第15話 兄の友人
バルドの機嫌は治らなかった。
皐月の運転する車に乗り込むと、後部座席の隣から聞こえるバルドの舌打ちに、裕介は何度もビクビクしながら、彼の顔色を窺っていた。
反面、その意外な事実に驚いてもいる。
闇の中で生きる、吸血鬼という素顔を持っているバルドなのに、オカルトやホラーが苦手だとは。
それらは所詮、作り話で、確かに怖い場合もあるけれど、いつかは記憶の彼方に消えていってしまうものだろう。意識して覚えたりしなければの話ではあるが。
あの赤い月の下で襲われた自分の方が、余程怖い思いをしたと、裕介は小さく苦笑する。そして初めて垣間見えた、バルドのほんの少しの人間臭さが愛しく思えた。
「大体、話を聞きに行くって言ったって、こっちの事情は何も話せない。行くだけ無駄だろうが」
『だから帰ろうぜ』と、バルドが言う。
ここに来て、また悪足掻きを始めた彼に、裕介は少しだけ呆れはじめていた。
見慣れた自分自身の顔。だけどここまで聞き分けなく不貞腐れて、顰めっ面になったことはないし、眉間に癖が付きそうな程に皺を作ったこともない。体が元に戻った時、その眉間の皺の癖が取れなかったらどうしよう。
裕介はそんなことを考えながら、バルドの怒りから意識を逸らせようとしていた。
「ああ。話せばいいんじゃない?」
事もなげにサラリと言い放った皐月に、裕介もバルドも目を剥いた。
車のバックミラーには、無表情の皐月が曲がる方向へ視線を向ける様子が映っている。
驚きに硬直した裕介とバルドだったが、そこから回復するのはバルドの方が早かった。
「おい、コラ。ちったぁ頭の切れるガキだと思っていた、俺の認識に詫びろ」
皐月の座るシートに手を掛け、凶悪な顔つきで迫るバルドに、裕介は必死に肩を引いて止めた。
自分が敬愛する兄に、裕介の本来の顔で、それも目を覆いたくなるような怖い顔で、詰め寄るのはやめてほしい。
『バルド、落ち着いて』と、裕介は何度も言ったが、それでなくともムシの居所が悪かったバルドは、なかなか冷静にはならなかった。
「心配いらないよ」
駐車場に車を停めた皐月が、後部座席へと振り向く。
着いた場所は、どうやら皐月が通う大学のようだった。
楽観的とも取れる皐月の言葉に、バルドがまた噛みつこうと口を開きかけたが、それよりも先に皐月が話を続ける。
「簡単に言ったのは、悪かったと思ってる。でもどうしたって、協力者は必要でしょ。入れ代わりの原因とか、他にもいろいろあるけど。裕介もバルドも、根本の問題はまるで分からない。それなら素人レベルでも知識のある奴に、話を聞いた方が近道だと思うけど」
それは確かにそうだと、裕介もバルドも閉口した。
「だけど、この話を信じるかどうかはアイツ次第だし。現実に起こり得ないから、オカルトは面白いとか言ってる奴だからね。裕介とバルドの話を創作だと思うなら、それもヨシ。それはそれで、この人間と吸血鬼の入れ代わりごっこに付き合ってくれるよ」
ポカンと呆ける、裕介とバルド。
もしこの話を信じてもらえなかったとしたら、あまりにも可笑しなことにならないだろうか。そもそも裕介たちは、そんなごっこ遊びに興じるような年齢でもないと言うのに。
「アイツ、良く言えば純粋だし。悪く言えば――」
――バァンッ!
