運命の縁
第13話 違っていていい
学校の停学期間が、三日を過ぎた。
その間、バルドの体に入ったままの裕介も学校をズル休みして、バルドと一緒に過ごしていた。何故なら、停学中に出された裕介自身の膨大な量の課題を、自分がやらなければならないからだった。こんな量、とてもではないが、学校に通いながら、おまけに週に三度の塾にも通いながらなんて、こなせるわけがなかった。
裕介は今朝も、母に対して嘘を積み重ねた。母からしてみれば、認識はバルドであろうけれど。『調子が悪い。日本の学校に通い始めて、環境が変わったからかな』なんて、もっともらしいことを言い連ねて、学校に休みの連絡を入れて貰っている。
数学の教科書との睨み合い中に、勉強机の椅子に座っている自分の後方にあるベッドをチラリと振り返る。裕介の体に入っているバルドが、仰向けに寝転がって眼前に掲げた小説を読んでいた。
体を元に戻す入れ代わりは、あれから起こっていない。
「――余所見をしているってことは、問題が解けたのか?」
小説から目を逸らさず、バルドがそう聞いてきた。
慌てて視線を机の上に戻し、再び難敵である問題と向かい合う。
「……分かんないや」
もう、何が分からないのか分からないレベルでもある。
中学三年までは辛うじて、勉強にはついていけていた。事実、優秀な兄たちが通っていた高校の入試も通過できたわけだ。ところが、自分の身に降りかかっていた不幸のせいで、勉強に集中できない期間が随分と続いていた。置いてけぼりになるのも当たり前。
いきなり乱降下した成績に慌てたのは母で、塾に行かせてくれるようになった。塾の方でイジメがあったわけではないが、そこでも裕介は落ちこぼれっぷりを発揮している。塾で行われるテストでも、毎回が底辺の順位だった。
学校でのイジメはなくなるだろう。だけど、勉強ができない今のままでは結局、学校へ通うのは気が重い。
いきなり頭を掴まれた。それに驚いて目を白黒させていると、バルドが後ろで荒い息を吐く。『え、怒っているの?』と裕介はどぎまぎした。
「落ち着けよ」
「だって、バルドが怒ってるから……」
『別に今は怒ってねぇよ』と言って、バルドが一緒になって教科書を覗き込んだ。
「強迫観念、侵入思考。今のお前が持っているのは、正にそれだ。だから落ち着けと言った」
教科書と裕介が途中まで書いたノートを照らし合わせて、どこまで進んでいるのかを考えているようだった。キョロキョロと目を動かし、教科書からノートから、いろんな情報を読み取ろうとしている。
座っている自分の斜め上にあるバルドの顔を見ながら、裕介は彼が言った言葉の意味を考えていた。
「長兄は父の会社を継いで社長、次兄は医者。三番目は名門大学の学生。そうだったよな?」
「うん……」
「同じようになりたい。ならなければならない。彼らの弟だから――違うか?」
言い当てられて、裕介は小さく頷いた。
コンプレックスだった。優秀な兄の三人が。おまけに自分だけ母が違い、自分が落ちこぼれなのは母のせいだと責められているせいで、余計にその思いは強くなった。
自分を嫌う敦史、無関心な次兄。認めてもらいたいと、何度となく思った。だから自分なりに頑張ってきたつもりだけれど、空回ってばかりだった。
「彼らと同じようになれ、と。誰がお前に言った?」
教科書から視線をゆっくりと動かして、バルドが横目でそう問いかけてきた。
「お前が勝手に思い込んで、自分の首を絞めているだけではないのか?」
誰にも、言われたことはない。そうだ。バルドの言う通りだ。裕介が勝手に思い込んで、自分を追い込んできただけだった。
だけど、それならどうすればよかったのだ。自分を認めてもらうには、彼らとの違いを限りなく減らすしかなかった。違いは、産んでくれた母だけであると。しかもただそれだけしか違いがなくて、後はほとんどが彼らと同じであると示すしかなかった。
苦い思いをしながら、裕介は持っていたシャープペンシルを握り締めた。
「同じようにするということは、確かめ合うこと。右に倣えと、人間はよく言うだろう」
スッと、バルドが教科書を指差す。そこには、ある公式が書かれていた。
「そして、認め合うとは――お互いの違いを見つけること。その二つは似ているが、根本の性質は全く違う」
「お互いの違いを、認め合う……?」
