サンタクロースのルール

oxygendes

第1話

 クリスマスの夜。

 静謐せいひつな闇に包まれた部屋の中、天井のペンダントライトに付けられた常夜灯だけが微かな光を漂わせていた。扉がしずかに開き、大きな荷物を担いだ人影が入って来る。人影は足音を立てずに進み、部屋の奥に置かれたベッドに近づいて行った。ベッドのそばで立ちどまり、身をかがめて様子を窺う。

 ベッドには十歳くらいの女の子が毛布にくるまり、健やかな寝息を立てていた。人影は小さく頷くと、背負っていた袋を肩から下ろしリボンの付いた四角い箱を取り出した。箱を両手で持ち、ベッドのそばのサイドテーブルの上に置こうとする。


 その手が止まった。サイドテーブルの上に横長の封筒といくつかの品物が置いてあったのだ。人影は位置をずらして箱を置き、封筒を取り上げる。その表にはあて名らしい文字が書かれていた。

 人影は窓際に歩み寄り、カーテンをわずかに開けると、右手を窓に近づけて指先を手招きするように動かした。すると、窓の外に小さな赤い光が現れた。光は窓のそばに近づいて来て赤く丸い光に変わり、窓際をぼんやりと照らした。

 人影は封筒のあて名を読む。

 「サンタさんへ」

 人影は封筒を開ける。中には手紙が入っていた。

 「サンタさんへ

  いつもありがとうございます。

  お外は寒いと思います。どうか赤いきつねのおうどんを食べて行ってください。

  お湯をわかす用意もしてあります。

  やけどをしないよう気を付けてね」


 人影は改めてサイドテーブルの上のものを眺め、それが電気ケトルとカップ麺、そして割りばしであることに気付いた。人影はベッドの寝顔に目をやった後、サイドテーブルに近づいた。電気ケトルに水が入っていることを確認してから、スイッチをオンにする。

 すぐにお湯が沸き上がってきた。ケトルがごぼごぼと音を立てる。人影は慌ててベッドの子供に目をやった。子供の瞼がぴくぴくと動いた。人影はそっとケトルのスイッチを切り、音はやんだ。人影は子供の様子を窺う。子供は安らかな眠りに戻っていた。

 人影は子供の様子を暫く見守った後、カップ麺を持って扉の方へ歩いて行った。



 煌々とした明かりが灯る深夜のコンビニ、店員の槇原は一人で夜間勤務に付いていた。クリスマスと言うことで制服の上から赤いサンタクロースの衣装を着て、赤い三角帽子を被っている。マスクは口元を覆う白いひげの形にカットされたクリスマス用のものだ。

 予約販売のクリスマスケーキは全て引き渡しが済み、パーティー用に食品やグッズを買い求める客のピークもとっくに過ぎていたため、店内は閑散とした状況だった。槇原が明日の仕入れに向け、レジからデータ送信をしようとした時、

 「シャランシャンシャラー」

 入口のチャイムが鳴った。対応しようとして槇原が顔を上げると、既に目の前に男性客が立っていた。その格好に槇原は息を呑む。彼と同じくサンタクロースの衣装だがあまりに本格的だった。

 彼のようなペラペラの衣装ではない。赤い上着は厚手の生地の外套で手首の部分は白い毛皮で縁取りしてある。ズボンは外套と同じ生地でしっかり仕立てられたもの。ブーツは茶色い革の頑丈そうなものだ。帽子も赤い生地と白い毛皮で作られている。顔の下半分を覆う白い髭は生え際から一本一本が分かれていて、本物の髭のように見えた。なぜか手にカップ麺の赤いきつねを抱えている。

「お願いがあるのだが……」

 槇原は両手を上げ、男性客の言葉を遮った。

「すみません。店内ではマスクの着用をお願いします」

「おお、そうだった」

 男性客は外套のポケットをまさぐり、マスクを取り出して白い髭の上から着用した。

「失礼した」

「いえ、ありがとうございます。いらっしゃいませ」

「ああ、それでお願いなのだが、この店にこれと同じ商品を売っているだろうか?」

 男性客は赤いきつねを顔の前に掲げた。

「赤いきつねですね。ほぼ同じものがあります。コンビニ特製でおあげが一枚多いお得なものです」

「それは助かる。どうだろう、それを一個買うから、それにお湯を入れてもらうかわりに、こっちの赤いきつねにお湯を入れてもらい、ここのイートインで食べることを許してもらえないだろうか?」

 男性客に真剣な表情で聞いて来られ、槇原は考え込んだ。店長からお客の要望にはできるだけ対応するように言われている。でも、持ち込みを無制限に認めてはいけない気がした。

「どうしてそんなことをされるのか、理由をお聞きしていいですか?」

「かまわないよ。実はクリスマスプレゼントを眠っている子供のそばに置こうとしたら、手紙とこの赤いきつねが置いてあってね。外は寒いから赤いきつねのおうどんを食べて行ってくださいとあったんだ。電気ケトルも用意してあったんだけど、それでお湯を沸かそうとしたら音が大きくて子供が目を覚ましそうになってね。仕方がないので赤いきつねを持ってお湯のある場所を探し、ここにたどり着いたんだよ」

