第5話 不穏
ナギとサビーネ
「こんな所で貴方をお見かけするとは」
場所は、城下町にあるヴァルドゥ関係者のよく利用する旅籠兼酒場、『鴉の巣』、まだ陽が高い時間なので、店に他の客の姿は無かった。 昼間でも薄暗い酒場に女の声が響く。女はマントを取ると、独りで座っていた男に近づいた。 声をかけたのは、歌手の姉、サビーネ、声をかけられたのは、ナギであった。
「俺を知っているとは思わなかったが」
彼は視線も合わせずにつっけんどんに答え、グラスの酒を煽る。 飲んでいる割には、酔った様子は全く無いが、女に話しかけられても相手をする気はなさそうに横を向いたままだ。 妖艶な微笑みを浮かべ、慣れた様子でサビーネはナギの隣に座った。
「あなたの国トゥガリアでも私達の滞在するエスティニアでも、貴方の行方を探している人は多いのよ。いつ戻られるのかって」
そして、甘えた口調で小声になった。
「いつ片付けるのか、伺いたいと思って。 私、依頼主を待たせるのは好きじゃ無いし、あの子が陸に上がってる間しか機会は無いしで」
分かるでしょう、と言わんばかりにチラリとナギに視線を送る。
「エスティニアからの依頼か?」
彼女はその質問には答えず、突然思いついたように明るい口調で言った。
「それとも貴方自身が、あの子の首を貴方の国に持って帰る?エスティニアの王か、貴方か、どっちが差し出しても、トゥガリアの王にとっては一緒よね」
くすくすと嬉しそうに笑い、腕を絡めてくる。 サビーネはナギの耳元に唇を寄せて囁いた。
「私は、貴方と一緒に帰国したいわ」
ゼノスとジオとイオのミーティング
会議の後の筈の話し合いが後日にずれ込み、ゼノスは日を改めて再度王城を訪れていた。海路交易のルートについてなど、自分の領内では出来ない話である。 王と王弟は既に執務室で彼を待っていた。 挨拶もそこそこに議題に入る。 北に豊富な、水に入れても狂いの少ない木材も、造船に向いていると艦長に言われている。 林檎酒を積んだ帰りにヴァルドゥの葡萄酒を積んで帰っても良い。 ヴァルドゥとダーショアにとって両得な件案であった。 一方で、海路が向かない冬場はの陸路を開拓するには、叔父上こと、カリン公の領地を通る街道を使うのが一番効率がいいし、リスクも少ないであろうという事で意見が一致する。
「叔父上と仲良くなるいい機会だな」
ジオが嫌な顔をする弟に、
「叔父上とそっくり、似たもの同士なんだから」
更に渋い顔をする反面、何故か嬉しそうにも見える。 確かに赤毛のふたりは一見して親子かと思うほどに似ている所があった。 母親似の息子のナルドよりも遥かに似ている。
「次はカリン公もご一緒出来ると宜しいですね」
ゼノスの言葉にジオも頷き、いずれ日を追ってカリン公とも話し合いの場を設ける事になった。
「出航が延びて悪いが」
と言うジオの声は台詞とは裏腹に嬉しそうだった。 久しぶりに弟が来て王城に暫く滞在するのはいつぶりだろうか。 宮廷内のヴァルドゥの評判を上げる為、弟が殆ど陸に帰る間も無く海賊や隣国との小競り合いに出ていっている報告は入ってくる。 せめて司令官として、艦隊の中でも後方の安全な場所にいてくれたらと願っては居るが、実際の弟の日常は知る由もなかった。 ゼノスと弟が、カリン公と話し合う話を詰めている横顔を見ていると、小さい頃によく彼がリリアのスカートの陰に隠れて泣いていた姿が思い出された。 リリアは今も昔もまるでイオの姉だと思った所で、先日弟が夜会でこれ見よがしにリリアと踊っていた事を微笑ましく思い出す。 自由に振る舞える弟が羨ましいのかもしれない。 そこで、ジオは何故かざわついた自分の心に気がつく。 ふと目を上げて目の前の男を見て思い出す。 そう、ゼノスも彼女と踊ってた。広間の視線を独り占めしていた2人の踊る様を思い出す。 チリチリと心の底に沸く、小さな嫉妬心。いや、全然、小さく無いか。
ミイラ取りがミイラになっちったと気付いた瞬間かも
夜も遅くなり、人の出入りする気配も消えた王城の私室でイオは背後から近づく気配を感じた。 こんな時間に取次も無く、出たり入ったりするのはきっとナギだろうと気にもせず、読書を続ける。 察した通り、足音も立てずにナギはイオの背後からグルリと前へ歩を進め、イオの視界の片隅で、手に持っていた彼の大剣をすらりと抜いた。室内の灯りに、其れはまるで大きな月かのようにぎらりと光を反射する。 動かないイオの肩から首に大剣の平面を軽く当てて、それからゆっくりと剣先で彼の顎を持ち上げる。 剣は相当重いはずだが、ナギはいつもどおりに楽々と片手で、まるで小鳥を撫でるかのように優雅で優しい動きだった。イオは本を閉じて、姿勢を正し、真っ直ぐに視線を上げた。 顎の下の剣から、拭いたのだろうが、まだ新しい血の生臭い匂いがする。
表情を変えず無言のまま、ナギは考える。何故、自分は思いとどまっているのだろう。
何故、さっさと殺さないのか。兄弟の復讐をするために、全てを置いて、遥か北から長い旅をしてきて。 もっとこいつを苦しめたいのか。泣き叫んで命乞いする様を見たいのか。
待っているのだろうか。 こいつが、殺すに値するほど強くなるのを。 命を惜しむ年齢になるのを。 俺が殺すと決めて来たのに。 しかし、この迷いはどこからくるのだろう。
