港町 ヴァン 4
護りの印の儀式が終わると、私はマクゼガルド兄妹にヴァンを案内することにした。
もちろん、デニスさんも一緒。
ちょうどお昼も回ったころなので、町を案内する。
帝都の街に比べたら、人は全然いないけれど、それでも警備上、こんなところに二人を案内して大丈夫かちょっと不安だ。
ルークと違って、エリザベスはほぼ街を出歩いたことのない『お嬢さま』。食事時とはいえ、こじゃれたレストランなどない田舎だ。私一人なら、平気で食べられる屋台も、大丈夫かなあとちょっと迷ってしまう。
空は晴れ渡っている。
眩しい夏の日差し。
じりじりと肌を焼く感じ。汗が浮かんでくる。
わりと庶民的な服を着ているとはいえ、マクゼガルド兄妹は目立つ。あまり他所から人が来ないから、自然と注目を浴びてしまう。
もっとも当の本人たちは、全く気にしていない。視線慣れしているからなのかも。
田舎の風景が珍しいのもあるのだろう。干してある魚を興味深そうに眺めている。
「あれ? アリサじゃないか」
大きな声に振り替えると、見知った青年が立っていた。
「トーマス!」
「うわっ、やっぱりアリサか。久しぶりだなあ」
にこやかな笑みを浮かべ、彼は私の手を取る。日に焼けた肌で、そこそこ大きな体格。記憶より背が伸びている気がした。
トーマスは、ヴァンの数少ない宿屋の息子。私より三つ上だ。宿屋って言っても、宿泊客は少ないから、普段はただの食堂兼酒場。親父さんのランカスが、熱心な信者さんで神殿の行事に必ず来てくれていた。トーマス自身も神殿に読み書きを習いに来ていたからよく知っている。
ああ、そうだ。屋台もいいけど、やっぱり食堂の方がいいよね。
「ねえ、トーマス。『カモメ亭』に学院の友達と食事に行きたいんだけどいいかな?」
「学院の友達?」
トーマスは、私の後ろにいるマクゼガルド兄妹を見て、目を見開いた。
「おっおめえ、後ろの二人って、ひょっとして行政官さまンとこに来た、お貴族さまじゃないのか?」
「えっと。うん。そうだね」
私は頷く。ヴァンは狭いから、そういう情報も伝わるのが早い。
秘密裏に滞在しているわけではないから仕方ないけれど。行政官の屋敷に貴族の馬車が入ったのはみんな見ている。
「そうだねって、うちの食堂なんかの料理、食べさせていいのかよ?」
「たぶん、大丈夫」
少なくともルークは平気だろう。エリザベスはちょっと不安だけど。
「貴族といっても、平民と味覚が違っているわけじゃないし」
「そ、そうなのか?」
トーマスは疑うように首をかしげる。
もちろん、平民と同じものを貴族が食べているわけじゃない。貴族の料理は、複雑な工程を経ているし、ついでに味も複雑だ。平民の料理は、ガツンと塩味だったりするし、ついでに使っている材料も土地のモノ以外の品質はすこぶる悪い。パンにはふすまが入っているのが当たり前だし、スパイス系はあまり使われていなかったりする。
でも、ヴァンの海で獲れた魚は本当に美味しい。それこそ、味付けは塩水だけっていうようなものでも、その美味しさはどんな高級料理にも勝るものだ。
帝都に行って、たくさんの美味しいご飯を食べた私がそう思うのだ。
たぶん、大丈夫だ。
「どうした?」
二人で話をしていると、ルークが声をかけてきた。
「えっと。彼の家が食堂なので、食事ができないかお願いをしておりました」
「食堂?」
「はい。えっと夜はお酒を出すお店ですが、昼間ならお料理だけですし。ヴァンならではのお魚料理も食べられると思いますので」
私は頷く。
「へえ。そうか。それは楽しみだな」
ルークは何故か私の肩に手を置いて、トーマスの方を見る。
「え、えっと。お口に合うかどうか、わかりませんけれど」
トーマスは、緊張したように身体をこわばらせて、カクカクと頭を下げた。
「じゃあ、オレ、先に行って、親父に話してくるから」
「うん」
トーマスは慌てて走っていった。
「今の人、アリサのお友達?」
エリザベスがひょっこりと顔を出す。
「はい。たぶん」
私は首を傾げる。
「たぶん?」
「トーマスは神殿に物書きを習いに来ていたのです。いろいろ面倒を見てもらってました」
ヴァンの子供たちは小さい時から家業を手伝うことが多い。神殿に学びに来る子供はどちらかと言えば少数派だ。
「友達というより、兄のような感じでしょうか?」
「へえ」
ニコニコとエリザベスが笑う。
「アリサがそんな風に言うってことはとっても仲がいいのね」
「ええと?」
「だって、アリサが家族のように思っているってことなのだから」
「そうですかね?」
孤児とはいえ私は愛されて育ったと思っている。でも、『家族』というものがどういうものなのかイマイチよくわかっていない。
「家族ね……」
呟いたルークの顔はなんとなく不機嫌そうだ。
ひょっとしたら、私の『家族』の概念が間違っているのかもしれない。
「……とりあえず、そちらに参りましょうか?」
デニスが周囲を気にしたように私を促す。
