港町 ヴァン 3

 話が終わると、私たちは礼拝堂へと移動した。

 オーフェの神殿なので、基本的に窓が開いている。

 大きな窓から入ってくる風と光。

 他の神殿にはない解放感だ。

 神官長は祭壇に立ち、祈りをささげている。

 護りの印の簡単な施し方を教わるのだ。

 同席しているのは、ポール。彼はそろそろ神官としての位を決める昇格試験を受けるから、修行ということらしい。

 ということは、ポールはここを出ていっちゃうってことかな。

 ああ、でも。とっくにここを出た私が『寂しい』とか思うのはおかしい。

 エリザベスたちは、礼拝堂の椅子に座って見学している。神官の儀式を見るって、めったにない事だからとても興味を感じているらしい。

 マクゼガルド公爵家はどちらかと言えば、水のレイシアに加護されているのだから、オーフェの神殿は何もかも珍しいようだ。

 派手なものが何一つない淡々とした状態なのに、二人の目は物珍し気な光をたたえている。

「では、始めようか」

 神官長が、私の方を向いて頷いた。

 護りの印とは、本来神官ではないと難しい『奇跡』の類らしい。

 神官長の話では、私は神殿生活が長いため、『基礎』はできているらしい。自覚は何もないけれど、神殿での日々の生活っていうのは、神官としての鍛錬が培われるようになっているのだそうだ。

「アリサ、まず、呼吸を整えて、オーフェに祈りをささげるんだ」

「はい」

 私は言われるがまま、祈りをささげる。

 久しぶりのオーフェの祭壇。

 やや湿った潮の香りのする風を肌に感じる。

「風を感じながら、神官の礼をとり、神の名を念じながら額に指をあてる」

「はい」

 慣れないから、どうしても動きがぎこちない。

 それでも額に当てた指から、風のエーテルが額へと流れ込んでくる気がした。

「そのまま、エーテルを感じながら神紋じんもんを指でえがく」

 神紋というのは、神を抽象化した記号のようなものだ。

 他の神さまのものは、よくは知らないけれど、オーフェの神紋はわかる。渦巻のかたちに一本の斜線が入ったような形だ。

 エーテルを感じながらっていうのが、思ったより難しいけれど、なんとか額に指でえがく。

「描き終わったら、神の名を唱え、もう一度神官の礼をとる」

 私はオーフェの名を唱えながら、神官の礼をした。

 身体に風のエーテルが巡る。

 そうか。神官の礼って、神官の挨拶って意味だけじゃないんだとわかる。

 この動作って、エーテルの流れをイメージしやすい。

 魔術を唱えるとき、頭にイメージを描くことが大事だって教わったけれど、それに近い。

 神官の奇跡というかこうした『印』は、『魔術』とはちょっと違う。

 魔術は体内の魔力を活性化させて使う。エーテルはもちろん使用するけれど、周りにエーテルがなくても発動する。

 神官の印は体内の魔力量はあまり関係なく、周囲のエーテルを集めて使用する。

 周囲にエーテルの力がない場合は、神紋で陣を描き、エーテルを引き寄せなければいけない。

 もちろん魔力は高い方がいいけれど、魔力より『神』を感じられるかの方が大事とされている。

 そもそも、神官の場合『印』をほどこすことよりも、民に安らぎを与え、時には支え導くための精神的な『資質』の方が大事だ。大切なのは『印』より『知識』。

「よくやった。アリサ。初めてにしては上出来だよ」

 にこやかに微笑みながら、神官長が私の頭をなでてくれた。

「本当ですか?」

「ああ、本当だ。これを出来るだけ毎日続けなさい。あと、先ほど渡した本にもいろいろあるから、それも目を通しておきなさい。きっと役に立つ」

 先ほど貰った本は、神官の簡単な『印』をまとめたものだ。

 本来なら、神官じゃないと使えないものばかりである。

「アリサは、十年もの間、神殿で生活している。どこにいてもオーフェを感じることができるはずだ」

「……がんばります」

 そう言えば、学院にいる間、オーフェに祈りを捧げなくなったなと思う。

 神殿にいた頃は習慣だったのに。

 祈るという行為は、神の力を『感じよう』と感覚を研ぎ澄ます意味もある。

 もちろん、学院に入ってエーテルの流れなんかは前より感じるようになったのだけれど。

「しかし、アリサはすごいなあ」

 神官長の横で見ていたポールが感心したという顔で私を見た。

「あんな簡単な説明で、普通出来ないよ。魔術の基礎を身に着けるまでは怖くて絶対に教えることは出来ないって、神官長さまが言っていたわけがわかったよ」

「どういうことですか?」

「まずエーテルを集められない」

 ポールが苦笑する。

「でも、ここはオーフェの神殿だから」

 ここには、風のエーテルが常に満ちている。また、ヴァンの風は潮の香りがしてとても分かりやすい。

「もちろんそれもあるさ。だが、ここなら誰でもできるってことはない。それに普通の人間の場合は、魔術と奇跡のエーテルの使い方の違いに戸惑いがあるもんだ」

「……それはそうですね」

「アリサは、魔力が強くて魔力量も多い。そちらがきちんとコントロールできないうちは、魔力を暴走させてしまう危険がある。だから未熟なうちにエーテルの力を使用することは危険だったのだよ」