「それは大変でしたね」

 槇原は、この客は子供が目を覚まさないように、寒空の下をここまでやって来た父親だと考えた。

「そういうことでしたら、どうぞお湯をお使いください。」

「ありがとう」

 男性客は帽子とマスクの間からわずかに覗く目の目じりを下げて微笑んだ。


「そんなことまでしないといけないとは、サンタクロースの役目も大変ですね」

「役目だから仕方ない。子供の夢を壊さないためにあらゆる手段を尽くすと言うのが、サンタクロースの第一のルールなんだよ」

「なるほどねえ。赤いきつねは真ん中の列のこちらから二番目の棚にあります。一つを取ってこちらへお持ちください」

「わかった」


 男性客は棚から赤いきつねを一つ取ってきてレジ台に置いた。槇原はスキャナーでバーコードを読み取る。

「二百二円になります。ええと……、そんな格好をしておられますけど、お金は持ってきておられますよね」

「お金? 大丈夫だよ。子供の希望をかなえるために必要なことはなんでもできる。それもまたサンタクロースの法則ルールなんだ」

 男性客は外套のポケットに手を突っ込み、中をまさぐった。

「じゃあこれで」

 レジ皿に硬貨を置く。百円玉二枚と一円玉二枚だった。

「二百二円ちょうどをいただきます。ありがとうございました」


「じゃあ、お湯を使わせてもらうよ」

「どうぞお使いください」

 男性客は二つの赤いきつねを持ってイートインコーナーに向かった。持ち込みの方の赤いきつねの封を切り、スープを麺の上にあけて電気ポットのお湯を注ぐ。蓋をした赤いきつねを持ってイートインコーナーのテーブルに向かいそこに置いた。そばの椅子に座って五分経つのを待つ。

 他の客はいなかったため、槇原は何かあったら手助けをするつもりでイートインコーナーに近づいた。

 男性客は真剣な顔つきで赤いきつねを見つめていた。神妙に五分間を待っているようだった。

「子供の思いにはちゃんと応えてあげるんですね」

「それがサンタクロースの役目だからね」

 男性客はさも当然と言う口調で答えた。

「まるで本物のサンタクロースみたいですね」

 槇原の言葉に男性客は片方の眉を上げた。

「何を言っているんだい。私は本物のサンタクロースだよ」

 男性客はさも当たり前といった口調で答える。だが、槇原には彼の表情が何か面白がっているように見えた。

「そうでした。『本物』のサンタクロースでしたよね」

 表情を見て槇原は男性客に話を合わせる。


「よし、五分経ったぞ」

 男性客が蓋を剥がすとカップから鰹節のいい香りが立ち上った。ふっくらとしたおあげと小さくカットされたかまぼこが白い麺と透き通ったスープの上に浮かんでいる。

「いただきます」

 男性客は麺をすすり、おあげを箸でちぎって口に運び、スープを飲んだ。カップの半分ほどを食べたところでカップを置く。

「うん、うまいな」

「お子さんから贈られたものだから、おいしさもひとしおでしょう」

「そうだね。外は寒いからと心配してくれたあの子のことを思うと、心にしみるようなおいしさがあるよ。幸せがしみると言うのかな」

「そうでしょうね」

 男性客は赤いきつねを食べきり、スープもすべて飲み干した。コンビニで買った方の赤いきつねを持って立ち上がる。


「ごちそうさま。今日はどうもありがとう」

「お役に立ててよかったです」

 男性客は赤いきつねを槇原に差し出した。

「よかったらこれを受け取ってもらえないかな。君へのクリスマスプレゼントとして」

「すみません。お気持ちはうれしいのですけど、お客から物をいただくことは禁止されていますので」

「そうか、残念だな。では、そろそろ失礼するよ。良いクリスマスを」

「ありがとうございました。あなたも、良いクリスマスを」


 槇原は男性客を入口のところまで見送った。

「外は寒いですよ。お家はお近くですか?」

「かなり遠いけどね、ルドルフたちがいるから大丈夫だよ」

「はあ……」

 首を傾げながら店内に戻った槇原は、レジ台にさっきの赤いきつねが置いてあるのに気が付いた。男性客が持って行ったはずなのにどうして……。

 槇原はすぐに赤いきつねを掴んで店の外へ出た。だが、店の周り、そして店の前を通る道路の左右のずっと先まで見回しても先程の男性客の姿はどこにもなかった。

「いったいどこに……」

 槇原が呟いた時、頭の上からかろやかな鈴の音が降り注いできた。あわてて見上げる槇原の上を、黒い大きな何かが鈴の音を立てながら通過していく。

良いクリスマスをメリークリスマス

 頭上からの声に、槇原は赤いきつねを抱えたまま立ち尽くす。

 黒い何かは夜空に向けて飛び去っていった。


            終わり

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