第27話 陽を当ててくれる人
翌日、バルドはまた別行動を望んでいた。すぐさま由鶴岳に行きたかったのもあるだろうが、入れ代わりが起きるのを恐れたからだ。
バルドが裕介の体に入っていても、彼は思うままにその体を操ることができる。例え裕介の体が、運動神経に破滅的な問題を抱えていても。その後の筋肉痛には悩まされるが、裕介の体はちゃんとバルドの思考に従うのだ。これにはきっと、今に至るまでのバルドの経験が生かされている。バルドが戦ってきたという証しだ。
鉄輪たちとの大乱闘も、それは目を見張るものではあったが、バルドが自分自身の体でシェーンヘルデンへ向けて放った陣旋風のような回転蹴り。あんな闘い方ができるのなら、自分自身の体でいたいと思うのは当然。特に今、狙われているアルノーたちが傍にいるという状況では。
それでも、裕介とバルドは学生。バルドに限っては操作をしたが。
母の裕里の目がある以上、通学しないわけにはいかなかった。それを面倒がったバルドが裕里の記憶にまた操作を施そうとしたので、裕介が必死に止めたものである。
登校したらしたで、二人はまた注目の的だった。
バルドは人目を惹きやすいが、それだけが理由ではない。先日の問題行動を起こした二人が、あれ以来初めて揃ったからだ。
鬱陶しそうに顔を歪めるバルドに、裕介は内心で思う。『僕は昨日、これに一人で堪えたのだ』と。
昨日の別行動を責める気持ちは、もうなかった。
バルドは感じ取っていたのだ。アルノーとシェーンヘルデンの、人狼の気配を。その嗅覚で、吸血鬼の感覚の全てで。
『獣臭い』と言ったバルドの言葉の意味に裕介が気付いたのは、昨夜の眠りに落ちる寸前だったりする。
沸々と煮えるように苛つくバルドを、裕介はハラハラしながら、一時間目の終わりに中庭に連れ出した。あの日の大乱闘の舞台だ。
ここでも人目はチラホラあるが、教室よりマシだ。あの遠巻きに見る、好奇心や恐怖心にまみれた目よりは。
ベンチの隣に座ったバルドを、横目でこっそり盗み見る。目は吊り上がっていて、見えない何かを睨んでいる。時々、唸り声さえ聞こえてきた。
(こ、怖い……。)
バルドの怒りには慣れたと思ったが、気のせいだった。怖いものは怖い。
「俺は帰るぞ、ユースケ……」
「だ、駄目だって! バルドも休んでいたから、単位が取れてないんだよ?」
「要らねぇよ、単位なんぞ!」
(それはそうだろうけど。吸血鬼だし)
でももし、裕介とバルドのこの縁が長引くとしたら、留年だって視野に入ってくる。いや、バルドが高校を辞めればいいのか。でもそうなると、二人は一日の大半を離れて過ごすことになる。昨日のように一日だけとかならまだしも、毎日となるとどうなんだ。
考えても分からない。だからこそ、現状が最適だと思う。少なくとも裕介は。
それにやはり楽しいのだ。友人のいる学校は。
「大変そうだな、今日も」
聞こえてきた声に、二人は揃ってそちらに顔を向けた。
苦笑いしながら近づいて来るのは堀田で、『おはよう』と言葉を続けた。
「おはよう、堀田くん」
「部活の朝練があってさ、登校直後は時間がなくて。一時間目が終わったら話しかけようと思ったのに、二人ともすぐに教室を出て行ったから」
『ごめんね……』と返した裕介は、少しだけ思案した。
昨日の堀田との別れ際、教室でも話そうと言ってくれた。それをすぐに実行してくれたのだと思い、裕介は嬉しいのか申し訳ないのか、複雑な感情に襲われた。
「シュヴァルツくんも、おはよう」
「――誰だ、お前」
(貴方って人は!)