突如として響き渡った大きな音と、この車を襲った揺れに、裕介は小さく悲鳴を上げた。
バルドも何事かと車内を見渡し、その視線が後部座席の更に後ろに向いた瞬間、そこにあった光景に僅かに顔を引きつらせた。
後部のドアに、男が張り付いている。年は皐月と同じくらいだろう。さっきの音は、この男が車に飛び付いた時のもののようだ。
男の目はギラギラと輝き、裕介とバルドを交互に見ている。
「悪く言えば、ただの変態だから」
皐月の暴言に、裕介とバルドが『確かに。』と頷いたのは、言うまでもない。
◆◇◆
皐月は日頃から、表情を変えることがない。
笑顔を見せることも数えるくらいしか記憶にないし、幼い頃の裕介はそんな皐月に怯むことも多々あった。長兄の敦史と同様、皐月からも疎まれていると勘違いする程。しかしそんな認識は、裕介が成長するにつれて、皐月の優しさを理解できるようになってからは、消えていったものである。
「いやいや! よく来てくれたね、弟くんたち! いつか皐月くんのご家族に会いたいと思っていたものだけれど、如何せん、皐月くんときたらこの見た目通りのミステリアスさが売りだろう? 私生活を暴こうなんて、とてもではないが出来なくてね! もう何年も我慢していたのだよ! ところが突如として、弟くんとそのご友人の悩みを聞いてくれと頼まれた。これに応えずして、どうして皐月くんの大親友と言えるだろうね! 何を隠そう、僕は皐月くんの大・親・友なのだよ!」
「――
膝に手を付き、ゼェゼェと呼吸する皐月の友人を、裕介とバルドは白い目で眺めていた。
皐月は日頃から、表情を変えることがない。だからこそ、一人で演劇をしているようなこの男と、友人関係であることに驚いた。
見た目は普通の大学生。黒髪で、着ている服も白いパーカーにジーンズだ。だから裕介とバルドは油断していたのだが、車から降りた二人を襲った、この男のマシンガンのようなトークは、一気に二人を引かせた。
「こちら、
「よ、よろしく……」
喉をガラガラと鳴らしながら、涙目で明礬はそう言った。
マシンガンで失った酸素を深呼吸で取り戻した明礬は、裕介とバルドの紹介を聞いた後、『研究室に行こう』と言って進み始めた。
案の定、『オカルトの研究室だと?』とバルドが文句を言って渋ったが、吸血鬼の体に入っている裕介が手を引けば、逆らえる筈もなく。悪態を吐きながら、明礬の後に着いていく。
初めて入った、大学構内の様子に、裕介は物珍しそうに辺りを見回した。
高校と違うのは言わずもがな。制服を着ているわけではないので、生徒それぞれが個性に富んでいる。髪を染めている人もいれば、テキストを何冊も抱えて早足で行き交う人。楽器を背負っている人に、缶ビールを持っている不届き者まで。
大人に仲間入りしたようで、まだまだ学生だ。
広い、広い。つい先日まで、裕介が嫌いだった高校よりも、ずっと広い世界だった。
「――見て見て、灰村くんだよ」
「なんか外国人の男の子と一緒にいるじゃん」
小さく聞こえてきた色のついた声に、裕介がそちらへと視線を向ける。
その声が聞こえたのは、吸血鬼の聴覚を持っている裕介だけだったようで、他の三人は反応しなかった。
灰村と呼ばれたから、思わず自分だと思ったが、それは違うようだ。声の主は女性で、何だかキャアキャアと騒いでいる。その女性たちの視線を辿れば、その先にいるのは皐月だった。
「皐月兄さん、モテるんだね……」
数歩前にいた皐月が振り向いて、不思議そうに首を傾げた。
「モテるとも! 僕が知る限り皐月くんは今に至るまで、数多の女性にお誘いを受けているが、そのどれにも色良い返事はしていないね! 僕に言わせれば、皐月くんは無駄な色男の朴念仁さ!」
散々な言われようである。
明礬の言葉に皐月は気分を害した様子もなく、女性たちに目を向けることなく歩いていく。
裕介がもう一度だけ女性たちの方を見れば、彼女たちはどこか嬉しそうにこちらへ手を振ってきた。それに驚いたのは裕介の方で、思わず目を見開いてしまった。これまで生きてきて、目が合っただけで女性にそんな反応をされたことはない。
「勘違いするな。お前は今、誰なんだ?」
(そうか。僕は今、バルドなんだ)
透き通ったプラチナブロンド、瞳はブルーグレイ。顔色は青白いが、バルドも十分に美形だ。ただし、黙っていれば。
今は裕介がバルドの体に入っていて、荒い言動が飛び出すことはないけれど、これがバルドに戻ってしまえば、あの女性たちの熱い視線も冷めるのかもしれない。
そんなことを考えながら、どこか落ち込んでしまったような心持ちで、皐月と明礬の後に続いた。
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