第10話



2021107木曜



ここから記事 本当の所911では何がおきていたのか


本題の「 善とは、悪とは一体何なのだろうか」 に入る前に、2008年6月28日の時点で、55氏とみわ氏に起こっていた事柄の描写をしておく。

 

日付的には夏至の前後という事になるのだろう。 2008年に入り、半分が過ぎ、両氏を取り巻く周辺もやたらと忙しくなってきていた。

 

この日付の頃までは55氏は、毎日の様に書き込み返信を行っていたが段々とそれらが適わ(かなわ)なくなってくる。

 

( 彼らは、自らの認識の上昇、肉体能力の上昇、カルマの解消、等を行いつつ、そして恐らくという言い方をするが、この辺りから、日本国内のパワースポットの封印の解除を行い始めたのはないか、と思われる。)

 

 6月28日の時点で、55氏の額には三角の印が現れている。( みわ氏がこれを欲しがっていた。印と言っても霊視で見る様なものなのだろう) その三日前には四星の印だった。( みわ氏が確認すると直ぐに消えている) 


先月の5月の時点で55氏は肉体調整を誤り、助骨三本にヒビを入れている。 彼曰く(いわく)「 ようやく準備が整いつつあるという所でしょうか」 7月に入ると両氏は、命を賭けた厳しいハードルを越えなければならない。( それぞれ別々の課題になる)

 

しかしそれさえも、12月の第一段階の覚醒に向けての一つの調整にしか過ぎない( 12月→ 恐らく冬至の事) この12月のステップが完了すると、まだまだ螺旋状(らせんじょう)に修行は続くのだが、ひとまずは一段落する様だ。

 

この2008年6月28日の時点で55氏は、宇宙全史のワークには、実にとんでもない計画が、上の方々により構築されているという事を、彼なりの理解で明らかにしている。

 

あまりにも壮大で、あまりにもこの世離れした計画内容の為、この時点で話しても誰も信じてはくれないだろう、と彼は語っている。ただ、その上で55氏は言う。( 以前、みく氏という質問者にも同様な事を回答している。

 

「 この世界は、本来奇跡に満ち満ちているのです。それを凡庸(ぼんよう)な世界にしてしまったのは、人間の愚かさでした。私達はその奇跡を取り戻す為に、今ここにあるのです」 と。

 

この2008年6月の時点でのこの世離れした計画というものは、その後の流れを追跡してみてもよくは分からない。 55氏超人計画に関係したものではないか、とは思われるが、まだ全貌(ぜんぼう)は見えてこない。

 

この2008年の時点で、地球自身が自らの意志を露わにしてアセンションの課題をクリアするかどうか、周囲の存在は固唾(かたず)を呑んで見守っていたとあるから、この選択肢がどちらに振れても、その後を手助け出来る様な、そういう大きな計画であったのだろう、というのは想像に難く(かたく)ない。

 

  

ここで、55氏から我々に問いかけがあった。

 

「 前回出しました問題は解けたでしょうか」

「 善とは、悪とは一体何なのでしょうか」

 

この正体に関しては、恐らく人類が初めて知るものであり、新しい世界の道標(みちしるべ)になる事は間違いがない。( これらは宇宙全史第二巻において語られる事になる)

 

更に話は、「 存在」と「 非存在」のおさらいにになる。

 

「 存在しないとい事は、存在するという事と同じことである事」

 

「 存在は非存在に依存し、非存在は存在に依存する」

 

「 存在は、存在しないという事がなければ存在しないとい事( 成り立たない)」

 

「 存在は、存在だけではありえないという事」

 

「 二元性に基づ(もとづ)いて構築された世界は、お互い相反する(あいはんする)存在を必要とし、しかもそれは在るべくして在るものであり、どちらか片方だけが存在するという事はあり得ない」

 

「 例えば、コインの裏表の様なもので、表だけのコイン、裏だけのコインというものが存在出来ない様に、二元性の世界では、真逆の様に見えるものが、同じ一つのコインであるという事」


 

