港町 ヴァン 2

 オーフェの神殿はとても風の強い場所にある。海のそばだから風は潮の香りがしていて、少し湿っぽい。

 白い石造りの神殿は、青い空と青い海にとても映える。切り立った岬の上に立っているので、町からは少し離れており、周囲に民家はない。

 晴れ渡ったこんな朝でも、風を感じる。

 あらかじめ先ぶれを出していたのであろう。神殿の敷地に入ると、神官たちが入り口で馬車を出迎えてくれた。

 何もしていないのに、故郷に凱旋した気分。

 ちょっと恥ずかしい。

 私は馬車から降りるとまず、神官の礼をした。

 この神殿にいるのは、神官長のほかは四人。全部で五人。

 ヴァンでは一番信仰されている神だけれど、もともと街の規模が小さいから、神殿の規模も小さい。

「元気そうでよかった」

 神官長は優しく微笑む。

 神官長であるタナールは四十五歳。若くはないけれど、年寄りというほどではない。茶色の髪は短く切りそろえていて、彫りの深い顔立ち。うんと若いころは、帝都のお貴族さまだったらしい。

 とても優秀な人なのは間違いない。自分語りをほとんどしない人だったから、どうして神官になったのか、どうしてヴァンに来たのかはよくわからない。

 すぐ後ろに控えている六十五歳のちょっと細めの女性は、副神官長のヴァニラ。礼儀作法にとても厳しい人でちょっと怖いけど、本当はとっても優しい。私が帝都に行くことが決まった時、すごく心配してくれた人だ。

