第22話 黒と銀の衝突
アルノーとは違う、シルバーブロンドの髪。鋭い瞳は瑠璃色に輝き、厳しさを隠そうともせずに、アルノーを見下ろしていた。
シェーンヘルデンから途徹もない威圧感を受けるのは、裕介たちが座っているからだけではない。実際にシェーンヘルデンの身長が途方もなく高いのだ。恐らく、二メートル近くはある。アルノーと同じような、銀色の毛足の長いファーリーの服も、更に体を大きく見せている要因だ。そして、この世の者とは思えぬ程に、美しい男だった。
「よくも要らぬ手間を掛けさせたな。我が元より逃亡を謀るとは、何たる愚か者よ」
シェーンヘルデンの罵倒に、アルノーは黙り込んでしまった。裕介に至っては、アルノーを庇う言葉すら口にできない。背筋を伝う冷や汗の気持ち悪さに、何とか堪えるだけだった。
そんな裕介に、ノロノロとした緩慢な動きで、シェーンヘルデンが鋭利な視線をぶつけてきた。
「――人間よ。何故にその汚い手で、無礼にもその御方に触れておるのだ」
「えっ……」
「赦されぬ愚行」
シェーンヘルデンの言葉は、何一つ理解ができなかった。
(アルノー……君は一体、何者なの……?)
「やめてよ、シェーンヘルデン!」
シェーンヘルデンの手が迫るのを、スローモーションのように眺めた。
アルノーの叫び声が耳に入った瞬間、裕介の頭上を駆け抜けたのは、静かなる一陣の風。
ドンッという鈍い音が響いて、裕介はゆっくりと瞬きをする。
シェーンヘルデンが、裕介に伸ばしていた手とは逆の腕で、誰かの足を受け止めていた。
裕介の目に狂いがなければ、それは正に陣旋風。軽やかな回転でも威力は増して、強烈な回し蹴りとなっていたはずなのに。シェーンヘルデンは自らの首に迫っていたその蹴りを、腕の一本で防いで見せた。
頭上で舌打ちの音がする。
その人物は空中で後ろに身を翻して、砂埃をあげて勢いを殺しながら、低い姿勢で地面に着地した。
「――お前、“狼”だな?」
バルドの言葉に、裕介は瞠目した。
「斯く言う貴様は、吸血の悪魔か」
バルドの正体を言い当てたシェーンヘルデンへ、再び裕介は驚きの視線を向ける。
バルドもシェーンヘルデンも、微動だにせず睨み合っていた。間に挟まれた裕介とアルノーは、オロオロと二人を見回すばかりだ。
アルノーの手が、裕介の服をギュッと掴む。不安に駆られて無意識に取った行動だろう。そのアルノーの手の上に自分の手を重ね、暗に『大丈夫だよ』と伝える。
その様子を見たシェーンヘルデンが、また顔を険しく歪めた。
「気安く触れるなと言っているのだ!」
「お前の方こそ下がれ!」
そう言ったバルドがまた飛び上がって、シェーンヘルデンに向けて蹴りを繰り出した。先程の蹴りより、格段に威力のあるものだと、裕介にも分かった。
シェーンヘルデンはまたも防いだが、今度は両腕だ。胸の辺りに飛んできた攻撃を腕を交差して受ける。ダメージは無いようだが、それでも力で圧され、数歩を後退した。
裕介とアルノーを間に挟んでいた二人が、ついに直接対峙した。バルドが後ろに、ベンチに座る裕介たちを守る形だ。
バルドの背中を見て、その向こう側にいるシェーンヘルデンに、裕介は益々顔を強張らせた。
「――主人の名を言え、狼」
ピクリと、シェーンヘルデンの眉が動く。
「返答次第で、ここで叩く」
バルドの声は、どこまでも冷酷だった。
「我らの主人が、貴様と同じ吸血の悪魔と邪推したか?」
今度はバルドの方が顔を顰めた。
二人の会話は、裕介にはよく理解ができなかった。特にバルドの言う“狼”だ。シェーンヘルデンは確かに、人間の姿をしているのに。
そう考えて、ハッとして傍にいるアルノーを見た。アルノーは焦りが滲んだ表情で、バルドとシェーンヘルデンを見つめている。
(まさか、アルノーは……。子犬だと思っていたけど、狼だったの……?)
「我らは異種族の主人など持たぬ! 我らの主君は純然たる血筋の方々のみ!」
つまりそれが、アルノーか。先程からのシェーンヘルデンの言動から推察すると、アルノーの身分は随分と高いものらしかった。
「ユースケ。そのチビを離せ」
そのバルドの言葉に、裕介は思わず慌てた。
「でも、まだ子供だよ。この人のこと、怖がってるし」
「見た目に騙されるな。“人狼族”の年齢は、精神が影響する。身体の成長は年月に比例しない。それ故に長命だ」
“人狼族”――サラリとバルドが口にした真実に、裕介は漸く納得した。
真っ白い子犬は、狼だった。その狼から人間に変身したアルノーは人狼で、シェーンヘルデンも人狼だ。
バルドの攻撃を難なく防いだ理由も頷ける。吸血鬼と人狼。どちらも人外。お互いの力を、力で押し返せる。
「おい、チビ。お前、生まれてから何年だ?」
「――八十年。」
『ほらな。』と、バルドが手を払った。シェーンヘルデンを警戒する視線は動かしていない。
裕介は目を丸くした。五、六歳だと思っていたのに。
「ありがとう、ユースケ。オレ、シェーンヘルデンの所へ戻るよ」
そう言ってベンチから降りたアルノーの肩は、力なく下がっていた。
重責。想像もできないプレッシャーを背負うには、あまりにも細い肩だ。八十年を生きてきたとしても、裕介にはまだまだ子供に見える。
帰るのなら、力になると言った。でもそれは家だという、“白森”に帰ることであって、シェーンヘルデンの元へ戻るということではない。
「アルノーの力になるって。僕は約束したんだよ、バルド」
人狼だろうが、アルノーの身分だろうが、興味ない。ただ、帰りたいと言った場所へ、見送りたいだけだ。
「はぁ? オイ、コラ。安請け合いしてんじゃねぇ!」
バルドにそう言われるだろうと予想していたが、もう引き下がるわけには行かなかった。
アルノーが揺れる瞳で見上げてくる。それに微笑んで返して、一つだけ頷いた。
「――バルド?」
不意にそう呟いた者がいた。
そちらの方へ一気に視線が集中し、名前を呼ばれたバルドが愛想悪く、『あ?』と言って返す。
シェーンヘルデンが呆然とした様子で、バルドを見つめていた。
「バルドゥイーン殿……。貴方はバルドゥイーン殿か!」
それまでのシェーンヘルデンの態度が嘘のように、彼は片膝を立てて座り込み、頭を下げた。
バルドが怪訝そうに顔を顰め、シェーンヘルデンを見下ろしている。裕介とアルノーは、状況が分からなかった。
「――我ら、白森に棲む一族。“モーントリヒトの狼”――覚えておられるはず」
次第に、バルドの目が見開かれていった。
「モーントリヒト……」
バルドのその声色に混じった、郷愁と物寂しい感情に、裕介は微かに動揺した。
バルドの脳裏に鮮明に甦ってきたのは、月光をその身に宿し輝く、白い毛並みに白い瞳の大狼。高貴なる、上古の狼の姿。
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