第2話イオ

 旅籠はたごの主人の案内で店内を進むと、水兵の群れは自然に道を開けて、奥の一角にたどり着く。 突然の部外者の訪問に一瞬店内は静まり返り、店内に暖炉だんろまきがはぜる音が響き渡った。 奥に座っていた二人が立ち上がるのが見える。手前の男は一歩下り、もう一人は挨拶しようと帽子を取ってお辞儀じぎをしようとしたゼノスを手を挙げて制した。

「卿、突然の寄港で申し訳ない」

 潮風のような掠れた声に、少し南方のアクセントが混ざる。

「知らせを頂き、取り急ぎご挨拶をと思い伺いましたが、他にもご入用の物はございますか? 医療品や薬が必要とのことですが、今すぐ医師は必要でしょうか?」

「都へ帰る前に少々皆が休めればいい位で、患者はうちの船医が診ます。薬だけおゆずり頂けるか」

 先程彼の後ろに下がった男を示しながら言うのだから、彼が船医なのであろうと黙礼もくれいを交わす。 王弟の周りの者の身分は全く分からなかったが、堅苦しい挨拶や紹介はこの場にそぐわなかった。 ゼノスは勧められるまま向いの椅子に腰を下ろした。 そのまま斜め後ろに立っているハルトを見上げると、興味深々、面白半分と言った顔で見返してくる。 向かいに座った王弟の巻毛は、彼の後ろの窓から差す逆光ぎゃっこうを受けて、赤く燃える炎のように見えた。 巻毛の房の間から小さな黄金の耳飾りが見え、この国では見ないヴァルドゥの風習である男性の耳飾りに、少々違和感を覚える。 親しい者に囲まれてくつろいでいるのであろう、宮廷で見るのとは随分ずいぶん雰囲気ふんいきが違う。 日に焼けた顔一面に散らばった薄いオリーブ色のそばかす。 人懐ひとなつっこそうなハシバミ色の瞳。 話に聞く南国の海のような明るい緑は見る角度により金色に光り、オパールのようだった。 端正たんせいな顔立ちだが、表情にはあどけなさが残る。

「他には?船の修理用品や備品などは?」

 ハルトが事務的に提案すると、王弟は嬉しそうに視線をくるりと回した。

「うちの乗組員が此処の林檎酒りんごしゅを有るだけ買い占めると言っているが、他にもお勧めはあるかな」

 周囲の水兵達からどっと歓声が上がり、そばかす顔が破顔する。

「あと、毎年ヴァルドゥが定期的に買いつけられると有り難いか」

 再び、周囲に歓声と乾杯の嵐が起こる。「うちの国も商業で成り立ってるし、通商ルートはこの国より広いから、これはお互いの領の利益になる話だと思うが」

 挨拶から意外にもいきなりビジネスの話になり、そのまま話は終わらずに、ゼノスは彼と船医をノーシュロゥにあるサウルリウス邸での晩餐ばんさんに招待する事になった。 ゼノスの予定されていた午後の来客は既に早馬を飛ばしてキャンセルされている。 出口へと向かいながら、掠れてはいるがよく通る低い声のヴァルドゥ語が店内に響く。

「諸君、俺たちが外出してる間は我らが親父の言う事聞いて、ハメ外すなよ」

 店内で昼間っから飲んでいる水兵達は陽気な声で一斉にアイサーと返し、我らが親父と呼ばれた艦長の一人が任せろとばかりに片手を挙げる。 それを確認してからくるりとゼノス達に向き直って、きれいな国語で、

「失礼、皆、久しぶりの陸地なもので」

 貴族然とまるで何も無かったようにゼノスに説明すると借りた馬にひらりと身軽にまたがった。 ゼノスは後ろでハルトが肩を震わせて笑いをこらえているのを感じていた。再び、「変わった方」と言う意味について考え始める。

