第14話 破れた術

 緊迫した静寂の中、裕介とバルドはほんの僅かな時間だけ目を合わせた。

 初めて二人で家に帰ってきた日、裕介は確かに皐月に対して記憶操作の力を使ったはずだった。バルドも大した違和感を感じなかった為、てっきり力を使うことに成功していると思い込んでいた。

 皐月は普段通り、無表情で無気力な雰囲気そのまま。裕介とバルドが醸し出している緊張感を、全く意に介していないようだった。


 どうする? もう一回、皐月に向かって力を使ってみるか? もしかしたら皐月にだけ失敗していたのかもしれない。力を使うことに不馴れな裕介だったら、幾らバルドの体を持ってしても、失敗することは十分に考えられる。

 必死に考えた裕介が、動き出そうとした時。ベッドの上で胡座を掻いていたバルドが、手をこちらへと伸ばして止めた。そんなバルドを裕介は一瞥したが、彼は注意深く皐月を見つめるだけだった。


「――いつから、気づいていた?」


 低く絞り出すような声で訊いたバルドに、皐月は至極不思議そうな顔で首を傾げた。


「最初からだけど?」

「話を合わせてたってのか?」


 『うーん』と唸って、皐月が部屋の床に座る。手に持っていたスマホも床に置いた。

 呆然と皐月を見つめる裕介に、『座れば?』と言って皐月が勧めてくる。それに返事ともつかない声を発した後、裕介は椅子に腰を下ろした。


「初めは、そんな遊びが流行ってるのかな、と思った。その遊びに裕里さんもノリノリで応えてるのかなって」


 思い出すように、皐月がゆっくりと話を続ける。


「裕介に友達ができた。それならその遊びに付き合ってやろうと思った。でも、何かが違う。遊びの範疇を越えて、二人も裕里さんものめり込んでいた」


 皐月が不意に上げた視線に、裕介は体を硬直させた。

 真剣な目、力が籠っている。自らの中で一切の疑惑を取り払った、確信を持った人間の目だ。


「例えば、何か超能力のようなものを突然に使えるようになったとして、その力を有意義に使うとしたら、まずは周囲の人の認識をどうにかしようとするだろうと考えた。では何故、力を使おうと思ったのか。不都合な事象が起きたからだ。それが裕介とバルドの入れ代わり。裕里さんに力を使って、認識を操作した。これで、裕里さんののめり込み方に説明が付く」


 バルドが否定の言葉を出さない。だから皐月の言うことは間違っていない。裕介は話の途中で、理解が追い付かなくなって、置いてけぼりになっていた。それでも何とか皐月の話を反芻して、その内容を理解しようと試している。

 たった一つの違和感から、皐月は自力でここまでの仮説を導き出した。名門大学の学生というのは伊達ではない。その思考の柔軟さに、バルドは密かに舌を巻いた。


「そもそも何故、そんな力があるのか、だけど――」


 皐月が裕介に向けていた視線を、今度はバルドの方へ移す。


「人外だからだよね?」


 今度こそ、裕介とバルドは全身が凍りついた気がした。

 足の先から、手の先から、ジワジワと迫ってくる冷気に耐えられない。部屋の中は氷点下にまで気温が降下し、皐月以外の人間と物の時間が止まっていく。


「確信したのは、俺がここにお下がりの制服と教科書を持ってきた時」


 ハッとした。

 あの時、皐月に見られてしまった。吸血をした後に、傷口を舐めていた裕介を。

 とうとう我慢できなくなった。裕介は立ち上がり、バルドを見る。どうしようかと、何か解決策を導き出してほしいと。それでもバルドはこめかみに一筋の冷や汗を垂らすだけで、こちらへ見向きもしない。注意深く、皐月を見遣っている。


「サツキ、はっきりと言え。お前の中の、俺の正体を」


 『ダメだ!』と、止めたかったのに。裕介は声を出せなかった。

 皐月が息を吸い込んで発声するのを、まるでスローモーションのように眺めた。


「吸血鬼でしょ?」


 無表情で、皐月はそう言い切った。

 全身の震えが止まらない。俯いて、歯を食い縛って、何とか我慢しようとした。この何とも言えない、悔しさのような、悲しみのような感情を。

 バレてしまった。気づかれてしまった。バルドの身が危険に晒される。皐月がバルドに危害を加えるとは思えないけれど、それでもリスクケアはしなければ。その為の記憶操作だ。


 (僕が上手くやれていれば……!)


