第16話 第三の月

 気がつくと枕元で話し声が聞こえた。

「黒川先生が、注射器も持ってくように言ってたからその通りにしたら、薬液が分析できて、どんな薬が、どのくらい注射されたか分かったのよ」

「さすが医師だな…」

 最初の声は小百合だった。どうも柴崎もいるらしい。

「新開発の麻酔薬の一種で、一度に多量に使用すると、二度と目が覚めないで、そのまま死に至ることもあり、量が少なくても幻覚症状や記憶障害をもたらすことがあるみたい。一度体に入るとドンドン分解されて、薬物が検出されにくいんだそうよ。だから犯罪に使われるみたいね」

「そんな恐ろしい薬を…」

「黒川先生に注射された量だと死ぬことはないけれど、しばらくは安静にしていた方がいいみたいね」

 その時、黒川が目を覚まし、動きだした。

「黒川先生!大丈夫ですか」

「ううん、あ、白石君、柴崎さんも…」

 だが、やっと目が覚めた黒川は、目の前の事実に愕然とする。

「…え、何だって?!私は、二日以上も寝ていたのか?」

起き上がって窓の方を見た黒川、この惑星に着いてから3日目の朝が来ていた。というか、窓枠が六角形なのだ。ここはもしかして…?! 小百合が静かに言った。

「ええ、昨夜、夜空に三つ目の大きな月が出ていたわ。潮の満ち乾がすでに大きく変化を始めているそうよ。ここはハニカムタンクの上層部に在る病院セクション、もう市民病院のほとんどの患者や機器がここに移されているの。黒川先生もおとといの夕方にはここに移送されてきたのよ」

柴崎がくわしく説明してくれた。

「今日の真夜中、第一から第三までのすべての月が太陽の反対側に位置する満月となる。さらに第三の月が最短距離まで近づき、他の2つの月と重なる複月食が起こる。この時、太陽、三つの月が直列状態となり、最強の引力で惑星を引っ張り、海の進撃がいよいよ始まる。未来シミュレーターのミュリエルのパワーを最大限に使って万全の準備をしているのだけれど、まだ本当のことは誰にも分からない…」

やがてカペリウス隊長か全員にメールが入る。昼過ぎからここの会議室で最終対策会議を開くと言うのだ。

「え、隊長から?!よかった、カペリウス隊長は、無事に帰って来たんだ」

「ええ、そうなのよ。勝手な行動を起こした警備隊だけど、その指示を出していたラルフがいなくなり、王国の突入もうまく行かなくて、ケリーじゃなかった、ニコル・ハントさんと一緒に脱出できたんですって」

「ニコル・ハント?!そうか、そうなんだ」

ステラからの報告では、ニコル・ハントは裏切り者のようだと言っていたはずだが…。一体、どういうことなんだ?。柴崎が小声で言った。

「彼女は、カペリウス隊長と一緒に警備隊に襲われた時、脅されて自分から宇宙船に入っただけだと言っている。あの毒針を受けて手当てされた警備隊員も中に入ったら毒蜂に刺されただけだと言ってそれ以上は口を閉ざしている。突入事件があったのかなかったのか、あったとしたらどのくらいの事件だったのか、こちら側にはほとんど記録や証拠がない。本当にた大したことはなかったのか、それとも誰かが用意周到に計画していたかどちらかだ。彼女はあのまま逃げることもできたかもしれないが、きちんとカペリウス隊長を連れてここに帰還し、自分が身分を偽っていたこと、誤解を受けるような行動をしたことを謝罪して、この同じハニカムタンクにいる。これ以上、真相を究明するにも海の進撃がすぐ目の前に迫っていて時間を割くこともできない。今はそういう状況だ」

「彼女はここにいるのか…、カペリウス隊長はそのことについて何か…」

「何かお考えはあるようだが、今は口を閉ざしている。すべては海の進撃を乗り切ってからだとね」

さて、午後の最終対策会議が始まるまでに、黒川は起き上がっていろいろ動きだした。いくつか確かめたいことがあったからだ。まず、あのほとんど動けなかった警備隊員たちの病室に行ってみた。驚いた、もう、かなり良くなっている。数人は寝たままではあったが、もうみんな食事もとっていると言う。アンテラスの応急手当のレベルが高かったのだ。だが、病室は全く音がなく、彼らは口を閉ざしたままだった。何が彼らをそこまで頑なにさせているのだろうか?まさか脳内にチップを入れられていて、今だ行動が管理されているとは病院側も気付いていなかった。ちなみに、ステラを襲った隊員と、ソフィーを撃った男は、空港の軍の基地の最上階に留置されているという。そして黒川は、最後に病院セクションの一番奥のセキュリティの高い部屋へと訪れた。ここはもともと重病人や特別なケアの必要な病人のためのスペースらしい。黒川はキキュロを使ってそのスペースへの通過許可をとらねばならなかった。