 確かに王都の貴族の間では、ほとんど陸に上がってこない王弟について面白おかしく噂しうわさている。 派閥はばつ以前に、宮廷に何方か親しい方がいらっしゃるかも不明だ。 噂が噂を呼び、王都の貴族の間では王家特有の遺伝疾患しっかんによりヴァルドゥでの治療が必要な為とも、いつかの海戦での負傷により宮廷生活が困難になった為とも、男装した王女だとも - 少なくとも正しい噂は有った事になる- 言いたい放題、色々な憶測おくそくと噂が多い方だった。


 晩餐会は意外と会話が弾んだように思えた。 ダーショアは広いが、良くも悪くも三方を山脈に囲まれているので、ゼノスは海運について知りたいことが多かったし、この国は陸運と陸軍に偏っているとも思えるほど重きを置いていたので、海はほぼ未知の領域だった。 変わりやすい天候と荒れやすい海の航海は危険が多いし、延々と切り立った崖が続く海岸線が港や軍港を作るのに不向きな所為もあり、海岸線も国土に対してあまり無く、他国から海から攻められる心配はほぼ無いこともある。 漁港は点在するが、国内の交易目的の船は小型で近郊を短時間で移動するものに限られていたし、船の多くは河川用レベルであった。 故に、この国の人間には船旅をする機会はまず無い。 交易から海運、船から船旅へと話題は移り、船から運ばせた南国ヴァルドゥのワインと地元の林檎酒のお陰もあり、話はどんどん盛り上がった。 王弟も上機嫌じょうきげんに見える。

「どうせ王都まで行かれるのなら、このままうちの艦に乗って行かれるか?」

 彼は気軽にゼノスを王都までの船旅に招待した。 いづれにせよ、彼も年始行事に参加するため王都へ向かう途中なのだ。 お付きの二人は一瞬ギョッとした顔をして其々の主人の顔を見たが、直ぐにプロの意地で真顔に戻った。

此処ここからだと沿岸沿いを南下すれば5日くらいかな」

「馬車だと山越えがあるので10日から15日位かかります」

「今時は北からの追い風だからね。比較的波の穏やかな沿岸沿いをゆっくり下っても7日は掛からないはずだ。船の上は風が冷たいから、暖かい服装で参られよ」

 数日後にカレスで落ち合う算段をつけると、泊まって行かないかとの誘いを丁寧に断り、2騎人は夜の闇に消えていった。


 見送りの後、玄関ポーチでふと、ゼノスは我に却った。 何とも非日常的かつ忙しい一日だったような気がするが、意外と疲労感は無かった。

「何だか勢いに乗せられた感じがするね」

「普通に会話が続いてましたよね。気に入られたな」

 ハルトも二人の去った後の暗闇を見ながら感想を述べる。 初冬の夜風がふわりと頬を撫で、食後の熱気を冷ましてくれる。 ゼノスとハルトは執事に荷造りと旅程の変更を知らせながら、玄関ホールへと戻った。 3日の間に全ての年末の予定を調整し済ませなければならないのだ。


 いつもの様に馬車に揺られて山道街道を行くより、見るべきものがありそうな気がした。何を、と問われても今のところ答えは無い。 不安と期待の入り混じった心境で予定通り3日後にカレスへ着くと艦はもう出港準備を終えていて、最後に新鮮な食料と水を積み込んでいる最中だった。 驚いた事に、王弟一行は全ての買い物の支払いをその場毎で済ませていた。普通、貴族の買い物や軍事物資は優雅に後払いされるのが常である。 流石は商業で成る国の人はビジネスセンスが違う、とハルトが皮肉半ばに洩らすと、近くでそれを耳にした王弟は鼻で笑って返した。

「違う。 ツケ払いが可能なレベルの店なら暴利で稼げ。 資本的にそれが出来無い中小店舗はそれでは生き残れない。 それぞれの存続を考えるのがビジネスの基本だろう」

 極めて非貴族的発想であるが、ビジネスに対する尊敬は、ゼノスの領に対するポリシーとも近い。 それは多分、貿易と商業で成り立っているヴァルドゥの価値観から来るのでだろう。 ゼノスがばつが悪そうに黙ったハルトの肩を宥める様に軽く叩くと、肩をすくめて見せて気をとりなしたらしいハルトは人夫に船に積む荷物の指示を出し始めた。

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