ここで話を「 銀河団」と「 反銀河団」に戻す。

 

この銀河団、反銀河団も、二元性の原理に基づいて機能するエネルギーだ。 だから今現在、認識の低い我々の視点では、銀河団が正義で反銀河団が悪の様に「 見えるかもしれない」 理解が追いつかない人は取りあえず、此処で止めておいてもよい。

 

しかし、本当は違う。 コインの裏表の様なものであり、敢えて更に野蛮な理解を言えば「 オセロゲームの黒白のコマ」なのだ。

 

オセロゲームの黒白のコマには、良い悪いがあるか、と言えばそんなものはない。 互いが互いの動きを懸命(けんめい)にやり、盤面をどちらが多く占有するのか、という目的の為にあるのが、オセロの黒白のコマだ。

 

この場合、善悪というものは発生していないし、仮に外側から無理矢理当てはめても、それはただの属性でしかない事に気づくだろう。目的を果たすための一部なのです。

 

 

今の所、55氏とみわ氏のワークの中心は、銀河団が請け負っている。シャギー氏の質問にあった様に、

 

「 人類より遙か(はるか)に進んだ科学力と精神性を持つ銀河団が、どうして反銀河団と宇宙を二分して競い合わなければならないのでしょうか」

 

この答えは、簡潔に言えば「 この宇宙が二元性に基づくものだから」と、なる。

 

根元の存在「 実存」から、段階を経て(へて)二元性の原理に基づくオーム宇宙が創造された。 その時「 陰」と「 陽」あるいは「 存在」と「 非存在」でも何でもいいのだが、対極の二極が造られ、そこから又段階を経て、細分化され、複雑化し、多様化を極めてゆくのだが、その原初の二極に別れた時に、

 

完全に50%、50%つまり、50対50にはなっていなかった。

 

その差が、実存が本来持つ( あるいは、実存が本来反映する)「 揺らぎ(ゆらぎ)」だった。

 

そして、その「 ゆらぎ」により、回転運動が起動し、宇宙のエネルギーの偏在(へんざい)をもたらしている。( 陰陽図をイメージすれば分かり易いのではないか)

 

この宇宙は、ゆらぎがなければ全く動かない、進化も何もない、銅像の様な宇宙になる。 原初の二極の存在達の、ほんの極僅か(わずか)な「 差」が、現在の我々の多様な宇宙を形作ってきた。

 

「 銀河団」、「 反銀河団」も又、その「 ゆらぎ」の反映を受けて存在している。

 

 

マイナス電気( 電子)がプラス極に向かって流れる時、我々は何故か「 電気は+から-に流れる」 と表現している。 この表現の差異は兎も角、我々は電気が+から-に流れる事で、「 争い」とか

「 闘い」とか「 競争」とかと表現しない。

 

電気の流れは交流という流れもあるが、基本的には単純な一方向への流れなので、そこに人間界に現れる複雑な「 争い」という事象はあまり見られない。

 

しかし、電流の流れの途中に抵抗( 電熱のニクロム線など)を置くとそこに「 抵抗」とう葛藤(かっとう)が存在する事となり、電流とその通路の間に熱が生じる事となる。

 

しかし我々は、電気の「 抵抗」に対して、それを「 闘い」とか「 競争」とかは認識しない。 せいぜい熱さを感じるくらいだ。

 

非常に単純な例えだが、銀河団と反銀河団の「 競い合い」というのも丁度その様なものと考える事だ。 現代では小学校などの運動会では、「 競争」という事を生徒にさせないという学校が増えている。

 

しかし、これは間違っていて、闘いや競争という概念(がいねん)を「 貶める(おとしめる)」のは、単純に人間界の問題でしかない。

 

「 競争」というものは、本来この二元性の宇宙にあっては、事象が動く「 原理」になっているので、それなくしては、宇宙そのものが成り立たなくなる。

 

 