 そのわきにいる男性二人は、ケイオスと、ポール。ケイオスは二十三歳、ポールは三十二歳だ。

 ケイオスもポールも、神殿の畑で農作業をしているから、日に焼けていてとても筋肉質である。たぶん、腕っぷしも強い。

 残りの一人は、三十歳の女性のモナ。とっても美人さんで面倒見のいい人。すごくモテる。

 神官は別に結婚が禁止されているわけではないので、ここに来る男性の中には、彼女目当てという人もいる。

 私が知る限りでは、彼女は全く相手にしていなかったけれど。

「アリサ」

 ルークに声をかけられて、私は頷く。懐かしいけれど、公爵家の人たちを待たせてはいけない。

「神官長さま、マクゼガルド公爵家の、ルークさま、エリザベスさまです。あちらは御者のデニスさん」

 ルークとエリザベスを紹介する。

「神官長どの。つもる話もあると思うが、まず、用件のほうをお願いしたい」

 ルークは前置きもせずに切り出した。

「そうですね。ではこちらへ」

 神官長は頷いて、私たちを神殿へと導いた。



 清貧な神殿の内装は、わずか半年くらいで変わるはずもない。

 案内された食堂は、記憶と寸分の変化も見られなかった。

 掃除は行き届いていて、開け放った窓からは潮の香りが吹き込んでくる。

「すみません。このような貧乏神殿では、大したおもてなしは出来ませんが、まずお茶をどうぞ」

 長いテーブルの前のかたい木の椅子にルークとエリザベスが腰かけるのを待って、神官長が腰を下ろす。

 お茶を運んでくれるのは、モナ。私も手伝おうとしたら、「駄目」って制された。

 公爵家の人間と一緒に来た以上『客人』扱いなのらしい。

 お茶は、茶葉の他に炒ったバオの種子の入ったお茶。前世の玄米茶に近い。学院の食堂では出たことはないものだが、ヴァンではよく飲まれているお茶。懐かしい。

 ルークはポーカーフェイスだけれど、エリザベスは少し驚いた顔をしている。

 香りが独特で、帝都でよく飲まれるハーブティとも違うし、甘くして飲むお茶でもない。

「バオの種子は、体を温めてくれるのです。ヴァンの冬は、風が冷たいですから」

「そうなのね」

 私が説明すると、エリザベスはお茶を口元に持っていった。

「とても香ばしい香りがするのね」

「はい。こちらではとてもポピュラーなものなのですよ」

「まあ」

 エリザベスは優雅にお茶を口にした。

 内心はおっかなびっくりだろうけれど、少しもそんなそぶりはみせない。さすが公女である。

「お話の仔細はお手紙で承りました。アリサが呪いを受けたということでしたね?」

「ああ。暗黒神ニギリアの刻印を受けたのではないかと、レイシアの神官は言っていた」

「なるほど」

 神官長は眉間にしわを寄せた。

「そうですか。彼奴等きゃつらに見つかってしまったのですね」

「また?」

 どういう意味だろう。私は思わず首をかしげる。

「アリサ、お前はもう覚えてはいないだろうね。私がお前を引き取った時のことは」

 神官長は静かに首を振った。

「どういうことだ?」

 ルークが問うと、神官長は静かに頷いた。

「アリサは、ヴァンではなくラカナという村の生まれで」

 ラカナというのはヴァンよりは、ニーハに近いかなり山間部の村だ。

「詳細はわかりませんが、三歳ごろに両親を亡くし、巡り巡ってファナンの街の孤児院に引き取られたのです」

 ファナンというのはヴァンからそんなに遠くない内陸の街。この辺りでは一番大きい。とはいえ、帝都に比べたら小さいものらしいけれど、孤児院があるっていうこと自体が、街の大きさを意味している。田舎だと、親類縁者が引き取らない場合、どこかに売られたり、そうでなければ村の長が使用人として引き取ったりすることが多いのだ。

「ファナンの孤児院から、オーフェの神殿の本部に『風の加護を受けた魔力の高い子どもがいる』という連絡がありましてね。ちょうど私は、ヴァンに赴任することが決まったばかりで、ついでにファナンに寄っていくように本部から言われたのです」

 神官長は息を継いだ。

「ところがです。ファナンの孤児院についてみると、その子がいない。ちょうど入れ違いに、職員の一人が、勝手に養子縁組をして連れて行ってしまっていた」

「養子縁組?」

「書類は整っていました。正式なものなら異議を唱えるのも野暮とは思ったのですが、嫌な予感がして、私はその家を訪ねました」

 神官長の表情は暗い。

 そこに家はなく、職員を問い詰めると彼は買収されていたらしい。

「憲兵に届け出ようとしたしていた時、ファナンの裏町で、突風騒ぎが起きました」

「突風?」

 ルークが眉根を寄せる。

「ファナンの裏町は木造建築が多い。その屋根が吹き飛んだのですよ。一区画全部」

「まさか」

 神官長は頷く。

「そうです。ニギリアの教団に囚われたアリサが、恐慌に陥って、無意識に魔力を暴走させたのです」

「……覚えてません」

 私は首を振る。

「当時、アリサはまだ幼かったし、恐怖による魔力暴走だから記憶が残っていなくても不思議はないでしょう。見つかった時、アリサは魔力を使い果たして意識はなく、額にはニギリアの刻印を捺されていました。どうやら贄にされるところだったようです。私は刻印を消してから護りの印を施し、この神殿に引きとりました」

「護りの印はもうすでに施してあるの?」

 エリザベスが驚いた顔をする。

「正確には施してあった、というべきです。何らかの形で解けてしまったのでしょう」

 神官長は大きくため息をついた。

「私にも油断がありました。ご存知だと思いますが、アリサにはオーフェの加護がある。多少の呪いなどには、びくともしないほどの加護です。護りの印など本来なら必要がないのです。けれど、アリサの忘れた記憶の中にはニギリアの刻印が残っている。おそらく、記憶が印を食い破ったのでしょう」

「記憶が食い破るということは、護りの印は無駄なのか?」

「無駄ではありません。ただ、恒久的なものではないということです」

 神官長は神妙な顔で告げる。

「もう一度、施してもらうことはできるのですか?」

「できないわけではないけれど、アリサの場合は、自分で護りの印を施すようにしたほうがいい」

 神官長は私に頷いて、一冊の本を取り出した。

「恒久的ではない以上、私が施したところでまた解けてしまう。アリサはもう幼子ではない。魔力の基礎を学んだ今ならそのほうがいい」

「……自分で?」

 私は神官長から本を受け取る。

 うまくできるかどうかわからないけれど、自分でできるようになれば周囲に迷惑もかけなくて済む。

「大丈夫。アリサならできる。お前ほどオーフェに愛されている子はいないのだから」

 神官長は優しい目で微笑んだ。その言葉は、とても温かで、おだやかな気持ちになる。

 オーフェにどう思われているかはともかくとして。神官長の深い愛は信じられる……そう思った。

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