 ギッと眉間にシワを寄せて、顔を上げた。

 もう一度やろう。何度でもやってやる。バルドを守る為だ。それに皐月に平常を取り戻してもらう為でもある。ここで成功させなければ、取り返しがつかなくなる。

 皐月に近づこうと足を踏み出した時、裕介はまたバルドに止められた。『どうして?』という思いを込めて、バルドを見つめる。


「やめろ」

「でも! やらなきゃ、貴方が……!」


 バルドは首を振るだけで、こちらを見ようともしなかった。


「――そこまで分かっていて、俺を排除しようとしなかった理由は?」

「……弟から友達を奪うなんて、野暮だと思うけど?」


 『何より、お前たちは離れられないじゃん』と、皐月が尤もらしいことを呟いた。

 確かに皐月は、裕介にバルドという友人ができたことを喜んでくれた。ほんの数日をバルドと過ごしただけで、人間不信だった裕介が心を許していることに気づいてくれていた。それも全て、記憶操作の力があったからだと思っていたのに。

 逆の考え方もできる。裕介たちに都合よく書き換えられる記憶操作もなく、皐月は自らの意思で裕介とバルドを受け入れてくれたのだと。


「――皐月兄さんは、怖くなかったの? 吸血鬼になった僕に、襲われるかもしれないんだよ?」

「昔から、ただの一度だって、お前を怖いと思ったことはないよ」


 ジンワリと、温かく染み込んでいくような言葉だった。

 皐月にそんなつもりはないのかもしれない。だっていつも通りに無表情だったし。それでも裕介にはその言葉が嬉しかったし、簡単に微笑みを引っ張り出した。


「で、でも何で、皐月兄さんに、力が効かなかったんだろう……」


 首を傾げながら、裕介はバルドを見た。バルドも顔を険しくしながら、その事を考えているようだった。

 失敗したというのは、ひとつの原因としてあげられるけれど。バルドの話では、この体は裕介の意思に完璧に答えるということだった。もし万が一、失敗ではなかったとしたら……。


「俺の方に理由があるんじゃない?」


 そう言った皐月に、裕介とバルドの視線が集中した。

 『心当たりがあるのか?』とバルドが聞けば、皐月は曖昧に頷いて首を傾げた。


「オカルト好きな友達がいて、ソイツが趣味でやってる退魔の呪文とかの実験台になっているし。俺は信じてなかったけど」


 『その内の何かが作用したんじゃない?』と、皐月はサラリと口にした。


 (た、退魔の呪文の実験台? 何、それ。皐月兄さん、大学で何をやっているの……?)


 頭の中に克明に浮かんだのは、蝋燭が並べられた真っ暗な部屋で、魔方陣が書かれた床の上に無表情で寝転ぶ皐月の姿だった。シュールすぎる。

 思わず想像してしまった兄の妙な姿に、裕介は愕然とする。そんなことをしているとは全く知らなかった。優秀で優しい兄の他の一面が、こんな感じだったなんて。変わっている部分はあると知ってはいたが、そんなこともしていたなんて。


「俺の力が、素人の小童の退魔に破れたってのか……?」


 バルドはまた違うことにショックを受けているらしい。

 ショックを受けて落ち込む裕介とバルドと、それをボンヤリと眺める皐月。そんな図に部屋の中には、妙な空気が流れた。


「で、でもその人、オカルト好きってことは、吸血鬼とかに詳しいの?」

「まぁね。そんな話ばかり聞かされているから、俺はバルドの正体に気づけたわけだし」

「入れ代わりとかにも、詳しいかなぁ?」


 『どうかな? 聞いたことないけど』と、皐月は首を傾げる。

 もし、この入れ代わりの真相を突き止めることができるのなら。それにもっと吸血鬼に詳しくなって、バルドに助力もできるかもしれない。

 入れ代わりを解消できたら、バルドはまた去ろうとしてしまうかもしれないけれど、また全力で止めよう。裕介にはまだ、バルドとの別れを受け入れる覚悟はできていないから。


「会いに行ってみる? 連れていくよ」


 皐月の申し出に、裕介は喜んで飛び付いた。

 短く返事をして、バルドの方へ振り返る。解決に一歩近づくかもしれないと、裕介は嬉しさに溢れていたが、反対にバルドはやる気がなさそうにベッドへ寝転がった。その反応に、思わず裕介は『え?』と溢す。


「行ってこい。俺は行かない」

「な、何で? 二人で話を聞かないと、意味がないでしょ?」


 バルドはヒラヒラと手を振って、裕介の話に乗って来ない。


「オカルトとは、要はアレだろう? 心霊とか超常とかの類いの。気味が悪い」


 バルドの言葉に、裕介の思考が固まる。


 (え。吸血鬼っていう、オカルトの最上位にいる存在が、何を言っているの……?)


 皐月に意見を求めようと彼を見るが、こっちはこっちであまり興味がなさそうにスマホをいじっている。もしかしたら、そのオカルト好きな友人に連絡をしてくれているのかもしれないけれど。


「バ、バルド……。もしかして、怖いの……?」


 ガバッとバルドが起き上がった。

 今にも飛び掛かってきそうな剣幕で裕介を睨み付け、ベッドから素早く降りてこちらへと詰め寄ってくる。それに怯えて、裕介は何歩か後ずさった。


「怖くねぇ! 行ってやるよ! 行けばいいんだろうが!」


 『ああ。図星だったんだ。』と裕介は思ったが、口には出さなかった。

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