第2話 垣根の上に立つ人たち
窓の外の光がいつのまにか強くなっていた。
今、何時なんだろう?書店にいた時は夜中だったけれど……。
魔法使いになれと突然言われたわたしは、そんなことを考えて現実逃避していた。
「魔法使いには、なれません……。わたし、魔法なんて使えませんから」
これはいよいよどうしようもないな。のたれ死ぬまでこのまま一直線か。
わたしがそう思って頭を抱えていると、アブソレムは面倒くさそうに口を開いた。
「きちんと学べば、魔法使いにはなれる。学ばなければなれない。それだけだ」
学ぶという言葉を聞いて、ピクリと反応する。
確かに今、学ぶと言った?わたし、学ぶのは大好きですが!
「えっと、でも、杖も持ってないし、手から魔法が出たりもしませんよ?」
「手から何も出ないから魔法使いになるしかないと言っているのだが。どうやら話がうまく通じていないな」
アブソレムが立ち上がって壁のほうへ歩く。
今気がついたが、彼は変わった服を着ている。深い紺色と黒の間の色で、丈が長い。ファンタジー映画に出てくるローブのようだ。袖や裾に光る糸で刺繍が施してある。
「これを見なさい」
壁から布製のタペストリーを降ろしてきて、机の上に置いた。
長細い形で、上から並んでいくつか絵が刺繍してある。
葉っぱ、鍋、カエル、また葉っぱ。そして塀の上に立つ人。とても繊細で美しい。
ところどころに宝石のようなビーズが縫いこまれている。
「わあ、きれいですね。これはなんですか?」
「これが魔法使いだ」
これが?魔法の光も、杖も出てこない。
あるのは葉っぱとカエルと鍋だけだ。あと、キラキラ輝く石。
「魔法使いとは、薬草と自然に長けた、賢い者のことを言う。神の加護はないが、自ら代わりとなるものを作り出し、生き抜いてきた。古くから薬やまじない、魔術で人の生死に深く関わってきたのだ」
タペストリーを指差しながら説明してくれる。
「まずは薬草を学ぶこと。そして自然についても。また、調合や、まじないと魔術の方法を学ぶ。魔石を使って、加護の代わりとなる力を持つことも忘れてはいけない。そして、助けを求める人がきたら必ず助けなくてはいけない」
彼はそこでキセルを吸い、「まあ、少々面倒だが」と小声で付け足した。
ああ、なるほど。
この世界での「魔法使い」とは、前の世界で言う、医学が発達する前の薬剤師のような「魔法使い」のことらしい。
タベストリーをじっと見つめて動かなくなったわたしを見て、アブソレムは同情の言葉をかけてくれた。
「まあ、最初は嫌になることも多いと思うが、学ばなければ生きてはいけない。やるだけやってみては…」
そこで、わたしの顔を覗き込み、ギョッとして固まった。
わたしの顔は、これ以上ないくらいの喜びにブルブルと震えながら、ニヤニヤ笑いが大放出している。
「嫌ですって?とんでもない!新しいこと、学び放題なんですね!やったあ!」
つい立ち上がって思いっきりガッツポーズを取ってしまった。
だって、これから学び放題学べるのよ。こんな幸せなこと、ある?
薬草や自然、魔術について、とことん学んでやろうじゃないの!
「あ、ああ……喜んでもらえてなりよりだ」
アブソレムは、突然のテンションにドン引きしている。
わたしは椅子に座りなおして、またタペストリーを眺めた。
一番下の人物の絵が気になったのだ。
「この塀の上に立つ人はなんですか?」
アブソレムはお茶を飲みながら、ああ、と呟く。
「それは塀ではなく、垣根だ。垣根の上に立つ人。垣根はあちらとこちらを隔てるもの。生と死や、神の加護の違いなど。色々な境界があるが、我々はいつもその中間にいなければならない。それが魔法使いだ」
なるほど。思っていたよりも、魔法使いとは結構重要なポジションのようだ。
加護が重視される世界で加護を一切持たない、完全なるマイノリティになるから、もっと差別されるのかと思っていた。
「それともうひとつ話さないといけないことがある」
アブソレムはお茶のカップもキセルも置いて、真面目な顔をしてこちらをまっすぐ見た。
わたしもつられて姿勢を正す。
「先ほど君の名前を聞いてしまったが、魔法使いは本当の名を人に伝えてはいけない。魔術を返されるときに、名前を知られていると危険だからだ。私は君が真面目に学んでいる間は、本当の名を忘れると約束しよう。だが、これから名乗る時用に偽名を作らねばならない」
そんなことがあるのか。魔術も、思っていたよりも効果があるもののようだ。
名乗ってはいけないということは、きっとアブソレムも偽名なのね。
「魔法使いの名前は、自分でつけるものだ。何か決めなさい」
「そうですね…」
少し考えたが、わたしはすぐにある名前を思いついた。
だって、うさぎを追って穴に落ちて、こんなファンタジーワールドに来てしまったのよ。この名前しかないじゃない?
「決めました。わたしは今日からアリスと名乗ります」
アブソレムは、一言「アリスか」と言ったきり、また目を伏せて面倒そうにキセルを吸い出した。
「それでは、アリス。今日から君は私の弟子だ。お茶の追加を淹れなさい」
「はーい!」
こうしてわたしはアリスとして、このファンタジーな世界で学び放題の素晴らしい環境を手にいれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます