10
「ム、
「なんだい、ニニ」
こんなことができたんですね、とニニは言った。
「わざわざひとつひとつ摘み取らなくても、こんなふうに簡単に ……」
「まあね。でも、それじゃおもしろくないだろう?」
「おもしろくない、ですか?」
うん、とダンタリオンは頷いた。風はすっかり吹きやんで、ふたつの籠は月光草でいっぱいになっている。
「魔力を使えばたいていのことはできるよ。でも、そうしてしまうと、ニニは屋敷を出る必要がなくなってしまう。散歩は楽しかっただろう? 月光草を摘むのも、外でおやつを食べるのも」
それどころか草原をただ歩いているだけで気が晴れた、とニニは思う。
「わたしのため、ですか?」
「もちろん僕のためでもあるよ。ニニと歩くのはなかなか愉快だからね」
「愉快? 」
「ニニはなんにでも興味津々だろう。あれはなに、これはなにってずっときょろきょろし てるよね。ちょっとしたことでもびっくりするし、すぐはぐれそうになるし、そのくせ怖 がりで ……」
ダンタリオンは声を立てて笑った。
「見てて退屈しない」
ニニは恥ずかしくなって頬を赤くした。わたしったら、そんなにこどもっぽかったの?
「僕にとっては大事なことだ」
使い魔の羞恥をあやまたず読み取った親切なあるじは、誠実そうな声で言う。
「退屈は長い命にとっておおいなる敵だ。ひまなやつはろくなことをしないからね。悪魔も人間も」
ニニはダンタリオンをじっと見つめた。そして、さきほど思い出しかけたまま見失ってしまっていたあることにようやく気がついた。
「
ダンタリオンがはっとしたような表情になり、掌で
「待って! 待ってください!」
ニニは慌てて叫ぶ。だが、時はすでに遅く、ふたたび現れた悪魔の瞳は、この
「なんで隠すんですか? さっきのが本当の色なんですよね?」
「……べつに隠してはいない」
ダンタリオンの声はさきほどまでとは打って変わって少しも楽しそうではなかった。
「そういえば女の人の姿をしていたときはいまと同じ色でしたよね」
ニニはじっと
「僕の容姿なんか気にすることじゃないよ。老若男女、どんな見た目でも僕は僕だ。瞳の色なんか、それこそなんだってかまわない」
「なんだってかまわないなら、なんで本当の色を見せてくれないんですか?」
「……こっちが本当の色だよ」
「
ニニは思いきり口許を
「わたしと契約したとき、
「なぜそんなことにこだわる?」
ダンタリオンは開き直ることにしたようだった。
「僕の瞳の色なんか、ニニには関係ないだろう?」
言われるとたしかにそのとおりだ、とニニは思った。だが、気に入らないものは気に入らない。理屈ではないのだ。
「関係ないですよ。でも、いやです」
「なぜ?」
「わかりません。でも、
ダンタリオンは深いため息をついた。
「言いたいことはわかった」
もちろん悪魔はそこで瞳の色を戻したりはしなかった。ニニの言葉をすべて受け入れてくれたわけでもなさそうなことは、その表情からもよくわかった。
だが、彼の態度からまるっきり話を無視されることはなさそうだ、ということも理解できたので、ここは引き下がっておいたほうがいいかもしれない、と考える。
ニニの考えていることはあるじに正しく伝わったのだろう。彼は、いまはそれよりも、と穏やかな口調で続けた。
「テオのことを考えたほうがいいんじゃないか?」
ニニは、はい、と素直に頷いて、腕に抱えたテオを見下ろした。ダンタリオンとの契約の効果なのだろうか、カーバンクルの呼吸はさっきよりは少し落ち着いていた。しかし、血に濡ぬれた被毛はそのままで、まぶたも固く閉じられている。
「すぐに死ぬことはないだろうけど、早めに手当てをしたほうがいい。わかるよね」
はい、とニニがもう一度頷くと、ダンタリオンは、おいで、とマントを広げた。
「屋敷に戻ろう」
気がつくと、見慣れた屋敷がすぐ目の前にあった。
石造りの屋敷は見るからに
外壁に装飾はほとんどなく、玄関扉も窓枠も石でできているため、だれかが暮らす住居というよりは要塞のように見える。窓にはガラスが
ダンタリオンは玄関の扉に手をかけた。とても頑丈なこの扉には魔術が施されていて、屋敷に足を踏み入れることを許されている者にとっては片手で開けられるほどに軽い。だが、そうでない者が触れると、その指先は黒く焼かれてしまうと聞かされていた。
入ってすぐ正面には、食堂と
「早かったな、ダンタリオン」
診療室への扉をくぐろうとした魔獣医に、背後から声をかけた者がいる。
「ああ、ちょっとあってな」
振り向いた視線の先にはとんでもなく美しい容姿をした男が立っていた。
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