「はい、調査隊の黒川隊員と認証できました。どうぞ、お通りください」

今回は調査隊の隊員は通過できるようだった。入り口と、部屋への入り口の二か所を認証通過すると、ノックをして静かに入って行った。

「ああ、黒川先生。二人の命の恩人ね」

元気な顔を見せたのはステラとソフィーだった。しばらくは安静が必要なのはソフィーなのだが、人類ではないため、ステラの付き添いと言う名目でこの部屋に入っている。ここで彼女は外部から厳重に守られているわけだ。

「それで、どうかな、ソフィーの体調は?」

「それが、あの生命神官のくださった薬を飲んだら、みるみる傷口が良くなってきて、元気も出てきたの…」

ベッドのテーブルの上には、あの青い卵型の容器に入った細胞活性剤が置いてあった。

「おや、病室の2つの壁に不思議な絵がかかっているね。これは…象徴図形…?もしかして?」

それはアンテラスの精霊神官が渡してくれた包みの中に入っていたのだと言う。一つは、5つのカラフルな図形の絵画が壁にバランスよく配置され、全体として曼荼羅のように象徴図形を造っている。これは魔を払い、心を強くするものだそうだ。もう1つ、大きな木が枝を広げたように象徴図形を組み合わせた絵画、これは心を癒し、回復力を高める図形なのだそうだ。

「へえ、すごいなあ、特にこっちの樹木みたいな絵は見ているだけで、本当に元気になってくるような絵画だ。これがアンテラスの…」

さきほどの警備隊員たちも予想外に回復していたし、アンテラスの医療、とりわけ医薬品はかなりの効果を持っているようだ。医療テントで見た精霊神官の超能力を使った患者の患部の検査も凄かった。科学技術の発達とともに人間の医学も急激に進歩しているが、黒川はアンテラスの医学にかなり負けているような気さえした。それどころか人間の役に立つために科学技術でつくられたロボットの戦いによって悲劇が次々に起き、けが人も出ているのだ。

「でも、この象徴図形の絵画、バランス良く、とてもいい場所に飾られているなあ。ドンピシャだ。君たちが取り付けたのかい?!」

ステラがニコニコしながら答えた。

「おととい、事件のあった日の夕方に白石さんが来てくださって、精霊神官の教えてくれたイメージ通りに病室に飾ってくれたんです。ねえ、黒川先生、あの白石さん、賢くって仕事できるタイプですよね?」

「ああ、白石君ね、彼女は使える人だね、間違いないよ」

「私、ああいう女の人に憧れるなあ。でも、ね、ソフィー!」

なぜか、ステラとソフィーが眼で合図して、意味ありげに黒川の方を見た。すっかり元気になったソフィーが言った。

「白石さん、この病室に何回か来てくれたんだけど、なんか黒川先生の話ばかりするんですよ。うふふ」

「そうそう、プリンが大好きだとか、この惑星のペットに詳しいとか、手術の時はとてもまじめで、腕もいいとかね…うふふ」

アンテラスの女王候補も人間の娘も、この手の話しは興味が尽きないようだ。

「こらこら、大人をからかうもんじゃないぞ。でもよかった。二人とも元気そうで何よりだ。じゃあ、またね」

黒川は、元気を取り戻した二人の20才の娘に笑顔で答えて、部屋を後にした。

そして病室で昼食をとると、いよいよ時間だ、最終対策会議に出席する。

このハニカムタンクは低層部に発電設備や備蓄庫、海水からでも飲料水を造ることのできる浄水設備などライフラインがくみこまれ、中層部には500人ほどの避難民の部屋があり、上層部には指令室や病院や対策本部などの中枢部が集まっている。

最終対策会議は、あのヘリポートのある屋上のすぐ下、最上階の多目的ホールで行われようとしていた。

ニコル・ハントは病院から多目的ホールに行くために一人でエレベーターに乗った。一人になるとエレベータ内監視カメラに背を向けて、小声で何かをささやいていた。

「…大丈夫よ、すべて予定通り決行するわ。何のためにここに残って危ない橋渡ってると思っているの?私のにらんだところでは、柴崎やカペリウスはうすうす感づいているわね。あの小人さんのレプレコーンはまだ電源を切ったまましっかり確保しているわ。でも、いつ奴らに反撃されるか分からない。かなり危ないわ。けれどね、これが成功すれば、大逆転で、私たちは大成功で帰還できる。頼んだわ、エッシャー」

