第20話
20211017日曜
記事ここから 2034年頃までの地球の進行
『 自然に反する自然 』
しつこく何度も言うが、この地上から消えていく人間は、「 搾取していた」 者達ばかりではなく、「 搾取されていた」人達でも、同じく消えていく人も居る。
それは、その人達は「 搾取されていた」のだが、反面、もっと弱い人達から「 搾取していた」という事があるからだ。
それが意識的でなくても、例え無意識でやっていたとしても、やらされていたとしても同じだ。 そういう方は、心の奥底の何処かで、搾取を「 容認しており」、搾取されつつも、「 する」楽しみというか、密かな欲望を秘めてはいるからだ。
( 例えて言うのなら、「 いつか仕返ししてやる」、自分が搾取「 する立場だったら」徹底的にいじめてやる…とでも言う様な隠された気持ち)
それを認め、心から反省しなければその悪循環を断ち切る事は出来ず、ユートピアになる地球には残る事は出来ない。
自然界にあっても、そういう現象が起きる。
自然から滅びる事を求められるというか、滅びる事を選択してしまう自然というものがある。 それは、これまで人間界における搾取のシステムに組みしてきた自然なのだが、その、人間に加担(かたん)してきた自然界の物、やシステムが、矢張り地球が反転して、この世界の結界が溶けつつある今、気が付かなければ滅びてゆく。
( 例えば、支配層達が、自らの利益の為にのみ開発した、周辺環境の事など何も考慮されていない農場や、林など。そして、支配層集団の権威を強化する為に構築されている広大な庭園や緑化地域、更に、地球の浄化システムを妨害する様な目的で配置された石や岩など)
例えば、世界を搾取する為に封印していたものがある。 それが、地球の各地に有るエネルギースポットで、日本で言えば富士山とか、イギリスのストーンヘンジとか、アメリカのイエローストーンとか色々だが、そういう場所や神社、祠(ほこら)、大きな岩や石などもそうだ。
又、大都市や人間の多く住む近くの森や林、公園などもそうで、ニューヨークのセントラルパーク、東京の代々木公園などだ。( 代々木公園は明治神宮も含む)
こうしたものは、これまで搾取する者達の手先というか、結界を造るポイントとして稼働してきていたのだが( 本来は地球を浄化する為に働く場所、地点などだったが、これらをずっと長い間、陰始勢力に封印されて機能を停止させられていた)、それが次々と解かれ始めている。
実際には虚空蔵55氏、みわ氏が解いて回ったのだが( 主にみわ氏) 世界中のものはとても手が回らないので、様々な方々に協力してもらって、結界の、それの封印の解除をしてもらった様だ。( ほぼ無意識でやって貰って「もらって」いる。皆、それなりに能力のある方達だ)
こうした結界が解かれ、それぞれのポイントである自然のものが、いわゆる「 騙さ(だまさ)れて」人間に組みしていた事に気付いて、「 あっ、そうだったのか」と気付けば良し、なのだが、気付かないと自然全体が、それらに対して「 許さない」となる。
現状は、ほぼ1割の自然がそういう形になっているが、その催眠術にかかった様な状態から、結界が解けたにも関わらずその侭で居ると、自然はそれらを同じ仲間とは見なさない、という事になる。
9割9分9厘気付くのだが、それでも駄目なものは…例えば石などは、その瞬間にパリン、と割れてしまったりする。
例え自然であっても、そこまで思いが染まってしまっていると、この世界が無くなると、自分も無い、と思い込んでしまっていると、矢張り、人間と同じ様に、この世界に留(とど)まる事は叶わない。
【 宗教界の崩壊 】
『 1999年の区切り 』
冒頭でも少し触れたが、1999年の世紀末を前に、「 ノストラダムスの大予言」 という本が大ブームになった。
しかし、1999年の12月31日を過ぎても何事もなく、地球上は平穏無事に過ぎていった。 結局、いつもの様に、
「 やっぱりね。」
「 所詮そういうものか。」
「 予言なんてね。」
という感じで人々は、やがてその大予言の内容も、世紀末という不安も忘れていった。
しかし、その時地球は大転換が迫られていて、一定の浄化がないと、現在の、「 世界が反転する」 という事象は難しかった、という事があった。
