第7話 その頃

 ジオは本来、危機的状況になるほど冷静になるタイプである。 陸軍の管轄下の砦での事件であるので、カリン公かナルドへ急使を出したものの、ふたりが地方騎士団の砦へ出てしまっているのを知っているので、全然こちらは当てにできない。 仕方が無いので市街警備隊と、今王城に居る陸軍幹部を呼び出す。 何とかキーエル砦に軍を向かわせようとしていると、入れ違いにその砦が突然、爆発したとの知らせが入ってきた。 はぁ!?

 砦の爆発直後の城内では、各部署からばらばらに上がってくる報告でジオの周辺も混乱していた。 ジオ自身も、何かしらの緊急事態が発生しているらしい事を聞いていたので、平静を装っては居るが、本当は自ら走り回って情報を収集したい位だった。 現在は使われていない筈の砦で爆発とは、嫌な予感がした。

 ジオの執務室の奥に、彼とその周辺の者しか入れない小さな書斎がある。 書斎が面する中庭を突っ切って、ポーチから中に入ってくるリリアの姿が見えた。 ジオの私棟を任されている女官長であるリリアが、仕事場である執務室付近に来ることは、普段はまず無い。 しかも着替える時間も惜しいとばかりに、町娘の様な簡素な服のままである。 リリアの格好と真剣な表情に、ジオは異常事態を察して書斎のドアを閉めた。 夕暮れの西陽が彼女の横顔に黄色い影をつける。

「旗艦長に伝えて、戻る途中に砦の方角から、いくつも大きな爆発音が聞こえて」

 リリアの声が心配で震える。泣いては駄目だとは分かっているが、涙目になりながら報告を続ける事に集中しようとする。

「リリア、リリア」

 不意にジオに名を呼ばれて、彼女はジオの腕が自分の肩を包んでいるのに気づいた。 こめかみに彼の温かい頬の温度を感じる。 子供時代と違って、普段は彼は彼女を名前では呼ばない。 驚いて動こうとしたリリアの頭を、彼の手が宥めるように撫でている。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 短くそして力強く繰り返して続けた。

「C案は、そんなに悪い状況では無い筈だ。 イオは絶対、船へ辿り着いている。船ならあの子は安全だ。 それから此方へ戻って来るか、連絡がある筈だ。 伝書が来ないということは既に此方へ向かっているということだろう」

 執務室からのドアをノックする音に、ジオはリリアの肩にあった腕を離す。 そしてドアの外に返事をする前にもう一度、リリアを抱きしめる。 リリアを支配する一瞬の浮遊感、そして着地感。 彼女を背後に残し、ジオは落ち着く為に大きく息を吐いて書斎の扉を開けるとそのまま執務室へ出て、後ろ手で扉を閉める。

 ジオが、訪問者を見る。 ドアの外に立っていたのは、キーエル市長と市街警備隊長であった。 砦の爆発について、随時情報を纏めながら報告して来る。 話の内容からすると、砦が外敵から襲われた疑いは無く、海賊もいなく、それらを追っている筈の王弟の艦隊さえ居なかった。 しかし、事故とするには砦内部の武装した死体の説明が付かない。 暗くなりつつあったので、消火した現場を閉鎖して、また明日調査を行うと言う事である。 人払いをして大きく溜息をつき、リリアの去った後の書斎の椅子に腰掛けたジオは、暗くなりひと気が減った中庭を横切りながら近づいて来る人影に気がついた。 ポーチのドアを開けて見るとそれは、ボロボロに疲れ切った様子の3人だった。

「兄上、卿にばれたよ」

 場違いな程に朗らかな声で、弟。一体何があったと言うのだ。


 置いてけぼりのハルト

 一方、少々時間は遡るが、こちらはゼノスに王城の控えの間に忘れ去られて置いて行かれたハルト。 ゼノスが慌てた様子で馬車で去ったと聞いて、馬を借りて帰るかと歩きかけると着飾った令嬢達の群れが廊下を喋りながら歩いているのに追いついた。 やや距離を取って、見目麗しい姿を見て楽しむ。 目の保養。 眼福。Eye Candy。 彼女達はハルトに気づくこともなく賑やかに喋り続けている。

