第二十八章 因縁果報(9)
「全く気付きませんでしたよ。ホントに何者なんですか」
「? 斎藤一だが」
「いや、そうじゃなくてですね……。時々素面でボケますね」
何を考えているか一見して分かりにくいこの男の表情は、伊織の丁寧な突っ込みにも眉一つ動かさない。
「結局来るんなら、私に頼む必要なかったじゃないですか……」
「それで、誰のことだ」
有耶無耶にはされてくれそうにない。
人払いした部屋で、大声など上げてもいない会話をどうやって聴いたのか。
「特に誰のことでもないですよ。勿論、私でもないです」
「何かなければあんな話は切り出さないだろう。新選組内部に、何か気掛かりがあるんじゃないのか」
斎藤に対して隠し事は出来ないらしい。
思考感情は無論のこと、どこまでを見透かしているのか読めないところが多過ぎる。
「斎藤さんは名監察だと思いますよ本当に……」
この調子では、時尾との会話も筒抜けなのではないか。
会話の内容がどう受け取られているかはさて置き、斎藤にはあえて泳がされているような、そういう感覚に陥ることが間々あった。
会津との関りを共有する今も、それは依然として変わりがなかった。
斎藤は会津側深い繋がりがあり、近藤や土方らの一門である最古参の隊士の一人である。
だからこそ慎重にならざるを得ない面もあるが、打ち明けてしまえれば、そして間諜同様に協働出来ればこれほど心強い人間はないだろう。
「他言、しませんか」
「口が軽いように見えるか」
「見えませんけど」
「それとも信用に値しないか」
「逆ですね。斎藤さんにとって、私が信用に値しないのではないかと考えてますから」
「ほう。よく気付いていたな」
じろりと睨め上げると、斎藤は無感情な眼で一瞥を返す。
「言っておくが、三浦を会津へ突き返そうと目論んでも無駄だぞ」
「分かってますよ。梶原さんも困るって即答してましたから」
どうやら三浦敬之助絡みとでも思ったのだろう。
斎藤は半ば呆れた色を声に乗せていた。
「……山南さんの様子が、少しおかしいです」
漸く声に出した一言は、入相の風に掻き消されるようにか細く、伊織の喉を震わせた。
「………」
「伊東参謀と親し気にしているようですが、山南さん自身は、局中での身の置き処に、人知れず悩んでいる素振りがあるように感じます」
「それで、会津か」
馬鹿々々しい、というように斎藤は肩を竦める。
「ほんの一かけらで構いません。三浦啓之助なんぞより、山南さんに注意を向けていて頂けませんか」
日の落ちかけた、寒風の吹く往来には人通りも疎らだった。
屯所への道程は長い。
斎藤と連れ立って歩く道中、伊織は見聞きした山南と伊東の様子を具に説き続けたのであった。
【第二十九章へ続く】
新選組秘録─水鏡─ 紫乃森統子 @shinomoritoko
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