2008年6月15日前後で、宇宙全史掲示板を訪れる人々の認識レベルを計測し、宇宙全史第一巻を読んで合格ラインに居ると判定出来たのは、訪問者全体の38%だった。 出た直後は20%だったので、恐らくという言い方だが、この数値が50%を越え、60~70%とかの、ある程度の数値になれば、宇宙全史第二巻は刊行されるのだと推測出来る。

 

未だその勢力が言うほど衰えてはいない、陰始勢力に自らの手の内を明かさないという見方もあるだろう。 ただ20年後…で、大方(おおかた)の基本方向は出てるのではないか、というのが私の個人的見解だ

 

次回は、大仏氏の質問から始まった911同時多発テロ事件解明の最終回になる。

 


記事ここままで



わたしは2021の現在の時点からこの過去の記事を見るにおいて、この2008年においては相当の日本人が、少なくも精神世界だとか謀略系のところに心を置いてしまっている人たちが、米国によるジサクジエン説を本気で信じていたのだなあと、まず判定する。


その上で今のわたしはこれらの情報は米軍が意図的に流したものは当然あっただろうが、共産圏域、つまり中国が相当の情報拡散をこの日本の中で行っていただろうなあという感触を持つ。


今だったら日本の言論空間はその大部分はボットか人工知能、そして中韓の関係者が、工作員が、カネで雇われた連中が日本人を騙すために、認識阻害の為に大量の偽言論を散布している。 これを知っている。 しかし当時の2008年はそれらのシステムがあることすらも知らなかった。


だから911に関連するジサクジエン説を主張するような論者に、知らない間に中国の関係者とでも言えるものがコメント欄で何気なしに、真実を探求する真面目な人間を偽装して、いくつも接近し、それらの主張をコントロールしていたようだ。 わたしはそれらのログを集めたブログを見た。


だからこの宇宙全史掲示板におけるハガキ職人たちにしても、自分が中韓の工作員になってしまっているという自覚が全くないままに、彼らに誘導支配、コントロールされていたものが相当数いただろうなあと判定している。 それらは今でもいる。 そう判定もする。


自由だ覚醒だと主張するジブンなるものを優れている、上だとかやりたいのは分る。 人間など大体はそんなものだ。 しかし騙されたままの状態でいるというのは、その騙された状態を受け入れると宣言しているのであり、アナタに従うという宣言であり、その状態である限り、それらの人間のもっているエネルギーが自動的に騙した相手に流れてしまっているという、この概念は知っておいた方がいい。 勿論わたしが勝手に言っている。 どうせ間違っている。


しかしそうとしか判定出来ないような行動、特に文章発信などを彼らの中に多数見つけると、自分のでっち上げ言論でしかないが、しかし恐らくはおおかたそうなのだろうなあと、そのように思っている。


精神世界なるものと謀略なると勝手に決める座標を別けて捉え、それらの事象とは結局この地球霊界という広大な座標の中における数値の違い、ポジションの違いでしかないと一旦決めると、それらを別けることそのものが自ら罠にはまっていると、これにどうあっても到達してほしいが、しかしそれらの人々は、自分だけが上とでもいえるこの概念を手放さないから、どうあっても接近しない。


なんだか閉じた教団の中で権威の構築に忙しい。 そう見える。 それはイエスが最初主張したコトバを勝手に曲解して、後にカネモウケの道具にしていた十二使徒だったか、それらの一部と何が違うのかという見方をする。 勿論これは釈迦入滅後のサンガだったか何だったかのあれらの人間集団に対しても思う。


彼らは自活が出来なかった。 彼らは最後まで他者の恵みを奪う事前提で人生を造った。 それらの連中が唱えるコトバと、それらの連中が行った様式とでも言える行動のテンプレートに準拠しているわたしのいうところの トレースの徒 たちに、一体何がつかめるというのか、とここまで偉そうなことを言う。


目の前の現実をどうとらえるかはそれぞれの個体の自由裁量に違いない。 しかし目の前の現実を勝手に、出来もしないのに書き換える塗り替える動きはやらない方がいい。 そういう言葉だけをおいておく。 誰にも伝わっていないだろうから、これらは次回以降出来たらやる。 どうかなあ。



終了



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