バルドの不遜な態度に、裕介は目を丸くして、慌てて場を取り繕う。
「いや、ちょっと、バルド……。堀田くんだよ、クラスメイトの。あの日、助けてくれたでしょ」
『ああ?』と低い声を出すバルドに、『助けられたのは俺の方だけど』と、堀田が言う。
裕介は冷や汗をかきながら、記憶を巡らすバルドを見た。バルドは堀田をジッと眺め、たっぷりと間を取って考えていた。
「そう言えばいたな。お前みたいな地味な顔の奴」
(思い出したにしても、もっと言い方ってものがあると思う……)
どこまでも感じの悪いバルドに、裕介は肩を落とした。
「ごめんね、堀田くん……。悪気があるわけじゃないんだよ」
「いや……嫌われても仕方ないって、自覚があるから」
そう言って、顔を歪める堀田に。裕介はバッと振り返って、バルドを見た。
バルドはそんな裕介を暫く見た後、呆れたように溜め息を吐く。
「別に嫌ってはいない。あの日、ユースケは言っただろう。もういいよ、と」
厳密に言えば、裕介はそう言ってほしいと促しただけで、実際に言ってくれたのは、裕介の体の中にいたバルドだ。それもあって、堀田のことを思い出したのかもしれない。
「ありがとう、シュヴァルツくん」
「バルドでいい。長ったらしい」
バルドの言葉に、堀田は笑って頷いた。
「俺も下の名前で。俺、
入学当初、クラスの全員が自己紹介として黒板の前に立ち、一人ずつ名乗っていたのは覚えているが。その後の出来事が悲惨だったせいで、クラスメイトのフルネームなんて記憶になかった。
(朝陽くん、か)
バルドが夜闇の住人なら、堀田は裕介に陽を当ててくれる人かもしれない。
そんなクサいことを考えて、照れ臭くなって一人で笑う。
「裕介も、いい?」
遠慮がちに朝陽がそう言った。
彼の罪悪感は、なかなかに根が深そうだ。
「いいよ。よろしく、朝陽くん」
いつまでも後ろ向きでは駄目だ。朝陽には何度も『もういいよ』と伝えているのだから。
だから、ここから。ここから始めよう。友達という関係を。その為の呼び方の変更だ。
朝陽は嬉しそうに笑顔を浮かべて、裕介の座るベンチの隣に腰を下ろした。
「部活って。朝陽くんは何部なの?」
「サッカー部」
言われてみれば、朝陽の肌はよく日焼けしていた。
隣の膝の上にある手の甲と自分のを見比べて、裕介は苦笑いする。自分の肌は、全くと言っていい程に焼けていない。暑い夏を過ごした直後だというのに。
袖を捲れば辛い記憶を伴う傷跡もあるけど、それを思考の外へ追い出す。
「スポーツ推薦で入学したからさ、俺。練習はキツくてもサボれないんだ」
「へぇー、凄いね!」
「フン。お前には夢のまた夢だな、グズユースケ」
(言われなくても分かってるよ……)
皮肉を吐き捨ててきたバルドに、裕介はジトリとした視線を向けた。それを見た彼は、面白そうにケラケラと笑っている。
裕介がサッカーなんてしたら、とんでもないことになるのは目に見えている。サッカーだけではなく、他のスポーツにも言えることではあるが。
バルドはどんなスポーツでもできそうだなと想像する。そう言えば、十一月の頭にはクラスマッチがあったっけ。
「何か変な感じだな」
そう言った朝陽に、裕介とバルドが視線を向けた。
「昨日も裕介と話して思ったけど。二人はあの日と真逆になったみたいだ」
ヒッと、裕介は音にならなかった息を吸い込んで、背筋を伸ばした。
確かにあまり意識していなかった。そう言えばそうだ。
どうしようと焦る裕介の横で、バルドが腕を伸ばした。その腕は裕介の目の前を通り過ぎ、一直線に朝陽の方へ向かう。
何をするのだと、裕介と朝陽が身構えた瞬間。バルドは朝陽にデコピンをした。
「――気にするな。そういう日もある」
『痛っ!』と言った朝陽は、数秒間だけ静止した。デコピンを受けた反動か、上を見上げたままの体勢で。
表情は恐らく、ポカンと間の抜けたものだろう。裕介は何となく察した。バルドは今、朝陽に記憶操作を施した。洗脳の方の。
裕介とは違って、あまりにも易く使うものだと変な感心をする。裕介は一点集中といった具合に、神経を研ぎ澄ますのに。バルドにとってこの力は、息を吸うように、腕を振り上げるように、本当に自然なことなのだと思う。
「そっか。そんな日もあるよな」
そう言って、笑顔で朝陽が受け入れたのを見て、裕介は心の中で謝罪した。
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