ああ、そうだ。このままここで突っ立っていたら、目だってしょうがない。
私はみんなを『カモメ亭』へと案内することにした。
カモメ亭は、ヴァンの一応は繁華街にある。水揚げされた魚を氷魔術で凍らせて、ここから帝都へと運んでいくという需要もあるので、宿屋にはそういう人たちが泊まっていたりもするのだ。
もっとも毎日、そういう人が来るわけではなく、せいぜいが、週に一度くらい。
だからカモメ亭は、『宿屋』としてよりも『酒場』として稼いでいる。
昼も食堂として営業してはいるけれど、そんなにたくさん人が入っているわけではない。
昼食は市場の屋台で簡単に済ませてしまう人も多いからだ。
「ランカスさん、お久しぶりです」
声をかけて、開け放たれたドアをくぐる。
年代物の古い木のテーブルと椅子が並ぶ店内は、私がこの村を出る前とほぼ変わりない。
「あ、あの……アリサちゃん?」
出迎えてくれたランカスはトーマスから話を聞いたのだろう。少し顔色が悪い。
幸いというべきか、店内には人がいない。というか、トーマスの話を聞いて、みんなびっくりして帰っちゃったのかもしれない。
平民にとって、貴族っていうのは、手の届かない存在であり、恐ろしいものだ。
もちろん、お金になるということは頭にあっても、何か間違えたら首が飛ぶくらいの緊張感は当然ある。
「突然にすまん。腹が減っている。何か食べさせてもらえないだろうか?」
ルークがにこやかに微笑む。
怯えているランカスをほぐすような笑顔だ。
「そのメニューにある、日替わり定食というのを人数分出してくれ」
「えっと、その……」
「あと、ヴァン特産の夏牡蠣のフライがあればそれも頼む」
「……へえ」
ランカスは目を丸くしたまま頷く。
うん。さすがルークは、場慣れしている。
「座っても?」
「ええ、お好きな席にどうぞ」
トーマスが慌てて、テーブルに案内する。ルークは四人掛けのテーブルに座ると、私たちにも同じテーブルに座るように勧めた。デニスは辞退しようとしたのだけれど、ルークに押し切られた。こういう時のルークの押しは、とても強い。
普通に考えたら、私もルークやエリザベスと一緒のテーブルで食べるなんてありえないことだ。
学院の食事のせいで、いろいろマヒしてしまっているけれど。
「……ルークさまは場慣れしすぎです」
デニスが呆れたようにため息をつく。
「旦那さまがいくらお許しになっているとはいえ、もう少しご身分というものを考えるべきです」
「店に入って注文しただけだぞ?」
デニスの小言に、ルークは苦笑する。
「貴族でも、軍に入っている奴なら普通にやることじゃないか」
「ルークさまは、軍に入ってないですし、そもそも入る予定もないですよね?」
「どうかな」
ルークは曖昧に肩をすぼめる。
いや、次期公爵さまなのだから、軍には入らないよね。政府の要職につくことはあるかもしれないけれど。
文武両道のルークなら、軍に入っても出世するだろうけれど。
「はい。日替わり定食と、夏牡蠣のフライです」
そうこうしているうちに、やや緊張気味のトーマスとランカスが食事ののったトレイを運んできてくれた。
ランチの内容は、パンと魚介のスープ。塩焼きの魚だ。
魚介のスープには、野菜がいっぱい入っている。
夏牡蠣のフライは帝都でも人気の料理だ。
「いただきます」
私たちは食事を始める。
しっかり出汁のでたスープは深い味わいがする。小麦ふすま、つまり小麦の皮の入ったパンは、独特の香りがする。しかもちょっと固い。フカフカの柔らかなパンではないけど、私には懐かしいものだ。
貴族の二人にはちょっと辛い味じゃないかな、と思って目をやると、ルークもエリザベスも、パンをスープに浸して食べていた。
ルークがさりげなくそうしたのを、エリザベスは真似たのかもしれない。
ちょっと固いパンだけどスープに浸して食べれば、スープの味が染みて、それなりに美味しいものだ。
「まあ。これ、とても美味しいわ」
エリザベスが目を丸くしたのは、塩焼きの魚。
「ヴァンの魚介はよく食べているけれど、やっぱり地元の方が美味しいのね」
「夏牡蠣の味も全然違う。やはり旨いな」
ルークも頷く。
二人の食が進んでいるのをみて、離れてみていたランカスたちはほっとしたようだった。
「帝妃さまが、ヴァンの魚にこだわりになられる理由がよくわかる」
ルークが唸るように呟く。
そういえば、そうだっけ。
帝妃さまは魚介好きで、おそらく原作ではそのせいで腹痛を起こした。そのイベントは回避済みだけど。
エリザベスとルークの二人が、ヴァンに来るなんて原作にはなかった。
原作では書かれなかっただけなのか、それとも、この世界はもう『公爵令嬢は月に憂う』の世界とは違うのか……その答えは、まだはっきりと出せない。
できれば、後者であって欲しいと思いながら、私はスープを飲み干すのだった。
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