この時、五井昌久という方を中心として、祈りの力で世界は段階を上げ、次の最終段階へ向かうベース( 土台、基礎)が出来ていた。
でもそんな事は誰も知らず、世界は明確な目標もなく、ますます混迷を深め、貧富の差は大きく、貧困層は喘ぎ(あえぎ)、自然は破壊し、続けられ、文明のエントロピーは極限近くまで高められてゆく。
『 全ての宗教はフリーメーソンにつながっている 』
世界には、大きな宗教として、キリスト教をはじめ、イスラム教、仏教などがあるが、その分派、各宗派も含めて、ほぼ全ての宗教は搾取する側についていて、そのシステムの一環(いっかん)としての機能を担って(になって)いる。
この有り様は個人的なものと同じで、「 搾取する側」についている、と言っても、明確な「 搾取」の意図は持たず…つまり、表面意識でハッキリと、「 他の人々からエネルギーを吸い上げてやる!」
という自覚は無いままに、その意識下では密かにそう目論んでいるという形が多いのが事実だ。
ほぼ全ての精神世界と、「 宗教界の集まりは全て」そういう集団だ。自己啓発セミナーの様な形のものも、その部類に入る。
1999年の区切りは、ある意味これからの20年間の為の「 圧縮」 という事があった。 「 圧縮」というのは、ある程度時間を濃縮して、皆の目覚めを呼び覚ます、というか、危機感を覚えてもらう為のものでもあった。
イエス・キリスト、イエス自体は五井先生と同じ集合魂( 仏陀集合魂=アルデバラン出身) だが、既に(すでに)その直接の弟子達( いわゆる十二使徒)の多くからして既に「 搾取する」側に居たから、それからのキリスト教は言わずもがなだ。
他の殆ど全ての宗教も同じく、教祖自体は真っ当であっても、その後継者からは( その方のエネルギーにもよるが)、次第に絡め(からめ)取られ、搾取する側に付く様になっている。
そもそも、世界全体がそうなっている状態で、宗教関係だけが別物という事はなく、精神世界のカテゴリーであるが故に、余計にその影響力は大きく、宗教戦争や、人種差別、様々な紛争の原因となっているのは、日々のニュースの例を挙げるまでもない事だ。
人々を規律やルール、道徳観の様なもので締め付け、じわじわと( 自由で軽快な)精神を絞め殺しているいくのが、今の宗教団体であり、精神世界の教義でもある。 この、「 世界を縛るもの」 というのは、皆が自由に生きる事が出来なくなり、奴隷に成り下がるという事なのだ( 教義 →宗教や宗派が真理として説く教えの内容。
ドグマ。教理。)
しかし、そこに居る大多数の信者達や、生徒達は、誤解ではないのだが、単純にそういう事情は知らない訳だ。 本当の事を知らない侭に、ただ、無自覚に信じ、自らの判断、思考というものを放棄している。
実は、彼らの魂のエネルギーは、奴隷の様に、上に収奪されてしまっている。 その事に気が付けば、その時点で目が覚めて、収奪している上の方は、エネルギーが入ってこなくなり、やがて消滅していく事になる。
だから、現状がどうであっても、この「 気付く」という事が非常に大切な要素になってくる。
ただ、そういう世界に居て、例え騙され、搾取されていたとしても、実際に自分達がどういう思いで…例えば、世界の為とか、他の人々の為とかを祈っていたのか、或い(あるい)は、自分の利益や欲望の為にそういう所にに所属していなかったか…人から奪ってまで生きる事を選択していなかったか。
そういう事が、アセンションとディセンションとの分かれ道になる。( ディセンション →この世界から追放される=次元降下)
又、ちょっと大きな宗教団体などになると、幹部の人達というのは、割合真っ直ぐで、純粋な方達が多いのも事実だ。 教義の上辺(うわべ)は、大概(たいがい)いいものだから( 耳に心地よく響くから) その方達は、それを人に強制しがちになる。
自分の安心の為に教義を守り、人にも押しつけて居なかったか、深く顧みる(かえりみる)必要がある。 そうでないと、自分自身は疎か(おろか)、魂が自由になっていない人達( 無定見に信じ切っている信者達など)は、そっちに引きずられる事になる。
( 幹部がディセンションするのに引きずり込まれて、信者も、訳も分からずに、まるで道連れの様に次元降下してしまう)