「わかりました、では、予定の時間に、予定の場所にお迎えに上がります」

やがてエレベーターのドアが開いてニコル・ハントは何事もなかったように多目的ホールへと進んで行った。

多目的ホールの正面の第画面にはデポリカの街の様子が映し出されていた。右側の中型画面には海岸付近の様子がいくつか映し出され、左側の中型画面にはコンピュータグラフィックで太陽と惑星、3つの月の位置や接近までの時間などのデータが映し出されている。

「それでは、これより海の進撃に対する最終対策会議を行います。私は司会を務めます、惑星評議会の議長パトリシア・フォックスです、よろしくお願いします」

聡明そうな女性の議長の声が響いた。会場にはレイトン提督と4名の惑星統括官のほか、避難民の代表団や、消防隊の指令、災害救助隊本部長、警察署長、アンダーソン長官と、テイラー分析官などは、軍事基地からのモニター出席だった。調査隊からも、カペリウス隊長、柴崎、黒川、そしてなんとあのニコル・ハントもちゃっかり出席していた。

「ではまず、テイラー分析官から現状の説明をお願いいたします」

テイラー分析官がモニター画面の向こうで助手とともに立ち上がり、画面の説明を始めた。

「海上にある右側の海岸の画面をご覧ください、海水面の干満の差が非常に大きくなっています。まずは朝方観察された引き潮の画面です。ほら、いつもは見えない海底の起伏までが良く見えているでしょう」

なんと言うことだろう、ずっと沖の方まで、かなり深い海底の起伏までが見えている。「そしてこれが先ほど観測された第一回目の危険な満ち潮です」

「おお…」

参加者がどよめいた。海岸に海が押し寄せ、風景が一変してしまっている。ただただ海が押し寄せ、海岸の周辺は海原になっているではないか。同じ地点の画像とは思えない。

「計算上では、海水の進撃は、数回ほど予想されています。つい先ほど前ぶれの波が押し寄せ、ご覧の通り、このセントラル公園には届きませんが、海岸近くはかなりの範囲が水没しています。今はまた大幅な引き潮に向かって海が移動している時間になります。今日は夕暮れとともにこのハニカムタンクは外出禁止となります。このデポリカが大幅に水没するのは今日の真夜中におこる3つの月と太陽が直列に並ぶときから、夜明けごろに第三の月が最短の距離まで近づく朝方までの6時間ほどです。それが過ぎると水はだんだん引いて行き、明日の昼ごろまでには、大きな海水面の変化は収まっていくでしょう」

そして当初は想定していなかった第二回目のマックス進撃の時の予想外の災害についての説明が始まった。

「まず、このハニカムタンクですが…」

大画面にハニカムタンクの内部の図解が示され、基本性能が示された。水や食料が今の避難民なら2週間以上持つ備蓄があるとか、海水面が押し寄せた時は水に浮き、屋上のヘリポートからホバーバスで移動するとか、また市民生活に必要な多目的作業ロボットアンテックも、軍の基地やビルの高層階に格納されているが、このハニカムタンクの1番底の倉庫にも数百体が入っていると言う。さらに、六角形で組まれたボディは丈夫で信頼性が高いとか、水に浮いているイメージ図も示し、解説された。

「ところが、未来シミュレータの計算でとんでもないことが予想されるに至りました。では柴崎さん、お願いします」

呼ばれて立ち上がった柴崎は、大画面に未来シミュレータのミュリエルによる予想グラフィックを見せながら解説した。

「第二の進撃の時、太陽と3つの月の直列が起きるのですが、その時に引力が最大になる関係で、津波に近い大波が発生することが分かりました」

なんでも10mをはるかに越える大波が複数回このデポリカを襲うと言うのだ。

参列者はみんな静まり返って顔を見合わせた。柴崎はさらに続けた。

「ハニカムタンクは大波を受けても大した被害はありません、衝撃を吸収する二重構造で、重心も安定していて、波の衝撃にも耐えられます。ところが…このデポリカのマップを見てください。複数回津波が押し寄せた場合、今ハニカムタンクが設置されているセントラル公園からハニカムタンクが押し流されてしまう可能性が非常に高いのです」