 神官長がポールの脇で、コホンと咳をする。

「それで、彼女を学院に入学させたのか?」

 得心したというように、ルークが口をはさむ。

 いつの間にか、ルークとエリザベスがそばに来ていた。二人とも、気にしてくれているのだろう。

 私本人よりも、私のことをいろいろ心配してくれているのだから。

「本来学院はアリサのような魔力の高い平民の子供を教育するために設立されたもの。もっとも、そのわりには、『特待生』の条件は厳しすぎですけれどね」

 神官長は苦笑した。

「あの。アリサは、ずっと魔術師になりたいと言っていたのだけど、神官になったほうがいいのですか?」

 エリザベスが遠慮がちに口を開く。

「神官という仕事に就く必要はありません。アリサの性格を考えると、魔術師になる方が向いているでしょう。ただ、神官として身を護る手段は学ぶ必要があるのですよ」

「我々神官は、『邪神』や『魔』といったモノに好かれやすいのです」

 ポールは肩をすくめ、神官長の言葉に補足する。

「簡単に言えば、奴らにとって『旨い飯』なのです。嬉しくはないですけれど」

 もちろん、神殿というのは、魔から人々を守る結界を張ったりする場所でもある。

 神官も魔を滅するための手段を持ってもいる。

 だから簡単に彼奴等が襲ってくるようなことはないけれど、神官は彼らにとって『美味』なるものらしい。だから贄などに狙われたりすることもある。

「アリサは厳密な意味では神官ではないけれど、オーフェの加護を受けている。正直言えば、彼女ほど加護を得ている者は神官でも少ない。奴らから見れば、格好の『贄』なのです」

 ポールはエリザベスに丁寧に説明する。

「つまり、神官としての奇跡を多少なりとも修めなければ、危ないということか」

「ええ、まあ、そうですね」

 ルークの問いに、ポールが頷いた。

「とりあえず、護りの印を毎日続ければ、簡単に呪いを受けるようなことはなくなるでしょう」

 毎日続けていれば修行にもなって、どんどん効果は強まっていくものらしい。効果が高まれば、当然、危険なことにあう確率も減る。自分の安全だけでなく、周囲に迷惑をかけずに済む。

「それにしても」

 神官長はルークとエリザベスの方を見た。

「マクゼガルド公爵家の方が、この子に心を砕いてくださるとは思っておりませんでした。本当にありがとうございます」

 神官長が頭を下げると、ポールも一緒に頭を下げてくれた。

「できるだけ、学院で恥をかかぬように教育は致しましたが、貴族の多い学院では、孤立するようなことも多いのではないかと心配しておりました」

 神官長の言う通りかもしれない。

 学院は平等をうたっているけれど、実際には縦社会だ。全くトラブルがないかと言われたら、そんなことはない。平民の私は平民というだけで、蔑まれもする。

 マクゼガルド兄妹にたくさん守ってもらったおかげで、私は無事学院生活が送れているのだ。

 よく考えたら、マクゼガルド兄妹がいなければ、今日、ここに来ることもなかったと思う。

「アリサのおかげで、私は楽しい学院生活が送れています」

 エリザベスが優しく微笑む。

「アリサはいつだって一生懸命で、優秀なのに、全然偉ぶらないし、それでいて卑屈でもなく、公爵の娘の私に媚びることもないわ。こんな友人ができるなんて、本当に夢のようです」

「エリザベスさま」

 それはいくら何でも褒めすぎだ。

「ありがとうございます。公女殿下。本当にこれ以上の喜びはございません」

「アリサは私たちにとって家族のようなもの。心から御礼申し上げます」

 神官長とポールの二人が頭を下げるのに合わせて、私も頭を下げた。

 もし。

 二人と出会っていなかったら、私は暗い神に囚われて、原作のように堕ちてしまったかもしれない。

 まだ安心はできないけれど、二人がいてくれれば、きっと大丈夫。たとえ私が何かを間違えても、きっと正してくれる気がする。

 そんな気がした。


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