「ラニエ通りの新しい帽子屋、ご覧になりまして?」

「ええ、先週新しいデザインで帽子を注文したところですの」

「まあ、今日の私の帽子もそこのよ」

 1人の令嬢が帽子を見せる様に腰に手を当て、軽くポーズを決める。都会の令嬢は小さな所作も小洒落ていて、しかも慣れた様子である。

「今日の貴女のテーマは、『王城の秘めた恋』ってところかしら。清楚なデザインのドレスの下にに隠された派手なお色のストッキングが、特に」

 彼女達の色とりどりのパステルカラーのドレスが揺れ、さざ波の様に笑い声が起こる。

「あら、私は『秘めた』恋には興味がないわ、飽きそうで」

「午後のサロンで殿方に大人気の貴女に『秘めた』は不似合いよね」

「殿方からの贈り物は見せびらかしてこそですものね」

「あら、彼らは私の『崇拝者』ですもの」

 お互いへのマウンティングのみで会話が成立している。これで仲が良いのだろうか。

 群れている令嬢自体、令嬢の人数自体が少ないダーショアではほぼ見られない光景である。彼女達を遠巻きに追い越しながら、都会の令嬢の怖さと、こういう中からお相手を見つけるのであろうゼノスに同情を禁じ得ないハルトであった。


 此方もまた一方、ジオの書斎でのリリア。 緊急事態で緊張している上に、予想外の展開で驚きと嬉しさとストレスがごちゃ混ぜになった、一種の放心状態で立ち尽くす。 こめかみに感じたジオの体温と彼のお日様のような匂いがまだ感じられる程だ。 当人のジオは来客の相手にさっさと出て行ってしまったので、独り部屋に取り残された感じである。

 ジオに肩を抱かれるのは、かれこれ10年ぶり位であろうか。 まだ幼かった時に夏の離宮で遊んだひと時を思い出す。 泣いては彼女の後を追いかけていた一歳年下のイオとは違い、数年年長のジオはいつも紳士然とリリアを扱ったし、第二王子の立場もあっていつも落ち着いていて、はしゃいだ様子を周囲に見せることも無かった。 今は、半泣きになっていた幼馴染みである彼女を落ち着かせるためにやったのだろうと論理的に理由づけて、淡い期待を抱かないように自身を諌める。 不要な期待をすればするだけ、後々の絶望は深いのだから。 取り乱す事は女官長として相応しい行いでは無い。 涙が滲んでいないか目元を確かめると、リリアはこっそりとまた中庭へのドアから外へ出て自室へと向かった。


 結局、後日この件は陸軍内での、王弟排斥派の1グループによる暗殺未遂という事で処理された。 この国ではあまり意味の無い海軍が出張って居るのが気に入らないのだろう。 従兄弟の補佐官の名を語った排斥派と実行グループは捕らえられた。 騒ぎに関わったかどで、イオも責任を問われて、3ヶ月間、自領であるヴァルドゥで在陸謹慎扱いとなった。 ジオの采配で、助けに入ったゼノスは砦には来なかった事になっており、突然港から消えた艦隊は、航海訓練に出ていた事になっていた。 適当に話を取り繕うのも大変である。

 ジオが言うには、弟は好き好んで騒ぎに巻き込まれたわけでは無いが、付け込ませる隙があったのと、叔父上や従兄弟と適当に仲良く出来なかった弟にも問題があるという理由らしい。 そのあと小声で、ヴァルドゥの母上に顔見せてやれよ、と付け足した。

 ゼノスは領地に帰る用意をしていた。 怒濤の正月休みだった気がする。 イオ達の艦隊は数日前に既にヴァルドゥに向けて立っていた。 ゼノスはヴァルドゥへ向かうイオの艦隊の見送りに港へ行った時のことを思い出していた。 事件の後、まだ片付けが住んでいない砦付近は燃えた煤で真っ黒であった。 相変わらず、令嬢以前に、貴公子と軍人と子供を足して割ったかのようなイオが、出港前に艦長たちと打ち合わせをしているのを見ながら、何の気無しに、別れ際にナギと交わした言葉がある。

「女性扱いはしないのですね」

「あいつは絶対、嫌がるだろうな」

「そう言う意味では無いのですが。 分からなければ、忘れてください」

 何を言っているんだと言う顔をしたナギと、何も言わずに握手をした。 心なしか、ナギのイオを見る目が優しくなっているのに気付く。 水平線に去りゆく船を見送りながら、ここ数日の不思議な出逢いを思い返す。 自分を含めて、ひどく不器用で愛しい人たち。近いうちに、また会いたいと思う。


 後日談2

「ところで、C案ということは、AとかB案もあるのですか」

 聞くタイミングを押し図ったかのようにゼノスが質問する。

「勿論。 知りたいか。 また体験させてやる」

 嬉しそうだが威嚇でもする様に、イオが身を乗り出してくる。

「え……水泳訓練は必要でしょうか?」

 まじまじとゼノスの顔を見る。 いつも、いい意味で期待を裏切る人だ。 地道かつ真面目に前向きである。

「何故、 C案だったのでしょうか?」

 A案もB案も知らないのに、相変わらず食いつきがいい。

「船が港にあったら、砦の大砲で攻撃されるかもしれない。 砦で爆発があったら、逆に船が砲撃したという疑いがかかる。 船が潰されたら、万が一の場合に逃げられないだろう。……メモを取るな!」

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