そもそも教皇や大僧正(だいそうじょう)、大阿闍梨(だいあじゃり)、後継者などの階級とか序列とか、血統など、そういうものに拘る(こだわる)人達は、余計にそういう方向に( ディセンション)殉じて(じゅんじて)しまう事だろう。
そこにしか価値観が無く、そうしないと自分達の存在価値が無くなってしまうからでもあるのだが。( 権力階層構造の内部の、位階や、座、というものにしか興味のない人々。)
「 宇宙全史」のワークでは、あまりそういう事がなく、ウェブ上の質疑応答でも、その方の経歴や肩書きなどは意味を為さず、エゴを徹底的に否定されるものだから、普通の人としてはあまり気分のいいものではない筈(はず)だ。
それよりは「 貴方は頼りになる」や、「 一緒に人類の為に戦っていきましょう」、という具合に、人間は矢張り、認められたい生き物だから、そちらを選択してしまうだろう。
しかし、それは、魂をスカスカにされるだけ。 エネルギーをとことん吸い取られてしまうだけ、になるのだ。
記事ここまで
世界における宗教離れは本当のようだ。 それはキリスト教圏においては顕著になりつつあるそうだが、まだ問題にはなっていない。 具体的に言えば教会に通うなどの、自らの行動の制限を行うといった個体が減ってきている。 そんな言い方だろうか。
日本においても、これは人口減少だとか様々な要因はある。 しかし新しい世代が宗教には一切関心をもたなくなってきているというのが大きい。 それでいい。 わたしもその立場にある。 だからといってわたしは、かつてのソ連がやっていた、科学的無神論、という設定の宗教も信じない。
人間世界に宗教を持ってきたのは、大きくはエホバとエルランティのセット。 しかし他にもいただろう。 それらの詳細は語られていないが、拝むだとか信じるなどの動きをさせるだけで、人間領域から精神エネルギーを取れると分った以上は、たくさんの勢力が似たような事をしただろう。
我々は想いだとか、あとは、人間の行動ですら、同じ動きを型にはまって延々やり続けることによって、それらの行動様式がそのままエネルギー献上の、エネルギーに流動性を与えて送り出すための動きであり、ただ利用されているだけ、という概念がない。
勿論、近代の国家、社会においては、中心を定めて頂点を設定し、そこに人々の認識を集める。 そういう認識が発生していなくても、行動としてそれに従う動きを、MOVEを行うだけで、自動的にその国家から、人間のエネルギーが自動的に特定のある一点に送信されているだろう。 そういう事を以前言った。 ま、わたしが勝手に言っているだけだ。
宗教に関しては新興宗教の連中は世代交代に失敗して、その組織を維持できていない。 これらの組織に課税をすればこんなくだらないシステムは一発で消えるのだが、宗教組織が集票におけるシステムとして使える現時点においては、彼らを徹底的につぶすことはしないだろう。
すこし前にお坊さん便というのがあった。 それは今でもある。 国税庁はこの領域の、お布施といわれる慣習に「 定価」 があるではないか、というところの理論構築から、徹底的に仏教界から税金をとろうとしていた。 実際に準備とその用意もしていたようだ。
しかし撃ち方やめが入った。 これは政権与党の方からだったのか、それともやっぱりこれらの勢力にお世話になっている野党の側だったのか、これは分からない。 両方かもしれない。
だが宗教勢力は、特に新興宗教系は、それらの教団維持のために、特に中韓の人間を信者にどんどんと入れた。 これは年会費というか、そういうもの目当てもあるのだろう。 そして今は組織が本当にハイジャックされている段階にある。 そういう報告をわたしは読んだ。 しかし内部の人間でもないだろうから、どこからどこまで本当かは何とも言えない。
自分自身を縛るのは自分だ。 しかしその為の技法と術式としてこれらの宗教が使われている。 そういうものの一切合切のシステム構造解析を行って、そして無効化するべきだ。
くだらないものからは離れよ。 それ以外に何かあるのか。 いや、今の段階だったら言い過ぎになるのかなあ。 と色々悩んでみせたりはする。
自由を獲得せよ
終了
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