ。

ホワイトブリオニーとボリジについて、明日復習をしなくては。

ああ、そういえばあのうさぎはどこに行ってしまったのだろう。アブソレムにいつか聞かないと…。

そういえばわたし、彼に敬語を使わないのはなんでだろう……。

取り留めのない考えが、浮かんでは消えて行く。

よくわからない世界に落ちて来てしまったのに、どうしてわたしはこんなにも安心して眠ろうとしているのだろうか。

ベッドからはサンテ・ポルタと同じ、薬草の匂いがした。

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