このどす黒い感情は、戦場で常に互いの命の奪い合いをしている者にしか分からない。 妄執、所有心、そして何か内なる凶暴なモノを呼び覚ます、感覚。
自分自身の惑いが酷く気に触り、ナギは苛立ちを覚えた。 ふたりの視線が交錯する。 イオの眼差しは静謐で、まるで此処にはないものを見ているかのようだった。 そこには、恐怖も、焦りも、悲しみも、希望も絶望も無い、無邪気で無垢な気高さがあった。 暫く見つめ合い、視線を合わせたまま、何も言わずにナギがするりと剣を鞘におさめる。
翌朝、キーエル港付近の海岸にサビーネの死体が上がった。それは急遽、ローナンが帰国する理由で独りで出国してしまった直後であった。
砦視察の招待
陸地は苦手な方だが、土と緑の匂いは嫌いでは無い。 船には小さな観葉植物くらいしか持ち込めないので、大きな木を育てることは出来ない。 同様に、ずっと水面を何処かへ向かう生活をしているから、いつか何処かの地で根を下ろして日々生活している自分を思い描くことが難しい。 それより、何処かひと所でずっと生活する事に、息苦しさに似た、未知の恐怖感さえある。 王城の温室のお気に入りの大木の下でふとそう思い当たって、イオは苦笑した。 兄にだって出来ているのに。この木にしても、来る度にどっしりと此処で大きく育っているのを見て来ていると言うのに。 何故、何を不安に思う事があるのだろう。
そこでそのまま昼寝でもしようかと思っていた矢先、温室の入り口から人が入ってくる物音がして振り向くと、陸軍士官の制服を着た男2人が歩いてくるのが見えた。 そのうちのひとりは従兄弟の補佐官だと名乗った。 城内にも関わらず帯剣しており、何処か違和感がある。
「殿下、お一人ですか」
「子守が必要な歳でも無いからね」
補佐官だと名乗った男が話を続ける。
「今日の視察のご予定についてですが」
「視察?」
「キーエル砦の視察です。御従兄弟のナルド様から聞いていらっしゃるかと」
「聞いていないな」
「海岸沿いの砦を強化するとの案の一環で」
この間の会議でそんな事を言っていたような事を思い出す。キーエル市街の南端の海沿い崖の上に突き出た古い砦でかなりの補修が必要なのにな、と考えた。
「ナルド様も現地でお待ちです」
随分と強引な話だな、と言おうとした矢先、もうひとりがイオの腕を掴んで立たせようとした。 その手に短剣が見え、陸地で独りになった事を悔やんだが遅かった。 その時、近づいて来る足音がした。 男が短剣をイオの背に隠し、ふたりは柔かに作り笑いを浮かべた。
近づいてくる見知った姿はゼノスだった。 和かに挨拶する。 陸軍士官制服組との意外な組み合わせに、ゼノスは目を丸くした。
「殿下、新しいお友達でしょうか」
「従兄弟殿の招待らしくて、近くの砦へ視察に行くんだよ。卿は?」
さりげなさを装って、出来るだけ会話を繋ぐ。
「陛下とこの間の話の続きを」
「ちょうど良い、今すぐ出るらしいから、兄上にこの本を返して下さるか。 お気に入りの本らしいから、出来るだけ早く」
イオは手元の本をゼノスに差し出した。『新操舵法力学理論』とある。兄王にはあまり関係無さそうな本であった。 ゼノスの表情を見て、イオが続けた。
「兄上かリリアに、C案が良かったって、本の感想を伝えてくれるかな」
わかりましたと答えたゼノスが去るのをにこやかに見送って、イオが2人の方を振り返った。 ゼノスに危害が加えられないように出来るだけゆったりと構えて時間を稼ぐ。
「さて」
補佐官と名乗った方の男が先に立って歩き始める。もう1人がイオの背中を短剣のポンメルで小突き、無言のままついて行くように促した。
ゼノスは温室を出て、そのまま王の執務室へと進んだ。 約束の時間には少々早いが、と考えながら執務室の中の応接室の前を通りかかった時である。 扉が開いて、ジオ王とカリン公とその息子のナルドが出て来た。ゼノスが挨拶する。 カリン公とナルドは用が済んだらしく執務室から去って行った。
「今日は今から、殿下はナルド様とキーエル砦の視察だと伺いましたが」
ゼノスの言葉に、ジオが訳が分からないと言った顔をする。
「ナルドは今日は地方の騎士団に出て行くから、視察どころじゃないよ」
今度は、ゼノスが訳が分からないと言った様子で、
「陸軍士官が殿下を迎えに来ていましたが。 それで、本を陛下に返却するよう言付かって参りました。C案が良かったと」
ゼノスの言葉に、ジオの顔色が一気に変わる。ゼノスに構うことなく、執務室から女官長のマルデイラ伯令嬢を緊急に呼ぶ。小走りでやってきた彼女に、前置きも何もなく、ジオは言った。
「C案。リリア。イオのリクエストだ」
何も言わずに、リリアは大きな眼を更に大きく見開くと踵を返して小走りに去っていった。尋常じゃない事が起こっていることは、ゼノスにもわかった。『C案』は本の感想なんかでは決して無い。
「陛下、今、何か私に出来ることはございますか?」
返事は無い。どうすべきか等と考えている暇は無かった。
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