セントラル公園の外側にはダウンタウンのビル群が広がっている。

「波の大きさ、その回数によっては、流されたハニカムタンクは、ダウンタウンのビル群に正面から激突し、破損し、最悪崩れたビルの下敷きになり、大きな被害が出ると予想されるのです」

今度は会場がどよめいた。この巨大なハニカムタンクがそんなところまで流されるなんて本当なのだろうか?!でも、そう予想されるなら大変なことだ。するとパトリシア議長が次の発言を促した。

「では、アンダーソン長官と軍の協力を得て行う激突回避の方法を説明いたします。問題は波の規模が予想より大きいと計算されたのですが、細かいことはまだ分かりません。そこで、波の大きさや持続時間、方向などによって、柔軟に対応できる方法でないと有効ではないと言うことになり…」

柴崎と軍の担当が、代わる代わる作戦の説明をはじめた。それで本当にうまく行くのだろうか?コンピュータの計算では大丈夫だと言うのだが、参加者はみんなざわめいていた。だが黒川が驚いたのは、あのニコル・ハントが柴崎たちの説明の間。休む間もなく、ノートに何か書いていたのだ。ほとんどの参加者は、自分のロボット端末を使っての、自動メモ精製機能を使っている。資料として配信された図やスケジュールをとりこみ、その内容に、提案者の説明内容、他の参加者の質問や意見などがリアルタイムに音声認識で取り込まれ、色分けされ、決定事項や重要案件、概要などがそれぞれの必要に応じてまとめられるのだ。でも、ニコル・ハントは、なぜか猛スピードで、何かを書きこんでいた。ただ一人、柴崎だけがニコル・ハントの使っていた変わった形のボールペンを見て、何かを察していた。

「…あのボールペンは、書いた内容が別の場所に転送される機能を持つだけでなく、ある波長の光を当てると、書いた文字がすべて消えてしまう特別なペンだったはずだ…。彼女は一体見られて困るような何を書いていると言うのだろう…」

…一体、この女は何を考えているのだろうか?やはり何か陰謀を企てているように思ってしまう柴崎と黒川なのであった。

そしてひと通り対策の説明が終わると、議長のパトリシアが真夜中から朝方までの波の来襲と水没中のタイムスケジュールを告げた。

「まず、皆さんがこれから部屋に帰られてからすぐ、大きな波に襲われた時にけが人が出ないように放送の指示にあわせて大波防災訓練を行います。周りに倒れるもののない場所で、衝撃に耐える安全な方法を訓練いたします。約15分ほどで済みますので、ご協力ください。そして、対策会議のメンバーの方々は、真夜中に波の訪れる1時間前からこの多目的ホールに再び集合、水が引き始める朝方まで、ここで緊急態勢をとっていただくことになります」

参加者はみんな黙ってうなずいた。

やがて会議は終了となり、参加者はまずは耐衝撃訓練、そして食事や仮眠をとって波の来襲に備えるため、一度自室に戻った。やがて太陽が沈むと、東の空に、3つの満月がゆっくり上がって来た。第三の月は人類がこの惑星に来てから初めての大接近であった。その時、海に飲み込まれてしまう西の森や平原は静まり返り、海に飲み込まれることのない北の山岳部や、東の台地はざわめき立った。アンテラスの王国でも、たくさんのアリたちが王宮前の広場に集まり、だんだんと昇って行く3つの月を眺めていた。女王ファロラピスが静かにバルコニーに進み出て王国の民にはなしかけた。

「われわれの言い伝えでは、第一の月は生と鏡、第二の月は死と冥界、そして第三の月は復活と再生を表すと言います。荷十数年ぶりに第三の月が近づき、大きな区切りが終わります。明日から、また新しい時代が幕を開けるのです。新しい気持ちで、心をひとつにして、ますます王国の繁栄を願おうではありませんか。皆の力を貸してください。この海の進撃を乗り切り、新しい、素晴らしい朝をともに迎えましょう!」

民衆の歓声が上がった。その中に人間が一人混ざって女王に熱烈に手を振っていた。ステラの父、セオドア・フォスターであった。あんなひどい襲撃があったのに、セオドアの扱いには何の変化もなく、今も女王の姿が見えるこの広場に来ていた。アンテラスはなんと寛大なのだ。だがまだ女王とは単独では会ってもらえない。セオドアの心に小さな焦りが生まれてきていた。海の進撃は刻一刻と近づいていた。

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