港町 ヴァン 1
なんかたいへんなことになってしまった。
馬車に揺られながら、そんなことを思う。
ルークは、別荘に戻ると、まず舟に誰がのっていたのか調べさせるように公爵家の使用人に命じて、翌朝にヴァンへ行くと言い出した。
いくらなんでもそこまで急を要することはないのではないかと思ったのだけれど、ルークとエリザベスが言うには、あの時の私の様子は普通じゃなかったらしい。
ヴァンへ向かうのは、私とルークとエリザベス。御者のデニスさん。
デニスさんがお目付けというか、保護者って形になるらしい。
もともとヴァンには行く予定にしてくれていたらしいのだけれど、二日ほど前倒しにしていくことになった。
日程は、二泊三日。ニーハからヴァンまでは、馬車でほぼ一日かかる。
ヴァンは田舎だ。小さな港町だから、町民のほとんどは何らかの形で港に関わる仕事をしている。
日が傾き始めたころ、風に潮の香りが混じり始めた。
「そろそろヴァンの町です」
町といっても、ちょっと家が固まっているだけだ。
建物は小さいし、人通りも少ない。
帝都の街並みを見るまでは、これでも賑わっているように見えたけれど、さすがにこれを賑わっていると評するのは無理があるなあと、今では思う。
馬車が止まったのは、ヴァンの中では際立って大きい町の行政官の屋敷。ヴァンは、皇帝直轄領のため、領主はいない。
だから行政官のお屋敷は、事実上、町で一番大きい。行政官って名前だが、ほぼ世襲制だ。
私がヴァンにいた頃から変わらない。もっとも、会ったことなどないのだけれど。
「行政官のロム・シグナスは、母の従弟なの」
「そうですか」
貴族名鑑も授業で少し読んでいるけれど、細かなところまではまだ頭に入っていない。
マクゼガルド家みたいな名門になると、ありとあらゆる人が根っこでは親戚だったりする。貴族社会は狭いと言ってしまえばそれまでだけれど、家柄だけでなくエリート集団なのだなあとも思う。
馬車を下りると、執事っぽいひとが、出迎えてくれた。
公女と公子が泊まるのだ。当然と言えば当然なのだけれど、私も一緒にいていいのだろうか。今日の私は、ルークの指示で神官服を着ている。私服よりまだマシかなあと思って持ってきていたのだ。
神官服なら、マクゼガルド兄妹の隣にいても、そんなに違和感がない。
私は神官ではないのだけれど。
「どうぞこちらへ」
玄関ホールに入ると待っていたのは、多分家主のロム・シグナスだろう。四十代くらいの渋めの男性だ。髪は薄いグリーン。目の色彩も同じ。柔和そうな顔立ちだが、動きにキレがある。体格も大きく、筋肉質のように見える。意外と肉体派なのかもしれない。
「お久しぶりですねえ。ルークさま、エリザベスさま」
シグナスは丁寧に頭を下げる。
「突然、申し訳ない」
ルークが代表して答えた。エリザベスは美しく淑女の礼をとる。
私はエリザベスの後方に立ったまま、小さく神官の礼をした。
「いえ、伝令を先にいただきましたので、お部屋のご準備は済んでおります。ごゆっくりご滞在いただければと思います」
「恩に着る」
「それで、そちらのお嬢さんが、オーフェの巫女で?」
ちらりと、ロムが私の方を見る。
「え?」
なんのこと? と思って首をかしげると、振り返ったエリザベスが黙ってて、というように目配せした。
「ああ、そうだ。オーフェの神殿に明日、連れて行こうと思っている」
ルークがしれッとした顔で答える。
いつの間に私はオーフェの巫女なんて大それたものになったのだろう。
私は神殿育ちだけれど、神官ではないし、ましてや巫女でもない。
非常に申し訳ない気分になる。
「それでは、明日、案内のものをつけましょう」
「頼む」
二人のやりとりを見ながら、私は内心、冷や汗をかく。
よく考えたら、神官長たちは、行政官の部下に案内されて公爵家の馬車がやってくるなんて、思ってもみないだろう。