「そうだ。だからお前は、違っていていいんだ、ユースケ」
『この公式を使うんだ。』と、バルドはノートの方にも指を差した。
問題の解き方が分かったと同時に、裕介の悩みの一つが今、少しだけ消え去ろうとしている。
なんて、愚かだったのだろう。同じ所を挙げ連ねたって、相手に確かめ合う気がなければ一方通行で終わるのに。そんなことに必死になって、同じであれば認めてもらえるなどと、盲信していた。同じであるのは、ただの真似なだけだ。裕介自身の何かではない。
違いを示して初めて、裕介のことを見てもらえる。そんなことに、今更気づいた。
「だから、少し落ち着け。そうすりゃ、自分のペースが生まれて、出来ないものが出来るようになる」
バルドのその言葉は、『力を抜け』という意味が込められているのかもしれないと、何となく思った。
強迫観念。それから自分の身を守るように、精神も体もガチガチに固めていた。
心と全身が凝り固まっていて、防御の為の鎧を外すのは少し時間が掛かりそうだ。それでもバルドが留め具の紐を引いてくれたから、ちょっとずつでも取り払うことができそうではある。
敦史にはいつか、自分の違いを説明できるだろうか。それを認めてもらうまで持っていけるだろうか。向き合うには怖くて、トラウマがありすぎる。でも遠回りしたって後戻りしたって、必ずぶつかってしまう壁だ。
小心者だ。強くなろうと決めても、そうそう簡単にはいかないもの。だけど避けては通れない壁なら、今からでも覚悟を持って歩いていくんだ。ぶつかるのがまだずっと先であっても、もしかしたらすぐにでも立ちはだかってしまう明日であっても。
(僕、どんどんと変わっていけてる気がするなぁ……。バルドに出会えたお陰で)
この出会いがなければ、敦史と向き合うことに覚悟なんて持てなかった。きっと今でも、兄たちと同じことをしようとしていた気がする。
微笑んでいることに、裕介は自覚がない。バルドはいつの間にかベッドへ戻っていて、また小説を読み始めている。まだたった数日ではあるが、バルドがそこにいるのが当然のことのようになってきた。
あの夜、去ろうとしたバルドを、引き留めてよかった。あのタイミングで入れ代わりがあって良かったとさえ思える。
「バルド、勉強もできるんだね」
「そりゃあな。見た目はお前と同じ年くらいでも、頭の中は二四〇年を生きているジジイなものでね」
「ジジイなんて、思ってもいないよ。じゃあ、次の問題も――」
「断る」
言い終わる前に、冷たく断られてしまった。
勉強ができるのだから、教えてくれるくらい、いいではないか。ショックを受けた裕介は、そんなことを思いながら、シレッと小説を読み続けるバルドを見る。
大体、停学になった要因はバルドにもある。実質、暴力を奮ったのはバルドであるのに、何故か罰を受けているのは裕介だけだ。この課題は、二人でやってもおかしくないものなのに。
次の問題にもやはり躓いてしまった。断られたばかりで、再度バルドに教えてと頼む勇気はない。
(皐月兄さんがいれば、聞けたんだけど――)
裕介とバルドが再び入れ代わってしまった次の日から、皐月はまた家を空けていた。今日で三日目。帰ってくるかなと考えながら、自分のスマホを手に取る。
連絡、してもいいだろうか。今まで自分から連絡をしたことはない。皐月にだって生活はあるし、自分のことで煩わせたくなかった。ちょっとしたメールを打つだけの些細なことなのに、こんなことを考えてしまうほどに裕介は自分に対して卑屈である。
暫くスマホを見てから考えて、意を決してメールを打つ。メールをしてしまったことに謝罪を重ねて、『帰りはいつになりそう?』と。送信してから、大袈裟な程の溜め息を吐いた。
「今、家にいるけど?」
そう言って、ノックもせずに部屋のドアを開いたのは皐月だった。
急に現れたことに裕介とバルドが目を丸くしていることも気にせず、手に持った自分のスマホをブラブラと揺すりながら、『用事?』と聞いてきた。
いつ帰ってきていたのか、気配は全く感じなかった。
「さ、皐月に――皐月くん、いつの間に――」
「あれ? お前たち、また入れ代わったの?」
皐月に問いかけようとして硬直した裕介のみならず、バルドさえも息を飲んだ。
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