私一人でふらりと今からでも行った方が、神官長たちのためにもいいかもしれない。
でも、マクゼガルド家の兄妹は、昨日のことをかなり重く見ていて、一人で行くと言っても行かせてもらえないだろう。
ちょっと過保護な気もするけれど、よく考えたら原作の私は暗黒神ニギリアを崇めていたわけで、ニギリアに堕ちる可能性はゼロではない。
エリザベスに危害を与える気は毛頭ないけれど、私の意志が働かなくなる可能性だってある。
仕掛けたのは『神』ではないにしろ、彼らの後ろには『神』がいるのだ。
それにしても。
この世界は『公爵令嬢は月に憂う』の世界からだいぶ離れたはずなのに、こうして揺り戻しのように原作の設定がのしかかってくる。やっぱり物語の強制力のようなものは存在するのだろうか。
原作のアリサがいつ暗黒神を崇め始めたかの記述はなかったように思う。
アリサは自己顕示欲が強く、グレイをはじめ高貴な男性に取り入り、エリザベスを孤独に陥れようとした。
自分勝手で、徹底した悪役だった。今の自分があんなふうになってしまうとは思えないし、思いたくもない。だけど、抵抗できない何かの力が働かないという保証はないのだ。
「アリサ、部屋に行きましょう」
エリザベスに促され、私は頷く。
今はそんなことを考えても仕方ない。
神官長さまに会って、護りの印を授けてもらえば、少し安心できるだろう。
「わぁ、広いですね」
案内された部屋はエリザベスと同室だった。
二間続きで、リビングと寝室。寝室のベッドはひとつだけだけれど、リビングのソファはベッドにもなるらしい。
「疲れたわね」
「はい」
ずっと馬車の椅子に揺られていたから、さすがに疲労感がある。
いくら公爵家の馬車の座面が高級品といっても、疲れないわけではない。跳ねるし、揺れるし、何よりもずっと同じ姿勢でいるわけなのだから。
「なんだか私のことで、皆さんを振り回してしまって申し訳ございません」
「水臭いこと言わないの」
エリザベスは頬を少しだけ膨らませた。
「アリサに何かあったら、私が嫌なの。これは私のためにやっていることなのよ」
「でも」
「あら、それなら、お返しを要求してもいい?」
くすり、とエリザベスが笑う。
エリザベスが交換条件のようなことを言うのは、珍しい。
「実はね、十日後、ニーハの別荘でお兄さまの誕生日会があるの」
「え?」
それは全く知らなかった。聞いたことなかったし、そもそも、原作にはそんなイベントはなかった。
「招待客はほとんどいない、内々の会よ。本当のお祝いは来月に入ってから帝都のお屋敷にもどってからなのだけれど」
エリザベスはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「だからね。ちょっとお兄さまを驚かすのを手伝ってほしいの」
「驚かす?」
サプライズパーティなのだろうか?
でも招待客を呼んでいるってなると、当然本人は気づいていると思うのだけれど。
「そう。アリサの協力が必要なの」
エリザベスは楽しそうだ。
「私で出来ることなら」
頷きながら。
何をどう協力するのか、全く想像がつかない。
ああ、でも。ルークの誕生日だとわかっていたら、何か用意したのに。
この町で何か買えるかな? 魚介の他は何もない町だけど。
「明日は、アリサの育ったオーフェの神殿ね」
「はい」
「楽しみだわ」
「……何もないですよ?」
清貧な暮らしを余儀なくされている、小さな港町の小さな神殿。
公子や公女のような高貴な人間が訪れることはまずないようなところだ。
私がマクゼガルド家の人間と一緒に帰ってくるなんて、神官長さまは想像することもなかっただろう。
神官長たちが右往左往する姿が目に浮かぶようだ。
みんなの気持ちを思うと、ほんの少し、申し訳ない気分になった。
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